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若い藝術家の肖像 単行本 – 2009/10/16
ジェイムズ・ジョイス
(著),
丸谷 才一
(翻訳)
鮮やかな新解釈! ジョイスの新訳決定版
あの難解とされた名作はこんなにも面白かった! 詳細な注、古今東西の芸術・文明を俯瞰した解説も含む、“ジョイス学者”丸谷才一の研究と翻訳の集大成となる新訳決定版。今まで手を出さなかった方も是非!
あの難解とされた名作はこんなにも面白かった! 詳細な注、古今東西の芸術・文明を俯瞰した解説も含む、“ジョイス学者”丸谷才一の研究と翻訳の集大成となる新訳決定版。今まで手を出さなかった方も是非!
- 本の長さ554ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2009/10/16
- 寸法15 x 3.4 x 21.2 cm
- ISBN-104087734269
- ISBN-13978-4087734263
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2009/10/16)
- 発売日 : 2009/10/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 554ページ
- ISBN-10 : 4087734269
- ISBN-13 : 978-4087734263
- 寸法 : 15 x 3.4 x 21.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 516,433位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年7月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新品のようでした。丁寧に梱包され、発送も迅速でした。早速読み始めましたが、面白いです。ジェームス ジョイスの作品は初めてですが、注釈がとても充実した本で、わかりやすいと思いました。どうもありがとうございました。
2017年2月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
完璧な訳と註解、丸谷才一先生、プルーストの井上究一郎先生、我々凡人にとっては恩人同様です。
これからフィネガンズを宮田恭子先生の抄訳で読む予定。
これからフィネガンズを宮田恭子先生の抄訳で読む予定。
2018年2月24日に日本でレビュー済み
『若い芸術家の肖像』はジョイスの半自伝的な作品ですが、できれば『ユリシーズ』の前に読んでおくことをお勧めします。
なぜなら、この小説の主人公スティーブン・ディーダラス(デダラス)は、『ユリシーズ』第一部の主人公でもあり、『ユリシーズ』は本作の続編とも言えるからです。
『ユリシーズ』の中には、本作の内容を踏まえて書かれている部分も多いです。
この小説は冒頭から意表を突いてきます。まるで童話を思わせる平仮名だらけの文章。それが次第に難解な文体へと変わっていきます。
つまり、主人公の成長ぶりが文体で表現されているのです。
『ユリシーズ』もそうですが、読み解いていくにはある程度の予備知識があった方がいいです。
まずは、舞台となる1900年前後のアイルランドにおける社会事情について(歴史、宗教、政治、文学)。時間がない人は大雑把でも良いので、知っておいた方がいいです(特にイギリスとの関係は必須)。
キリスト教の知識はなかでも重要だと思います。私はキリスト教徒ではありませんが、基本的な知識だけでも頭に入れておくべきだったと後悔しました(カトリックとプロテスタントの違いなど)。
それから、ギリシア神話に出てくるダイダロスとイカロスの話も頭に入れておくべきです。(主人公の名前「ディーダラス(デダラス)」は、「ダイダロス」からきています)
たかがひとつの作品に予備知識なんて面倒くさいと思われる向きもあるでしょう。しかしこれらの知識がないと、途中で「わけわからん!」となってしまう可能性大です。急がば回れです。
最後に、丸谷訳と大澤訳との比較について。
私が下手な説明をするより、実際に見比べた方がわかりやすいと思うので、一部を抜き出してみます。
まず「チャールズおじさん原理」として有名な、第2章冒頭付近の一文。
丸谷訳
「それで毎朝、チャールズおじさんは小屋へとおもむくのだが、ただしそれは後ろの髪に油をつけ、きちんとブラシでなでつけ、埃を払ったシルク・ハットをかぶってからである。」
大澤訳
「こういう次第で、チャールズおじさんは朝ごとにこの小屋に赴くのだが、そのまえにはかならず後ろ髪をきちんとなでつけ入念にブラシをかけ、シルクハットにもブラシをかけてから頭にのせる。」
第3章の最初の一文。
丸谷訳
「十二月のあわただしい黄昏が、鈍重な晝(ひる)のあとから、田舎者めいた足どりでどたどたとやって来た。」
大澤訳
「足早な十二月のたそがれが、どんより陰気な昼のあとから道化師よろしくこけつまろびつやってきた。」
また、集英社版の丸谷訳はページ下部に詳細な注釈がついています。これはかなり親切なもので、私は途中で何度助けられたかわかりません。
一方で、あまり注釈にこだわり過ぎるのもよくないと思います。たいして重要でない部分まで詳しく解説してあったりしますので。
今回私はどうしても引っ掛かる部分だけを注釈に頼るという読み方をしましたが、
「(注釈が)詳細すぎるのも時によっては善し悪しだ。ジョイスの文章の肌合い、その色合い、手触り、匂いを直接感じとることがむしろ難しくなっている。これはまずいと思う。いわゆる割注は読みの速度にブレーキがかかってぎくしゃくするばかり」
という大澤氏の意見に私は基本的に賛成です。「意識の流れ」を読み解くには、一定のリズム感のようなものが必要だと思うからです。
(岩波文庫の大澤訳は、巻末に最低限の訳注だけがまとめられています)
どちらが良いと思うかは、好みによるでしょう。(ちなみに、丸谷氏は付記で大澤訳に特別な謝意を述べています。)できれば両方を買って読み比べたいところです。
なぜなら、この小説の主人公スティーブン・ディーダラス(デダラス)は、『ユリシーズ』第一部の主人公でもあり、『ユリシーズ』は本作の続編とも言えるからです。
『ユリシーズ』の中には、本作の内容を踏まえて書かれている部分も多いです。
この小説は冒頭から意表を突いてきます。まるで童話を思わせる平仮名だらけの文章。それが次第に難解な文体へと変わっていきます。
つまり、主人公の成長ぶりが文体で表現されているのです。
『ユリシーズ』もそうですが、読み解いていくにはある程度の予備知識があった方がいいです。
まずは、舞台となる1900年前後のアイルランドにおける社会事情について(歴史、宗教、政治、文学)。時間がない人は大雑把でも良いので、知っておいた方がいいです(特にイギリスとの関係は必須)。
キリスト教の知識はなかでも重要だと思います。私はキリスト教徒ではありませんが、基本的な知識だけでも頭に入れておくべきだったと後悔しました(カトリックとプロテスタントの違いなど)。
それから、ギリシア神話に出てくるダイダロスとイカロスの話も頭に入れておくべきです。(主人公の名前「ディーダラス(デダラス)」は、「ダイダロス」からきています)
たかがひとつの作品に予備知識なんて面倒くさいと思われる向きもあるでしょう。しかしこれらの知識がないと、途中で「わけわからん!」となってしまう可能性大です。急がば回れです。
最後に、丸谷訳と大澤訳との比較について。
私が下手な説明をするより、実際に見比べた方がわかりやすいと思うので、一部を抜き出してみます。
まず「チャールズおじさん原理」として有名な、第2章冒頭付近の一文。
丸谷訳
「それで毎朝、チャールズおじさんは小屋へとおもむくのだが、ただしそれは後ろの髪に油をつけ、きちんとブラシでなでつけ、埃を払ったシルク・ハットをかぶってからである。」
大澤訳
「こういう次第で、チャールズおじさんは朝ごとにこの小屋に赴くのだが、そのまえにはかならず後ろ髪をきちんとなでつけ入念にブラシをかけ、シルクハットにもブラシをかけてから頭にのせる。」
第3章の最初の一文。
丸谷訳
「十二月のあわただしい黄昏が、鈍重な晝(ひる)のあとから、田舎者めいた足どりでどたどたとやって来た。」
大澤訳
「足早な十二月のたそがれが、どんより陰気な昼のあとから道化師よろしくこけつまろびつやってきた。」
また、集英社版の丸谷訳はページ下部に詳細な注釈がついています。これはかなり親切なもので、私は途中で何度助けられたかわかりません。
一方で、あまり注釈にこだわり過ぎるのもよくないと思います。たいして重要でない部分まで詳しく解説してあったりしますので。
今回私はどうしても引っ掛かる部分だけを注釈に頼るという読み方をしましたが、
「(注釈が)詳細すぎるのも時によっては善し悪しだ。ジョイスの文章の肌合い、その色合い、手触り、匂いを直接感じとることがむしろ難しくなっている。これはまずいと思う。いわゆる割注は読みの速度にブレーキがかかってぎくしゃくするばかり」
という大澤氏の意見に私は基本的に賛成です。「意識の流れ」を読み解くには、一定のリズム感のようなものが必要だと思うからです。
(岩波文庫の大澤訳は、巻末に最低限の訳注だけがまとめられています)
どちらが良いと思うかは、好みによるでしょう。(ちなみに、丸谷氏は付記で大澤訳に特別な謝意を述べています。)できれば両方を買って読み比べたいところです。
2020年9月21日に日本でレビュー済み
「ユリシーズ」を読む前にこれを読んでおいたほうがいいとレビューに書いてあったので読んでみた。
この小説は、ジョイスがモデルであるらしいスティーヴン・ディーダラスの幼少期、青年期の成長と芸術家としての芽生えを描いている。日本人には馴染みがないアイルランドの寄宿舎生活やキリスト教教育(カトリック)を垣間見ることができる。アイルランドの当時の政治状況に関する会話なども多い。現代の日本人がまったく知らないことが多いが注釈である程度理解できる。Ⅲ 章では司祭による地獄に関する長い説教があって、無宗教の日本人にとってはバカげた話しに聞こえるがキリスト教の教義とはこういうものなのだなという知識は得られる。当時の西洋人(いまも?)は本当にこれを信じていたのだろうかと思った。
翻訳は読みやすくて、注釈も適切で助けになると思う。ちょっと分量が多いが。
問題は訳者(丸谷才一)による解説だ。73 ページもあって、この作品とは直接関係ないような蘊蓄が延々と続く。単純にジェイムズ・ジョイスの小説を読みたい読者にとっては、無用なものだと思う。新潮文庫版にはなかったようなので、後付けされたようだ。解説は結城英雄氏のものだけで十分だと思う。
結城氏の解説では、丸谷氏の「意識の流れ」に関する訳文について次の例が挙げられている。
He wondered from which window Hamilton Rowan had thrown his hat on the haha and had there been flowerbeds at that time under the windows.
ハミルトン・ローアンはどの窓から、から堀へ帽子を投げたんだろう?そのころ窓の下に花壇はあったのかしら?
結城氏は「英文では一貫して、スティーヴンのことは一人称ではなく、三人称の「彼」で指示されている」と説明しているが、間接話法を一人称のように翻訳するのは、翻訳者がやってはいけないことだと思う。解説で結城氏は褒めているが、暗に批判しているのではないかと思う。読んでいるときも、突然「彼」という記述がでてきて違和感があるところがある。「彼」がディーダラスのことなのか、ディーダラスの友達のことなのかよくわからないところもある。
総じて、475 ページの長い小説だが、それなりに興味を持って読むことができる。でも、現代の日本人があえてこの本を読む意義は、「ユリシーズ」を読む準備以外にあまりないように思う。
この小説は、ジョイスがモデルであるらしいスティーヴン・ディーダラスの幼少期、青年期の成長と芸術家としての芽生えを描いている。日本人には馴染みがないアイルランドの寄宿舎生活やキリスト教教育(カトリック)を垣間見ることができる。アイルランドの当時の政治状況に関する会話なども多い。現代の日本人がまったく知らないことが多いが注釈である程度理解できる。Ⅲ 章では司祭による地獄に関する長い説教があって、無宗教の日本人にとってはバカげた話しに聞こえるがキリスト教の教義とはこういうものなのだなという知識は得られる。当時の西洋人(いまも?)は本当にこれを信じていたのだろうかと思った。
翻訳は読みやすくて、注釈も適切で助けになると思う。ちょっと分量が多いが。
問題は訳者(丸谷才一)による解説だ。73 ページもあって、この作品とは直接関係ないような蘊蓄が延々と続く。単純にジェイムズ・ジョイスの小説を読みたい読者にとっては、無用なものだと思う。新潮文庫版にはなかったようなので、後付けされたようだ。解説は結城英雄氏のものだけで十分だと思う。
結城氏の解説では、丸谷氏の「意識の流れ」に関する訳文について次の例が挙げられている。
He wondered from which window Hamilton Rowan had thrown his hat on the haha and had there been flowerbeds at that time under the windows.
ハミルトン・ローアンはどの窓から、から堀へ帽子を投げたんだろう?そのころ窓の下に花壇はあったのかしら?
結城氏は「英文では一貫して、スティーヴンのことは一人称ではなく、三人称の「彼」で指示されている」と説明しているが、間接話法を一人称のように翻訳するのは、翻訳者がやってはいけないことだと思う。解説で結城氏は褒めているが、暗に批判しているのではないかと思う。読んでいるときも、突然「彼」という記述がでてきて違和感があるところがある。「彼」がディーダラスのことなのか、ディーダラスの友達のことなのかよくわからないところもある。
総じて、475 ページの長い小説だが、それなりに興味を持って読むことができる。でも、現代の日本人があえてこの本を読む意義は、「ユリシーズ」を読む準備以外にあまりないように思う。