大変面白い短編集だが、
読んだほぼ全員が感じるだろう事に次の3つが挙げられる。
'1.下品で救いのない翻案が多い。
'2.ヒーロー、アニメキャラクターがしばしば登場する。
'3.認知症/高齢化社会がメインテーマの一つ。
年老いて認知症を煩うヒーローたち、という話はとりもなおさず
ヒーローの出現を希求し熱狂した『世代』自体の老化・劣化を示すのはもちろん、
その後の世代がもはや『彼ら自身のヒーロー』を持てなかった事を指摘しているようでもある。
『ライダー』も『ウルトラマン』も『戦隊』も、
今いるヒーローたちは焼き直しを繰り返して使い古されたモノばかり。
カラーコピーを繰り返すうちに輪郭も色調もブレてしまい、
もはや誰の為に何と戦っているのかすら分からないし、知ろうともしない。
久々のニューカマー、海賊王にしても(子供より先にヒーロー世代の大人が食いつく始末だが)
悪い事に彼らの居場所は我々の街ではなく、どこか遠くの海の上だ。
認知症患者から世界はどう見えているのか、というのは作者の大きな関心の一つのようで、
それは近々我々自身に降り掛かってくる現実の恐怖でもあるからだろう。
『イーハトーボ農林学校・・・』も一見若返りをテーマにしているようで、
実際には徐々に若い頃の記憶が逆行性に前面に出てくる認知症の特徴を象徴しているように思えた。
記憶が徐々に若返ると最終的に行き着く場所はどこなのか・・・。
たしかに興味深いテーマではある。
宮沢賢治へのリスペクトがベースにあるとは言いながら、
トリビュートというのはいかがなものだろう。
『これを読んだ賢治は喜ぶのか?』
と考えると・・・いや、案外面白がるかもね。
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ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ 単行本 – 2005/5/2
高橋 源一郎
(著)
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現代の“ミヤザワケンジ”が描く24の物語。
もうひとつの「風の又三郎」や「注文の多い料理店」はどんなお話? 壊れた時間の住人たちがおくる、真夜中のヒットパレード。「すばる」で連載された「ミヤザワケンジ全集」がついに一冊に!
もうひとつの「風の又三郎」や「注文の多い料理店」はどんなお話? 壊れた時間の住人たちがおくる、真夜中のヒットパレード。「すばる」で連載された「ミヤザワケンジ全集」がついに一冊に!
- 本の長さ552ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2005/5/2
- ISBN-104087747573
- ISBN-13978-4087747577
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2005/5/2)
- 発売日 : 2005/5/2
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 552ページ
- ISBN-10 : 4087747573
- ISBN-13 : 978-4087747577
- Amazon 売れ筋ランキング: - 494,295位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,592位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1951年、広島県生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作を受賞しデビュー。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、02年、『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞を受賞。著書に『いつかソウル・トレインに乗る日まで』『一億三千万人のための小説教室』『ニッポンの小説―百年の孤独』他多数ある。10年5月には、『「悪」と戦う』も刊行された。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
おもしろい作品もしっかりあるんだけど、物足りないと思うものも多々ありました。
どれも文体が練られていて、複雑な構成のものもあり、凄いなあと引き込まれてしまいます。
最後の「水仙月の四日」などはとても良かったけど、
読み終わってから振り返ると、印象に残っている作品は少なかったです。
宮沢賢治よりも星新一っぽさを時折感じました。
どれも文体が練られていて、複雑な構成のものもあり、凄いなあと引き込まれてしまいます。
最後の「水仙月の四日」などはとても良かったけど、
読み終わってから振り返ると、印象に残っている作品は少なかったです。
宮沢賢治よりも星新一っぽさを時折感じました。
2006年10月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は高橋源一郎氏が書いた本で自分が初めて手に取った本です。その他の本は読んだことがありませんが、今日、本屋さんで「綿谷りさ(彼女、かわい過ぎっ。でも全くTVに出演しないのが非常に残念です)」さんの「インストール」の文庫本を立ち読みしたら素晴らしい後書を書いていました。この本が発売された当初に彼はNHK BSの週間ブックレビューに出演して、この本のことを語っていました。その中で「銀河鉄道の夜」が書かれていないのは何故?の質問に「この物語だけで1冊の本を書くつもり」と、とても期待してしまう発言をしていました。また彼は「銀河鉄道の夜」について「100回、読めば、100回の違った感動が味わえる」と最高の褒め言葉も発言していました。全く自分も同感です(こんなにも素晴らしい表現はできないけれども)。この本の中には前述の通りに「銀河鉄道の夜」は書かれていませんが宮沢賢治さんの素晴らしい作品の数々を独自解釈?して創作した全くの異なった作品が掲載されています。もちろん、それぞれの題名は宮沢賢治氏の作品と同様なので全く関わりが無いということはありませんが。ところどころには原作と同じ文章が使用されていますが、そこのところが異質で目立ちます。自分が既に読んでしまっただけではなくて、やっぱり宮沢賢治の文章が素晴らしいからだと思います。好きな著作を共有することは良いですね。僕は宮沢賢治が好きで彼や、吉本隆明氏や、中沢新一氏を深く知ることができました。自分は原作を読んでから、この本を読みましたが、高橋源一郎氏の著作が好きな人であるならば、この本を読んでから原作を読むという楽しみ方もできると思います
2005年5月24日に日本でレビュー済み
宮沢賢治の作品を「翻案」(というか、タイトルやストーリーから連想させていっただけのような気もするが)した作品をまとめたもの。
600ページ近い単行本だが、そんな厚さを感じさせないほど、一気に読める。
徹底して不条理にしてリアルとパロディの筆致が揺さぶってくる。
近年の作品を踏襲したものではあるが、物語としての完成度、読み手の引き込み方が他の作品とは桁違いである。
「プリオシン海岸」「イーハトーボ農学校の春」「水仙月の四日」、中でもこの3つが秀逸だろうか。
「『呪文』とはなんですか?」
雪童子はいきなりそういった。そう訊ねた自分に、雪童子も驚いていた。
「『呪文』とは、ことばだ」老人はいった。
「『呪文』のことばと、ふつうのことばは違うのですか?」
「違わない。どれも、ことばとしては変わらない」
「じゃあ、どうして、ふつうのことばは『呪文』にならないのですか?」
「それは、ふつうのことばを『呪文』にするやり方を知らないからだ。どんなことばも『呪文』になりうるはずなのだ」
「どんなことばも『呪文』になりうるのなら、わざわざ、『呪文』のことばを覚える必要なんかないんじゃないですか?」
「雪童子、おまえはなかなか頭がいいようだな。あらゆることばは『呪文』になりうる。けれども、実際には、特別なことばしか『呪文』にならない。それは、ことばのせいではなく、それを使いこなせない『術使い』のせいなんだ。だから、我々は、まず、『呪文』として通用していることばを使いこなすことからはじめる。そのことを通して、ことばがどんな風に『呪文』になるのかを知ることになるのだ。そして、未だ『呪文』として目覚めていないことばが、『呪文』となることのできる道筋を探すのだ」
(「水仙月の四日」より)
この文章、まるっきり「さようなら、ギャングたち」じゃないですか。
『呪文』を『詩』に、『術使い』を『詩人』に置き換えてみてください。
僕はこの文章を見て、思わずにんまりしてしまいました。
600ページ近い単行本だが、そんな厚さを感じさせないほど、一気に読める。
徹底して不条理にしてリアルとパロディの筆致が揺さぶってくる。
近年の作品を踏襲したものではあるが、物語としての完成度、読み手の引き込み方が他の作品とは桁違いである。
「プリオシン海岸」「イーハトーボ農学校の春」「水仙月の四日」、中でもこの3つが秀逸だろうか。
「『呪文』とはなんですか?」
雪童子はいきなりそういった。そう訊ねた自分に、雪童子も驚いていた。
「『呪文』とは、ことばだ」老人はいった。
「『呪文』のことばと、ふつうのことばは違うのですか?」
「違わない。どれも、ことばとしては変わらない」
「じゃあ、どうして、ふつうのことばは『呪文』にならないのですか?」
「それは、ふつうのことばを『呪文』にするやり方を知らないからだ。どんなことばも『呪文』になりうるはずなのだ」
「どんなことばも『呪文』になりうるのなら、わざわざ、『呪文』のことばを覚える必要なんかないんじゃないですか?」
「雪童子、おまえはなかなか頭がいいようだな。あらゆることばは『呪文』になりうる。けれども、実際には、特別なことばしか『呪文』にならない。それは、ことばのせいではなく、それを使いこなせない『術使い』のせいなんだ。だから、我々は、まず、『呪文』として通用していることばを使いこなすことからはじめる。そのことを通して、ことばがどんな風に『呪文』になるのかを知ることになるのだ。そして、未だ『呪文』として目覚めていないことばが、『呪文』となることのできる道筋を探すのだ」
(「水仙月の四日」より)
この文章、まるっきり「さようなら、ギャングたち」じゃないですか。
『呪文』を『詩』に、『術使い』を『詩人』に置き換えてみてください。
僕はこの文章を見て、思わずにんまりしてしまいました。
2016年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
装丁がいい。文字組が美しい。つまり、本の体裁がまず素敵です。そこがとても気に入りました。なんかこう、めくりたくなる感じがあります。これは文庫版では味わえない良さですね。物語のほうはいまいちという印象。高橋源一郎はもっと面白いはずだと思いました。なにかこうもうちょっとですごく面白くなりそうなのにそうなっていない感じなのが、もどかしいんだけどそれもまた「惜しい」感じがして、ずっとそれが連続して行くのが面白いといいますか。〈ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ〉というタイトルのこの本は、ほんとうは〈ミヤザワケンジ・トリビュート〉だと思います、たぶん。まとめ、としますと、すごくおすすめしたいような小説ではないのですが、そういうところも含めて、なかなか面白いと思います。
2005年5月6日に日本でレビュー済み
「すばる」連載時にいくつか目を通して、単行本にまとめられたら読もうと思っていたので、さっそく読みました。コンセプトはわかりますが、情けないことにミヤザワケンジの作品自体に明るくないので読んでいて、自分は皮相をなぞっているに過ぎないといった居心地の悪さに絶えず苛まれました。こちらの目が悪くて底まで見通せないじれったさです。ただし、それを承知で暴言を吐かせてもらうなら、どの作品にも概ね「手癖」のようなものを感じました。適当かどうか自信はありませんが、ジェフ・ベックやボブ・ディランの新作を耳にした時と似た後味でした。十分すぎるほど予想がつくのに新しいのが出ると、またその同じ味わいを楽しみたいために懲りずに買ってしまう、ひとり予定調和といったところです。もちろん良い意味ですが。僕は楽しめました。
2005年7月19日に日本でレビュー済み
宮沢賢治もすっかり忘れていたので、宮沢賢治作品集とこの本とを交互に読み進めて行った。すると何だか不思議な気分に。「注文の多い料理店」も「猫の事務所」も、もともと高橋源一郎が書いたのでは……という錯覚に陥った、と言うか。たとえばこの本にも引用されている「グスコーブドリの伝記」の、ブドリが火山爆発の自己犠牲になることで、飢饉に苦しむ多くの農民を救おうとする箇所……“「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事に代れるものはさうはない。」「私のやうなものは、これから沢山できます。私よりもつともつと何でもできる人が、私よりもつと立派にもつと美しく、仕事をしたり笑つたりして行くのですから。」”……まんま高橋源一郎な文章でしょ?
沢山のブドリの犠牲のもとに、七十年後の今、この国に飢餓に苦しむ人はいなくなったけれど、自ら餓死を選ぶヒロシとマサコも、援助交際をするマユちゃんも、職安に通い続けるキムラさんも、ボケが始まったらしい怪しい発言を家族に無視されるおじいちゃんも、出会い系のサクラをする「おれ」も、救われたくて救われたくてでも救われない。ブドリも竃猫もオッベルの白象も猟師の小十郎も救われなかったみたいに。
「革トランク」の少女は「パパ」の机の上の絵は変だと言う。その絵は人が細すぎるし、本を読みながら飛んでいるし、馬が笛を吹いたり鉄塔に首が生えたりしているからだ。(シャガールかな)“「それは……それはおそらく、その人が見た夢なんじゃないかな」「あら、あたしはそんな変な夢は見ないわ。その人、ちょっとイカレてるのじゃないかしら」「この人は芸術家なんだよ」「ゲイジュツカ?パパもそう?」「その質問に答えるのも難しいね。つまり、その人は、答える代わりにその絵を描いたわけなんだよ」”……そうだ、宮沢賢治も高橋源一郎も、どうすれば彼らが救われるのか、答える代わりに小説を書くのだ。正義ではなく、含羞に満ちた文章で。
ちなみに私はこの「革トランク」が一番好きで、二度読み返した。宮沢賢治の「革トランク」と響きあうリフレインが美しいし、この父と娘の対話は、十五年前の「ペンギン村に陽は落ちて」の序文(何度読み返したことか!)の、「しょうせつ」とは何かを考える父と息子の対話と、響きあっている気がするからだ。
沢山のブドリの犠牲のもとに、七十年後の今、この国に飢餓に苦しむ人はいなくなったけれど、自ら餓死を選ぶヒロシとマサコも、援助交際をするマユちゃんも、職安に通い続けるキムラさんも、ボケが始まったらしい怪しい発言を家族に無視されるおじいちゃんも、出会い系のサクラをする「おれ」も、救われたくて救われたくてでも救われない。ブドリも竃猫もオッベルの白象も猟師の小十郎も救われなかったみたいに。
「革トランク」の少女は「パパ」の机の上の絵は変だと言う。その絵は人が細すぎるし、本を読みながら飛んでいるし、馬が笛を吹いたり鉄塔に首が生えたりしているからだ。(シャガールかな)“「それは……それはおそらく、その人が見た夢なんじゃないかな」「あら、あたしはそんな変な夢は見ないわ。その人、ちょっとイカレてるのじゃないかしら」「この人は芸術家なんだよ」「ゲイジュツカ?パパもそう?」「その質問に答えるのも難しいね。つまり、その人は、答える代わりにその絵を描いたわけなんだよ」”……そうだ、宮沢賢治も高橋源一郎も、どうすれば彼らが救われるのか、答える代わりに小説を書くのだ。正義ではなく、含羞に満ちた文章で。
ちなみに私はこの「革トランク」が一番好きで、二度読み返した。宮沢賢治の「革トランク」と響きあうリフレインが美しいし、この父と娘の対話は、十五年前の「ペンギン村に陽は落ちて」の序文(何度読み返したことか!)の、「しょうせつ」とは何かを考える父と息子の対話と、響きあっている気がするからだ。
2019年7月27日に日本でレビュー済み
ミヤザワケンジではなく、宮沢賢治のファンです。
あちら側から入って、高橋源一郎の『銀河鉄道の彼方に』を経てこの本を知りました。
宮沢賢治の作品からインスパイアされたと思われるものはかなりの数読みましたが、この『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』ほどひどいものは初めてでした。
『銀河鉄道の彼方に』は、発想や不思議な構成などでまだ得るところがありましたが、『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』には正直ガッカリ。
翻案とかトリビュートの体を装いながら、原作を揶揄して貶めているのが何とも残念です。
現代風にアレンジして面白くしたと考えているのだとしたら、既にその発想自体が陳腐だと思います。
宮沢賢治のファンはこういうありきたりの意見を言うだろう、ということまで含有して書いたのが透けて見える感じ。
まぁ、タイトルを借りただけで宮沢賢治の作品とは異次元のものと捉えればよいのでしょう。実際、次元が違うレベル。
でも賢治のファンとしては、タイトルだけしっかりパクッておいて中身があまりにもすっからかんなので、ガッカリを通り越した何か…しか残りませんでした。
あちら側から入って、高橋源一郎の『銀河鉄道の彼方に』を経てこの本を知りました。
宮沢賢治の作品からインスパイアされたと思われるものはかなりの数読みましたが、この『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』ほどひどいものは初めてでした。
『銀河鉄道の彼方に』は、発想や不思議な構成などでまだ得るところがありましたが、『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』には正直ガッカリ。
翻案とかトリビュートの体を装いながら、原作を揶揄して貶めているのが何とも残念です。
現代風にアレンジして面白くしたと考えているのだとしたら、既にその発想自体が陳腐だと思います。
宮沢賢治のファンはこういうありきたりの意見を言うだろう、ということまで含有して書いたのが透けて見える感じ。
まぁ、タイトルを借りただけで宮沢賢治の作品とは異次元のものと捉えればよいのでしょう。実際、次元が違うレベル。
でも賢治のファンとしては、タイトルだけしっかりパクッておいて中身があまりにもすっからかんなので、ガッカリを通り越した何か…しか残りませんでした。