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風の良寛 単行本 – 2000/12/15
中野 孝次
(著)
ダブルポイント 詳細
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良寛の詩や歌に魅せられ、長い間座右に置いてきた著者が、従来の習慣や物にこだわらず、生きることを楽しむこと、棄てることの大切さを良寛に学び、これからの日本人の新しい生き方を明示する。
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2000/12/15
- ISBN-104087812146
- ISBN-13978-4087812145
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
人は良寛に触れることによって、知らず知らずのうちに自分の生き方を顧みさせられる。そのような良寛の生き方や思想などについて語る。良寛の「人生が楽になる」生き方を提案。
登録情報
- 出版社 : 集英社 (2000/12/15)
- 発売日 : 2000/12/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 232ページ
- ISBN-10 : 4087812146
- ISBN-13 : 978-4087812145
- Amazon 売れ筋ランキング: - 462,084位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 14,078位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年8月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書では良寛が遺した歌と良寛自身の存在から、
「本来の自由と何か」といったテーマを掘り下げていく内容となっている。
良寛とは、
物に溢れる中で、静かなる暇なく忙しく何かに追われる世俗人や、
現代の価値観とは正反対の人物である。
子供と遊ぶ良寛は世俗から非難、咎められ一見は愚者ともされている。
また、良寛とは、
己の生き方を試み、その真贋を明らかにするための
試金石のような存在でもある。
良寛に触れることで無(=何事にも捉われていない状態)に身をおく擬似体験が可能であり、
自身の判断基準や真偽を見定め、客観視することができる。
良寛という存在(=無)から有のありがたみ、
ありがたい仕合せ(自然との調和)を知ることができる。
たとえば、戦争時のような窮乏体験、衣食住がない無の状態を知らない者は、
有のありがたみを知ることはできても感じることはできない、と推測できる。
それは「貧なるが道に親しき(貧乏でなければ道を悟れない)」と語るように、
隙間がない状態や生き方であるからである。
無為(=何もせずに心を自由に遊ばすこと)と、
退屈が常態でない現代は、その奥深い自由の中で得られる有を感じることはできない。
著者は良寛の存在を「空っぽの有用性」「虚空(よく物を容る)」とも呼んでいる。
良寛のような何も所有しない(属さない、何も持たない、何者でもない)
徹底した生き方と姿を見るだけで実は、
有(世俗から切り離された、ありがたみ)といった、
モノでない何かが生まれていることに気づかされる。
有は「喜び、満ち足りていることへの感謝、自然との調和」などにあたる。
良寛は、
現代と自身の影となって見えない部分を映す鏡のような存在である。
(心、魂、宇宙、自然、無能の探求の生涯)
-----------------------------------------------------------------------------------------------
【良寛】
・18歳 出家、修行
・22歳 国仙和尚に師事(備中玉島の円通寺)
・34歳 終えて放浪の旅
・48歳 五合庵、書を学ぶ
・70歳ごろ没 直腸ガンで亡くなる
→財産、地位、権力のくだらなさ、虚しさに気づく(出雲埼名家、所有権力、承認価値、米騒動など)
→自分の生き方が世間ふつうの人のそれとあまりに違っていることを絶えず
自覚せずにはいられなかった
→俗利から離れる
→無一物の暮らし、無所有の生を続ける(所有、執着、知識、学識を棄てる、道元の仏道)
→自分の生とは何か、自問自答
→天真に任す(自然に身を任せる)
→無為の境地に至る(閑、身心脱落)
→目に見えない価値に触れる(精神、美の世界、即心是仏)
→道心から書や歌を遺す
→子供と遊ぶ(無為、道心)
→優游の境地に至る(自然との調和)
→自らを客観視、自分の生き方をモチーフに歌を遺す(苦境を歌に)
→行持(行動、悟り、修行を続けること)を徹底的に行う
→初めから優遊ではなかった、と振り返る
→貞信尼との出会う
-----------------------------------------------------------------------------------------------
1 無一物と有との関係性
・極限にまで単純化された生とその構造を知る
・身を無、ゼロ地点に下げる
→道元「正法眼蔵」
→托鉢、乞食僧
→風来坊、無所属、孤独、役立たずを経験
→最も貧しく簡素な生活をあえて選ぶ、冬の厳しさを経験
→行持を続ける
・棄てて得る充実
→今日一日を生きるに足る、それだけのもので完結、
→ただ春が来たことがそれだけで嬉しい
→食を乞う鉢には皆さんの布施たる米がいい香りを立てている
・他人との無尽蔵の比較の消滅
→物の所有、他人よりいいものを永遠に競い合う
→嫉妬、恐怖の消滅
2 天真に任す(自然に身を任せる)
・自身を無能、弱い人間と認め切り、自然を受け入れる(自然との調和)
→老子「タオ」
→弱さの徹底、無抵抗主義、水のようにしなやかに
→自分という存在も空の中にしばらくいる存在にすぎない
→なるがままにまかせて、ゆったりとした気持ち
3 境地と内省(無為の自由、自然との調和、有が生まれる隙間、優游)
・たましいの密室に触れる、歌を遺す
・無為と退屈の常態環境をつくり、無為に自身を過す
→遊戯の心、余裕、空白
→世間の約束事に捉われず毱つきの無限の繰り返す遊び(今ここに)
→身心、脱落
→無為の奥深い自由、自己を忘れ去る時(=空)を経験
・耳を澄ます、自然、天地に耳を傾け感じる
→天地の声を聴く耳の人
→欲を棄て去った人の耳しか聞こえない自然の音色を楽しむ
・死、老、病の体験、内なる世界を内省する
→死の恐怖、嫌悪に触れることで、生の喜びを知る
→これは何であったか、何か(生涯全体、生への問い)
→自分とは、自分の生涯は何か
→なんのために生きているか
・無名、道心、無為
→世捨て、何の役に立たぬ生き方こそ母
→目的もなく水に漂う舟
-----------------------------------------------------------------------------------------------
1章 なぜ今良寛か
2章 良寛に惹かれて
3章 無為
4章 修行(1)
5章 棄てるということ
6章 愚の如くして道転寛し
7章 生涯、何の似る所ぞ
8章 懐の深さ
9章 修行(2)
10章 生を楽しむ
11章 弱い身にもかかわらず
12章 天真に任す
13章 晩年の花やぎ
14章 現代と良寛
「本来の自由と何か」といったテーマを掘り下げていく内容となっている。
良寛とは、
物に溢れる中で、静かなる暇なく忙しく何かに追われる世俗人や、
現代の価値観とは正反対の人物である。
子供と遊ぶ良寛は世俗から非難、咎められ一見は愚者ともされている。
また、良寛とは、
己の生き方を試み、その真贋を明らかにするための
試金石のような存在でもある。
良寛に触れることで無(=何事にも捉われていない状態)に身をおく擬似体験が可能であり、
自身の判断基準や真偽を見定め、客観視することができる。
良寛という存在(=無)から有のありがたみ、
ありがたい仕合せ(自然との調和)を知ることができる。
たとえば、戦争時のような窮乏体験、衣食住がない無の状態を知らない者は、
有のありがたみを知ることはできても感じることはできない、と推測できる。
それは「貧なるが道に親しき(貧乏でなければ道を悟れない)」と語るように、
隙間がない状態や生き方であるからである。
無為(=何もせずに心を自由に遊ばすこと)と、
退屈が常態でない現代は、その奥深い自由の中で得られる有を感じることはできない。
著者は良寛の存在を「空っぽの有用性」「虚空(よく物を容る)」とも呼んでいる。
良寛のような何も所有しない(属さない、何も持たない、何者でもない)
徹底した生き方と姿を見るだけで実は、
有(世俗から切り離された、ありがたみ)といった、
モノでない何かが生まれていることに気づかされる。
有は「喜び、満ち足りていることへの感謝、自然との調和」などにあたる。
良寛は、
現代と自身の影となって見えない部分を映す鏡のような存在である。
(心、魂、宇宙、自然、無能の探求の生涯)
-----------------------------------------------------------------------------------------------
【良寛】
・18歳 出家、修行
・22歳 国仙和尚に師事(備中玉島の円通寺)
・34歳 終えて放浪の旅
・48歳 五合庵、書を学ぶ
・70歳ごろ没 直腸ガンで亡くなる
→財産、地位、権力のくだらなさ、虚しさに気づく(出雲埼名家、所有権力、承認価値、米騒動など)
→自分の生き方が世間ふつうの人のそれとあまりに違っていることを絶えず
自覚せずにはいられなかった
→俗利から離れる
→無一物の暮らし、無所有の生を続ける(所有、執着、知識、学識を棄てる、道元の仏道)
→自分の生とは何か、自問自答
→天真に任す(自然に身を任せる)
→無為の境地に至る(閑、身心脱落)
→目に見えない価値に触れる(精神、美の世界、即心是仏)
→道心から書や歌を遺す
→子供と遊ぶ(無為、道心)
→優游の境地に至る(自然との調和)
→自らを客観視、自分の生き方をモチーフに歌を遺す(苦境を歌に)
→行持(行動、悟り、修行を続けること)を徹底的に行う
→初めから優遊ではなかった、と振り返る
→貞信尼との出会う
-----------------------------------------------------------------------------------------------
1 無一物と有との関係性
・極限にまで単純化された生とその構造を知る
・身を無、ゼロ地点に下げる
→道元「正法眼蔵」
→托鉢、乞食僧
→風来坊、無所属、孤独、役立たずを経験
→最も貧しく簡素な生活をあえて選ぶ、冬の厳しさを経験
→行持を続ける
・棄てて得る充実
→今日一日を生きるに足る、それだけのもので完結、
→ただ春が来たことがそれだけで嬉しい
→食を乞う鉢には皆さんの布施たる米がいい香りを立てている
・他人との無尽蔵の比較の消滅
→物の所有、他人よりいいものを永遠に競い合う
→嫉妬、恐怖の消滅
2 天真に任す(自然に身を任せる)
・自身を無能、弱い人間と認め切り、自然を受け入れる(自然との調和)
→老子「タオ」
→弱さの徹底、無抵抗主義、水のようにしなやかに
→自分という存在も空の中にしばらくいる存在にすぎない
→なるがままにまかせて、ゆったりとした気持ち
3 境地と内省(無為の自由、自然との調和、有が生まれる隙間、優游)
・たましいの密室に触れる、歌を遺す
・無為と退屈の常態環境をつくり、無為に自身を過す
→遊戯の心、余裕、空白
→世間の約束事に捉われず毱つきの無限の繰り返す遊び(今ここに)
→身心、脱落
→無為の奥深い自由、自己を忘れ去る時(=空)を経験
・耳を澄ます、自然、天地に耳を傾け感じる
→天地の声を聴く耳の人
→欲を棄て去った人の耳しか聞こえない自然の音色を楽しむ
・死、老、病の体験、内なる世界を内省する
→死の恐怖、嫌悪に触れることで、生の喜びを知る
→これは何であったか、何か(生涯全体、生への問い)
→自分とは、自分の生涯は何か
→なんのために生きているか
・無名、道心、無為
→世捨て、何の役に立たぬ生き方こそ母
→目的もなく水に漂う舟
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1章 なぜ今良寛か
2章 良寛に惹かれて
3章 無為
4章 修行(1)
5章 棄てるということ
6章 愚の如くして道転寛し
7章 生涯、何の似る所ぞ
8章 懐の深さ
9章 修行(2)
10章 生を楽しむ
11章 弱い身にもかかわらず
12章 天真に任す
13章 晩年の花やぎ
14章 現代と良寛
2015年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は良寛に関する本を二冊書いている。
「良寛の呼ぶ聲」 1995年
「風の良寛」 2000年 (当書)
両書ともに、良寛の生い立ち、生き様、たくさんの詩歌を紹介している。
従って語られるエピソードや載っている漢詩・和歌も重なったものが多い。
著者によれば、前著は「楷書で書いた」良寛さんの本であり、後者は
「草書で書いた」良寛さんの本であるということだ。つまり、「良寛の呼ぶ聲」は
大上段に構え肩ひじを張った「良寛論」であり、思想書であり、故に難しい。
詩歌も言葉の端々までの丁寧な解説は省略している。一方その5年後に書いた
「風の良寛」は、肩の力を抜いて、中学生にもわかることばで書いた平易な
良寛物語で著者の良寛に対する愛情が溢れに溢れた本である。
徒然草38段にこうある。
・・名利に使はれて、閑かなる暇(いとま)なく、
一生を苦しむるこそ、愚かなれ。・・
(人におだてられ、いいように使われ、あくせくしながら忙しく毎日を過ごす。
なんとくだらないことか。)わかっているけど、なかなか生き方は変えられない。
家族もあるし生活もある。でも良寛はすべて捨てた。家も寺もなにもかも棄てた。
江戸時代という階級社会に生きながら、社会の枠のどこにも属しない。
でもこんな良寛を見て、とても真似はできないけれど、良寛さんが何も言わず
ただそこにいるだけでなんかほのぼのとした気持ちになる。良寛の詩歌を読むと、
無一物の良寛の滋味にふれ、なんともいい気持ちになる。
私たちはいま資本主義の世の中に暮らしている。そこでは利潤とか、効率とか、
生産性とか世間一般が価値ありと認めたことを毎日ひたすら追求している。
が、それだけでいいのか。豊かさとはそのようなことなのか。たまには良寛のように
鳥の声に耳を傾けたり風の音に季節の移ろいを感じたり、そんな気持ちも
失いたくはないと読後に思った。
「良寛の呼ぶ聲」 1995年
「風の良寛」 2000年 (当書)
両書ともに、良寛の生い立ち、生き様、たくさんの詩歌を紹介している。
従って語られるエピソードや載っている漢詩・和歌も重なったものが多い。
著者によれば、前著は「楷書で書いた」良寛さんの本であり、後者は
「草書で書いた」良寛さんの本であるということだ。つまり、「良寛の呼ぶ聲」は
大上段に構え肩ひじを張った「良寛論」であり、思想書であり、故に難しい。
詩歌も言葉の端々までの丁寧な解説は省略している。一方その5年後に書いた
「風の良寛」は、肩の力を抜いて、中学生にもわかることばで書いた平易な
良寛物語で著者の良寛に対する愛情が溢れに溢れた本である。
徒然草38段にこうある。
・・名利に使はれて、閑かなる暇(いとま)なく、
一生を苦しむるこそ、愚かなれ。・・
(人におだてられ、いいように使われ、あくせくしながら忙しく毎日を過ごす。
なんとくだらないことか。)わかっているけど、なかなか生き方は変えられない。
家族もあるし生活もある。でも良寛はすべて捨てた。家も寺もなにもかも棄てた。
江戸時代という階級社会に生きながら、社会の枠のどこにも属しない。
でもこんな良寛を見て、とても真似はできないけれど、良寛さんが何も言わず
ただそこにいるだけでなんかほのぼのとした気持ちになる。良寛の詩歌を読むと、
無一物の良寛の滋味にふれ、なんともいい気持ちになる。
私たちはいま資本主義の世の中に暮らしている。そこでは利潤とか、効率とか、
生産性とか世間一般が価値ありと認めたことを毎日ひたすら追求している。
が、それだけでいいのか。豊かさとはそのようなことなのか。たまには良寛のように
鳥の声に耳を傾けたり風の音に季節の移ろいを感じたり、そんな気持ちも
失いたくはないと読後に思った。
2013年1月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良寛のうたを愛好していました。これまで読んだ良寛伝記とは、またひと味違う良寛の生き様に感動しました。
文中で紹介されていた老子にも興味が湧いて、読んでみようと思います。
文中で紹介されていた老子にも興味が湧いて、読んでみようと思います。
2014年7月30日に日本でレビュー済み
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人生に不満はつきものだがこの書を読んで数日は心が穏やかになるのは不思議、身の回りを整理しようという気なり、随分整理できました。心の整理もつく本です。
2010年10月2日に日本でレビュー済み
良寛様…というと、私たちの年代では、何故か懐かしく、心温まる響きを持つ名である。当書の著者である故・中野孝次さんの不朽の名著『 清貧の思想 』(1992年)においても良寛禅師を取り上げているが、本著は『 良寛の呼ぶ聲 』(1995年)に次ぐもので、この後の『 良寛 心のうた 』(2002年)とともに、私は“良寛三部作”としている。この『風の良寛』は、中野さんも語るように「前著(良寛の呼ぶ聲)が楷書で書いた良寛とすれば、これは草書で書いた良寛とでも言うべきか。ともあれわたしの思いを前より前面に出して書くことになった」(本書「あとがき」)作品であり、“良寛思想”のより具体的な発展的展開型といえよう。
さて、良寛禅師は欽慕した「道元禅師の嫡流を以て任じ」ていたが、何よりも「良寛の人となりを一言でいえば、内省の人ということだろう」(本文)。そして、「我生何処来 去而何処之…」といった詩も残しているけど、「大体江戸期の詩人で、自分の生がどこから来てどこへ行く、というような哲学的問いかけを詩に作った人は、良寛のほかにはたして一人でもいただろうか」と驚嘆するほどに、「根源的な問いをつねに自問自答していたのが、良寛という人なのである」(同)。禅師は「自己の外にある物のために生きることを完全に放棄して、己が心の平安、真実の自己のためにだけ生きる」(同)厳しくも清冽な生を選んだのだった。
良寛禅師の“生き方”は、現代を生きる私たちの謂わば“鏡”ともなり得るものであるが、そういった厳しい道を歩んだ禅師の晩年について、正直、私は「良寛様、良かったよね」と、つい言い添えてしまう。それは孫ほども違う、美貌といわれた貞心尼との交遊だ。この事実に関しては眉を顰める向きもあるようだけど、禅師の弟の由之をして「病者御あつかひ御辛労可申もなく忝存候」という礼状を認めさせている。最晩年、直腸ガンを患い、慢性的な下痢に悩まされた良寛禅師の、恐らく下の世話まで甲斐甲斐しく行ったであろう貞心尼…。この二人の歌などをみれば、その交流が非常に超俗的なものであったことを物語っている。
Amazonで購入
良寛様…というと、私たちの年代では、何故か懐かしく、心温まる響きを持つ名である。当書の著者である故・中野孝次さんの不朽の名著『 清貧の思想 』(1992年)においても良寛禅師を取り上げているが、本著は『 良寛の呼ぶ聲 』(1995年)に次ぐもので、この後の『 良寛 心のうた 』(2002年)とともに、私は“良寛三部作”としている。この『風の良寛』は、中野さんも語るように「前著(良寛の呼ぶ聲)が楷書で書いた良寛とすれば、これは草書で書いた良寛とでも言うべきか。ともあれわたしの思いを前より前面に出して書くことになった」(本書「あとがき」)作品であり、“良寛思想”のより具体的な発展的展開型といえよう。
さて、良寛禅師は欽慕した「道元禅師の嫡流を以て任じ」ていたが、何よりも「良寛の人となりを一言でいえば、内省の人ということだろう」(本文)。そして、「我生何処来 去而何処之…」といった詩も残しているけど、「大体江戸期の詩人で、自分の生がどこから来てどこへ行く、というような哲学的問いかけを詩に作った人は、良寛のほかにはたして一人でもいただろうか」と驚嘆するほどに、「根源的な問いをつねに自問自答していたのが、良寛という人なのである」(同)。禅師は「自己の外にある物のために生きることを完全に放棄して、己が心の平安、真実の自己のためにだけ生きる」(同)厳しくも清冽な生を選んだのだった。
良寛禅師の“生き方”は、現代を生きる私たちの謂わば“鏡”ともなり得るものであるが、そういった厳しい道を歩んだ禅師の晩年について、正直、私は「良寛様、良かったよね」と、つい言い添えてしまう。それは孫ほども違う、美貌といわれた貞心尼との交遊だ。この事実に関しては眉を顰める向きもあるようだけど、禅師の弟の由之をして「病者御あつかひ御辛労可申もなく忝存候」という礼状を認めさせている。最晩年、直腸ガンを患い、慢性的な下痢に悩まされた良寛禅師の、恐らく下の世話まで甲斐甲斐しく行ったであろう貞心尼…。この二人の歌などをみれば、その交流が非常に超俗的なものであったことを物語っている。
2013年8月15日に日本でレビュー済み
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よくアマゾンで中古本を購入します。この商品もそうですが、新品同様で大いに気に入りました。誠実かつ迅速なご対応に感謝いたします。有難うございました。
2009年3月29日に日本でレビュー済み
かつてバブル崩壊後に「清貧の思想」をベストセラーにした著者による、良寛の入門書。
第一線の知識人でありながら自己主張を行うことなく控え目に生きた良寛だが、当然、彼の人生や思想は謎が多く、この本も著者による解釈や想像が中心である。もしかしたら著者の思い入れが良寛像を清く美しくしすぎている嫌いはあるのかもしれない。ステレオタイプな良寛像を超える新しい見方を得ることはできない本だが、道元やタオイズム、万葉集など良寛が熱中した書物から彼の思想を裏付けようという著者の良寛解釈はそれなりに説得力がある。入門編としては読みやすい一冊だと思う。
第一線の知識人でありながら自己主張を行うことなく控え目に生きた良寛だが、当然、彼の人生や思想は謎が多く、この本も著者による解釈や想像が中心である。もしかしたら著者の思い入れが良寛像を清く美しくしすぎている嫌いはあるのかもしれない。ステレオタイプな良寛像を超える新しい見方を得ることはできない本だが、道元やタオイズム、万葉集など良寛が熱中した書物から彼の思想を裏付けようという著者の良寛解釈はそれなりに説得力がある。入門編としては読みやすい一冊だと思う。