ご存知、漫画『カムイ伝』の白土三平さんによるルポルタージュ。
ただし、これは、漫画『カムイ』の絵や話が出てくるわけではないので注意。
地方の、人と自然とが交わった食を伝えてくれる、エッセイと写真の本。
わなを仕掛けてとった狸を白土三平さんがさばく様子も、写真を大きく載せながら紹介してくれている。
そう、昔話にも出てくる狸汁ってどういうものか知りたかったんだよなぁ。この本に出合えたのは本当にうれしいことでした。
本に登場するメニュー(食べ物だけではありません。木を切って下駄にする過程を見せる項目もあります)は、
●カジカ
●スス飯(香茸)
●コゴ(ヒザラガイ)
●デーガン(アブラギリ)
●サマツ(モミ茸)
●寒ナマダの干物
●フジサン(マツバ貝・カサ貝)
●牙ものまわし〈1〉
●メルチョ(牙ものまわし)〈2〉
●狸汁
●コガネ
●飯だこポッポ
●ウンラン(海蘭)
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カムイの食卓 (Lapita Books 白土三平の好奇心 1) 単行本 – 1998/3/1
白土 三平
(著)
- 本の長さ141ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日1998/3/1
- ISBN-104093410119
- ISBN-13978-4093410113
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商品の説明
出版社からのコメント
カムイ伝で知られるコミック作家・白土三平氏が好奇心のおもむくまま胃袋に収めてきた山海の珍味の数々。美食ブームの中でいつの間にか断ち切られた食生産と消費の環を再びつなぎたいと奮闘する写真&エッセイ。
内容(「MARC」データベースより)
かつては苦しくとも喜びを自然と共有した世界があった。今度はその自然を我々が守らねばならなくなった。房総の小さな漁村に住みつき、半自給自足食生活を実践する著者による、自然との共生の断片。
登録情報
- 出版社 : 小学館 (1998/3/1)
- 発売日 : 1998/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 141ページ
- ISBN-10 : 4093410119
- ISBN-13 : 978-4093410113
- Amazon 売れ筋ランキング: - 320,071位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 47,448位暮らし・健康・子育て (本)
- - 89,012位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2004年6月4日に日本でレビュー済み
著者は誰もが知る、あの忍者の漫画などを書いてた人である。
この人自身がただものではないことは、Be-PALという雑誌あたりで、かなり知られてきた。近代化された、文明化されたアウトドア情報の中では、この人は本当に忍者みたいだった。
しかし考えると、やっぱり彼は普通の人なのかもしれない。たとえば、生き物を殺して食うことは、本当はごく普通のことだからだ。生きるためには食わねばならない。そして食うためには殺さねばならない。あらかじめ殺されていようと、いま口の中で息絶えようと、そのことは変わらない。自分でなくても、誰かが殺さなければ、なにも食卓には上らない。
白土三平は、カジカをとってワラに刺して焼き、茸をとってスス飯を炊く、魚をおろして干物を作り、皮をはいで狸汁を喰らう。時に慣れぬ手つきを地元の人にどやされる時があっても、老漫画家はかつての手の感触を思い出すように、食うために命をその手で奪っていく。
かつて、子供たちが「遊び」でつかまえた川魚すら、家族の食卓を支える貴重な蛋白質源だった。飢えを知るということは「貧しい」ということでもあったが、今と違って消費だけでなく生産も、日々の生活の中にあった。生きることが手の届くところにあった。三平少年が本当に貧しさを味わったのは、家族が都会へと移り住み、挌闘相手だった厳しい自然から遠ざかった時だった。
この人自身がただものではないことは、Be-PALという雑誌あたりで、かなり知られてきた。近代化された、文明化されたアウトドア情報の中では、この人は本当に忍者みたいだった。
しかし考えると、やっぱり彼は普通の人なのかもしれない。たとえば、生き物を殺して食うことは、本当はごく普通のことだからだ。生きるためには食わねばならない。そして食うためには殺さねばならない。あらかじめ殺されていようと、いま口の中で息絶えようと、そのことは変わらない。自分でなくても、誰かが殺さなければ、なにも食卓には上らない。
白土三平は、カジカをとってワラに刺して焼き、茸をとってスス飯を炊く、魚をおろして干物を作り、皮をはいで狸汁を喰らう。時に慣れぬ手つきを地元の人にどやされる時があっても、老漫画家はかつての手の感触を思い出すように、食うために命をその手で奪っていく。
かつて、子供たちが「遊び」でつかまえた川魚すら、家族の食卓を支える貴重な蛋白質源だった。飢えを知るということは「貧しい」ということでもあったが、今と違って消費だけでなく生産も、日々の生活の中にあった。生きることが手の届くところにあった。三平少年が本当に貧しさを味わったのは、家族が都会へと移り住み、挌闘相手だった厳しい自然から遠ざかった時だった。
2004年11月9日に日本でレビュー済み
巨匠マンガ家白土三平は千葉の房総半島の漁村に住み、農業、漁業というよりも狩猟民族のように、まさに自然の恵みの採取の半自給自足の生活を過ごしている。その食物の対象は、都会でも普通の田舎でも手にはいらない、どちらかと言えば、ヒトの食べ物としてはボーダーラインにある、岩にこびりついた貝、きのこ、小魚の類である。白米が常食になるまでの昔の農村の食生活とはこの程度のものだったのかとも感じる。本書ではこれらの食物の採取方法から調理まで写真をふんだんにつかって紹介している。白土さんは東京生まれで太平洋戦争の少年時代は長野の真田の田舎で疎開暮らしをおくった。疎開生活は差別も含め、決して楽しいものではなかったと想像するが、そこでの食の記憶が白土さんを房総での自給生活に誘ったのであろう。その理由は何だろうか。
2003年7月7日に日本でレビュー済み
白土三平が、身近にあるものを自分で手に入れ、自分で調理して食べた経験を語っているのだが、アウトドアの手引きをいうわけではない。
時には、昔ながらの食文化が失われていくことを嘆き、時には、餓えていた少年時代の思い出を語り、白土三平自身の経験や考え方が印象に残る。
ほとんど「カムイ伝」のような世界で、あれもこれも食べている。大変な知識であり、行動力である。
時には、昔ながらの食文化が失われていくことを嘆き、時には、餓えていた少年時代の思い出を語り、白土三平自身の経験や考え方が印象に残る。
ほとんど「カムイ伝」のような世界で、あれもこれも食べている。大変な知識であり、行動力である。