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ピカレスク - 太宰治伝 (日本の近代 猪瀬直樹著作集 4) 単行本 – 2002/3/1
猪瀬 直樹
(著)
「井伏さんは悪人です」。太宰治の遺書の謎に迫る本格評伝ミステリー
太宰治といえば常に死を追い求めるひ弱な男で、ついには自分に『人間失格』の烙印を押して死を選んだ、というイメージだった。本作では、遺書に書かれた「みんな、いやしい慾張りばかり。井伏(■二)さんは悪人です」という一文に着目、綿密な取材によって、師と仰いだはずの文豪との確執や、度重なる自殺未遂に隠された目論見などを解いていく。ここで描出された太宰はけっして厭世的な男ではなく、小説のために目標を設定しては破壊する勤勉さを持ち、懸命に生きようとしていた……固定観念に縛られた従来の評伝では見えなかった人間くさい太宰は、妙に魅力的である。河村隆一主演で映画化も決まった『日本の近代 猪瀬直樹著作集』の第4巻。
太宰治といえば常に死を追い求めるひ弱な男で、ついには自分に『人間失格』の烙印を押して死を選んだ、というイメージだった。本作では、遺書に書かれた「みんな、いやしい慾張りばかり。井伏(■二)さんは悪人です」という一文に着目、綿密な取材によって、師と仰いだはずの文豪との確執や、度重なる自殺未遂に隠された目論見などを解いていく。ここで描出された太宰はけっして厭世的な男ではなく、小説のために目標を設定しては破壊する勤勉さを持ち、懸命に生きようとしていた……固定観念に縛られた従来の評伝では見えなかった人間くさい太宰は、妙に魅力的である。河村隆一主演で映画化も決まった『日本の近代 猪瀬直樹著作集』の第4巻。
- 本の長さ512ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日2002/3/1
- ISBN-10409394234X
- ISBN-13978-4093942348
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商品の説明
出版社からのコメント
常に死を求めるひ弱な男ではなく、懸命に前向きに生きようとしていた――綿密な取材と生きた証言を丹念に蒐集して伝説とは異なる人間くさい太宰像を描き出した。師・井伏鱒二との確執や、玉川心中の本質にも迫る。
登録情報
- 出版社 : 小学館 (2002/3/1)
- 発売日 : 2002/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 512ページ
- ISBN-10 : 409394234X
- ISBN-13 : 978-4093942348
- Amazon 売れ筋ランキング: - 664,207位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 362位個人全集の全集・選書
- - 56,265位文芸作品
- - 108,621位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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作家。1946年長野県生まれ。
83年に『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『日本凡人伝』を上梓し、87年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞。定評の評伝小説に『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『こころの王国 菊池寛と文芸春秋の誕生』がある。
『日本国の研究』で96年度文藝春秋読者賞。
2002年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。その戦いの軌跡は『道路の権力』『道路の決着』に詳しい。06年に東京工業大学特任教授、07年に東京都知事に任命される。近著に『ジミーの誕生日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』『東京の副知事になってみたら』。また、『昭和16年夏の敗戦』中公文庫版が2010年6月に刊行された。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年12月6日に日本でレビュー済み
20年以上前、拝読し再読し。ほとんど憶えてなく、また当時理解及ばぬ部分も多々あって、新鮮な気持で面白く。太宰治伝ですが、井伏鱒二伝でもあり、悪人は太宰治であり井伏鱒二でもあることが次第に明かされてゆきます。井伏の共感能力の欠如、太宰の歪んだナルシシズム。それは双方被害感情があるからでお互い踏み込んでゆけないわけですが、そこへ私的感情を交えずメスを入れてゆくのが著者の面目です。井伏鱒二の剽窃だとか詐欺的行為を明かし。悪人というか小悪党といった風情。剽窃の問題は今もありますね。誰も評していないらしいのが不思議なのですが、本書における風景だとか人の佇まいの叙述が非常に巧みです。小説という体はとっていませんが、端的な表現で情景が鮮やかに立ち上がってきます。徹底調査し検証しながら無味乾燥に陥ることなく豊かな彩りをみせ、読ませてしまう力量。第5巻も楽しみです。
2021年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
単行本で読んで面白いと思った。Kindleで出版されていたので購入した。著者が都知事でしくじってからは読んでいない。
2017年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
太宰治について書かれた著作は多いのだろうがこの本を最初に読むとこれ以上の物があるんだろうかと思ってしまう。膨大な資料による裏付けは勿論だが加えて著者がその時代のその場に時間を越えて居合わせていたかの様な単なる調査報告の羅列では無く太宰治と井伏鱒二を中心にした1つの小説と読める。井伏の盗作や無断借用に言及しているが、そう思うと井伏だけでは無く当時の作家、今では大先生と思われる方々も相当に怪しいのでは無いだろうか。情報の取得が容易では無かった時代だからこそ読者に指摘される事は無い前提があっての事だろうが権威というものの不確かさを考えされられる。今や権威の太宰も生前は権威では無いわけだしこういう膨大な資料に裏付けされたものを読んで当時の感覚や立ち位置を思いながら太宰の著作を読み直すのも良いか。
2023年1月21日に日本でレビュー済み
猪瀬説を要約すると以下になる。
(1)「井伏さんは悪人です」という太宰の遺言は、
井伏が他人の作品の盗用が多く、いい加減な作家であったことの告発であった。
(2)太宰は井伏の作家としてのいい加減さを知りながら公表はしなかったが、
井伏の「薬屋の雛女房」を読むに及び、それが自分の脳病院入院を題材とした
安易な喜劇だったことに激怒した。
(3)太宰は井伏と縁を切る決意で、筑摩の「井伏鱒二選集」第2巻の後記に、
井伏の「青ヶ島大概記」が盗作であることを、井伏にしかわからない形で揶揄する文章を書いた。
(4)井伏の「青ヶ島大概記」、「山椒魚」、「ジョン万次郎漂流記」、「黒い雨」は
盗作と言えるほどネタ元の丸写しだ。
以上の説は全て猪瀬の憶測であったが、今では全て事実に反することが明らかとなっている。
(1)「井伏さんは悪人です」の内実
青森県近代文学館が2001年8月に刊行した「資料集 第二輯 太宰治・晩年の執筆メモ」
の、昭和23年3月14日(日)の週の見開きページに書かれたメモが、
「井伏さんは悪人です」の内実を説明しており、猪瀬説が言いがかりに過ぎぬことを証明している。
以下は、「井伏鱒二 と 荻窪風土記 と 阿佐ヶ谷文士」というWEBサイト(作者名不詳)から一部を引用する。
>井伏鱒二 ヤメロ といふ、足をひっぱるといふ、
この書き出しは、如是我聞の連載(志賀直哉への痛烈な子供じみた批判)を止めろと井伏が太宰に強く説得した
ことを示すと理解するのが自然である。もしかしたら山崎富栄との不倫関係まで踏み込んでいたのかも。
>井伏の悪口を言ふひとは無い、バケモノだ、阿呆みたいな 顔をして、作品をごまかし(手を抜いて)
>誰にも憎まれず、人の陰口はついても、めんと向かっては、何も言はず、
「作品をごまかし(手を抜いて)」の部分だけが「青ヶ島大概記」についての「揶揄」との関連を疑わせるが、
この執筆メモ中には井伏の文学に対する批判は無い。あくまでも自分の行状に対する井伏の苦言への反発心が
痛ましく綴られている。
>私はお前を捨てる。お前たちは、強い。(他のくだらぬものをほめたり)どだい私の文学が
>わからぬ、わがままものみたいに見えるだけだろう、(中略)
>お前は、「仲間」を作る。太宰は気違ひになったか、などといふ仲間を、
>ヤキモチ焼き、悪人、
「私はお前を捨てる。」という言葉は
「ふたたび私が、破婚を繰りかへしたときには、私を、完全の狂人として、棄てて下さい。」
(昭和十三年十月二十四日 津島修治)という結婚前の誓約書の文章をふまえた表現だと思う。
(2)「薬屋の雛女房」
加藤典洋によれば、
|猪瀬は、川崎和啓の論文「師弟の訣れ 太宰治の井伏鱒二悪人説」を(中略)
|出典として本文には引かず、ほとんど剽窃するようにして、(中略)
|そして一方的な自分の推理により、井伏がこころない短編で太宰を傷つけ、
|追い込んだという主張を『ピカレスク 太宰治伝』では行っている。
(「完本 太宰と井伏」講談社学芸文庫195頁)
と述べており、猪瀬および元ネタの川崎の説の読みの浅さを批判している。
しかしながら加藤にせよ、2001年8月に公刊された太宰のメモにより、
川崎の井伏鱒二悪人説も破綻していることが調べればわかるはずなのに、
情報がアップデートされていないのが残念である。
「薬屋の雛女房」は井伏鱒二全集で読んだが、井伏にしか書けない見事な短編で、
太宰は衝撃を受けたとしても、井伏の作品の細やかな仕掛けを読み解く能力は持っていた
はずである。ひょっとすると「人間失格」における薬局の未亡人との情事も、
「薬屋の雛女房」が発想の源泉になっているのではなかろうか?
「薬屋の雛女房」は多くの文学愛好家に、太宰ファンにこそ読んでもらいたい佳品である。
(3)「青ヶ島大概記」
井伏は「社交性」(1956年)という随筆において「青ヶ島大概記」は盗作みたいなもので、
太宰は経緯を知りながら、元ネタの「八丈実記」(近藤富蔵著)から書き写した、噴火で
飛んだ噴石が島民を打ちひしぐ描写部分を引用し、天才性に戦慄したという「井伏への皮肉」を
書いたのだと述べている。
猪瀬(あるいは週刊ポストに雇われたライターの誰か)が井伏全集から「社交性」を見つけ、
本人が認めた盗作の証拠だと、よく調べもせずに書いたのだった。
|実際に「青ヶ島大概記」を原資料と比較すると、ほぼ六割はリライトしたものである。
|(中略)基本的には原資料に依拠するところがほとんどであり、
|したがって本人も「盗用」と認めている。
(「ピカレスク」小学館単行本432頁)
猪瀬らが「八丈実記」を全く参照していないことは文中からも明らかで、元ネタは漢文であるのを
「青ヶ島大概記」は候文であり、井伏の文体上の工夫であったのに、丸写ししたから古い文体に
なったと書いている。さらには「青ヶ島大概記」は実際は島民の様々な生活ぶりが描かれているのに、
噴火だけを描いたごとく猪瀬らは錯覚しているので、読む価値もないと高をくくっていたのだろう。
ある研究者が「青ヶ島大概記」と「八丈実記」を相互参照して研究した結果、噴石の描写部分は完全に
井伏のオリジナルなものであると述べている。
「青ヶ島大概記」は虚実を織り交ぜた優れた作品といえ、直木賞受賞時の選評でも言及されている。
井伏は太宰の皮肉の意図は感づいていて「社交性」を書いたが、盗用したというのは噓であり、
読者を騙していたのである。これは簡単に騙される方が悪い。
(4)「黒い雨」と「重松日記」
「黒い雨」の盗作説は、豊田清史の「『黒い雨』と「重松日記」」(1993年)および
「知られざる井伏鱒二」(1996年)を元ネタとする。
豊田の説の虚妄性については黒古一夫の以下のテクストが参考になる。
|本論考は、井伏鱒二亡きあと、井伏鱒二の文業を貶めることを目的としたとしか思われない
|「『黒い雨』盗作説」が、被爆地広島に在住する歌人の豊田清史(二〇一二年に故人)から
|提起され、結果的には「虚言(嘘)」と「悪意(故意としか思われない誤読)」と「中傷」で
|塗り固められた盗作説であるとの判断から、図らずも「異議」を唱え「不毛な」論争に
|巻き込まれ、最後には『黒い雨』再評価を行わざるを得なかった経緯を綴ったものである。
(黒古一夫「井伏鱒二と戦争」(2014年)第六章補論『黒い雨』盗作説を駁す 159頁)
豊田が売名行為のために井伏の死後に井伏の「黒い雨」の6割が「重松日記」を元ネタにしている、
という嘘で塗り固められた暴露本を出したことは、広島県内の文学サークル内での小波に過ぎなかった。
しかし、その内容を安易に信じて豊田本人にも取材し、
「井伏は他人の文章からの無断盗用が多く、いい加減な作家である」という豊田の確信犯的な虚言、
妄想を事実と思いこまされたこと、こんな本を出しても遺族から名誉棄損で訴えられていないんだから、
この説を広めれば、本が売れるだろうという商売根性が全ての原点だったと思える。
既に「重松日記」が出版され、豊田の批判が事実無根であることがハッキリしたにもかかわらず、
どういうわけか本書のように、明らかな日本文学に対する名誉棄損罪に該当するゴシップが、
未だに出版され、多くの高い評価を得て、映画化もされ(!)、新たな若い文学愛好家の目を、
多くの偉大な井伏作品から遠ざけ続けているとしたら、大変残念なことである。
猪瀬という人物が、都知事選の選挙資金5千万円を某団体から無償で借り、返却したので問題なしと
開き直ったり、選挙応援中に女性候補者の胸を触ったとか触らなかったとか、そんな話には興味ないが、
かつて日本には日本の文学があり、井伏と太宰も、その芸術運動に命がけで
携わってきた稀有の人々であることを思うと、太宰が祝言をあげた旧井伏邸が、国の史跡にもならずに
朽ち果てようとしている現状を寂しく思う。
井伏邸の庭の光景を思い浮かべながら、太宰は次のように言及している。
| ばかに自分の事ばかり書きすぎたようにも思うが、しかし、作家が他の作家の作品の解説をするに当り、
|殊にその作家同士が、ほとんど親戚同士みたいな近い交際をしている場合、甚だ微妙な、
|それこそ飛石伝いにひょいひょい飛んで、庭のやわらかな苔を踏まないように気をつけるみたいな心遣いが
|必要なもので、正面切った所謂いわゆる井伏鱒二論は、私は永遠にしないつもりなのだ。
|出来ないのではなくて、しないのである。
(『井伏鱒二選集』第一巻後記 青空文庫より)
YouTubeで井伏鱒二を調べると、NHKで放送されたという井伏鱒二特集の映像で、
右手に杖を持った井伏さんが、玄関から出て門まで歩く姿が映る。
(「井伏鱒二」NHK製作 昭和58年放送 チャンネル名「比留間潔」6:35あたりを参照)
不規則に並んだ濡れた敷石をさして、井伏さんはキャメラマンに対してか
「これ滑らないでください。ツルツル滑るから」と、杖で石をトントン叩く気配りをされている。
ゼニゴケであろうか?鮮やかな緑の苔が土を覆っている。
「庭のやわらかな苔を踏まないように気をつけるみたいな心遣い」こそが太宰が井伏批判を
踏みとどまった理由であろう。
(1)「井伏さんは悪人です」という太宰の遺言は、
井伏が他人の作品の盗用が多く、いい加減な作家であったことの告発であった。
(2)太宰は井伏の作家としてのいい加減さを知りながら公表はしなかったが、
井伏の「薬屋の雛女房」を読むに及び、それが自分の脳病院入院を題材とした
安易な喜劇だったことに激怒した。
(3)太宰は井伏と縁を切る決意で、筑摩の「井伏鱒二選集」第2巻の後記に、
井伏の「青ヶ島大概記」が盗作であることを、井伏にしかわからない形で揶揄する文章を書いた。
(4)井伏の「青ヶ島大概記」、「山椒魚」、「ジョン万次郎漂流記」、「黒い雨」は
盗作と言えるほどネタ元の丸写しだ。
以上の説は全て猪瀬の憶測であったが、今では全て事実に反することが明らかとなっている。
(1)「井伏さんは悪人です」の内実
青森県近代文学館が2001年8月に刊行した「資料集 第二輯 太宰治・晩年の執筆メモ」
の、昭和23年3月14日(日)の週の見開きページに書かれたメモが、
「井伏さんは悪人です」の内実を説明しており、猪瀬説が言いがかりに過ぎぬことを証明している。
以下は、「井伏鱒二 と 荻窪風土記 と 阿佐ヶ谷文士」というWEBサイト(作者名不詳)から一部を引用する。
>井伏鱒二 ヤメロ といふ、足をひっぱるといふ、
この書き出しは、如是我聞の連載(志賀直哉への痛烈な子供じみた批判)を止めろと井伏が太宰に強く説得した
ことを示すと理解するのが自然である。もしかしたら山崎富栄との不倫関係まで踏み込んでいたのかも。
>井伏の悪口を言ふひとは無い、バケモノだ、阿呆みたいな 顔をして、作品をごまかし(手を抜いて)
>誰にも憎まれず、人の陰口はついても、めんと向かっては、何も言はず、
「作品をごまかし(手を抜いて)」の部分だけが「青ヶ島大概記」についての「揶揄」との関連を疑わせるが、
この執筆メモ中には井伏の文学に対する批判は無い。あくまでも自分の行状に対する井伏の苦言への反発心が
痛ましく綴られている。
>私はお前を捨てる。お前たちは、強い。(他のくだらぬものをほめたり)どだい私の文学が
>わからぬ、わがままものみたいに見えるだけだろう、(中略)
>お前は、「仲間」を作る。太宰は気違ひになったか、などといふ仲間を、
>ヤキモチ焼き、悪人、
「私はお前を捨てる。」という言葉は
「ふたたび私が、破婚を繰りかへしたときには、私を、完全の狂人として、棄てて下さい。」
(昭和十三年十月二十四日 津島修治)という結婚前の誓約書の文章をふまえた表現だと思う。
(2)「薬屋の雛女房」
加藤典洋によれば、
|猪瀬は、川崎和啓の論文「師弟の訣れ 太宰治の井伏鱒二悪人説」を(中略)
|出典として本文には引かず、ほとんど剽窃するようにして、(中略)
|そして一方的な自分の推理により、井伏がこころない短編で太宰を傷つけ、
|追い込んだという主張を『ピカレスク 太宰治伝』では行っている。
(「完本 太宰と井伏」講談社学芸文庫195頁)
と述べており、猪瀬および元ネタの川崎の説の読みの浅さを批判している。
しかしながら加藤にせよ、2001年8月に公刊された太宰のメモにより、
川崎の井伏鱒二悪人説も破綻していることが調べればわかるはずなのに、
情報がアップデートされていないのが残念である。
「薬屋の雛女房」は井伏鱒二全集で読んだが、井伏にしか書けない見事な短編で、
太宰は衝撃を受けたとしても、井伏の作品の細やかな仕掛けを読み解く能力は持っていた
はずである。ひょっとすると「人間失格」における薬局の未亡人との情事も、
「薬屋の雛女房」が発想の源泉になっているのではなかろうか?
「薬屋の雛女房」は多くの文学愛好家に、太宰ファンにこそ読んでもらいたい佳品である。
(3)「青ヶ島大概記」
井伏は「社交性」(1956年)という随筆において「青ヶ島大概記」は盗作みたいなもので、
太宰は経緯を知りながら、元ネタの「八丈実記」(近藤富蔵著)から書き写した、噴火で
飛んだ噴石が島民を打ちひしぐ描写部分を引用し、天才性に戦慄したという「井伏への皮肉」を
書いたのだと述べている。
猪瀬(あるいは週刊ポストに雇われたライターの誰か)が井伏全集から「社交性」を見つけ、
本人が認めた盗作の証拠だと、よく調べもせずに書いたのだった。
|実際に「青ヶ島大概記」を原資料と比較すると、ほぼ六割はリライトしたものである。
|(中略)基本的には原資料に依拠するところがほとんどであり、
|したがって本人も「盗用」と認めている。
(「ピカレスク」小学館単行本432頁)
猪瀬らが「八丈実記」を全く参照していないことは文中からも明らかで、元ネタは漢文であるのを
「青ヶ島大概記」は候文であり、井伏の文体上の工夫であったのに、丸写ししたから古い文体に
なったと書いている。さらには「青ヶ島大概記」は実際は島民の様々な生活ぶりが描かれているのに、
噴火だけを描いたごとく猪瀬らは錯覚しているので、読む価値もないと高をくくっていたのだろう。
ある研究者が「青ヶ島大概記」と「八丈実記」を相互参照して研究した結果、噴石の描写部分は完全に
井伏のオリジナルなものであると述べている。
「青ヶ島大概記」は虚実を織り交ぜた優れた作品といえ、直木賞受賞時の選評でも言及されている。
井伏は太宰の皮肉の意図は感づいていて「社交性」を書いたが、盗用したというのは噓であり、
読者を騙していたのである。これは簡単に騙される方が悪い。
(4)「黒い雨」と「重松日記」
「黒い雨」の盗作説は、豊田清史の「『黒い雨』と「重松日記」」(1993年)および
「知られざる井伏鱒二」(1996年)を元ネタとする。
豊田の説の虚妄性については黒古一夫の以下のテクストが参考になる。
|本論考は、井伏鱒二亡きあと、井伏鱒二の文業を貶めることを目的としたとしか思われない
|「『黒い雨』盗作説」が、被爆地広島に在住する歌人の豊田清史(二〇一二年に故人)から
|提起され、結果的には「虚言(嘘)」と「悪意(故意としか思われない誤読)」と「中傷」で
|塗り固められた盗作説であるとの判断から、図らずも「異議」を唱え「不毛な」論争に
|巻き込まれ、最後には『黒い雨』再評価を行わざるを得なかった経緯を綴ったものである。
(黒古一夫「井伏鱒二と戦争」(2014年)第六章補論『黒い雨』盗作説を駁す 159頁)
豊田が売名行為のために井伏の死後に井伏の「黒い雨」の6割が「重松日記」を元ネタにしている、
という嘘で塗り固められた暴露本を出したことは、広島県内の文学サークル内での小波に過ぎなかった。
しかし、その内容を安易に信じて豊田本人にも取材し、
「井伏は他人の文章からの無断盗用が多く、いい加減な作家である」という豊田の確信犯的な虚言、
妄想を事実と思いこまされたこと、こんな本を出しても遺族から名誉棄損で訴えられていないんだから、
この説を広めれば、本が売れるだろうという商売根性が全ての原点だったと思える。
既に「重松日記」が出版され、豊田の批判が事実無根であることがハッキリしたにもかかわらず、
どういうわけか本書のように、明らかな日本文学に対する名誉棄損罪に該当するゴシップが、
未だに出版され、多くの高い評価を得て、映画化もされ(!)、新たな若い文学愛好家の目を、
多くの偉大な井伏作品から遠ざけ続けているとしたら、大変残念なことである。
猪瀬という人物が、都知事選の選挙資金5千万円を某団体から無償で借り、返却したので問題なしと
開き直ったり、選挙応援中に女性候補者の胸を触ったとか触らなかったとか、そんな話には興味ないが、
かつて日本には日本の文学があり、井伏と太宰も、その芸術運動に命がけで
携わってきた稀有の人々であることを思うと、太宰が祝言をあげた旧井伏邸が、国の史跡にもならずに
朽ち果てようとしている現状を寂しく思う。
井伏邸の庭の光景を思い浮かべながら、太宰は次のように言及している。
| ばかに自分の事ばかり書きすぎたようにも思うが、しかし、作家が他の作家の作品の解説をするに当り、
|殊にその作家同士が、ほとんど親戚同士みたいな近い交際をしている場合、甚だ微妙な、
|それこそ飛石伝いにひょいひょい飛んで、庭のやわらかな苔を踏まないように気をつけるみたいな心遣いが
|必要なもので、正面切った所謂いわゆる井伏鱒二論は、私は永遠にしないつもりなのだ。
|出来ないのではなくて、しないのである。
(『井伏鱒二選集』第一巻後記 青空文庫より)
YouTubeで井伏鱒二を調べると、NHKで放送されたという井伏鱒二特集の映像で、
右手に杖を持った井伏さんが、玄関から出て門まで歩く姿が映る。
(「井伏鱒二」NHK製作 昭和58年放送 チャンネル名「比留間潔」6:35あたりを参照)
不規則に並んだ濡れた敷石をさして、井伏さんはキャメラマンに対してか
「これ滑らないでください。ツルツル滑るから」と、杖で石をトントン叩く気配りをされている。
ゼニゴケであろうか?鮮やかな緑の苔が土を覆っている。
「庭のやわらかな苔を踏まないように気をつけるみたいな心遣い」こそが太宰が井伏批判を
踏みとどまった理由であろう。
2015年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
当時のことがよくわかります。金銭のことも書かれ、なぜ太宰があのような、経過になったkotoga yokuwakarimasu .
2014年9月1日に日本でレビュー済み
猪瀬さんの畳み込むような学術的な資料による細部に渡る分析力に驚いた。
彼の推理による、太宰は無理心中を本当は望んでいなかった、、、、毒物により殺された、、の推理が妙に納得がいく。
最後の作品、グッドバイ の中でも、最後の女性の描写があり、しかもここからが面白くなるぞと言うところで終わっている。
太宰治は本当はもっと生きていたかったのだろう、、と思う。
関西へも行きたかったろう。 書きたいものが一杯あったろう、、と思われる節が、全集全巻を読めばわかる。
太宰治の本領は、おとぎ話や滑稽物に特にあふれ出ている。
せめて、中年まで生きていたら、どれだけ良かったろう、、、。
身勝手と言われようが、彼ほどの天才は2度と出まい、そして彼は心底 優しかったのだ。
優しいからこそ、好きでない女と 命を共にしよう、、としたのだろうなあ、、、。
わずか 39歳であれだけの作品群を残している。
そのどれもが きらめく輝きを今も失っていない。
彼の推理による、太宰は無理心中を本当は望んでいなかった、、、、毒物により殺された、、の推理が妙に納得がいく。
最後の作品、グッドバイ の中でも、最後の女性の描写があり、しかもここからが面白くなるぞと言うところで終わっている。
太宰治は本当はもっと生きていたかったのだろう、、と思う。
関西へも行きたかったろう。 書きたいものが一杯あったろう、、と思われる節が、全集全巻を読めばわかる。
太宰治の本領は、おとぎ話や滑稽物に特にあふれ出ている。
せめて、中年まで生きていたら、どれだけ良かったろう、、、。
身勝手と言われようが、彼ほどの天才は2度と出まい、そして彼は心底 優しかったのだ。
優しいからこそ、好きでない女と 命を共にしよう、、としたのだろうなあ、、、。
わずか 39歳であれだけの作品群を残している。
そのどれもが きらめく輝きを今も失っていない。
2002年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みかけていた「ミカドの肖像」(同じ著者)より先に読了。それも一気読み。太宰の心中死と井伏作品の二つの真相に迫ってとてもおもしろかった。
太宰についてはこれまでネガティブなイメージ(暗い、線が細いetc.)が先行したが、同人誌を主宰発行したり、芥川賞獲りに執着するなど“go-getter”で野心家な一面は初めて知った。さらに地主の息子のくせに社会に迎合しようと、プロレタリア風の作品を書いたり共産党活動を援助するなど、結構ミーハーで意外であった。
また「一連の自殺未遂はあくまで“狂言”で、太宰は本当は生きたかった(但し最期は相手の女性が一枚上手で逆にはめられた)」とする著者の説は説得力があり、案外真実ではないか。それくらいこの本の太宰はしたたかで自己本位で、私だったらこんなエゴイスティックな男とは付き合いたくない。一方で「だから魅かれる」人の気持ちも何となくわかるような気はするが。やっぱり太宰はアンチ・ヒーローなのだ。
そしてなぜ太宰は「井伏さんは悪人です」という遺書を残したのか?この謎に迫るべくサブ・テーマで太宰の師・井伏鱒二の人物と作品が掘り下げられ、教科書にものるほど有名な「山椒魚」「黒い雨」「ジョン万次郎漂流記」の創作秘密が暴かれる‥‥
実は私は、これまで太宰の本を“正式に”読んだことがない(昔、「走れメロス」を国語の授業か何かで読んだ記憶はある)。この本のお陰で彼の著作に興味がわいた。二重に楽しめそうだ。
太宰についてはこれまでネガティブなイメージ(暗い、線が細いetc.)が先行したが、同人誌を主宰発行したり、芥川賞獲りに執着するなど“go-getter”で野心家な一面は初めて知った。さらに地主の息子のくせに社会に迎合しようと、プロレタリア風の作品を書いたり共産党活動を援助するなど、結構ミーハーで意外であった。
また「一連の自殺未遂はあくまで“狂言”で、太宰は本当は生きたかった(但し最期は相手の女性が一枚上手で逆にはめられた)」とする著者の説は説得力があり、案外真実ではないか。それくらいこの本の太宰はしたたかで自己本位で、私だったらこんなエゴイスティックな男とは付き合いたくない。一方で「だから魅かれる」人の気持ちも何となくわかるような気はするが。やっぱり太宰はアンチ・ヒーローなのだ。
そしてなぜ太宰は「井伏さんは悪人です」という遺書を残したのか?この謎に迫るべくサブ・テーマで太宰の師・井伏鱒二の人物と作品が掘り下げられ、教科書にものるほど有名な「山椒魚」「黒い雨」「ジョン万次郎漂流記」の創作秘密が暴かれる‥‥
実は私は、これまで太宰の本を“正式に”読んだことがない(昔、「走れメロス」を国語の授業か何かで読んだ記憶はある)。この本のお陰で彼の著作に興味がわいた。二重に楽しめそうだ。