がよく理解できた。
目から鱗というかそのみていた世界の大きさにただただ感嘆するばかりだ。
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逆説の日本史9 戦国野望編(小学館文庫) (小学館文庫 い 1-9) 文庫 – 2005/5/11
井沢 元彦
(著)
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国民的ベストセラーシリーズ最新刊
歴史ノンフィクションの傑作シリーズ 待望の文庫最新刊「戦国野望編」。日本史上最大の価値転換の時代を勝ち抜いた天下人の資質を徹底検証する。武田信玄の限界編「戦国最強の騎馬軍団と経済政策」織田信長の野望編「天下布武と平安楽土の戦略」など下克上の時代を先頭をきって生き抜いた戦国武将の人間ドラマを追いながら混迷の時代に勝ち残る条件を探る“井沢流歴史観”の白眉、待望の文庫化。
歴史ノンフィクションの傑作シリーズ 待望の文庫最新刊「戦国野望編」。日本史上最大の価値転換の時代を勝ち抜いた天下人の資質を徹底検証する。武田信玄の限界編「戦国最強の騎馬軍団と経済政策」織田信長の野望編「天下布武と平安楽土の戦略」など下克上の時代を先頭をきって生き抜いた戦国武将の人間ドラマを追いながら混迷の時代に勝ち残る条件を探る“井沢流歴史観”の白眉、待望の文庫化。
- 本の長さ496ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日2005/5/11
- ISBN-104094020098
- ISBN-13978-4094020090
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登録情報
- 出版社 : 小学館 (2005/5/11)
- 発売日 : 2005/5/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 496ページ
- ISBN-10 : 4094020098
- ISBN-13 : 978-4094020090
- Amazon 売れ筋ランキング: - 124,845位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 26位室町時代
- - 86位戦国・安土桃山時代
- - 272位日本史ノンフィクション
- カスタマーレビュー:
著者について
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昭和29年、名古屋市生まれ。早大法学部卒。TBS入社後、報道局放送記者時代『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞受賞。その後退社し執筆活動に専念。歴史推理・ノンフィクションに独自の世界を開拓。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 井沢式「日本史入門」講座4 (ISBN-13: 978-4198931230)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いかに日本人の知ってる歴史が自虐的なのか、
恥ずかしくなるぐらい勉強になります。
真倭という言葉が当時の中韓にありました。
本物の倭寇、なぜこんな言葉ができたのか、
ぜひ確かめてください。
あとは信長が凄い人物だったというのがよくわかります。
オーパーツに信長を入れてもいいんじゃないですかね。
恥ずかしくなるぐらい勉強になります。
真倭という言葉が当時の中韓にありました。
本物の倭寇、なぜこんな言葉ができたのか、
ぜひ確かめてください。
あとは信長が凄い人物だったというのがよくわかります。
オーパーツに信長を入れてもいいんじゃないですかね。
2013年4月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いつも通りの井沢史観の炸裂だが、この内容は尖閣問題、および韓国の仏像泥棒など
近隣諸国との関係を見直すためにも重要である。
日本の歴史教育が逃げていた部分を直視するためにも効果があると思う。
近隣諸国との関係を見直すためにも重要である。
日本の歴史教育が逃げていた部分を直視するためにも効果があると思う。
2015年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前、購読していた本なので、また購読しようと思い購入。
常識とは違った視点で書かれているので面白い。
本棚を必要としないので不精な私にはとても便利です。
常識とは違った視点で書かれているので面白い。
本棚を必要としないので不精な私にはとても便利です。
2016年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
井沢得意の重複書き、ページ数嵩増しにもへこたれなければ、、、。特段の逆説も新味もありません!
2013年12月17日に日本でレビュー済み
沖縄史、倭寇、北条早雲、毛利元就、武田信玄、織田信長のあたり。
曰く・・・
沖縄にも天孫降臨伝説があり、この天孫系が25代にわたって沖縄を支配していたが鎌倉時代ごろに舜天という地方豪族が王朝を建てる。舜天が実質的に沖縄王朝初代の王。沖縄正史である中山世鑑もここから始まる(つまり、それ以前は伝説であり信用できない、とされる)。舜天は「ひらがな」を採用したといわれる。中山世鑑によると舜天は源為朝の息子ということになっているが、正史とえどもこれはなんとなく怪しい。
その後、沖縄は、北山、中山、南山にわかれるが、これを統一したのが巴志。尚性を名乗り、尚巴志と称する(第一尚氏王朝)。尚氏を倒して王位に就いたのが重臣の金丸でここから第二尚氏王朝となる。金丸は百姓の子だったらしい。沖縄の豊臣秀吉。金丸は尚円と名乗る。尚円の子・尚真の代が全盛期。尚円は、当時独立国だった宮古島や石垣島などの八重山諸島も琉球王国に組み込んでいる。
沖縄の宗教は、先祖の霊を信仰し、八百万の神々を認めるという点では沖縄流の神道ともいえる。最高位の神官(聞得大君)は国王の姉妹が務める。その下に幹部神官があり、各按司(地方豪族)出身の女性が務めるというヒエラルキー構造。
明の海禁政策により、中国人は貿易に従事できなくなった。ゆえに、朝貢&下賜で中国製品を輸入し、それを輸出すればもうけは大きい。琉球王国の貿易立国政策が成り立ったのは、中国人が自ら輸出できないという事情が寄与した。
役者に対する差別語として「河原乞食」というのがあるが、昔は目に見えるモノを作ることだけが「生産」であるため、役者は生産性ゼロという扱いだった。河原とは、何も栽培できないところであり、生産性ゼロを象徴している。
殷を建国した人々の部族が「商」で、この部族は殷滅亡後、集団移住させられた。だが、収容を嫌った人々は、流浪の民となる。そういう土地をもたない彼らが始めたのが「商業」。中国人は伝統的に商業蔑視。
江戸時代の旗本は、給料を米で受け取り、即日、商人に売り渡して現金化する。蔵米支給日は全員同じなので、わざわざ米がだぶつく米の安値日に売っている。半日でもずらせば儲かるのだが、そうすると「商人」という賤しい人間になってしまうのでそれはしない。
ユダヤ人は、流浪の末、国家や民族、身分という枠を超えようという文化・発想に至る。絶対神のもとでは王も人民もただの人、という考え方が民主主義の起源である。
非定住民にとって海こそ国家からの管理統制を逃れることのできる自由の天地であり、海は無政府主義的。中国や李氏朝鮮のような定住民絶対の国からみれば、非定住民は賊。
明の海禁には中華思想が潜む。貿易(対等関係)も商売も中華思想(と農本主義)では悪となる。しかし、人は交易を望むのでひずみがでる。それが倭寇を生む。
鉄砲は種子島に伝わったがこのとき五峯という明国人がポルトガル人の通訳となっている。五峯とは、五島列島を意味し、五峯は五島列島を根拠地にしていた倭寇(実態はほとんど明国人)の首領・王直というのが定説。ポルトガル人も王直も商人(倭寇はもともと貿易商人)。ポルトガル人は、戦国時代の日本に鉄砲のニーズがあるとみて売り込みに来たのではないか。誤算は、日本人が鉄砲を国産化してしまったこと。種子島時堯(当時16歳)は、この鉄砲製造技術を堺の商人に与えている。おそらく、煙硝の輸入ルートを確保する上で海外貿易の拠点である堺に協力を依頼したのではないか(つまりは、煙硝が手にはいらない限り技術独占もできなかった)。種子島家の宗旨は法華宗(日蓮宗)で、その本山が京の本能寺。鉄砲つながりがあるのかも。信長が堺を抑えたのは、貿易船は西や南からやってくるのだが一番東にある港が堺なので、ここを抑えてしまえば堺より東の大名は煙硝を手に入れるのが難しくなるという戦略的理由がある。
明の中小商人団に反権力の民衆が呼応すると、明朝は、これらの反乱を倭寇の行為であると宣伝し、内乱を外寇的なものにすりかえた。このすりかえが定着したのは、その後、秀吉が朝鮮出兵したからであり、秀吉軍の略奪や暴行が「倭寇=日本人」という誤解を定着させた。明にとって秀吉は倭寇の親玉扱い(中華思想があるので対等の戦争ではない)。
キリスト教やイスラム教でも作物の豊穣や国家安泰を祈ったが、一神教なので祭祀は固定化され、儀礼も変わらない。日本は多神教で、怨霊神も次々に新手が登場する。祀る側も「大きな神殿を建てる」「物語で活躍させる」などいろいろな鎮魂法を編み出して対抗。原則として、どんな怨霊でもきちんと鎮魂すれば御霊(善神)になる、とする。怨霊発生というのは病気になってしまったというようなもの。予防法が「和」
北条早雲の出身は伊勢氏(関西が地盤)。執権・北条氏は、政権崩壊後は伊豆の地方豪族に転落。早雲は北条姓を得るため、この家に婿入りしたという説がある。
日の出の時刻が寅の刻(不定時法)。ゆえに、地方によって日の出時刻は違うので寅の刻も一致しない。電話のような地方横断のコミュニケーション手段があったわけでもないので、日の出を基準に時間を割り振るというやり方の方が合理的。
細川政元が養子の澄之に殺され、澄之が澄元に殺されると、前将軍の足利義稙は大内義興の援助で挙兵して政権を奪い返している。大内義興には天下の主になろうという野心もないし、兵農分離できていないので都に常駐できない。
大内義隆は、陶隆房(後の陶晴賢)に討たれているが、もしかしたら毛利元就と陶晴賢は共謀したのかもしれない。元就は陶晴賢を討ったあと大内氏の供養を行っているが、陶晴賢を討ったのだから義隆の恨みはすでに晴らしているはず。わざわざ供養したのはなにか後ろめたいところがあった?
士農工商の士と農の間に郷士階級がある(坂本龍馬は郷士の出身)。郷士は、苗字帯刀を認められているが、俸禄をもらっておらず、ゆえに農作業に従事する層。
戦国時代が終わって平和な時代になると小幡勘兵衛景憲が甲陽軍鑑をテキストとして甲州流軍学を創始。これが大当たり。ただ、平和な時代の軍学なので学問としての価値はほとんどない(実戦の場でためされることもないから)。着付け教室のようなもの。荻生徂徠は「くだらない」と一蹴している。この軍学の世界で山本勘助は大スターだった。ところが明治になると勘助は実在すら疑われた(今では実在したとされている)。
善政とは減税のこと。信玄、信長、早雲は減税した。信玄は農業土木で生産性を高めるという経済政策。甲斐は地形が複雑な分、土木技術が発達した。
戦国時代の寺社勢力は最大の利権集団であり、日本のガン。法体になるくらいの信玄には寺社勢力と対立する意識なし。信長が比叡山を焼き討ちしたときには、信玄は叡山を甲斐に引っ越しさせることも提案している。一時は長野の善光寺を甲斐に移転させたこともあったらしい。乱世で新しい秩序を打ち立てるタイプではない。
信長は今川義元を倒したとき、駿河という宝の山に攻め込まず、松平元康と同盟し、北条や武田との正面衝突を避けている。あくまでも上洛が目標。その侵攻ルートに斎藤家があったので、美濃攻めとなった。信玄も川中島合戦などしなければ律義者の上杉謙信が攻めてくることもないのだし、上洛できたはず。武田軍は兵農分離できていないので、刈り入れの終わった秋に上洛軍を起こしている。三方ヶ原の戦いでは小雪が舞っていた。たとえ京を制圧しても、田植えの時期には戻らなければならない。僧侶である信玄は寺社勢力にメスを入れられないのでどのみち安定基盤の政権はできなかったと思われる。
長篠の戦いでは、高速で迫ってくる騎馬に鉄砲玉が当たらなくても、三千丁の鉄砲の轟音で馬はパニックを起こすはず。パニックになったところで狙い撃ちすればいい。
土地の地名を変えたのは、日本史においては、天皇以外では信長の「岐阜」が初。
細川政元以降、京周辺勢力がつぎつぎ都合のいい将軍を擁立して、関銭などの利権をあさる。ここで頭角をあらわしたのが細川家家老の三好氏で、さらにその家来だった松永久秀。久秀と三好三人衆は、足利義輝を暗殺し、足利義栄を擁立。久秀らは足利義輝の弟たちを皆殺しにしようとしたが興福寺一乗院の門跡だった足利義昭だけ難を逃れる。義昭は一乗院を脱出し、信長は義昭を迎えてから2ヶ月で上洛。義栄は、将軍宣下を受けたものの結局、京に入れず。
延暦寺や興福寺などの旧来の宗教勢力は経済利権に依存しているが(僧兵はプロ)、一向宗本願寺や法華宗は信徒の力に支えられているという面が強い(女・子どもも含む志願兵集団)。
みたいな話。
曰く・・・
沖縄にも天孫降臨伝説があり、この天孫系が25代にわたって沖縄を支配していたが鎌倉時代ごろに舜天という地方豪族が王朝を建てる。舜天が実質的に沖縄王朝初代の王。沖縄正史である中山世鑑もここから始まる(つまり、それ以前は伝説であり信用できない、とされる)。舜天は「ひらがな」を採用したといわれる。中山世鑑によると舜天は源為朝の息子ということになっているが、正史とえどもこれはなんとなく怪しい。
その後、沖縄は、北山、中山、南山にわかれるが、これを統一したのが巴志。尚性を名乗り、尚巴志と称する(第一尚氏王朝)。尚氏を倒して王位に就いたのが重臣の金丸でここから第二尚氏王朝となる。金丸は百姓の子だったらしい。沖縄の豊臣秀吉。金丸は尚円と名乗る。尚円の子・尚真の代が全盛期。尚円は、当時独立国だった宮古島や石垣島などの八重山諸島も琉球王国に組み込んでいる。
沖縄の宗教は、先祖の霊を信仰し、八百万の神々を認めるという点では沖縄流の神道ともいえる。最高位の神官(聞得大君)は国王の姉妹が務める。その下に幹部神官があり、各按司(地方豪族)出身の女性が務めるというヒエラルキー構造。
明の海禁政策により、中国人は貿易に従事できなくなった。ゆえに、朝貢&下賜で中国製品を輸入し、それを輸出すればもうけは大きい。琉球王国の貿易立国政策が成り立ったのは、中国人が自ら輸出できないという事情が寄与した。
役者に対する差別語として「河原乞食」というのがあるが、昔は目に見えるモノを作ることだけが「生産」であるため、役者は生産性ゼロという扱いだった。河原とは、何も栽培できないところであり、生産性ゼロを象徴している。
殷を建国した人々の部族が「商」で、この部族は殷滅亡後、集団移住させられた。だが、収容を嫌った人々は、流浪の民となる。そういう土地をもたない彼らが始めたのが「商業」。中国人は伝統的に商業蔑視。
江戸時代の旗本は、給料を米で受け取り、即日、商人に売り渡して現金化する。蔵米支給日は全員同じなので、わざわざ米がだぶつく米の安値日に売っている。半日でもずらせば儲かるのだが、そうすると「商人」という賤しい人間になってしまうのでそれはしない。
ユダヤ人は、流浪の末、国家や民族、身分という枠を超えようという文化・発想に至る。絶対神のもとでは王も人民もただの人、という考え方が民主主義の起源である。
非定住民にとって海こそ国家からの管理統制を逃れることのできる自由の天地であり、海は無政府主義的。中国や李氏朝鮮のような定住民絶対の国からみれば、非定住民は賊。
明の海禁には中華思想が潜む。貿易(対等関係)も商売も中華思想(と農本主義)では悪となる。しかし、人は交易を望むのでひずみがでる。それが倭寇を生む。
鉄砲は種子島に伝わったがこのとき五峯という明国人がポルトガル人の通訳となっている。五峯とは、五島列島を意味し、五峯は五島列島を根拠地にしていた倭寇(実態はほとんど明国人)の首領・王直というのが定説。ポルトガル人も王直も商人(倭寇はもともと貿易商人)。ポルトガル人は、戦国時代の日本に鉄砲のニーズがあるとみて売り込みに来たのではないか。誤算は、日本人が鉄砲を国産化してしまったこと。種子島時堯(当時16歳)は、この鉄砲製造技術を堺の商人に与えている。おそらく、煙硝の輸入ルートを確保する上で海外貿易の拠点である堺に協力を依頼したのではないか(つまりは、煙硝が手にはいらない限り技術独占もできなかった)。種子島家の宗旨は法華宗(日蓮宗)で、その本山が京の本能寺。鉄砲つながりがあるのかも。信長が堺を抑えたのは、貿易船は西や南からやってくるのだが一番東にある港が堺なので、ここを抑えてしまえば堺より東の大名は煙硝を手に入れるのが難しくなるという戦略的理由がある。
明の中小商人団に反権力の民衆が呼応すると、明朝は、これらの反乱を倭寇の行為であると宣伝し、内乱を外寇的なものにすりかえた。このすりかえが定着したのは、その後、秀吉が朝鮮出兵したからであり、秀吉軍の略奪や暴行が「倭寇=日本人」という誤解を定着させた。明にとって秀吉は倭寇の親玉扱い(中華思想があるので対等の戦争ではない)。
キリスト教やイスラム教でも作物の豊穣や国家安泰を祈ったが、一神教なので祭祀は固定化され、儀礼も変わらない。日本は多神教で、怨霊神も次々に新手が登場する。祀る側も「大きな神殿を建てる」「物語で活躍させる」などいろいろな鎮魂法を編み出して対抗。原則として、どんな怨霊でもきちんと鎮魂すれば御霊(善神)になる、とする。怨霊発生というのは病気になってしまったというようなもの。予防法が「和」
北条早雲の出身は伊勢氏(関西が地盤)。執権・北条氏は、政権崩壊後は伊豆の地方豪族に転落。早雲は北条姓を得るため、この家に婿入りしたという説がある。
日の出の時刻が寅の刻(不定時法)。ゆえに、地方によって日の出時刻は違うので寅の刻も一致しない。電話のような地方横断のコミュニケーション手段があったわけでもないので、日の出を基準に時間を割り振るというやり方の方が合理的。
細川政元が養子の澄之に殺され、澄之が澄元に殺されると、前将軍の足利義稙は大内義興の援助で挙兵して政権を奪い返している。大内義興には天下の主になろうという野心もないし、兵農分離できていないので都に常駐できない。
大内義隆は、陶隆房(後の陶晴賢)に討たれているが、もしかしたら毛利元就と陶晴賢は共謀したのかもしれない。元就は陶晴賢を討ったあと大内氏の供養を行っているが、陶晴賢を討ったのだから義隆の恨みはすでに晴らしているはず。わざわざ供養したのはなにか後ろめたいところがあった?
士農工商の士と農の間に郷士階級がある(坂本龍馬は郷士の出身)。郷士は、苗字帯刀を認められているが、俸禄をもらっておらず、ゆえに農作業に従事する層。
戦国時代が終わって平和な時代になると小幡勘兵衛景憲が甲陽軍鑑をテキストとして甲州流軍学を創始。これが大当たり。ただ、平和な時代の軍学なので学問としての価値はほとんどない(実戦の場でためされることもないから)。着付け教室のようなもの。荻生徂徠は「くだらない」と一蹴している。この軍学の世界で山本勘助は大スターだった。ところが明治になると勘助は実在すら疑われた(今では実在したとされている)。
善政とは減税のこと。信玄、信長、早雲は減税した。信玄は農業土木で生産性を高めるという経済政策。甲斐は地形が複雑な分、土木技術が発達した。
戦国時代の寺社勢力は最大の利権集団であり、日本のガン。法体になるくらいの信玄には寺社勢力と対立する意識なし。信長が比叡山を焼き討ちしたときには、信玄は叡山を甲斐に引っ越しさせることも提案している。一時は長野の善光寺を甲斐に移転させたこともあったらしい。乱世で新しい秩序を打ち立てるタイプではない。
信長は今川義元を倒したとき、駿河という宝の山に攻め込まず、松平元康と同盟し、北条や武田との正面衝突を避けている。あくまでも上洛が目標。その侵攻ルートに斎藤家があったので、美濃攻めとなった。信玄も川中島合戦などしなければ律義者の上杉謙信が攻めてくることもないのだし、上洛できたはず。武田軍は兵農分離できていないので、刈り入れの終わった秋に上洛軍を起こしている。三方ヶ原の戦いでは小雪が舞っていた。たとえ京を制圧しても、田植えの時期には戻らなければならない。僧侶である信玄は寺社勢力にメスを入れられないのでどのみち安定基盤の政権はできなかったと思われる。
長篠の戦いでは、高速で迫ってくる騎馬に鉄砲玉が当たらなくても、三千丁の鉄砲の轟音で馬はパニックを起こすはず。パニックになったところで狙い撃ちすればいい。
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延暦寺や興福寺などの旧来の宗教勢力は経済利権に依存しているが(僧兵はプロ)、一向宗本願寺や法華宗は信徒の力に支えられているという面が強い(女・子どもも含む志願兵集団)。
みたいな話。
2014年2月11日に日本でレビュー済み
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異端な視点で歴史を考察した面白い作品でした。特に現代日本の政治思想・信条の根源が戦国時代以前に遡ることが出来るという考え方には大いに共感します。