ファンタジーかと思いきや一般人と厨ニさんの軋轢を面白おかしく物語にしたものでした
タイトルのオーラは文中に何度も出てきますが大した意味は無かった
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AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫 た 1-4) 文庫 – 2008/7/19
ウェルカム、妄想戦士!?
その日。宿題を忘れた俺は、夜半に忍び込んだ学校で彼女と出会った。
教室に向かう階段の踊り場。冷たい月の光のスポットライトを浴び、闇を見据えている少女。美しい――。
そこには、人を惹き付けるオーラを放つ青の魔女がいた。……いや待て、冗談じゃない。妄想はやめた。
俺は高校デビューに成功したんだ! そのはずだったのに、この妄想女はッ! 「情報体の干渉は、プロテクトを持たない現象界人には
防ぐことはできない」「何いってんだかわかんねーよ」実はだいたい理解できていた。
田中ロミオ、学園ラブコメに挑む――!?
その日。宿題を忘れた俺は、夜半に忍び込んだ学校で彼女と出会った。
教室に向かう階段の踊り場。冷たい月の光のスポットライトを浴び、闇を見据えている少女。美しい――。
そこには、人を惹き付けるオーラを放つ青の魔女がいた。……いや待て、冗談じゃない。妄想はやめた。
俺は高校デビューに成功したんだ! そのはずだったのに、この妄想女はッ! 「情報体の干渉は、プロテクトを持たない現象界人には
防ぐことはできない」「何いってんだかわかんねーよ」実はだいたい理解できていた。
田中ロミオ、学園ラブコメに挑む――!?
- 本の長さ360ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日2008/7/19
- ISBN-10409451080X
- ISBN-13978-4094510805
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登録情報
- 出版社 : 小学館 (2008/7/19)
- 発売日 : 2008/7/19
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 360ページ
- ISBN-10 : 409451080X
- ISBN-13 : 978-4094510805
- Amazon 売れ筋ランキング: - 389,360位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1973年生まれ。PCゲーム中心に活動するフリーランスライター(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『人類は衰退しました 4』(ISBN-10:4094511040)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鏡面界で暴君アスタロトの策略により非業の死を遂げた魔竜院光牙は現世に転生するが、転生した現世”日本”では魔力がなく鏡面界で持っていた力は全て失われていた。
全てを失った魔竜院光牙は鏡面界を過去のものとし、普通の高校生"佐藤一郎"としての平穏な日々を送っていた。
ある日、忘れ物を取りに夜の学校に行くと、魔力のない現世にて高純度魔力体を探索・収集する1人の異世界人の少女(リサーチャー)と出会う。
その高純度魔力体は<龍端子>と呼ばれており、現世に複数散らばっているとリサーチャーが言う。
魔力のない現世になぜ<龍端子>が存在するのかを疑問に思った佐藤一郎は<龍端子>探索協力者としてリサーチャーと行動を共にする……
<龍端子>とは何なのか?
リサーチャーはなぜ<龍端子>を収集しているのか?
運命に引き寄せられるように現れる異世界の戦士達
現れる決戦の地"神殿"
これは全ての力を失った1人の少年"魔竜院光牙最後の闘い”である。
全てを失った魔竜院光牙は鏡面界を過去のものとし、普通の高校生"佐藤一郎"としての平穏な日々を送っていた。
ある日、忘れ物を取りに夜の学校に行くと、魔力のない現世にて高純度魔力体を探索・収集する1人の異世界人の少女(リサーチャー)と出会う。
その高純度魔力体は<龍端子>と呼ばれており、現世に複数散らばっているとリサーチャーが言う。
魔力のない現世になぜ<龍端子>が存在するのかを疑問に思った佐藤一郎は<龍端子>探索協力者としてリサーチャーと行動を共にする……
<龍端子>とは何なのか?
リサーチャーはなぜ<龍端子>を収集しているのか?
運命に引き寄せられるように現れる異世界の戦士達
現れる決戦の地"神殿"
これは全ての力を失った1人の少年"魔竜院光牙最後の闘い”である。
2018年8月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
うっかり捨ててしまったので買い直しました。
田中ロミオさんは好き嫌いがはっきり分かれる方が多い様ですが、僕は全く持って気にならずシリアスになったり笑えたりで、内容に関しては大満足です。「PC Angel」の元ネタのコラムもお気に入りでした。
星一つマイナスなのは題の通りで、帯無しは分かり切っていたのに「1円」につられて購入後、ちょっぴり後悔してしまっているからです。数百円をケチるものではないですね。
田中ロミオさんは好き嫌いがはっきり分かれる方が多い様ですが、僕は全く持って気にならずシリアスになったり笑えたりで、内容に関しては大満足です。「PC Angel」の元ネタのコラムもお気に入りでした。
星一つマイナスなのは題の通りで、帯無しは分かり切っていたのに「1円」につられて購入後、ちょっぴり後悔してしまっているからです。数百円をケチるものではないですね。
2017年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
スクールカースト、いじめ、中二病邪気眼妄想戦士、思春期特有なんちゃらかんちゃらエトセトラエトセトラ
それはそれで重要なテーマなんだけど、あくまでもディテールのひとつに過ぎないんじゃないかな。
これは「あるがままの世界と自分(現実)」と「あるべき世界と自分(理想)」の対立というか…
うまく言えないけど、ありもしない妄想って意味なら、昔から人間は天国とか極楽浄土とか黄金郷とか千年王国とか未来の共産主義ユートピアとか大東亜共栄圏とか、ありもしない「異世界」を夢見てたんだよね。
「そこ」に行くためなら死をも辞さないっつーか、むしろ「俺と同じ妄想を抱かないやつは異教徒or非国民だから死ね」くらいの勢いで。
さらに身近に目線を落とせば、そこらの弱小校の万年補欠の体育会系男子が「俺、甲子園に行くんだ」とか真顔で言ってたら、これもまた妄想だし、「俺、作家になる」「僕、宇宙飛行士!」「音楽で食っていくんだ」とかも妄想じゃん?
まー、人はそれを夢と言いますが。
そしてたいてい叶わないんですが。
だからみんな「向こう側」に行きたい。
嘘と苦しみだらけの現実から逃れて、夢の世界に行きたい。
だから、他の投稿者さんの「こんなにひどい中二病患者、高校にいない」とか、逆に「スクールカーストの実態をよく表現している」とか、「中二病だった人は傷つくから見ない方がいい」ってコメントは的外れってわけでもないけど、ちょっと狭いように思う。
誰だって一度くらい「向こう側」に行きたいと思ったことあるでしょ。
それは自分ちと違って幸せでアットホームなお隣のお家かもしれないし、それこそスクールカースト上位のグループのリア充ワールドかもしれないし、変な感じに美化されちゃった外国や過去かもしれず、とことん楽観的に考えた夢をかなえた未来の自分かもしれない。そして上でも書いたように天国、というか、死の世界かもしれない。
今ではないいつか、ここではないどこか、自分ではない何かになりたいと一度も思ったことのない者のみ、作中のW佐藤に石を投げなさいってことですよ。
まあ、仮にW佐藤の「妄想」が全部うまく行ったと考えようや。
メンズ佐藤くんは無事に高校デビューして幸運にも一軍にヘッドハンティングされてリア充高校生ライフを送る(※これだって立派なな「妄想」でしょ?)。ヒャッホー!
レディス佐藤ちゃんの場合は探してた「竜端子」は本物でマジの異世界に帰還して中央なんとか機関に認められ超クールでオサレな異能バトルライフを送る。ヒャッハー!
そんで2人に尋ねる。「幸せになれた? 夢はかなった?」
……うなずくとは到底思えねえな。
メンズ佐藤くんは慣れない一軍生活の中、本当の自分を出せないまま高校生活を送り、レディス佐藤ちゃんは自分の妄想と異世界の現実が一致しただけで他は何の代わり映えのしない殺伐とした生活を送る。
2人とも孤独のまま人生を送る。誰も自分の事をわかってくれないし、気づかってもくれないまま。
クライマックスでメンズ佐藤くん(魔竜院光牙)がレディス佐藤ちゃん(リサーチャー)に問いかける魂の叫びって、ずばりそれじゃん。「さびしいんだろが」って。
演劇の「ラ・マンチャの男」で、宿屋の下女アルドンザのことを、田舎の郷士アロンソ・キハーナが「正義の騎士ドン・キホーテ」を名乗って、「憧れの麗しき姫ドルシネア」として慕う。それでアルドンザの心は救われる。それと同じような感動を本作では味わいましたよ。
かたや16世紀末のスペインが舞台の演劇、かたや現代日本が舞台のライトノベル。
だけど、扱ってるテーマは同じなんじゃないんですかね。
それはそれで重要なテーマなんだけど、あくまでもディテールのひとつに過ぎないんじゃないかな。
これは「あるがままの世界と自分(現実)」と「あるべき世界と自分(理想)」の対立というか…
うまく言えないけど、ありもしない妄想って意味なら、昔から人間は天国とか極楽浄土とか黄金郷とか千年王国とか未来の共産主義ユートピアとか大東亜共栄圏とか、ありもしない「異世界」を夢見てたんだよね。
「そこ」に行くためなら死をも辞さないっつーか、むしろ「俺と同じ妄想を抱かないやつは異教徒or非国民だから死ね」くらいの勢いで。
さらに身近に目線を落とせば、そこらの弱小校の万年補欠の体育会系男子が「俺、甲子園に行くんだ」とか真顔で言ってたら、これもまた妄想だし、「俺、作家になる」「僕、宇宙飛行士!」「音楽で食っていくんだ」とかも妄想じゃん?
まー、人はそれを夢と言いますが。
そしてたいてい叶わないんですが。
だからみんな「向こう側」に行きたい。
嘘と苦しみだらけの現実から逃れて、夢の世界に行きたい。
だから、他の投稿者さんの「こんなにひどい中二病患者、高校にいない」とか、逆に「スクールカーストの実態をよく表現している」とか、「中二病だった人は傷つくから見ない方がいい」ってコメントは的外れってわけでもないけど、ちょっと狭いように思う。
誰だって一度くらい「向こう側」に行きたいと思ったことあるでしょ。
それは自分ちと違って幸せでアットホームなお隣のお家かもしれないし、それこそスクールカースト上位のグループのリア充ワールドかもしれないし、変な感じに美化されちゃった外国や過去かもしれず、とことん楽観的に考えた夢をかなえた未来の自分かもしれない。そして上でも書いたように天国、というか、死の世界かもしれない。
今ではないいつか、ここではないどこか、自分ではない何かになりたいと一度も思ったことのない者のみ、作中のW佐藤に石を投げなさいってことですよ。
まあ、仮にW佐藤の「妄想」が全部うまく行ったと考えようや。
メンズ佐藤くんは無事に高校デビューして幸運にも一軍にヘッドハンティングされてリア充高校生ライフを送る(※これだって立派なな「妄想」でしょ?)。ヒャッホー!
レディス佐藤ちゃんの場合は探してた「竜端子」は本物でマジの異世界に帰還して中央なんとか機関に認められ超クールでオサレな異能バトルライフを送る。ヒャッハー!
そんで2人に尋ねる。「幸せになれた? 夢はかなった?」
……うなずくとは到底思えねえな。
メンズ佐藤くんは慣れない一軍生活の中、本当の自分を出せないまま高校生活を送り、レディス佐藤ちゃんは自分の妄想と異世界の現実が一致しただけで他は何の代わり映えのしない殺伐とした生活を送る。
2人とも孤独のまま人生を送る。誰も自分の事をわかってくれないし、気づかってもくれないまま。
クライマックスでメンズ佐藤くん(魔竜院光牙)がレディス佐藤ちゃん(リサーチャー)に問いかける魂の叫びって、ずばりそれじゃん。「さびしいんだろが」って。
演劇の「ラ・マンチャの男」で、宿屋の下女アルドンザのことを、田舎の郷士アロンソ・キハーナが「正義の騎士ドン・キホーテ」を名乗って、「憧れの麗しき姫ドルシネア」として慕う。それでアルドンザの心は救われる。それと同じような感動を本作では味わいましたよ。
かたや16世紀末のスペインが舞台の演劇、かたや現代日本が舞台のライトノベル。
だけど、扱ってるテーマは同じなんじゃないんですかね。
2020年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルの通りです。
ラスト、主人公である彼の勇敢に戦う様は涙なしには見られません。
「特別になりたいのなら時間をかけろよ、楽して手に入れようとあうるんじゃねぇ。」という言葉が特に印象に残ろました。
ラスト、主人公である彼の勇敢に戦う様は涙なしには見られません。
「特別になりたいのなら時間をかけろよ、楽して手に入れようとあうるんじゃねぇ。」という言葉が特に印象に残ろました。
2016年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今更ですいませんが、傑作であることに一票。
中二病の原因から+/-両方の効果をはっきり書き、スクールカーストやいじめもストーリーの核に取り込んでしっかりした背景としています。その上で、社会に適合して普通になりたい佐藤一郎と、中二病一筋の佐藤良子の奮闘が、ちょっとコミカルな側面とラブコメ属性も持ちながら進みます。
ここまで純な良子にはあこがれるだけですが、悩み、へたれ、後悔し、みっともない所業を重ねる羽目になりながらも土壇場で何が大切か、自分の面子とどちらが大切かを正しく判断して行動した一郎のようには自分もなりたいものです。
TVアニメ「中二病でも恋がしたい! 」Blu-ray BOX(初回限定生産) のお手本ともいうべき作品と理解しました。「中二病でも恋がしたい!」は多くの設定が本作品と相同ですが、ヒロイン小鳥遊六花の中二病執着の理由を明示して家族関係とラブコメに重心があるのに対し、本作品AURAはいじめもあからさまに取り上げて高校という社会で生きることに鋭く切り込んでいるのが特徴です。他作品がお手本としたくなるのも当然の名作です。
緩み無い構成と的確な表現により一巻で完結しきっているのも凄い。主人公たちと対立する大島弓菜とか、いじめられる織田とかも魅力的なキャラなので、もう少し彼女らの今後を見たい気はするのですが。
中二病の原因から+/-両方の効果をはっきり書き、スクールカーストやいじめもストーリーの核に取り込んでしっかりした背景としています。その上で、社会に適合して普通になりたい佐藤一郎と、中二病一筋の佐藤良子の奮闘が、ちょっとコミカルな側面とラブコメ属性も持ちながら進みます。
ここまで純な良子にはあこがれるだけですが、悩み、へたれ、後悔し、みっともない所業を重ねる羽目になりながらも土壇場で何が大切か、自分の面子とどちらが大切かを正しく判断して行動した一郎のようには自分もなりたいものです。
TVアニメ「中二病でも恋がしたい! 」Blu-ray BOX(初回限定生産) のお手本ともいうべき作品と理解しました。「中二病でも恋がしたい!」は多くの設定が本作品と相同ですが、ヒロイン小鳥遊六花の中二病執着の理由を明示して家族関係とラブコメに重心があるのに対し、本作品AURAはいじめもあからさまに取り上げて高校という社会で生きることに鋭く切り込んでいるのが特徴です。他作品がお手本としたくなるのも当然の名作です。
緩み無い構成と的確な表現により一巻で完結しきっているのも凄い。主人公たちと対立する大島弓菜とか、いじめられる織田とかも魅力的なキャラなので、もう少し彼女らの今後を見たい気はするのですが。
2013年4月17日に日本でレビュー済み
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ラノベというジャンルは
非リアルでのカタルシスやサクセスストーリーを楽しむ媒体なんだと思います。
異世界の美少女たちから急にモテたり、世界を救う為の熱い冒険談など…。
この作品も、非リアルなヒロインとの出会いで
主人公を取り巻く世界がガラリと変わる部分はラノベのお約束なんですが
なぜか逆に重いリアルを背負わされるハメに陥る展開が斬新ですね。
非リアルヒロインと出会わなければ
波風が立たない普通の高校生活を送れたはずの主人公。
世界を救う使命を与えられたわけでなく、傷付かないわけでもないのに
放り出してしまうことなくヒロインと自分の過去を背負って
リアルな着地点を模索し続ける姿は青春小説と言っても良いでしょう。
ラストのクライマックスはやや大仰にも見えましたが
主人公達のリアルから非リアル、そしてリアルへの再出発は
とても清々しく感じられました。
非リアルでのカタルシスやサクセスストーリーを楽しむ媒体なんだと思います。
異世界の美少女たちから急にモテたり、世界を救う為の熱い冒険談など…。
この作品も、非リアルなヒロインとの出会いで
主人公を取り巻く世界がガラリと変わる部分はラノベのお約束なんですが
なぜか逆に重いリアルを背負わされるハメに陥る展開が斬新ですね。
非リアルヒロインと出会わなければ
波風が立たない普通の高校生活を送れたはずの主人公。
世界を救う使命を与えられたわけでなく、傷付かないわけでもないのに
放り出してしまうことなくヒロインと自分の過去を背負って
リアルな着地点を模索し続ける姿は青春小説と言っても良いでしょう。
ラストのクライマックスはやや大仰にも見えましたが
主人公達のリアルから非リアル、そしてリアルへの再出発は
とても清々しく感じられました。
2009年7月18日に日本でレビュー済み
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同作者の「人類は衰退しました」が少し肌に合わなかったのだが、こちらは素直に面白く読めた。
だが、感情のディティールにリアリティが欠けているように思う。
青さというのは痛いこそ春になるのではないのか。
その痛みの描写をあまりしていないのは、
『「まだ、痛みの中に居る読者」を誤魔化して救ってやろう』というような感覚なのか、それとも『「痛み」を感じた事が実は無い』のか、
『痛みの描写は作者も痛みを思い出す事が怖い』のか・・・
エンディングの昭和ギャグ漫画的なオチの付け方と、上記の点以外は、大変よくできた小説だと思う。
それがあったら、大槻ケンヂの「グミ・チョコレート・パイン」に迫る現代青春小説になったと思うのに・・・
うーん、もったいないなあ。
だが、感情のディティールにリアリティが欠けているように思う。
青さというのは痛いこそ春になるのではないのか。
その痛みの描写をあまりしていないのは、
『「まだ、痛みの中に居る読者」を誤魔化して救ってやろう』というような感覚なのか、それとも『「痛み」を感じた事が実は無い』のか、
『痛みの描写は作者も痛みを思い出す事が怖い』のか・・・
エンディングの昭和ギャグ漫画的なオチの付け方と、上記の点以外は、大変よくできた小説だと思う。
それがあったら、大槻ケンヂの「グミ・チョコレート・パイン」に迫る現代青春小説になったと思うのに・・・
うーん、もったいないなあ。