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東京迷路: 鬼海弘雄写真集 ハードカバー – 1999/11/1
鬼海 弘雄
(写真)
- 本の長さ117ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日1999/11/1
- ISBN-104096812412
- ISBN-13978-4096812419
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
風雪に耐え抜いたアパート、満艦飾の洗濯物に覆われた居酒屋…。何気ない「モノ」たちが語る、失われゆく風景への哀惜の記憶。人間の匂いの染みついた街に対する高らかな賛歌。
登録情報
- 出版社 : 小学館 (1999/11/1)
- 発売日 : 1999/11/1
- 言語 : 日本語
- ハードカバー : 117ページ
- ISBN-10 : 4096812412
- ISBN-13 : 978-4096812419
- Amazon 売れ筋ランキング: - 417,335位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年5月6日に日本でレビュー済み
貧乏を自慢することがあります。仲間と飲み明かしながら、安さ汚さ、みすぼらしさを自慢し合う不思議な時間があります。結局、自分はそんな中で粋に生きてきたと誇らしげに言い合っている変な仲間です。しかし結局はそんな空間や生き方を自分から探しているのですが、作者は何処から見つけてくるのか見たことも無い角度、切口を持っている感じがします。結局、場所が作者を呼んでいるんでしょう。見つけようにも見つけなれない絵をこの本で見てみようじゃないですか。
目線が変わります。捉え方が変わります。生き方にも変化が出るかもしれません。自分はそんな変な思いでこの本を手に取りました。東京、まだまだ見てない視点がわんさかです。この本を片手に東京の白地図に色を付けていきませんか。
目線が変わります。捉え方が変わります。生き方にも変化が出るかもしれません。自分はそんな変な思いでこの本を手に取りました。東京、まだまだ見てない視点がわんさかです。この本を片手に東京の白地図に色を付けていきませんか。
2007年9月29日に日本でレビュー済み
「あまりにも強い情報のかたまった風景は、写真にするのがむずかしい。強い写真は見る側に一方的に意味を注ぎ込み、見返すために必要な想像力を限定するからだろう。なるべくならキッチュは撮らないことにしているので、カメラを向けるのをあきらめた」
これは、本書「東京迷路」のあと、2007年に出版された「東京夢譚」での鬼海弘雄の言葉である。
「東京迷路」では、「東京夢譚」には見られなくなったキッチュがまだ多少は残っている。具体的に言うとそれは「広告」「看板」といった「文字」である。風景や建造物よりも、広告、看板が時代を映すわかりやすい象徴であることは言うまでもない。実際、写真に“過去”を見出そうとするとき、真っ先に目が行くのは「文字」だし、街中の広告、看板はわかりやすくて面白いキッチュでもある。でも、このわかりやすさは、街の表情の微細な変化を隠蔽してはいないだろうか。鬼海が「東京夢譚」では「場所の肖像」と言い、本作では「空間のポートレイト」と言った、この、人も文字も写りこんでいない街の表情こそが、何か本質的な街の変化を映しているように思う。そして、人も文字も写さずに、街の一瞬の表情、微細な変化を捉えることは至難の業である。鬼海は、一日中歩き回っても1枚撮れるか撮れないかの一瞬をフレームに収めるために、日がな一日、歩き回る観察者だ。
鬼海弘雄のライフワークである、この、東京の「場所の肖像」、「空間のポートレイト」を、可能であれば、また数年後に見てみたい。そして見続けていきたい。
これは、本書「東京迷路」のあと、2007年に出版された「東京夢譚」での鬼海弘雄の言葉である。
「東京迷路」では、「東京夢譚」には見られなくなったキッチュがまだ多少は残っている。具体的に言うとそれは「広告」「看板」といった「文字」である。風景や建造物よりも、広告、看板が時代を映すわかりやすい象徴であることは言うまでもない。実際、写真に“過去”を見出そうとするとき、真っ先に目が行くのは「文字」だし、街中の広告、看板はわかりやすくて面白いキッチュでもある。でも、このわかりやすさは、街の表情の微細な変化を隠蔽してはいないだろうか。鬼海が「東京夢譚」では「場所の肖像」と言い、本作では「空間のポートレイト」と言った、この、人も文字も写りこんでいない街の表情こそが、何か本質的な街の変化を映しているように思う。そして、人も文字も写さずに、街の一瞬の表情、微細な変化を捉えることは至難の業である。鬼海は、一日中歩き回っても1枚撮れるか撮れないかの一瞬をフレームに収めるために、日がな一日、歩き回る観察者だ。
鬼海弘雄のライフワークである、この、東京の「場所の肖像」、「空間のポートレイト」を、可能であれば、また数年後に見てみたい。そして見続けていきたい。