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スクールカーストの正体: キレイゴト抜きのいじめ対応 (小学館新書) 新書 – 2015/10/1
購入オプションとあわせ買い
現役のベテラン中学校教師である著者は、「スクールカーストの決定要因は、コミュニケーション能力だ」と、
その本質を喝破、学校現場で現在進行形で起きている数々のいじめ、トラブル等のエピソードを紹介、分析していきます。
スクールカーストを要因とした、「LINEはずしが起きるリアルなプロセス」や、「突然キレて、暴力をふるってしまう子の事情」等々、
紹介される数々のエピソードは、教育関係者ならずとも、深く考えさせられるものばかりです。
現在の子どもたちの変容の根底にあるものについて分析したうえで、全国の学校現場に向けて提案する、最終章「現代型いじめと教師の対応」は、必読です。
- 本の長さ207ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日2015/10/1
- ISBN-104098252503
- ISBN-13978-4098252503
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登録情報
- 出版社 : 小学館 (2015/10/1)
- 発売日 : 2015/10/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 207ページ
- ISBN-10 : 4098252503
- ISBN-13 : 978-4098252503
- Amazon 売れ筋ランキング: - 274,920位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
堀 裕嗣(ほり・ひろつぐ/札幌市立中学校・教諭)
http://kotonoha1966.cocolog-nifty.com/blog/
北海道教育大学札幌・岩見沢校修士課程・国語教育専修修了。「研究集団ことのは」代表・「教師力BRUSH-UPセミナー」代表・「実践研究水輪」研究担当・「日本文学協会」・全国大学国語教育学会・日本言語技術教育学会など。
学生時代、森田茂之に師事し文学教育に傾倒。1992年、森寛・對馬義幸らとともに「研究集団ことのは」設立。「文学教育」と「言語技術教育」との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている。主著:『学級経営 10の原理 100の原則』(学事出版)『全員参加を保障する授業技術』『学級経営力を高める~感化主義の学級経営』(以上明治図書)『生徒の意欲を引き出す中学生の通知表所見欄・記入文例』(小学館)など著書・編著多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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1に自己主張力、2に同調力、3に共感力とする分析がかなり的を得ていると感じた。
スクールカーストの低い教師は基本的に高い教師がいないと有効にならないが、高い教師では掬えない生徒を掬うための必要な存在であるという見解も面白い。
学校をピラミッド型の社会と考えていたが、
もしかすると1つの生態系のように考えられるかもしれないと感じた。
このカーストは固定しており、上下の移動はない。そして暴力を背景に持つヤンキーたちが教室内を支配する。
20代以下の人たちにはこのことは自明のこととして理解していると思われるが、それより上の世代には
果たして自明のこととして理解されているのかどうかは疑わしい。
著者はスクールカーストが厳然と存在するという前提でクラス運営をなさっているようで、そのことは「さすがだ。」
「そこまでの認識を持ってか。」と驚きを禁じえなかったのだが、そもそも学校教育はその始まりは兵士と工場労働者の養成を目的としているのではないのか。
こうした教育で目指されるのは自ら考え判断することはせず、指揮系統を乱さず、上からの命令に絶対服従、階級を同じくするものとは足並みをそろえる(いわゆる協調性)、
そういうことではないのか。
こうした教育では個性など育つはずもなく(実際は個性は大事などといいながら、個性は封殺する)、いじめや不登校があとを絶たないのは当然のことと思われるが...
あまりページ数は多くないですが、内容は濃いです。
教室内での自分の立場を守るために、空気を読むことを「神聖」というほど大切にし、かと言って自己主張が全くできないとやはりいじめ被害に遭うリスクが高い。
まるで綱渡りのような人間関係のストレスで朝から晩まで疲弊している子どもたち(LINEでの連絡もあるので家でも、休日でも心から解放されない)
現場でそれを良いとか悪いとか言っても仕方がありません、それが存在することを前提に学級運営をしなければならない。
また、教師も生徒たちからスクールカーストの上位と認められなければ、ただ教師だというだけで権威を認められる時代でもない。
「スクールカースト」という言葉は衝撃的な響きですが、カースト制のように一度決まった序列を覆すことはほぼ不可能、ということは大人は頭に叩き込んでおかなければと思いました。
コミュニケーション能力が未熟だったり、容姿など生まれつきの条件で底辺のカーストに置かれた子どもに
間違っても「勉強がんばって見返してやれ」というような安易な励ましをしてはいけないのだと思いました。
教師には大まかに父性的なタイプ、母性的なタイプ、友人的なタイプとあるそうです。
(父性、母性という語が必ずしも適切とは言えないかもしれませんが、著者は少なくとも男性教師、女性教師という意味でこの語を使っているわけではないようです)
父性的なタイプは、規律を重んじ、統率力があるベテラン教師で教室だけでなく職員室でも「カースト上位」になりがち
母性的なタイプはカースト下位の子どもやいじめ被害者の心に寄り添うケアなどを得意とする
若い新人教師はだいたい友人的なタイプで子どもたちと近い距離感でワイワイできる
どのタイプにも得手不得手があるのでチームプレイが必要なのに、父性的教師は母性的教師を見下しがちで、母性的教師は父性的教師を「抑圧ばかりするから生徒が傷つく」と批判的、
友人タイプは自分が子どもと「友達のノリ」でスッと打ち解けられるのが単に「若さ」の特権に過ぎないという自覚がなく、自分の能力を過大評価しがち
と連携がなかなかうまくいかないようです。
自分こそが子どもにとってのいちばんの良き教師だ、というような自惚れやそうなりたい、という見栄を捨てて
子どもとの相性の良し悪しや自分の不得手分野を認識して、他の教師たちと協力し合う
それが実現したら、もしかしたら教室内の息苦しい「スクールカースト」も少し変わるのかもしれないなと思いました。
長々書きましたが、この本の内容はこれだけで纏められるものでもないし、結論や分析だけでなく、この本のいじめ介入の具体例や学校行事の話なども読んで初めて
「ああ、そんなにも子どもたちは大変なのか、教師にはそこまで求められるのか!」と実感できるかと思います。
教育関係者でなくても、子どもを持つ親御さんもいまの教室の空気、教師の負担などイメージできて良いと思います。
このことに対する筆者の考えは、「スクールカーストの固定性(p.142)」に出てきます。
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〈スクールカースト〉がインドの「カースト」と同じ位相にあると捉えるのは確かに度が過ぎる面があるだろう。しかし、〈スクールカースト〉が根性さえあれば逆転可能であり、いざとなったら転校することもできるというのは暴論である。ここで諏訪が問題にしているのは、出自やもって生まれた資質など、自らの努力ではいかんともし難い要因で〈スクールカースト〉が決定されているのか否かであろう。諏訪の感受によれば、それはあくまで生徒たちの勢力争いや主導権争いの結果として現象したグループ化に過ぎないと言いたいわけだ。
おそらく諏訪哲二のこうした感受は、諏訪が高校教師であったことに起因している。高等学校は学力を基準とした一定階層が集まる学校である。そこには、少なくとも学力的には似たような生徒たちが集まる。しかし、公立中学校の教師である僕から見れば、〈スクールカースト〉の決定要因たる「コミュニケーション能力」なるものは、少なくとも中学校入学時には逆転の非常に困難なものになっている。諏訪はいわゆる「底辺校」と呼ばれる高校にもいわゆる「進学校」と呼ばれる高校にも勤めた経験をもっているが、そのどちらの階層の生徒たちも一緒くたにまぜられて学級集団がつくられているのが公立中学校なのである。一般に、「コミュニケーション能力」の高さは頭の良さ、いわゆる「地頭」の良さと相似形をなしている。また、「地頭」の良さは試験学力の高さとも大きな親和性をもっている。中学入学時には多くの場合、この差は歴然としている。そう簡単に逆転できるような代物ではない。
(中略)
〈スクールカースト〉の決定要因について、子どもたちの意識的要因がもちろん皆無とは言わない。しかし、子供達の自己責任に帰すには苛酷すぎる条件が多々見られることだけは事実なのである。
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筆者の考えは、「原理的に変更不可能ではないが、現実的にはほぼ変更が困難である」という認識だと読み取れました。一方で実践的には、【事例2】で、
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年度当初から学級の生徒たちを引きつけ、「②残虐リーダー型生徒」とも人間関係を紡いできた教師ならば、合唱コンクールの指揮者をこの「残虐リーダー型」の生徒に担わせ、公式の学校行事で学級をまとめるという経験をさせようとするのだ。あるいは「③孤高派タイプ生徒」に指揮者を担わせて、リーダー生徒に育てようとするかもしれない。いずれにしても、米田さんにはパートリーダーあたりの役割を担わせて、少人数をまとめる仕事を与えていたはずなのである。(p.76)
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と述べていたり、【事例4】で、
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しかし、この手の事案は、十件あれば九件くらいは生徒たちが自力解決してしまうというのが普通だ。もちろん四人の間には違和感は残る。しかし、四人の間ではおそらくは多くの場合、松尾さんが他の三人に謝罪することで元の鞘におさまる。四人のなかでしばらく松尾さんのカーストが低くなることがあるにしても、それは時が解決していく。これまでも四人のなかで起こった仲間はずれを時が解決してきたように、である。
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と述べたりして、カーストの流動性や、教師の働きかけによってカーストを超える成長をさせようとしていることにも触れられています。
筆者は、スクールカーストを現実に存在する関係性と受け止め、それに応じた指導を重ねてきたのだと思います。また、このスクールカーストを意識しない教師(=子ども同士の関係性を構造的に把握しようとする志向性がない教師)による指導がうまくいかなかった事例もたくさん経験されているのだと思います。
私としては、スクールカーストの存在そのものを快くは思っていませんが、生徒の「現時点での」関係性を見る目として、また教師の生徒への影響力や指導力を認識する目として、このような構造で関係性を分析する目は持っておいた方がいいと思います。ただし、生徒は成長していきます。将来にわたってずっとこのスクールカーストに縛られるわけではなく、所属する集団、経験する立場、出会う人が要因となって、カーストを超えた成長をすることは十分にありえます。そういう認識のもと、「現時点での関係性」に着目して、分析する目を持つために有用な本だと思います。
スクールカーストという子どもたちの心理的“序列・階層”を
これほど冷静に、かつ客観的に解説しているのが興味深い。
教育問題を取り上げた新書といえば、
ジャーナリストかせいぜい“元”教師が書いた
独善的で非難ばかりで悪意を感じる、読んでいてイライラするものばかりだが、
本書は、実践経験が豊富な現場の教師によって書かれた、
示唆に富んだ読んでいて非常にすがすがしいものとなっている。
本書が、教育書(ただでさえ本を読まない教師向けの本)ではなく、
保護者やビジネスマンなど広く多くの人の目にとまるであろう新書として刊行されたことに意義を感じる。
余談だが、初めて帯びを捨てたくないと思った本だった。
「スクールカーストの正体」などと大げさな題名としているが、少し観察力がある人であれば、大体の状況や原因については気づいていることであり、解決策を示さないのであればあまり意味はないのではないかと感じた。
現状の、「同調力」=ノリが重視され過ぎる状況は教師側で「補正」する必要があるのではないかと思う。
飛びぬけて優秀な生徒は周りの生徒が馬鹿に見えるだろうから「同調力」などないだろうし、大人びた生徒、自分の頭で考える生徒も世間のノリと合わないことが多いと思う。
教師側の「補正」が現状で機能していないことが問題だと思うし、うまく「補正」していく必要があると考える。
勉強できる生徒だけをひいきしろとは言わないが、現状の教育はリーダーの素養がある生徒を引き上げることに失敗していると思う。
教師側のカースト云々は正直、読む気にならなかった。
教師の方も大変だとは思うが、子供と同じレベルで組み込まれる時点で終わってるのではないか。