単位数を間に合わせるため、感想文を書けば済む国語特論という授業を取った時のこと。教材は本書『にごりえ·たけくらべ』だった。当時、樋口一葉は、その名だけは知っていたが、本を開くと、古文のような言葉遣いと句点の無さ(句点は段落の印となっていた)がかなり読み辛かったが、どうにか内容を読み取って感想文を提出した。単位は取れたが、担当の先生は、「興冷め」という言葉がピッタリの感想文と遠回しに仰った。「正確なふうだけど、言葉の計測みたいですね」と返されたが、いわゆる行間を読み取る、ではなく、情感を汲み取ることが(鈍感なために)出来ていない、ということだった。いわゆる相手の気持ちに立って考えることが出来ていなかった苦い思い出。
今になって、とてもゆっくりと台詞をひとつひとつ反芻するように読んでみると、縁日の水飴のように薄く儚い甘い味わいや酸いた味わいがある。
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にごりえ・たけくらべ (新潮文庫) 文庫 – 2003/1/1
樋口 一葉
(著)
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森鷗外、幸田露伴に絶賛された明治女流文学の第一人者。
24歳6ヵ月の人生、その晩年に矢継ぎ早に書かれた名作8作を収録。
落ちぶれた愛人の源七とも自由に逢えず、自暴自棄の日を送る銘酒屋のお力を通して、社会の底辺で悶える女を描いた『にごりえ』。今を盛りの遊女を姉に持つ14歳の美登利と、ゆくゆくは僧侶になる定めの信如との思春期の淡く密かな恋を描いた『たけくらべ』。他に『十三夜』『大つごもり』等、明治文壇を彩る天才女流作家一葉の、人生への哀歓と美しい夢を織り込んだ短編全8編を収録する。用語、時代背景などについての詳細な注解および年譜を付す。
目次
にごりえ
十三夜
たけくらべ
大つごもり
ゆく雲
うつせみ
われから
わかれ道
注解・解説:三好行雄
本書「解説」より
彼女の文学は、封建の霧がふかい未熟な近代を生きた庶民層の暗さと、とりわけ社会の矛盾がしわよせられてゆくもっとも弱い部分、つまり女性のどうしようもない悲劇との、まさに正確な〈写し絵〉となりえたのである。救うことはできない、しかし、悲しさをわけもつことはできるという、女であることの慟哭をバネにして、一葉は女たちの悲劇を書く。だから、『にごりえ』がそうであり、『十三夜』がそうであったように、一葉文学のリアリティの根拠は悲劇の解決を放棄したところに成立する。
――三好行雄(文芸評論家)
樋口一葉(1872-1896)
東京生れ。本名奈津。父則義は、元八丁堀同心で一葉誕生当時は東京府の下級官吏。1886年中島歌子の萩の舎塾に入門。1889年父の死で一家を担うことになり、姉弟子三宅花圃に刺激されて小説で生計を得ることを志す。1891年半井桃水に師事。貧困の中、1894年の『大つごもり』以降独創的境地を開き、『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』等で文壇に絶賛される。数え年25歳で結核に倒れた。
24歳6ヵ月の人生、その晩年に矢継ぎ早に書かれた名作8作を収録。
落ちぶれた愛人の源七とも自由に逢えず、自暴自棄の日を送る銘酒屋のお力を通して、社会の底辺で悶える女を描いた『にごりえ』。今を盛りの遊女を姉に持つ14歳の美登利と、ゆくゆくは僧侶になる定めの信如との思春期の淡く密かな恋を描いた『たけくらべ』。他に『十三夜』『大つごもり』等、明治文壇を彩る天才女流作家一葉の、人生への哀歓と美しい夢を織り込んだ短編全8編を収録する。用語、時代背景などについての詳細な注解および年譜を付す。
目次
にごりえ
十三夜
たけくらべ
大つごもり
ゆく雲
うつせみ
われから
わかれ道
注解・解説:三好行雄
本書「解説」より
彼女の文学は、封建の霧がふかい未熟な近代を生きた庶民層の暗さと、とりわけ社会の矛盾がしわよせられてゆくもっとも弱い部分、つまり女性のどうしようもない悲劇との、まさに正確な〈写し絵〉となりえたのである。救うことはできない、しかし、悲しさをわけもつことはできるという、女であることの慟哭をバネにして、一葉は女たちの悲劇を書く。だから、『にごりえ』がそうであり、『十三夜』がそうであったように、一葉文学のリアリティの根拠は悲劇の解決を放棄したところに成立する。
――三好行雄(文芸評論家)
樋口一葉(1872-1896)
東京生れ。本名奈津。父則義は、元八丁堀同心で一葉誕生当時は東京府の下級官吏。1886年中島歌子の萩の舎塾に入門。1889年父の死で一家を担うことになり、姉弟子三宅花圃に刺激されて小説で生計を得ることを志す。1891年半井桃水に師事。貧困の中、1894年の『大つごもり』以降独創的境地を開き、『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』等で文壇に絶賛される。数え年25歳で結核に倒れた。
- ISBN-104101016011
- ISBN-13978-4101016016
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日2003/1/1
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ304ページ
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (2003/1/1)
- 発売日 : 2003/1/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 304ページ
- ISBN-10 : 4101016011
- ISBN-13 : 978-4101016016
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 143,325位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2014年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上記を含めて8篇の短篇集で、一葉の代表作がこれ一冊で読める。注はないが、主な漢字にルビが付いている。擬古文は慣れてしまえばそれほど難しいものではないので、ゆっくりと文を味わいながら読むことをお勧めする。
2022年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「たけくらべ」は、復刻版で持っていますが 真筆版(旧仮名遣い、草書)なので 大変読みにくくて
今回 購入しました。
(復刻版で気に入っているのは 挿絵が 鏑木清方で 大黒屋のみどりが
清らかでとてもよいのです。)
今回 購入しました。
(復刻版で気に入っているのは 挿絵が 鏑木清方で 大黒屋のみどりが
清らかでとてもよいのです。)
2020年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の」と河竹黙阿弥の歌舞伎の名文句を読むように、五七調でないものの立て板に水のような江戸弁で語られます。スラスラ読めはしますが、ただ文語体なので意味をとるには何度か読み直しをしました。読みにくい(意味がとりにくい)もうひとつの理由は、番号を付けて最後にまとめられていることが多い注釈が本文の中に括弧で入っていることです。「たけくらべ」の最初の数ページは特にこれが多くて、読みにくくてしようがありません。でも、この樋口一葉の語調にはとても魅かれます。
内容ですが、ストーリーはそれほど複雑ではなく、樋口一葉は物語の舞台となった地域の情景や風俗を描くことに多くの文章を割いています。日暮里裏から根津、下谷、入谷、千束あたりは下町情緒と今日では言われますが、昭和の時代でも独特の雰囲気がありましたので当時はもっと地域的な情緒があったのかもしれません。
さて、「にごりえ」の「お力」は酌婦ですが、その人生は不幸だったでしょうか。飲みに来た客にべったりくっついて酌をしその気にさせて二階に引っ張り込んで売春するのが仕事です。どうしてそうなったのか、そうしなければ生きていけないのか、そんなことは一切書かれていません。肝心なのはそこで生きていることです。人様のレビューにとやかく言う気はありませんが、娼妓になる「美登利」は、僧侶になる「信如」は、不幸なのでしょうか。そんなことを考える間もないほど懸命に生きています。「にごりえ」や「たけくらべ」にでてくる登場人物は、誰も彼もが懸命に生きています。樋口一葉は不幸な運命を描こうとしているのではなく、不条理の世の中を描こうとしているのでなく、そこに懸命に生きていた人たちを描いています。そうでなければどうして読んだ人にこれほど胸に迫る思いを与えることができるでしょうか。その人が不幸かどうかはその人本人が決めることです。戦後の混乱期やたびたびの不況の中で貧乏をしながら生きてきた私の両親は不幸だったのしょうか。24歳まで家督を背負って生きていた樋口一葉は不幸だったのでしょうか。不幸な、恵まれない運命の人のものがたりを読むのではなくて、懸命に生きた人たちのものがたりをぜひ読んでください。
内容ですが、ストーリーはそれほど複雑ではなく、樋口一葉は物語の舞台となった地域の情景や風俗を描くことに多くの文章を割いています。日暮里裏から根津、下谷、入谷、千束あたりは下町情緒と今日では言われますが、昭和の時代でも独特の雰囲気がありましたので当時はもっと地域的な情緒があったのかもしれません。
さて、「にごりえ」の「お力」は酌婦ですが、その人生は不幸だったでしょうか。飲みに来た客にべったりくっついて酌をしその気にさせて二階に引っ張り込んで売春するのが仕事です。どうしてそうなったのか、そうしなければ生きていけないのか、そんなことは一切書かれていません。肝心なのはそこで生きていることです。人様のレビューにとやかく言う気はありませんが、娼妓になる「美登利」は、僧侶になる「信如」は、不幸なのでしょうか。そんなことを考える間もないほど懸命に生きています。「にごりえ」や「たけくらべ」にでてくる登場人物は、誰も彼もが懸命に生きています。樋口一葉は不幸な運命を描こうとしているのではなく、不条理の世の中を描こうとしているのでなく、そこに懸命に生きていた人たちを描いています。そうでなければどうして読んだ人にこれほど胸に迫る思いを与えることができるでしょうか。その人が不幸かどうかはその人本人が決めることです。戦後の混乱期やたびたびの不況の中で貧乏をしながら生きてきた私の両親は不幸だったのしょうか。24歳まで家督を背負って生きていた樋口一葉は不幸だったのでしょうか。不幸な、恵まれない運命の人のものがたりを読むのではなくて、懸命に生きた人たちのものがたりをぜひ読んでください。
2013年3月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
樋口一葉をテーマにした論文のために読みました。現代語訳ではないので、読解に苦労しました。
2020年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
特に問題ありませんでした。
2022年6月25日に日本でレビュー済み
かなり前に小谷野敦著『現代文学論争』(2010年)を読んだとき、とりわけ「たけくらべ」論争の章が面白く、高校時代何か義務のように読んだだけの『たけくらべ』を再読せねばと思ったものの、結局長くそのことを果たせずじまいのままになっていました。
最近たまたま新古書店で、『たけくらべ』が収録された、版元のことなる文庫三冊(新潮文庫、岩波文庫、集英社文庫)を見つけ、ようやく再読の機会を得たしだい。
この三冊それぞれに、小説本文にあらわれる当時の事物や風俗などについて少なからぬ注釈がついており、作品を読むにあたって参考になります(いちばん注釈が多くついているのが集英社文庫で山田有策氏によるもの)。
なお一葉の文体の特徴として、会話部分にカッコがなく、地の文のなかに溶けこんでいるので、最初読み慣れるまでそれなりに苦労があります。ただ集英社文庫版では原作のテキストを変えて、会話部分だけを地の文から独立させて印刷しているので読みやすくなっているといえばいえます。もちろん、これはいっぽうで、著者一葉の文体的なねらいを殺してしまう勝手な改変にもなるわけですが。
再読して「たけくらべ」はやはり傑作というべきものです。
なかでも「十二」から「十三」にかけての語りが圧巻です。
風雨のなか使いに行く途中、あろうことか美登利の住む大黒屋の門前で下駄の鼻緒が切れ立ち往生する信如、その難儀している姿が家から見えて「友禅ちりめんの切れ端」をもって駆けつけようとするも相手が信如だとわかると顔が赤くなり足をとめる美登利、以前より互いに意識し合う仲のふたりがこれ以上なく互いに近くにいるこの決定的な場面でけっして相手に近づかない、また近づけない両者のもどかしさが見事に語られています。そして両者のもどかしさをわがことのように感じさせられる読者ももどかしさいっぱい、そして切なさいっぱいでこの章を読むことになります。
いっぽう「にごりえ」、「十三夜」、「大つもごり」の三篇はそれなりによく書かれていて佳品ですが、作品としては「たけくらべ」に比べると、何か、あるいはどことなく物足りない印象が残ります。
また、「たけくらべ」に似た切ない話の「わかれ道」はあくまでごく小品にとどまっています。
ところで、「たけくらべ」には、上で挙げた小谷野氏の著でその経過と内容が詳細に紹介されている、ヒロイン美登利をめぐる文学論争がありました。
それは、ごくかんたんにいえば、小説の最後にみられる美登利の〈変貌〉について――小谷野著にある小見出しを借りれば――美登利が「娼婦になったのか、初潮だったのか」をめぐる論争でした。
これは、いま評者などがあらためて「たけくらべ」を読むと、「娼婦か初潮か」ではなく、具体的なことはわからないけれど「初潮以上、娼婦(水揚げ・初店)未満」の出来事が美登利の身に起こったのだろうと推測したくなります。
そしてもう少しいえば、作者樋口一葉(1872-1896)は、その出来事をあいまいにしか書かなかったというより、たぶん23歳の作者として知識の上でも経験の上でもあのようにしか書けなかったのだろうと思います(「にごりえ」でお力の心情を深く掘り下げられなかったのも同じような理由からなのでしょう)。
いっぽうで、そこには明治期の女性作家が小説を書くにあたって無意識ながらジェンダー的に強いられた抑制もはたらいていたのかもしれません(「にごりえ」でお力自身が自己内省的にみずからの心の鬱積をうまくことばにできない、対象化できないのとそれは重なってきます)。
ともあれ小谷野氏の本によれば、長く文学界・国文学界(長谷川時雨、吉田精一、村松定孝、関良一、前田愛など)では美登利=初潮説が主流、あるいは解釈がそれ一本だったようです。
ただそこにも、二度と戻ってこない「子どもたちの時間」を美しく抒情的に、かつまた残酷に描いたこの小説を、美登利=娼婦でもって読むことの心理的抵抗、というより、たぶんそれかもしれないと思いつつも表だってそうは言えない、あるいはそう言ってはならないというある種の隠微な抑制と抑圧そしてもしかすると禁忌がはたらいていたのではないかと想像したくなります(少し違いますが、性教育における「寝た子は起こすな」に似た心理です)。
しかし1986年になって作家佐多稲子が文芸誌『群像』で美登利=娼婦説を敢然と主張したのをきっかけに、美登利が初潮だったのか娼婦になったのかの上記文学論争がはじまります。
そのなかで、その佐多説に応えるようにして前田愛が同年みずからのそれまでの解釈を修正し、あらたな読みを提案しました:
「郭のなかで行われた美登利の成女式は、同時にまた遊女として初見世に出ることになった前祝いでもあった。たぶん、その席で美登利は大黒屋の主人(あるいは姉の大巻かもしれない)から、彼女を待ちうけている役割をほのめかされたのである。たとえ、そのような宣告がなかったにしても、美登利は成女式が意味するものを重い手応えでちがいない」
これは、評者の「初潮以上、娼婦(水揚げ・初店)未満」という解釈をもう少し具体的に当時の郭界隈の風俗にそくして、つまり「郭のなかで行われた美登利の成女式」の想定でもって説明してくれているように思えます。
ただし、どうしたものか、この前田案のあとも延々と「たけくらべ」論争はつづき、かえって諸説入り乱れるようになるのですが、これについては上記小谷野氏の著書がくわしいので、それを参照あれ。
なお岩波文庫版『たけくらべ』の巻末には、1999年12月という日付が入った、一葉研究者でもあった菅聡子氏による解説が添えられています。
そこで、たぶん上記論争も意識しながら、菅氏は以下のように書いています:
「美登利はある日を境に、別人のように変わってしまった。美登利に何が起こったのか、初潮を迎えたのか、それとも何らかの形で身を売ることに近いことがひそかに行われたのか、語り手ははっきりと明かしていない。だが明らかなのは、彼女にとって大人になることがすなわち遊女となること、自らの性を切り売りして生きていくその決定の時を意味することである」
最後に言いそえておけば、この岩波文庫の菅氏の解説、そして新潮文庫の三好行雄氏の解説はとても充実していて、一葉理解に参考になります。
最近たまたま新古書店で、『たけくらべ』が収録された、版元のことなる文庫三冊(新潮文庫、岩波文庫、集英社文庫)を見つけ、ようやく再読の機会を得たしだい。
この三冊それぞれに、小説本文にあらわれる当時の事物や風俗などについて少なからぬ注釈がついており、作品を読むにあたって参考になります(いちばん注釈が多くついているのが集英社文庫で山田有策氏によるもの)。
なお一葉の文体の特徴として、会話部分にカッコがなく、地の文のなかに溶けこんでいるので、最初読み慣れるまでそれなりに苦労があります。ただ集英社文庫版では原作のテキストを変えて、会話部分だけを地の文から独立させて印刷しているので読みやすくなっているといえばいえます。もちろん、これはいっぽうで、著者一葉の文体的なねらいを殺してしまう勝手な改変にもなるわけですが。
再読して「たけくらべ」はやはり傑作というべきものです。
なかでも「十二」から「十三」にかけての語りが圧巻です。
風雨のなか使いに行く途中、あろうことか美登利の住む大黒屋の門前で下駄の鼻緒が切れ立ち往生する信如、その難儀している姿が家から見えて「友禅ちりめんの切れ端」をもって駆けつけようとするも相手が信如だとわかると顔が赤くなり足をとめる美登利、以前より互いに意識し合う仲のふたりがこれ以上なく互いに近くにいるこの決定的な場面でけっして相手に近づかない、また近づけない両者のもどかしさが見事に語られています。そして両者のもどかしさをわがことのように感じさせられる読者ももどかしさいっぱい、そして切なさいっぱいでこの章を読むことになります。
いっぽう「にごりえ」、「十三夜」、「大つもごり」の三篇はそれなりによく書かれていて佳品ですが、作品としては「たけくらべ」に比べると、何か、あるいはどことなく物足りない印象が残ります。
また、「たけくらべ」に似た切ない話の「わかれ道」はあくまでごく小品にとどまっています。
ところで、「たけくらべ」には、上で挙げた小谷野氏の著でその経過と内容が詳細に紹介されている、ヒロイン美登利をめぐる文学論争がありました。
それは、ごくかんたんにいえば、小説の最後にみられる美登利の〈変貌〉について――小谷野著にある小見出しを借りれば――美登利が「娼婦になったのか、初潮だったのか」をめぐる論争でした。
これは、いま評者などがあらためて「たけくらべ」を読むと、「娼婦か初潮か」ではなく、具体的なことはわからないけれど「初潮以上、娼婦(水揚げ・初店)未満」の出来事が美登利の身に起こったのだろうと推測したくなります。
そしてもう少しいえば、作者樋口一葉(1872-1896)は、その出来事をあいまいにしか書かなかったというより、たぶん23歳の作者として知識の上でも経験の上でもあのようにしか書けなかったのだろうと思います(「にごりえ」でお力の心情を深く掘り下げられなかったのも同じような理由からなのでしょう)。
いっぽうで、そこには明治期の女性作家が小説を書くにあたって無意識ながらジェンダー的に強いられた抑制もはたらいていたのかもしれません(「にごりえ」でお力自身が自己内省的にみずからの心の鬱積をうまくことばにできない、対象化できないのとそれは重なってきます)。
ともあれ小谷野氏の本によれば、長く文学界・国文学界(長谷川時雨、吉田精一、村松定孝、関良一、前田愛など)では美登利=初潮説が主流、あるいは解釈がそれ一本だったようです。
ただそこにも、二度と戻ってこない「子どもたちの時間」を美しく抒情的に、かつまた残酷に描いたこの小説を、美登利=娼婦でもって読むことの心理的抵抗、というより、たぶんそれかもしれないと思いつつも表だってそうは言えない、あるいはそう言ってはならないというある種の隠微な抑制と抑圧そしてもしかすると禁忌がはたらいていたのではないかと想像したくなります(少し違いますが、性教育における「寝た子は起こすな」に似た心理です)。
しかし1986年になって作家佐多稲子が文芸誌『群像』で美登利=娼婦説を敢然と主張したのをきっかけに、美登利が初潮だったのか娼婦になったのかの上記文学論争がはじまります。
そのなかで、その佐多説に応えるようにして前田愛が同年みずからのそれまでの解釈を修正し、あらたな読みを提案しました:
「郭のなかで行われた美登利の成女式は、同時にまた遊女として初見世に出ることになった前祝いでもあった。たぶん、その席で美登利は大黒屋の主人(あるいは姉の大巻かもしれない)から、彼女を待ちうけている役割をほのめかされたのである。たとえ、そのような宣告がなかったにしても、美登利は成女式が意味するものを重い手応えでちがいない」
これは、評者の「初潮以上、娼婦(水揚げ・初店)未満」という解釈をもう少し具体的に当時の郭界隈の風俗にそくして、つまり「郭のなかで行われた美登利の成女式」の想定でもって説明してくれているように思えます。
ただし、どうしたものか、この前田案のあとも延々と「たけくらべ」論争はつづき、かえって諸説入り乱れるようになるのですが、これについては上記小谷野氏の著書がくわしいので、それを参照あれ。
なお岩波文庫版『たけくらべ』の巻末には、1999年12月という日付が入った、一葉研究者でもあった菅聡子氏による解説が添えられています。
そこで、たぶん上記論争も意識しながら、菅氏は以下のように書いています:
「美登利はある日を境に、別人のように変わってしまった。美登利に何が起こったのか、初潮を迎えたのか、それとも何らかの形で身を売ることに近いことがひそかに行われたのか、語り手ははっきりと明かしていない。だが明らかなのは、彼女にとって大人になることがすなわち遊女となること、自らの性を切り売りして生きていくその決定の時を意味することである」
最後に言いそえておけば、この岩波文庫の菅氏の解説、そして新潮文庫の三好行雄氏の解説はとても充実していて、一葉理解に参考になります。