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父の肖像〈上〉 (新潮文庫) 文庫 – 2006/12/22
辻井 喬
(著)
政治家になるには金がいる。金は自分で稼ぐ──。明治末、早稲田の学生だった楠次郎は、永井柳太郎、大隈重信に認められ、立憲同志会のホープとして頭角を現す一方、特定郵便局を買い、鉄工所経営、後には不動産業へと乗り出す。衆議院議長まで務めた政治家でありながら、王国と称された巨大企業群を造り上げた「父」の波瀾の生涯を描き、その強烈な磁場に抗い続けた「私」を問う雄編。
- 本の長さ472ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2006/12/22
- ISBN-104101025290
- ISBN-13978-4101025292
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2006/12/22)
- 発売日 : 2006/12/22
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 472ページ
- ISBN-10 : 4101025290
- ISBN-13 : 978-4101025292
- Amazon 売れ筋ランキング: - 613,290位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1927(昭和2)年、東京生れ。本名・堤清二。東大経済学部卒。
西武王国の総帥だった父・堤康次郎の跡を継ぎ、理論派経営者の手腕を発揮する一方、詩人・作家として活躍。1961年、詩集『異邦人』で室生犀星賞、1984年『いつもと同じ春』で平林たい子文学賞、1993(平成5)年、詩集『群青、わが黙示』で高見順賞、1994年『虹の岬』で谷崎潤一郎賞、2004年『父の肖像』で野間文芸賞を受賞。他の作品に『彷徨の季節の中で』『風の生涯』『鷲がいて』など。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
期待通りでした。満足しております。複雑な作者の生育過程を身近に感じることができました。
2010年2月26日に日本でレビュー済み
この小説は楠恭次なる「私」が「自由に想像力を遊ばせながら内側から見た
楠次郎伝を書」く、との構想のもとで展開される。無論、モデル小説には違いない。
大隈重信から果てはアイゼンハワーまで、一族の外側の人間については概ね
実在、実名の人物が当てられてはいるが、本書の核となる恭次の出自をはじめ、
家族構成や設定などに史実からの変更が加えられている箇所も多い。
ファミリーの内実をめぐるワイドショー向けの生々しき暴露話を期待されているの
ならば、本書はあまりその要求を満たすものではないように思われる。
水清くして魚棲まず。
社会なる濁水にもがき苦しみながら、それでもなお野心をもって必死に生き抜く
次郎の姿がこの上巻においては中心的に描き出される。
一方では国家に対する高邁な志があり――それゆえにこそ大隈や永井柳太郎らに
彼は目をかけられる――、その理想を具現すべく政治の道を歩み出す。しかしながら、
時にあまりに苦き現実の壁に直面し、「 目的は手段を正当化する 」はずが、いつしか
その手段のために目的を見失ってしまう。そうして政治における師たる永井とも
すれ違い、やがては袂を分かつこととなる(そしてまた、下巻においては、父に
抗っていたはずの恭次が、父の片腕としてふるまう中で、父と同じように理想を
忘れて、濁水の上手な生き方を身につけている己の姿に気づく)。
陽と陰、善と悪――二項対立へと持ち込むのはあまりに容易く、しかし次郎の熱情は
かようにシンプルにこの世界ができていないことを伝えてくれる。
例えばこうしたモチーフは『 白い巨塔 』を筆頭に山崎豊子作品を貫いたものでもある。
政治における「心情倫理」と「責任倫理」の問題で言えば、 マックス・ヴェーバー の名を
挙げぬわけにはいかない(このテキストの結語など、まさに本書の主題である)。
生々しくもつれる思いゆえだろうか、隙なく端正に整えられた作品とは言い難いが、
さりとて名作には違いない。単にモデル小説としてのみ本書を読むことはその魅力を
少なからずスポイルしてしまう、そう私には感じられる。
本書は決して堤一族へと注がれる世間の好奇の目ゆえに成り立つものではない。
楠次郎伝を書」く、との構想のもとで展開される。無論、モデル小説には違いない。
大隈重信から果てはアイゼンハワーまで、一族の外側の人間については概ね
実在、実名の人物が当てられてはいるが、本書の核となる恭次の出自をはじめ、
家族構成や設定などに史実からの変更が加えられている箇所も多い。
ファミリーの内実をめぐるワイドショー向けの生々しき暴露話を期待されているの
ならば、本書はあまりその要求を満たすものではないように思われる。
水清くして魚棲まず。
社会なる濁水にもがき苦しみながら、それでもなお野心をもって必死に生き抜く
次郎の姿がこの上巻においては中心的に描き出される。
一方では国家に対する高邁な志があり――それゆえにこそ大隈や永井柳太郎らに
彼は目をかけられる――、その理想を具現すべく政治の道を歩み出す。しかしながら、
時にあまりに苦き現実の壁に直面し、「 目的は手段を正当化する 」はずが、いつしか
その手段のために目的を見失ってしまう。そうして政治における師たる永井とも
すれ違い、やがては袂を分かつこととなる(そしてまた、下巻においては、父に
抗っていたはずの恭次が、父の片腕としてふるまう中で、父と同じように理想を
忘れて、濁水の上手な生き方を身につけている己の姿に気づく)。
陽と陰、善と悪――二項対立へと持ち込むのはあまりに容易く、しかし次郎の熱情は
かようにシンプルにこの世界ができていないことを伝えてくれる。
例えばこうしたモチーフは『 白い巨塔 』を筆頭に山崎豊子作品を貫いたものでもある。
政治における「心情倫理」と「責任倫理」の問題で言えば、 マックス・ヴェーバー の名を
挙げぬわけにはいかない(このテキストの結語など、まさに本書の主題である)。
生々しくもつれる思いゆえだろうか、隙なく端正に整えられた作品とは言い難いが、
さりとて名作には違いない。単にモデル小説としてのみ本書を読むことはその魅力を
少なからずスポイルしてしまう、そう私には感じられる。
本書は決して堤一族へと注がれる世間の好奇の目ゆえに成り立つものではない。
2007年8月20日に日本でレビュー済み
著者は西武王国を築いた堤康次郎の長男、堤清二です。著者自身は西武鉄道ではなく西武百貨店を中心とする流通グループの代表で、最近まで本流を継いだ異母弟である堤義明との確執がマスコミをにぎわせていました。本書はその清二氏が父親康次郎についての伝記を記そうとして書かれたものですが、途中で本当の母親探しに道が外れていきます。父親を通して母親を探し、その母親像を文章化することでより具体的に母親をつくり上げ安心しているような、そんな感じの本になっています。
ただ、本書は西武鉄道の歴史を知る資料としての価値も十分あります。西武は堤康次郎によって築かれ、身内で固めていた感があるため、非常に未知の部分が多い会社です。そのために西武は粉飾決算で上場廃止に追い込まれたのですが・・・。その意味でも非常に面白い資料本でもあります。
ただ、本書は西武鉄道の歴史を知る資料としての価値も十分あります。西武は堤康次郎によって築かれ、身内で固めていた感があるため、非常に未知の部分が多い会社です。そのために西武は粉飾決算で上場廃止に追い込まれたのですが・・・。その意味でも非常に面白い資料本でもあります。