無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
愛の渇き (新潮文庫) 文庫 – 1952/4/2
三島 由紀夫
(著)
杉本悦子は、女性問題で彼女を悩ませつづけた夫が急逝すると、舅弥吉の別荘兼農園に身を寄せ、間もなく彼と肉体関係に陥った。彼女は夜ごと弥吉の骸骨のような手の愛撫を受けながら、一方では、園丁三郎の若若しい肉体と素朴な心に惹かれていく。だが、三郎には女中の美代という恋人がいることを知った時、悦子は……。〈神なき人間の逆説的な幸福の探求〉を主題にした野心作。
- ISBN-104101050031
- ISBN-13978-4101050034
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1952/4/2
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ272ページ
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1952/4/2)
- 発売日 : 1952/4/2
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 272ページ
- ISBN-10 : 4101050031
- ISBN-13 : 978-4101050034
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 141,741位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威。
1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。
主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年11月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
三島さんの作品は金閣寺ぐらいしかちゃんと読んでないんで、三島文学のことは全くわかってないのですが、この小説インパクトは凄かったです。すごく読みやすいしぐっとくる節がたくさんあってたまりません。これを恋の激しさ、女の業の激しさというのか。ここまで片思いをしてこそ恋とよべる。今まで自分も何十年か生きてきて、それなりに異性を好きになったり、失恋もしたことがある。でもそれって恋と呼べるほどのものか。今まで単純にそうおもってきたがこの小説をよんでしまうとものの数にも入らないね(笑)。三島小説の世界のすばらしさを味わいたい人に。
2012年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
関りたくない!と祈りたくなるような全く客観視しない女性が主人公です。
主人公、悦子ほどではないとしても…
全ては自分目線で恐ろしい執着心をもった女の人って沢山いますよね。
自分が巻き起こしているのに全ては周りのせい。
ほとんどの女性はもっている要素なのかもしれません。
巻き起こる悲劇は今でも起こっていそうなお話でゾッとしてしまいます。
我侭でヒステリックな女性の感情の起伏を三島の文章で楽しめ、怖がることの出来る面白い1冊でした。
主人公、悦子ほどではないとしても…
全ては自分目線で恐ろしい執着心をもった女の人って沢山いますよね。
自分が巻き起こしているのに全ては周りのせい。
ほとんどの女性はもっている要素なのかもしれません。
巻き起こる悲劇は今でも起こっていそうなお話でゾッとしてしまいます。
我侭でヒステリックな女性の感情の起伏を三島の文章で楽しめ、怖がることの出来る面白い1冊でした。
2021年1月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
三島作品の代表作で大変面白かったです。
2022年1月31日に日本でレビュー済み
1950年発表、三島由紀夫がまだ25歳の時の作品。
関西商船で社長まで勤めあげた弥吉は引退後、大阪郊外に大きな土地を購入し、そこで果樹園などをやりながら悠々自適の生活を送っています。元々、小作農の息子からのしあがった彼には百姓の血がよみがえってきたように感じられ、初めて自分の土地を持ったことを誇りに思っています。
時代は2次大戦前、日本がまだまだ貧しかった頃です。妻はすでに亡くなりましたが、喘息持ちの長男、謙輔が父親のコネで地元郵便局の職を得て夫婦で身を寄せ、三男はシベリア抑留に取られて帰らずその妻と子供2人も同居、その次にやってきたのが病死した次男良輔の妻で主人公の悦子でした。
長男の謙輔夫妻は教養豊かなインテリで2人で文学や哲学を論じるような浮世離れした夫婦ですが、父親に養ってもらってもそれがごく当たり前のような振る舞い。夏目漱石の小説にもいわゆる当時の有閑階級がよく出てきますが、資産家で働かないというのは特に恥じ入ることもなかったようです。また女性も働かないでうちにいるのが普通で、谷崎潤一郎の「細雪」でも、働くという末娘に姉が「あんたがそんな職業婦人みたいなことせんでも」と言わせています。そういう背景を理解して読むと、さらにわかりやすいと思います。
映画作品では詳細に描かれなかった悦子の夫、良輔の浮気のひどさや、腸チフスにかかった後の闘病とつきっきりで看病する悦子の様子が壮絶で、その後、良輔が亡くなってしまった時、すでに悦子の心は無感覚に擦り切れていたのではないでしょうか。弥吉の元に身を寄せてからの彼女の無気力さとその倦怠ぶり、強く抵抗することもなく弥吉のめかけのようになってしまったことにそれが表われているのでは・・。悦子の年齢は特に書いてありませんが、せいぜい30歳前後でしょう。現代の目から見たら、再婚するなり仕事をして自立することもできるだろうと思いますが、時代と女性をめぐる社会の状況のせいで、なかなかそれもむずかしいことだったのかもしれません。
老人のものにされている日常で、彼女が惹かれたのは素朴で健康的な園丁の青年でした。当時はまだはっきりとした身分の違いという感覚があり、年下の使用人にひきつけられることに抵抗を感じながら否定できない悦子。そこから事態はまっすぐ悲劇に向かって突き進んでいきます。ネタばれするといけないのであまり書けませんが・・・。
自分は女性ですが、悦子が最後、なぜこのような行動に出たのか、その心理は充分理解できる気がしました。相手の心情や行動を深く推し量り嫉妬に身を焼き懊悩する悦子、三郎の素朴さと軽快さ明朗さを愛したのに、裏返せばそれは人間が軽く考えも浅いということ。すべて自分のひとり相撲であった、傷つけられたプライドとその屈辱感・・。
また、あの後どうなったかも気になりました。弥吉と悦子は何もなかったことにして東京へ行ってしまうのか、それとも・・?
25歳の男性である三島が、未亡人になった女性の心理をここまで描けたのはすごいと思います。最初から最後まで格調高さと緊迫感が持続し、だらけることがありません。完成度の高いさすが三島という作品です。
関西商船で社長まで勤めあげた弥吉は引退後、大阪郊外に大きな土地を購入し、そこで果樹園などをやりながら悠々自適の生活を送っています。元々、小作農の息子からのしあがった彼には百姓の血がよみがえってきたように感じられ、初めて自分の土地を持ったことを誇りに思っています。
時代は2次大戦前、日本がまだまだ貧しかった頃です。妻はすでに亡くなりましたが、喘息持ちの長男、謙輔が父親のコネで地元郵便局の職を得て夫婦で身を寄せ、三男はシベリア抑留に取られて帰らずその妻と子供2人も同居、その次にやってきたのが病死した次男良輔の妻で主人公の悦子でした。
長男の謙輔夫妻は教養豊かなインテリで2人で文学や哲学を論じるような浮世離れした夫婦ですが、父親に養ってもらってもそれがごく当たり前のような振る舞い。夏目漱石の小説にもいわゆる当時の有閑階級がよく出てきますが、資産家で働かないというのは特に恥じ入ることもなかったようです。また女性も働かないでうちにいるのが普通で、谷崎潤一郎の「細雪」でも、働くという末娘に姉が「あんたがそんな職業婦人みたいなことせんでも」と言わせています。そういう背景を理解して読むと、さらにわかりやすいと思います。
映画作品では詳細に描かれなかった悦子の夫、良輔の浮気のひどさや、腸チフスにかかった後の闘病とつきっきりで看病する悦子の様子が壮絶で、その後、良輔が亡くなってしまった時、すでに悦子の心は無感覚に擦り切れていたのではないでしょうか。弥吉の元に身を寄せてからの彼女の無気力さとその倦怠ぶり、強く抵抗することもなく弥吉のめかけのようになってしまったことにそれが表われているのでは・・。悦子の年齢は特に書いてありませんが、せいぜい30歳前後でしょう。現代の目から見たら、再婚するなり仕事をして自立することもできるだろうと思いますが、時代と女性をめぐる社会の状況のせいで、なかなかそれもむずかしいことだったのかもしれません。
老人のものにされている日常で、彼女が惹かれたのは素朴で健康的な園丁の青年でした。当時はまだはっきりとした身分の違いという感覚があり、年下の使用人にひきつけられることに抵抗を感じながら否定できない悦子。そこから事態はまっすぐ悲劇に向かって突き進んでいきます。ネタばれするといけないのであまり書けませんが・・・。
自分は女性ですが、悦子が最後、なぜこのような行動に出たのか、その心理は充分理解できる気がしました。相手の心情や行動を深く推し量り嫉妬に身を焼き懊悩する悦子、三郎の素朴さと軽快さ明朗さを愛したのに、裏返せばそれは人間が軽く考えも浅いということ。すべて自分のひとり相撲であった、傷つけられたプライドとその屈辱感・・。
また、あの後どうなったかも気になりました。弥吉と悦子は何もなかったことにして東京へ行ってしまうのか、それとも・・?
25歳の男性である三島が、未亡人になった女性の心理をここまで描けたのはすごいと思います。最初から最後まで格調高さと緊迫感が持続し、だらけることがありません。完成度の高いさすが三島という作品です。
2020年3月22日に日本でレビュー済み
三島氏らしい嫉妬と執着の恋愛小説です。三島氏の恋愛小説はテンポも早く面白い物が多いですが、こちらは三島氏らしく、人の色々な側面を描き切った内容になっています。
2021年4月10日に日本でレビュー済み
長くはない作品ですが、読んでいる間中少し退屈しました。主人公の心理があまりにも屈折しすぎていてついていけません、結末は衝撃的で「ああそうきたか」という感じです。あまりお勧めできません。
2018年7月25日に日本でレビュー済み
彼女、悦子は『支配欲』によって愛を、幸福を覚える人間なのではないか。
夫は悦子を愛してはいなかった。しかしその夫が、病に伏し、余命幾ばくもなくなったことで、夫は悦子なしでは生きられなくなった。
このとき初めて夫は、悦子のものとなったのだ。
しかし、なったといっても、所有物になったわけではない。
夫は病に伏せながらも、その心はやはり愛人に向かい、悦子には向いてはいなかった。
でもそれでいい。たとえ夫の心が愛人に向かっても、その夫は悦子なしでは生きられない、
まさに悦子の支配によって生かされている。彼女はここに愛を、幸福を感じる女なのだ。
やがて、夫が亡くなると、悦子は義父の家で働く三郎に恋する。
悦子はどうにかして三郎を振り向かせようとする。
困難を乗り越え、ついに三郎は悦子のもの、つまり支配のもとに置かれたのだった。
ところが、そこから一転、三郎は支配下から逃れ、悦子を押し倒し、彼女の所有物になろうとしたのである。
それは要するに、悦子の独占物になろうということだ。
だが、悦子の愛、幸福はあくまでも『独占欲』からではなく、『支配欲』からくるものなのだ。
本来は、これは一心同体のはずなのだが、悦子にとってはあくまで『独占欲』と『支配欲』はべつであり、
『支配欲』によって幸福を感じる、つまり、愛を感じる。
支配下に置かれた三郎が、すぐさま悦子の独占物になろうとした途端、そこに愛を感じない彼女は、拒絶する。
ましてや心から愛していた男だけに、その拒絶は激しい。
だからこその殺害に至るまでの結末に至ったのではないか。
夫は悦子を愛してはいなかった。しかしその夫が、病に伏し、余命幾ばくもなくなったことで、夫は悦子なしでは生きられなくなった。
このとき初めて夫は、悦子のものとなったのだ。
しかし、なったといっても、所有物になったわけではない。
夫は病に伏せながらも、その心はやはり愛人に向かい、悦子には向いてはいなかった。
でもそれでいい。たとえ夫の心が愛人に向かっても、その夫は悦子なしでは生きられない、
まさに悦子の支配によって生かされている。彼女はここに愛を、幸福を感じる女なのだ。
やがて、夫が亡くなると、悦子は義父の家で働く三郎に恋する。
悦子はどうにかして三郎を振り向かせようとする。
困難を乗り越え、ついに三郎は悦子のもの、つまり支配のもとに置かれたのだった。
ところが、そこから一転、三郎は支配下から逃れ、悦子を押し倒し、彼女の所有物になろうとしたのである。
それは要するに、悦子の独占物になろうということだ。
だが、悦子の愛、幸福はあくまでも『独占欲』からではなく、『支配欲』からくるものなのだ。
本来は、これは一心同体のはずなのだが、悦子にとってはあくまで『独占欲』と『支配欲』はべつであり、
『支配欲』によって幸福を感じる、つまり、愛を感じる。
支配下に置かれた三郎が、すぐさま悦子の独占物になろうとした途端、そこに愛を感じない彼女は、拒絶する。
ましてや心から愛していた男だけに、その拒絶は激しい。
だからこその殺害に至るまでの結末に至ったのではないか。
2017年8月6日に日本でレビュー済み
冒頭から格調が高い名文でヒロイン悦子の心理を緻密に描写。恐ろしい程の緊張感で、この不幸な女性が自ら更なる不幸を求めて破滅してゆく様を貪るように読んだ。
舞台は都会から離れた田舎屋敷で、年老いた実業家の老富豪が数少ない親族を引き連れて隠棲している演劇的な空間。まるで本格ミステリみたいな設定だが、必要十分な最低限の登場人物の中で濃密な心理的葛藤が描かれ、完成度が非常に高い。筋だけを追うと不可解で狂気しか感じられない悦子の行動が、手に取るようにわかる。彼女が義父の愛人となって抱かれ、公然の恋仲となった若い園丁に罪の告白をした挙げ句殺害してしまうのも、全ては必然だったのだ。
間違いなく、逆説的な幸福を描いた完成度の高い傑作である。
舞台は都会から離れた田舎屋敷で、年老いた実業家の老富豪が数少ない親族を引き連れて隠棲している演劇的な空間。まるで本格ミステリみたいな設定だが、必要十分な最低限の登場人物の中で濃密な心理的葛藤が描かれ、完成度が非常に高い。筋だけを追うと不可解で狂気しか感じられない悦子の行動が、手に取るようにわかる。彼女が義父の愛人となって抱かれ、公然の恋仲となった若い園丁に罪の告白をした挙げ句殺害してしまうのも、全ては必然だったのだ。
間違いなく、逆説的な幸福を描いた完成度の高い傑作である。