近江葬儀という事件は有名な事件のようだが、あまりその経緯等は知らなかったので、勉強してみようという気持ちで読んだ。
この中で駒沢という人物 いわば古いタイプの経営者像が凝縮しているのだが、既に彼の経営方式は過去のものになりつつある。
その認識はまったくなく 彼自身が自分流のやり方に対する懐疑や反省は一切なくつきすすんでいるところが、興味深い、
むしろ 自分自身の善意をひたすら信じていることが、一種の滑稽さと悲劇性を帯びている。
岡野はハイデガーの哲学に傾倒しているという設定だが それがこの物語にどのように影響を与えているの知不足のためか 少しわからない。
本の裏表紙に「日本的心情と西欧的知性も闘い…」という表現があったが、これがこの作品のテーマだろうか?
作者が「明察」というコトバで何を表現しようとしたのか いまひとつわかわらない・・・。
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絹と明察 (新潮文庫) 文庫 – 1987/9/25
三島 由紀夫
(著)
駒沢紡績の社長駒沢善次郎は、自分を〈父〉とし従業員たちを〈子〉とみなす家族主義的経営によって、零細な会社を一躍大企業に成長させた。しかし、彼の外遊中に、ハイデッガーを奉ずる政財界の黒幕岡野の画策によってストライキが決行され、三カ月間の争議の後、会社は組合側に屈する――。近江絹糸の労働争議に題材をとり、日本的心情と西欧的知性の闘いを描いた長編小説。
- 本の長さ312ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1987/9/25
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101050376
- ISBN-13978-4101050379
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1987/9/25)
- 発売日 : 1987/9/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 312ページ
- ISBN-10 : 4101050376
- ISBN-13 : 978-4101050379
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 501,854位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威。
1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。
主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年5月4日に日本でレビュー済み
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2012年1月25日に日本でレビュー済み
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陶酔ともとれる完全な自己肯定型経営者の駒沢。
実際にあった事件が元ネタということもあり、
岡野と称し、三島が視て分析したかのような小説です。
圧巻は十章です。
人間行動の観察眼は凄ましいです。
心情を読んだり、謀ったり…
三島の小説の中でいったら『奔馬』と並ぶ位の読み応えのある一冊でした。
父とは?経営者とは?
庶民に権利が与えられた世界ではリーダーは不要なのか?
リーダー不在が久しい日本では今読むべき一冊なのかもしれません。
実際にあった事件が元ネタということもあり、
岡野と称し、三島が視て分析したかのような小説です。
圧巻は十章です。
人間行動の観察眼は凄ましいです。
心情を読んだり、謀ったり…
三島の小説の中でいったら『奔馬』と並ぶ位の読み応えのある一冊でした。
父とは?経営者とは?
庶民に権利が与えられた世界ではリーダーは不要なのか?
リーダー不在が久しい日本では今読むべき一冊なのかもしれません。
2016年7月16日に日本でレビュー済み
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3か月以上に及ぶ1954年に起きた近江絹糸の労働争議を扱ったモデル小説。
社長の駒沢は従業員を娘、息子と慕い家族主義的な経営をしてきた。
しかしそれは社長の勝手な思い込みで独身寮へ配達される信書を寮母に開封させるなどスパイ紛いの情報を得ていた。
従業員の工場改善話を聞いた途端、その従業員を左遷させるなどこれも教育の一環と考えていた。
そんな労働者が組合結成に立ち上がるが、家族意識の従業員には話せばわかると安易な考えでいる。
やがて社長は従業員は本当の家族付き合いをしていないことに気付く。
三島作品は初めて読んだ。
古い作品だが人、景色、物の見方表現が素晴らしく、現代文学とは明らかに違う点に驚いた。
一般文学通算1688作品目の感想。2016/07/16 09:40
社長の駒沢は従業員を娘、息子と慕い家族主義的な経営をしてきた。
しかしそれは社長の勝手な思い込みで独身寮へ配達される信書を寮母に開封させるなどスパイ紛いの情報を得ていた。
従業員の工場改善話を聞いた途端、その従業員を左遷させるなどこれも教育の一環と考えていた。
そんな労働者が組合結成に立ち上がるが、家族意識の従業員には話せばわかると安易な考えでいる。
やがて社長は従業員は本当の家族付き合いをしていないことに気付く。
三島作品は初めて読んだ。
古い作品だが人、景色、物の見方表現が素晴らしく、現代文学とは明らかに違う点に驚いた。
一般文学通算1688作品目の感想。2016/07/16 09:40
2007年12月13日に日本でレビュー済み
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滋賀県彦根市の紡績会社で、1950年代に実際に起こった労働争議をモデルに書いた話。本作はその10年後に書かれた。フィクションではあるが、当時の高圧的な会社経営者(手紙の検閲など、違法かつ現代の感覚からは異常な管理さえあったようだ)と、その横暴に反発する若い労働者の話には、なかなかリアリティがある。三島は、当時の労働組合のリーダーに会って取材している(07年11月24日付の日経の夕刊に載っていた)。私は読了後にこの事件について調べたが、事情を知るとよりいっそう面白い。但し、三島の作品らしく、爽快な結末とは行かない。
争議場面を読むときのバックミュージックには、The Clashのファーストアルバムを勧める。特に”White Riot”がいい。
争議場面を読むときのバックミュージックには、The Clashのファーストアルバムを勧める。特に”White Riot”がいい。
2008年12月21日に日本でレビュー済み
三島由紀夫は「金閣寺」「潮騒」「仮面の告白」などであまりにも有名だ。
数ある三島作品では、どちらかというとエロティックな小説が多い。
しかし、この「絹と明察」は労働争議を基に書かれていてそれらの三島作品とは違い社会的小説となっている。
三島作品を読んでいる人にはおすすめの一冊だ。
数ある三島作品では、どちらかというとエロティックな小説が多い。
しかし、この「絹と明察」は労働争議を基に書かれていてそれらの三島作品とは違い社会的小説となっている。
三島作品を読んでいる人にはおすすめの一冊だ。
2020年12月1日に日本でレビュー済み
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出版されたときに単行本を購入しましたが、再度読みたくなり文庫本を購入しました。
2013年3月17日に日本でレビュー済み
労働争議を題材としたガチガチの社会派小説と思いきや、単なる勧善懲悪モノに堕することもなく、ひたすら登場人物の心理的駆け引きの醍醐味を堪能できる作品。
あらすじはamazonの内容紹介通りだが、少なくとも主人公の内面では、決してあらすじと同様の結末には到っていないところに、この作品の奥深さが感じられる。
作者の心理分析は相変わらず緻密で、深層心理のとば口にまで達した世界を巧みに言語化するその手腕は唯一無二といっていい。
反面、やり過ぎの感も否めず、特に今回は三島由紀夫その人の重層的な人格が登場人物にまで混入してしまい、彼らが皆(多少なりとも)ひねくれ者に見えてしまったのがやや残念なところ。
例によって変な人(今回は社長夫人)が登場するわけだが、その人にも明晰な心理描写が施され、偏屈ながらも不思議と説得力と存在感を持たせてしまうところがまた凄い。
主要人物の芸者が、性格は一本気なのに言動はおもいっきし風見鶏という、訳の分からぬ人物に仕上がっているが、これによって却って主人公による弄ばれぶりが強調されており、これはこれで作者の計算ずくなのかもしれない。
泥臭い題材のためか、金閣寺や春の雪などで頻出する審美的な表現は控えめだが、恒例の修辞はいつも以上に冴え渡り、三島文学の魅力が遺憾なく発揮された力作だと思います。
あらすじはamazonの内容紹介通りだが、少なくとも主人公の内面では、決してあらすじと同様の結末には到っていないところに、この作品の奥深さが感じられる。
作者の心理分析は相変わらず緻密で、深層心理のとば口にまで達した世界を巧みに言語化するその手腕は唯一無二といっていい。
反面、やり過ぎの感も否めず、特に今回は三島由紀夫その人の重層的な人格が登場人物にまで混入してしまい、彼らが皆(多少なりとも)ひねくれ者に見えてしまったのがやや残念なところ。
例によって変な人(今回は社長夫人)が登場するわけだが、その人にも明晰な心理描写が施され、偏屈ながらも不思議と説得力と存在感を持たせてしまうところがまた凄い。
主要人物の芸者が、性格は一本気なのに言動はおもいっきし風見鶏という、訳の分からぬ人物に仕上がっているが、これによって却って主人公による弄ばれぶりが強調されており、これはこれで作者の計算ずくなのかもしれない。
泥臭い題材のためか、金閣寺や春の雪などで頻出する審美的な表現は控えめだが、恒例の修辞はいつも以上に冴え渡り、三島文学の魅力が遺憾なく発揮された力作だと思います。
2016年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ちょっと違った角度からの切り口でスタートしましょうか。これまで近江を題材にした小説や作品はできるだけ読むようにしていたのですが、この作品にはちょっと前まで気が付きませんでした。それにどういうわけでしょうか、白洲正子の「近江本」は別としても、井上靖の
星と祭 (角川文庫 い 5-4)
は今もそれなりの命を保っているようですが、名作ともいうべき芝木好子の
群青の湖(うみ) (講談社文庫)
は今や完璧に忘れ去られているようです。近江八幡、長命寺、湖西そして湖北の菅浦という滋賀オンパレードのこの名作がなぜ忘れ去られたのかは不思議な謎ですが、滋賀の観光パンフレットにも一切登場しないようです。ひねくれた想像をさせていただくと、「絹と明察」をも含めたこの種の作品は地元ではもはや存在しなかったものとして忘れさられているのかもしれません。
さてこの作品の舞台は彦根なのです。昔は大津と滋賀の覇権を争った有名なお城の町ですが、独特の個性を持った町です。そして具体的な場はその彦根にある紡績工場なのです。そこで繰り広げられる経営者と従業員の間での今では想像もつかない出来事を契機としての対立と争議こそがこの作品の舞台なのです、ここまで舞台が用意された作品なのですが、その出来上がりは悲しいものです。たしかに取材の跡は様々な部分に現れており、重要な部分で効果的に使われています。
ただ読後感として残るのは、現実感のない図式が曖昧に提示されたままで、時折heideggerやhelderlinなどの名前がちりばめられるのですが、この作品との内的な関連性は断片的にその題材が生で提示されるだけです。おそらくモデル小説なのでしょうが、私の知識不足でしょうが、本書でのかき回し役でもある「岡野」という存在や「聖戦哲学研究所」も本書の中での位置付けはいまいちわかりにくいものです。そして「村川」という存在もそのいやらしさを別として、作品における存在感は希薄です。それとも戦前への回帰という可能性が現実感を持った1953年という時代のリアリティがはるか遠くへ消え去ってしまった1964年に執筆されたという時代のせいなのでしょうか。
このような特徴に、三島の独特の文体と言葉の選択が組み合わされると、そこに出来上がった作品は何とも言えない「人工的な造形物」との印象がぬぐえないません。おそらくこの作品との相性が三島の作品との相性示すバロメーターなのかもしれません。ここから先は読者の好みの違いが大きく影響するでしょう。この作品、もう一度時間を経て読むかもしれないな。
さてこの作品の舞台は彦根なのです。昔は大津と滋賀の覇権を争った有名なお城の町ですが、独特の個性を持った町です。そして具体的な場はその彦根にある紡績工場なのです。そこで繰り広げられる経営者と従業員の間での今では想像もつかない出来事を契機としての対立と争議こそがこの作品の舞台なのです、ここまで舞台が用意された作品なのですが、その出来上がりは悲しいものです。たしかに取材の跡は様々な部分に現れており、重要な部分で効果的に使われています。
ただ読後感として残るのは、現実感のない図式が曖昧に提示されたままで、時折heideggerやhelderlinなどの名前がちりばめられるのですが、この作品との内的な関連性は断片的にその題材が生で提示されるだけです。おそらくモデル小説なのでしょうが、私の知識不足でしょうが、本書でのかき回し役でもある「岡野」という存在や「聖戦哲学研究所」も本書の中での位置付けはいまいちわかりにくいものです。そして「村川」という存在もそのいやらしさを別として、作品における存在感は希薄です。それとも戦前への回帰という可能性が現実感を持った1953年という時代のリアリティがはるか遠くへ消え去ってしまった1964年に執筆されたという時代のせいなのでしょうか。
このような特徴に、三島の独特の文体と言葉の選択が組み合わされると、そこに出来上がった作品は何とも言えない「人工的な造形物」との印象がぬぐえないません。おそらくこの作品との相性が三島の作品との相性示すバロメーターなのかもしれません。ここから先は読者の好みの違いが大きく影響するでしょう。この作品、もう一度時間を経て読むかもしれないな。