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永遠の都〈1〉夏の海辺 (新潮文庫) 文庫 – 1997/4/25

4.0 5つ星のうち4.0 29個の評価

本書は、著者のライフワークである『岐路』『小暗い森』『炎都』の三部作を『永遠の都』という総タイトルで刊行する文庫版(全七巻)です。元海軍軍医の時田利平は、大正2年、三田綱町に開業。外科医の名声と妻菊江の実務で、時田病院は驚異的に拡張している。昭和10年、利平の長女で3人の男児の母親の初江は一高生の甥と密通し、次女夏江は陸軍中尉・脇敬助との結婚を諦めた……。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (1997/4/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1997/4/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 407ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4101067074
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4101067070
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 29個の評価

著者について

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加賀 乙彦
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上位レビュー、対象国: 日本

2018年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は
加賀乙彦氏(1929-)による
自伝的長編『永遠の都』
新潮文庫版全7巻の第1巻です。

『永遠の都』は8つの章から成ります。
第一章 夏の海辺(16)
第二章 岐路(15)
第三章 小暗い森(12)
第四章 涙の谷(25)
第五章 迷宮(21)
第六章 炎都(19)
第七章 異郷(9)
第八章 雨の冥府(11)
章題の後のカッコ内の数字は
節数を表しています。
章の長さの目安になると思われるので
私が付け足しました。

時代背景としては
1935(昭和11)年の夏から
1947(昭和22)年5月頃までを
描きます。
大きな歴史的出来事を挙げますと
1905(明治38)年 日本海海戦(日露戦争)
1931(昭和6)年 満州事変
1932(昭和7)年 5.15事件
1933(昭和8)年 国際連盟脱退
1936(昭和11)年 2.26事件
1937(昭和12)年 支那事変(日中戦争)
1940(昭和15)年 紀元2600年祝典
1941(昭和16)年 日米開戦
1945(昭和20)年 東京大空襲
          広島・長崎原爆投下
          ソ連参戦
          敗戦
1946(昭和21)年 新憲法公布
1947(昭和22)年 新憲法施行
などとなります。これらのうち
1935年より前の出来事については
回想で登場するものです。
例えば
時田利平が日本海海戦をしばしば
回想します。

本書・第1巻にはまるまる第1章が
収められています。
既に満州事変が勃発していて
5.15事件も起きたあとの時代です。
本書・第2巻が2.26事件の早朝から始まるので
逆に第1巻はその直前までと言えます。

ちなみに
『永遠の都』の続編『雲の都』は
1952年2月の冬の日に始まり
「血のメーデー」を詳細に記述すること
から始まります。
2001年9月11日の米国・同時多発テロが
最後に書き込まれた歴史的背景です。

『永遠の都』『雲の都』を通じて
ナラティブ narrative という手法が
様々な形で駆使されています。
ナラティブとは
「一人称による語り」のことです。
会話・語り・回想・手記・手紙・遺書
など形態はいろいろ工夫されていますが
「一人称による語り」
という点では共通しています。
登場人物がそれぞれ
「ぼく」「おれ」「私」などの一人称で
自分の視点から語ることによって
単に三人称でストーリーが語られる場合に
比較すると
小説に立体観が出て
深みと奥行きと陰影が出て来ます。
さらに突き進めると
「物事」「事実」というのは
客観的・絶対的に存在しているわけではなく
観察者の数だけあるという解釈も
可能になるかもしれません。

例えば
短編ですが
芥川龍之介(1892-1927)の
『藪の中』は3つのナラティブによる
典型的な作品と言えるでしょう。
もっとも『藪の中』は
ビアス(1842-1914)の短編
『月明かりの道』の引き写しです。
英語だと一人称単数はすべて「I」なのに対し
一人称が豊富に存在する日本語の方が
ナラティブという手法には
向いていると言えるかもしれません。

『永遠の都』が
自伝的長編小説と呼ばれるときの
「自伝的」とは次の理由からです。
登場人物のうち
小暮悠太は作者と同じ生年月日を
与えられています。
その意味で作者の分身的存在です。
大久保小学校(国民学校)
府立六中(現・新宿高校)
名古屋陸軍幼年学校
旧制・都立高校(七年制)
東京大学医学部などの履歴も
作者をなそっています。
その意味で「自伝的」です。
しかし作者本人が言っているように
「自伝ではなくて
フィクションに重点を置いた小説」
です。
モデルはあくまでモデル
小説はあくまで小説
という基本姿勢を誤らないように
読み進める必要があります。
登場人物の中には
たいへんリアリティー(実在感)があるのに
実際にはモデルが全く存在しなくて
完全な空想の産物である人物もいます。
やはり
小説はあくまで小説です。

上述の通り
小暮悠太は作者の分身的存在ですから
『永遠の都』の主人公と呼んで
間違いではないかもしれませんが
実は『永遠の都』の主人公は
時田利平(小暮悠太の母方の祖父)です。
時田利平は回想の中で
日本海海戦(1905年5月27日ー28日)を
語りますし
最後はモルヒネ中毒になって
時田利平が亡くなるところまでを
『永遠の都』で描いています。
その意味で
『永遠の都』の主人公は時田利平です。

ヒロイン(女性の主人公)は
小暮初江(時田利平の長女・小暮悠太の母)
がふさわしいと思われます。
その理由は
本書・第1巻をお読みになっていただければ
一目瞭然(一読瞭然?)かと存じます。
第4章 涙の谷
はその軸上でのクライマックスかもしれません。
もうひとり
準ヒロインを挙げるならば
時田夏江(初江の妹)になるでしょう。
父親の言いつけ通りに結婚しますが
結局、離婚。
再婚するけれど
娘・火之子の父親はまた別‥という
ある意味、初江よりも外形的には
波乱万丈の人生を送りますが
「ぶれない」「究極」「一貫」という点で
ヒロインはやはり初江がふさわしいでしょう。

この「初江と夏江の姉妹」のように
2人をセットとして描く手法は
「源氏物語のまね」
と作者自身が述べています。
「脇敬助と晋助」の対極的な兄弟の記述も
同様です。
また
ノモンハンの戦場の直接的な記述は
ありませんが
「脇敬助と菊池透」という対比も
ある意味、源氏物語的ペア
(数学の概念なら dual 双対的)
と申せましょう。
陸幼・陸士の職業軍人と
帝大出の「主義者」「クリスチャン」
将校と一兵卒(召集)
肉体壮健と傷痍軍人
という対比が明瞭です。

北杜夫(1927-2011)が
『楡家の人びと』(1964)を書いたとき
念頭に置いていたのは
トーマス・マン(1875-1955)の
『ブッデンブローグ家の人々』(1901)
であったろうと思われます。

作者が『永遠の都』を書き始めたとき
念頭にあったのは
トルストイ(1828-1910)
『戦争と平和』(1864-1869)
ではないかと思われます。
その意味で
『永遠の都』『雲の都』は
作者による『戦争と平和』だと
標語的に言えるかもしれません。

『戦争と平和』は別にして
『永遠の都』を執筆する上で
影響を受けたのが
前述の『源氏物語』と
意外なところで
カール・マルクス(1818-1883)の
『資本論』であると
作者自身が言及しています。
キリスト教徒でなければ書けない記述を
『資本論』の中に見出した由です。
詳細は
加賀乙彦氏と岳真也氏の対談
『「永遠の都」は何処に?』(牧野出版社 2017)
をお読みになっていただければ幸いです。
また
『加賀乙彦自伝』(発行:ホーム社 発売:集英社 2013)
も『永遠の都』を読む上で参考になる
かもしれません。
それによりますと
『永遠の都』を書き上げるのに12年
『雲の都』をか書き上げるのに12年
を要した由です。
原稿用紙で申しますと
『永遠の都』が4900枚
『雲の都』が4100枚
合計9000枚の由です。
ちなみに
米川正夫訳『戦争と平和』が
3500枚であるそうです。

「私は『永遠の都』『雲の都』を書くために
作家になったような気がします。」
(上掲『加賀乙彦自伝』P.266 )
というのはまさに作者の「詩と真実」
と思われます。

1935年(昭和10)年から
1947年(昭和22)年という
戦争の時代を
共に生きた方にはもちろん
生まれていないけれど
どういう時代であったのか
知りたい方にも
本書をお勧めいたします。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2002年4月18日に日本でレビュー済み
以前、芹沢光次郎さんの「人間の運命」を読みましたが、同じ長編ながら
こちらの方が、読みやすい。主人公(前半だと思われるが)時田利平の
生活態度(かなり、男尊女卑的)を通して、この時期の人々の生活、親戚
づきあい(昔は親戚づきあいが実に密だった)、東京の環境が実にあざやかに
イメージできます。
実は、全7巻中3巻を読破し、現在4巻目に挑戦中。
22人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年11月1日に日本でレビュー済み
文庫で全7巻2900ページの大長編大河小説である。
昭和10年から昭和22年まで、小暮初江(旧姓・時田)、時田夏江の姉妹とその父である時田利平を中心に全三部で構成され、東京における中産階級(アッパーミドル層)の生活を描いている。
ダンテ『神曲』の『地獄篇』が全体の底流ともいえ(それを典型的に示すのは、第二部のタイトル「小暗い森」である)、また“姦通”が大きな役割を占めている。第三部「炎都」というタイトルは、空襲で燃える東京を示すとともに、姦通という罪を犯した人々への業火という意味合いを持っているような気がしてならない。また、全体の後半では、間島五郎の少し歪んでいるものの力強い精神も印象的である

著者の自伝によると、著者の祖父母・父母や自身(本書では、初江の子・悠太)がモデルで、当然だが部分的にはかなり脚色がされている。さらに、自身の記憶、当時の資料からくみ上げた様々な情報を、小説の中に巧みに組み込み、人々の生活や喜怒哀楽を再現している。本書は著者が洗礼後に書かれているものの、当時の日本人キリスト教徒の問題点、戦後になってもナショナリズムとは無縁ではいられないキリスト教徒などにも目が向けられている。
中心となる人物たちが中産階級であるため、戦後の食糧不足時を除けば、生活の苦労などが色濃く描かれるのごく一部である(夏江がかかわるセツルメントの部分など)。だからこそ、当時の人びとの精神面における様々な側面を浮き彫りにすることに成功している。

単行本版で読んでいたものの、続編でもある『雲の都』を読むために、予習として文庫本で再読した。大部だが、読むのに難渋することもない。長編小説好きには挑戦してもらいたい作品である。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2024年4月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いわゆる長編大河小説を意図していることは、確かです。その為に作者自身の生まれた戦前、特に昭和の10年代とそれ以後を舞台としたのも正しい選択でしょう。西洋の大河小説に見られるように、やはり自身の育ちと体験をテーマとすることが、最も長編小説を書く場合に最も安全で、かつ王道な方法でしょう。それが私小説になってしまったのが、日本の小説の傾向でした。それを避けるためか、兎も角登場人物の心理とその行動についての細部の描写が、クドイと言えるほどにイギリスの作家であるA・ハックスレイの言った「全体的真実」として記述されています。しかし、七冊の文庫本の第一巻を読む限り、それが成功しているかどうかは、これ以後の総てを読んでみないとわかりません。ともすると退屈な感じがしたのは自分だけでしょうか?懸命に書いているのは理解出来るのですが、主人公ともいえる医師時田利平とその長女初江を見る視点と心理と行動の描写が、なんともただそれを追っているだけ、描いているだけとしか感じられないのです。私小説となる様なものを、ただ外から見ているだけと感じるのも自分だけの偏見でしょうか?巻末の大江健三郎氏と作者との対談は最後の7巻を読み終えるまで読まない方が良いと思われます。