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我が愛する詩人の伝記 (新潮文庫 草) 文庫 – 1966/1/1

4.6 5つ星のうち4.6 32個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (1966/1/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1966/1/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 254ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4101103054
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4101103051
  • カスタマーレビュー:
    4.6 5つ星のうち4.6 32個の評価

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室生 犀星
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2021年4月18日に日本でレビュー済み
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軽井沢はじめ著者(犀星)との直接のかかわりの中で11人の詩人たちを作品を紹介しながら語っている。
いずれも著者より先だった文豪ばかりなので、この執筆の中で故人たちを思い出しながら、著者が彼らと語り合っているような気持ちにさせられる。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
室生犀星と親交のあった詩人や文人を回顧する本です。
個人的に折口信夫(釈超空)とのかかわりが知りたくて読みました。
全編を通して、あの詩人や文人はこんな素敵なエピソードがあったのか! と興味深いです。
近代文学ファンにとってとてもいい作品ではないでしょうか。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年9月24日に日本でレビュー済み
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「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・」の詩で知られる室生犀星(1889-1962)は明治の終わりから昭和の半ばにかけて多彩で旺盛な作家活動を展開した。だがその本質はあくまで詩の真髄を追い求める詩人であった。この本は彼が詩作を通じて出会い、そして彼よりも先に死んでいった11人の詩人の回想記である。昭和33年、婦人公論に連載された。
 北原白秋、萩原朔太郎、高村光太郎、釈迢空(折口信夫)、島崎藤村、堀辰雄、立原道造、津村信夫、山村暮鳥、百田宗治、千家元麿。有名、無名さまざまな詩人たちの風貌を犀星は心に浮かぶままの闊達自在な筆で描き出す。才能があり、書くことには強かったが報われることの少なかったかれら。忘れがたい数々の詩を残し、「正直な、玲瓏とした生涯を送って逝った」かれら。犀星の眼差しはとりわけこうした詩人たちに向けられて暖かく哀しい。
「詩人は早く死んではならない。何が何でも生き抜いて書いていなければならない」とは先立った同士を惜しむ彼の言葉だ。
 この伝記は犀星が晩年に書き上げたみごとな長編悼詩である。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年1月17日に日本でレビュー済み
三人の詩人の伝記の本
萩原朔太郎。北原白秋。室生犀星の伝記  
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2008年12月4日に日本でレビュー済み
「我が愛する詩人」といっても、犀星は本書に登場するすべての詩人を愛することができたわけではない(愛そうとはしたかもしれないが)。そして当然のことながら、彼が心の底で憎んでいた相手ほど、(表現はやわらかくとも)怜悧な思考でするどく切り刻んでいく。もちろんそこには犀星自身の劣等感が存在していることを彼自身よく自覚していた。なんと切なく、そして美しい本だろう。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年7月24日に日本でレビュー済み
室生犀星と交流のあった詩人たち、たとえば立原道造、堀辰雄、津村信夫などとの心温まる交流を描いている。かつて日本にもこんな心美しい人たちが存在したのだと思うと、救われるような気がした。現代の日本なら、こんな人たちは一日も生き延びられないだろう。食うものと食われるものという図式が成り立つ現代社会で、繊細すぎるもの弱過ぎるものはどんどん弾きとばされていく。子供のときから醜い現実に遭遇せざるをえないのだ。経済的利潤を追い求めるあまり、日本は一番大切なものを失ってしまった。つくづくそう思う。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年7月6日に日本でレビュー済み
 小説家室生犀星が描いた鎮魂歌。
 彼も元来、詩人であったがゆえに親交の深かった詩人たちの肖像を小説家として描ききった作品であり、生き長らえた者として、先立った友人への愛惜を込めた物語でもある。
 幾人かの詩人が描かれているが、秀逸なのは「立原道造」だろう。
 
 「立原道造の思い出というものは、極めて愉しい。」
 犀星が言うように、彼を慕って、軽井沢の家にやってくる立原との親交は、犀星の若さへの羨望にも彩られ、眩いばかりであるようだ。
 犀星が仕事をしている間、庭のベンチに腰掛けて、長い脚をきちんと揃えて、麗らかな陽の光を浴びながら居眠りをしている立原。
 彼の夢見ているのは、かれの詩が、穏やかな昼下がりに、ラジオから音楽を添えて流れてくるのを、人々が聞いてくれること。
 詩人の夢は、その死後叶うが、その死を見取った犀星は、生業として小説を書いている自分とは別に、立原に無言で寄り添う詩人としての自身の魂が見えていたのかもしれない。
 現在、東京大学に近い暗闇坂の中程に、立原道造記念館が建っている。そこを訪ねる人は、立原愛用の背広が以外に小さいのに驚くだろうか。かれの肉体はそこにはないが、少なくとも一度ぐらいは夢見たとしても、良いのではないか。

 彼と同じ詩人の夢を。
 
 
 
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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