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廃市・飛ぶ男 (新潮文庫 草 115-3) 文庫 – 1971/6/1

4.0 5つ星のうち4.0 19個の評価

誇り高い姉と、快活な妹。いま、この二人の女性の前に横たわっているのは、一人の青年の棺。美しい姉妹に愛されていながら、彼はなぜ死なねばならなかったのか……? 夏雲砕ける水郷に茜の蜻蛉の舞い立つとき、ひとの心をよぎる孤独と悔恨の影を、清冽な抒情に写した秀作「廃市」。ほかに「飛ぶ男」「樹」「風花」「退屈な少年」「影の部分」「未来都市」「夜の寂しい顔」の7編を併録。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (1971/6/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1971/6/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 331ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4101115036
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4101115030
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 19個の評価

著者について

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福永 武彦
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2016年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学生時代、文学を勉強していたので懐かしかったです。まだすべて読んでいませんが、一節を読んでいい本だと思いました。
2015年7月23日に日本でレビュー済み
廃市は、古きよき日本の風情を感じさせてくれる短編です。しかし、それらは、すべて移ろうものである。
2006年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 大林宣彦の映画「廃市」は 彼の映画の中でも指折りの傑作である。柳川を舞台とした小品映画ながら 濃密な作品である。柳川の風物を美しく撮影しているので これを見ると柳川へ行きたくなる。小生も20年前の夏に寝袋を担いで出かけたものだ。バス停のベンチは寝ていても固いし 蚊が多いのには閉口した。

 映画の原作である本書を読むことはごく自然な流れである。大林が愛読しているという福永武彦の短編「廃市」は 正しく映画「廃市」の原作であった。というよりは 映画が原作に忠実だったという方がフェアーであろう。

 福永は舞台を柳川とは特定していない。しかし 巻頭においた北原白秋の「さながら水の上に浮いた灰色の棺である」という白秋の郷里柳川を評した言葉からみて 柳川を実質的な舞台としている点は間違いない。「廃市」という享楽的で退廃的な街を実にロマネスクに描き出している。そこを舞台として繰り広げられる人間達の滅んでいく様は しかし 実に美しい。一体 滅びに美学を感じる傾向は日本人には比較的強いと思っているが 本作は正しくその好例である。

 プロジェクトXという番組があった。精力的な人間達の感動的なドラマであった。その一方で 滅んでいく人間達の姿も美しいものがある。我々も常にマッチョを目指すべきではないのかもしれない。「人生の味わい」という言葉を本作に充てるなら その味は苦味を含んだほのかな甘みにある。日本人ほど「甘み」という食感を上手に使う国民はいないと思う。「この魚には甘みがある」と良く寿司屋で聞く。英語に訳しようがない。

 そんな味わいがある。傑作である。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
欲しかった本なので手に入れられたのは嬉しかったが、状態のあまりの悪さにがっかりした。
2015年4月4日に日本でレビュー済み
埼玉県幸手市の権現堂堤を、またまた訪れてしまいました。中川沿いの堤のソメイヨシノ並木の桜色と、堤下の絨毯を敷き詰めたようなナノハナの黄色との絶妙なコントラストに、女房もうっとりしています。ナノハナ特有の匂いがプンプンしています。因みに、本日の歩数は20,409でした。

閑話休題、福永武彦の小説を読み返したくなって、書斎の書棚から『廃市・飛ぶ男』(福永武彦著、新潮文庫。出版元品切れだが、amazonで入手可能)を取り出してきました。

短篇『廃市(はいし)』は、いかにも福永らしい恋愛小説です。卒業論文を書くために「廃墟のような寂しさのある、ひっそりした田舎の町」にやってきた大学生の「僕」の一夏の経験が描かれています。

「町のほぼ中央に大河(おおかわ)が流れ、それと平行して小さ川と呼ばれる川が流れ、その両方の間を小さな掘割が通じていて、それらの人工的な運河は町を幾つにも区切っていた」。

僕が滞在したのは、その町の旧家でした。「大きな家だったので雇われている女中たちも幾人かいたが、僕の世話をするのは安子さんの役目になっていた。それは二十歳そこそこの快活な娘で、この陰気な家には不似合なほど若さを蒔き散らしていた。彼女は僕の勉強中にもとんとんと軽い跫音を立てて階段を昇って来ると、まず、お邪魔かしら、と訊き、それから用意して来たお茶の道具や果物などを机の上に置いた」。

やがて、僕は安子の姉・郁代と、その夫・直之に出会うのですが、なぜか郁代は近くの寺に籠もり、直之は別宅で秀という女と暮らしているのです。郁代は「安子さんとそっくりに似ていながら、もっと憂い顔でそのために如何にもお姉さんらしく見えたが、実際にはそんなに年が違ってはいなかっただろう。安子さんよりも細面で、どんな人をも思わず振り向かせるような美しさ、それも悲劇的な感じのする古風な美しさがあった。お辞儀一つでも安子さんよりももっと静かでしとやかだった」。

「僕の考えていたのは不幸な夫婦のことだった。由緒ある旧家の若主人は別の女と暮している、美しい妻は寺の中に引籠ってしまう、そして妹ひとりが間に立って心を砕きながら、祖母の世話をして旧家を守っている。それは如何にもありふれた家庭悲劇のように見えたから、僕は後になるまで、この別居生活の隠された意味が何であるかを、そしてそれが真の悲劇にまで発展する可能性を持っていたことを、少しも暁(さと)ることが出来なかったのだ」。実際、この後、起こった事件は意外なものであり、その真相はさらに衝撃的なものだったのです。

やはり、福永の恋愛小説はいいなあ。愛とは何か、愛するとはどういうことかを考えさせられてしまいました。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年5月10日に日本でレビュー済み
 福岡県の柳川を舞台にした「廃市」が収録されている一冊。高校時代に何度も読み返した本だ。

 柳川は、今なお一帯を掘割の水に囲まれた、不思議な都市。北原白秋の故郷でもある。

 夏休みを柳川で、過ごした主人公が、東京に戻る、そのときになって、自分にとって、この夏、もっとも大切な人が誰だったのか。それを知る瞬間が、小説の結末になっている。

 もっと、早く告白していれば。もっと強く思っていたら。もっと早く行動を起こしていたら。福永作品で描かれる主人公たちは、誰もが内省的で、思いつめている。

 鉄道が最大の移動手段であり、携帯電話はもちろん、固定電話さえ、身近でなかった、この時代の時間の重み。刻むようなような時の流れととともに、今、読み返しても、大切な夏の記憶が、まるで自分自身の身の上に起きたことのように、描き出される。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年1月22日に日本でレビュー済み
本屋で「草の花」が平積みになっていて驚いた。最近、書評でよく取り上げられているそうな。けれど、わたしは、福永作品で、文庫化されているものでは、断然、この本が好きだ。福永武彦は、長編より短編のほうがうまいのではないかと思う。とくに「夜の寂しい顔」の幻想的な作風が好きだ。福永武彦という人は、本当に孤独を美しく描く。

一時期、福永武彦を卒論のテーマにしようと、全集を読みふけったが、とにかくもう、みんな孤独だ。騒ぎ立てる孤独ではなく、みんな静かに寂しさを抱えて、とぼとぼと道を歩いていく。

この調子で、他の作品も文庫化してほしい。「韃靼」とか。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年1月28日に日本でレビュー済み
1959年と1960年の作品集から編まれた本書は八つの中短編から構成されている。作品はバリエーションに富んでいるため、福永武彦の作品に初めて触れる読者は混乱するかもしれない。
 自分の印象で言えば、表題作「廃市」にあるような愛情の物語を書く作家が福永武彦の印象であり、もう一方の表題作であるような「飛ぶ男」や収録作品の「未来都市」のような前衛的な作品ではなかった。
 しかし、文庫本でわずか50ページ程度の作品である「廃市」を繰り返し再読して、はたと気づいた。もし主人公達に違う未来があったとしたら、「未来都市」の結末が一つの解だったのではないだろうか。つまり福永の作品は表現が違っても、同じテーマを繰り返し扱っていると言うことなのではないだろうか。
 ともあれ「廃市」は一読に値する。私には作家の美意識の結晶に思える作品だ。
20人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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