無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
魚影の群れ (新潮文庫 草 117-15-O) 文庫 – 1983/7/1
吉村 昭
(著)
- 本の長さ300ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1983/7/1
- ISBN-104101117152
- ISBN-13978-4101117157
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1983/7/1)
- 発売日 : 1983/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 300ページ
- ISBN-10 : 4101117152
- ISBN-13 : 978-4101117157
- Amazon 売れ筋ランキング: - 945,908位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.5つ
5つのうち4.5つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
77グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年11月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
魚影の群れ は、映画化されたこともあり、タイトルだけは知っていたのと、吉村昭氏の短編というので購入した。
どれも動物が介在した話であるが、一番印象に残ったのは最初に掲載されている
「海の鼠」
であった。
戦後間もない宇和海の小島に暮らす人々。生活は貧しく、半農半漁であるが、慎ましい営みであった。
そこに突然ネズミの大群が「海を泳いで」上陸する。
最初は軽微な気配、被害であったが、やがて畑のものも海からの物も、家内の食糧もネズミに食い漁られるようになる。
「ネズミが湧いた」
という言葉そのままに、繁殖を繰り返し、夜ともなると「ネズミを踏みしゃぐ」狂態と化す。
郡役所はのらりくらりの対応だったが、その現実を目の当たりにし、都度都度
「対症療法」のような手を打つが、駆除の効果は上がらない。
人々は諦め、諦めつつ、その島での暮らしを棄てることもない。
が、ついに畑作も漁も放棄し島を離れて生活の資を得る人が増えるに至り、食料の尽きた島からネズミの大群は
「海を泳いで」別の島を目指し去って行った。
ネズミにはネズミの暮らしがあり、駆除のために持ち込まれた猫や蛇にも同様である。
しかしまた、
「ネズミに困惑」する人たちによる「駆除作業」で島の生態系が狂いゆくさまは、読んでいて苦しかった。
人には人の暮らしがある、が、果たしてそれは「正しい」のか。
実に重い内容であった。
どれも動物が介在した話であるが、一番印象に残ったのは最初に掲載されている
「海の鼠」
であった。
戦後間もない宇和海の小島に暮らす人々。生活は貧しく、半農半漁であるが、慎ましい営みであった。
そこに突然ネズミの大群が「海を泳いで」上陸する。
最初は軽微な気配、被害であったが、やがて畑のものも海からの物も、家内の食糧もネズミに食い漁られるようになる。
「ネズミが湧いた」
という言葉そのままに、繁殖を繰り返し、夜ともなると「ネズミを踏みしゃぐ」狂態と化す。
郡役所はのらりくらりの対応だったが、その現実を目の当たりにし、都度都度
「対症療法」のような手を打つが、駆除の効果は上がらない。
人々は諦め、諦めつつ、その島での暮らしを棄てることもない。
が、ついに畑作も漁も放棄し島を離れて生活の資を得る人が増えるに至り、食料の尽きた島からネズミの大群は
「海を泳いで」別の島を目指し去って行った。
ネズミにはネズミの暮らしがあり、駆除のために持ち込まれた猫や蛇にも同様である。
しかしまた、
「ネズミに困惑」する人たちによる「駆除作業」で島の生態系が狂いゆくさまは、読んでいて苦しかった。
人には人の暮らしがある、が、果たしてそれは「正しい」のか。
実に重い内容であった。
2021年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
表題作の他、「海の鼠」、「蝸牛」及び「鵜」の4編から構成される<人間と自然・生き物との対峙>をテーマとした短編集。表題作は映画化もされたので有名だろう。私は綿密な事前取材に基づいたドキュメンタリー・タッチの作者の作品(所謂"記録文学")を愛好しているのだが、本作の作風・テーマはそれとはやや異なる(ちなみに、表題作と「海の鼠」は自選傑作集に選ばれている)。以下では主にその両編について。
中編と言って良い長さの「海の鼠」は、昭和24年のカロリン台風に襲われて多くの漁師を亡くした四国沖の島の漁村の人々の苦衷を"記録"を随所に織り込んで描いた作品。主に台風襲来後を描いており、島人の苦衷の原因は耕作地の少ない島にとって貴重な農作物(後には煮干しも)を食い荒す"海からやって来た鼠"の大群である。まさに「人間vs海鼠」という<対峙>の構図である。鼠の生態に関する作者の描写は精緻を極め、数字的記録と併せて、"記録文学"の趣きを呈している一方、鼠の大群に必死で抵抗する島人の姿はある種の人間ドラマとなっているという構成の妙・作者の筆力が光る秀作。私は鼠、蛆、蛇、鼬などに対する作者の執拗な描写に生理的嫌悪感さえ覚えたが、最終的に、自然現象に人智は及ばないという示唆が如何にも作者らしいと思った。表題作は、津軽海峡を舞台として、同世代の漁師が引退する中、妻に逃げられながらもマグロ漁師を続ける初老の頑固な房次朗を主人公として、その娘の登喜子、彼女の婚約者でマグロ漁師を目指して房次朗への弟子入り志願だが、房次朗からは(妻に加えて登喜子を失う事を恐れて)嫌われている町の男の俊一の3人の人間模様を描いた作品。マグロと<対峙>する漁師の矜持・孤絶及び房次朗と俊一との確執を同時に描いた力作。マグロ漁に関して作者が充分な事前取材を行なった事が窺える。
この他、「蝸牛」は「海の鼠」と似た作風だが、エロティック風味を加味して幻想色を濃く出した佳作。「鵜」は題名通り、<鵜匠>を主人公とした作品だが、<鵜>と共に妻も思い通りにならない様を<鵜飼>という伝統美の中で綴った佳作。<人間と自然・生き物との対峙>をテーマとして、作者の特長の"記録文学"に創作性を加味した傑作短編集だと思った。
中編と言って良い長さの「海の鼠」は、昭和24年のカロリン台風に襲われて多くの漁師を亡くした四国沖の島の漁村の人々の苦衷を"記録"を随所に織り込んで描いた作品。主に台風襲来後を描いており、島人の苦衷の原因は耕作地の少ない島にとって貴重な農作物(後には煮干しも)を食い荒す"海からやって来た鼠"の大群である。まさに「人間vs海鼠」という<対峙>の構図である。鼠の生態に関する作者の描写は精緻を極め、数字的記録と併せて、"記録文学"の趣きを呈している一方、鼠の大群に必死で抵抗する島人の姿はある種の人間ドラマとなっているという構成の妙・作者の筆力が光る秀作。私は鼠、蛆、蛇、鼬などに対する作者の執拗な描写に生理的嫌悪感さえ覚えたが、最終的に、自然現象に人智は及ばないという示唆が如何にも作者らしいと思った。表題作は、津軽海峡を舞台として、同世代の漁師が引退する中、妻に逃げられながらもマグロ漁師を続ける初老の頑固な房次朗を主人公として、その娘の登喜子、彼女の婚約者でマグロ漁師を目指して房次朗への弟子入り志願だが、房次朗からは(妻に加えて登喜子を失う事を恐れて)嫌われている町の男の俊一の3人の人間模様を描いた作品。マグロと<対峙>する漁師の矜持・孤絶及び房次朗と俊一との確執を同時に描いた力作。マグロ漁に関して作者が充分な事前取材を行なった事が窺える。
この他、「蝸牛」は「海の鼠」と似た作風だが、エロティック風味を加味して幻想色を濃く出した佳作。「鵜」は題名通り、<鵜匠>を主人公とした作品だが、<鵜>と共に妻も思い通りにならない様を<鵜飼>という伝統美の中で綴った佳作。<人間と自然・生き物との対峙>をテーマとして、作者の特長の"記録文学"に創作性を加味した傑作短編集だと思った。
2020年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
動物を介して人間と自然との対峙を描いた四篇、海の鼠、蝸牛、鵜、魚影の群れ。いずれも結末、私の浅慮では当たらない。
(海の鼠)いまのコロナの問題に類似している。天敵をワクチン、殺鼠薬物を治療薬と置いても当たるような気がする。何をもってしても人類が意図的に生物種を絶やすことは極めて困難である。絶やすことを意図せず、利用しようという魂胆が見える時、天は動物を引き揚げる。
(魚影の群れ)「かれは漁師として当然のことをしたにすぎず、それがりかいされぬのならやむを得ないと、自分に言いきかせていた。」とは端的に主題を示している。
(海の鼠)いまのコロナの問題に類似している。天敵をワクチン、殺鼠薬物を治療薬と置いても当たるような気がする。何をもってしても人類が意図的に生物種を絶やすことは極めて困難である。絶やすことを意図せず、利用しようという魂胆が見える時、天は動物を引き揚げる。
(魚影の群れ)「かれは漁師として当然のことをしたにすぎず、それがりかいされぬのならやむを得ないと、自分に言いきかせていた。」とは端的に主題を示している。
2002年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
夏目雅子 が出演している映画を探している内、吉村 昭 原作、
相米慎二監督の「魚影の群れ」を探し当てた。貧しい漁村を舞
台にした作品で、純粋に親子の対話、自然との闘いをモチーフ
にした作品だったようだ。映画を見た後、是非とも原作の小説
も見たいと思い、文庫を探し当てて読んでみた。映画では房次
郎と分かれた妻との間のドラマも描かれ、枝葉のストーリーが
付加されたものだったが、小説は一気に読み通す事が出来る
短編作品であった。
小説は吉村氏が、ヘミングウェイの「老人と海」をモチーフにして
執筆したものと私は感じた。”自然との格闘”は、両作品共通の
テーマである。「老人と海」の場合、主役のサンチャゴが、巨大な
カジキマグロとの闘いを終えた後、思いがけないサメの襲来を受け、
獲物を台無しにされてしまうが、その辺りが「宴の後」と言えるもの
悲しさを醸し出している。だが、本作の場合、喜びと悲しみの対比
はなく、終始、沈鬱な雰囲気のまま話は進んでいる。両作を比較
する事はないが、本作には、枚数を増やして、喜怒哀楽を織り交
ぜた作品になって欲しかった。
相米慎二監督の「魚影の群れ」を探し当てた。貧しい漁村を舞
台にした作品で、純粋に親子の対話、自然との闘いをモチーフ
にした作品だったようだ。映画を見た後、是非とも原作の小説
も見たいと思い、文庫を探し当てて読んでみた。映画では房次
郎と分かれた妻との間のドラマも描かれ、枝葉のストーリーが
付加されたものだったが、小説は一気に読み通す事が出来る
短編作品であった。
小説は吉村氏が、ヘミングウェイの「老人と海」をモチーフにして
執筆したものと私は感じた。”自然との格闘”は、両作品共通の
テーマである。「老人と海」の場合、主役のサンチャゴが、巨大な
カジキマグロとの闘いを終えた後、思いがけないサメの襲来を受け、
獲物を台無しにされてしまうが、その辺りが「宴の後」と言えるもの
悲しさを醸し出している。だが、本作の場合、喜びと悲しみの対比
はなく、終始、沈鬱な雰囲気のまま話は進んでいる。両作を比較
する事はないが、本作には、枚数を増やして、喜怒哀楽を織り交
ぜた作品になって欲しかった。
2013年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「海の鼠」では、あまりに情景がくっきりと描写されているので、気持ち悪くなったほど。「魚影の群れ」は映像化されているんですね。見たい!
2014年11月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この秋、函館に行った帰りに大間に立ち寄り、漁港や一本釣り漁船や工事中の原発を見てきました。マグロ漁と原発は似合いません。大間の経済圏は青森より函館に依存しているのですね。
購入した本はとても良かったです。著者の取材力に今更ながら感心しました。
購入した本はとても良かったです。著者の取材力に今更ながら感心しました。
2013年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
個人的に吉村昭の動物小説ファンです
・歴史物
・戦記物
・人物伝
・ノンフィクション
動物への畏怖が伝わってきて吉村昭ファンなら必読です
・歴史物
・戦記物
・人物伝
・ノンフィクション
動物への畏怖が伝わってきて吉村昭ファンなら必読です