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完全な遊戯 (新潮文庫 い 11-11) 文庫 – 2003/8/1
石原 慎太郎
(著)
- 本の長さ338ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2003/8/1
- ISBN-104101119112
- ISBN-13978-4101119113
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2003/8/1)
- 発売日 : 2003/8/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 338ページ
- ISBN-10 : 4101119112
- ISBN-13 : 978-4101119113
- Amazon 売れ筋ランキング: - 485,709位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1932年神戸市生まれ。一橋大学卒。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」で第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 オンリー・イエスタディ (ISBN-13: 978-4344414501 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
倫理的にどうか?絶対に映像化できないと思う。だから文学でしか表現できない。石原慎太郎氏は類いまれな作家だと思う。
2023年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前から読みたくてもなかなか手に入らなかったので、大変嬉しく思います。
2016年9月25日に日本でレビュー済み
文化の崩壊を書いている。
即ち、倫理を失い快楽だけに生きる人間たちの世界を描いている。
ここに美的な描写もない。あるのは人間のただただ快楽だけだ。
快楽に溺れる人間を描いた作品として面白い。
そしてなんといってもここに描かれている内容が、いまではさほどの衝撃もないというところが恐ろしい。
こうした事件がもはや当然のごとく徘徊している現代においては、寧ろこの小説の内容は生易しいくらいだ。
即ち、倫理を失い快楽だけに生きる人間たちの世界を描いている。
ここに美的な描写もない。あるのは人間のただただ快楽だけだ。
快楽に溺れる人間を描いた作品として面白い。
そしてなんといってもここに描かれている内容が、いまではさほどの衝撃もないというところが恐ろしい。
こうした事件がもはや当然のごとく徘徊している現代においては、寧ろこの小説の内容は生易しいくらいだ。
2019年10月11日に日本でレビュー済み
「国語教育は, 国語教育ではない」
あんな薄っぺらい教科書で国語を勉強するなんてへそで茶が沸く. 1000ページを超える教科書(3年間使ってよろしい)を作ることが国語教育の必要条件だ. 1000ページの中には善, 悪, 汚物, sex, 美, 自然, 友情, 感動を含んだ小説を載せるべきだ. 国語の教科書というものは, 善, 美, 自然, 友情, 感動だけから成る作品しか載せない. それではダメなんだよ. 比較できてこそ美も感動も味わるんだから. 良いものと悪いものを知ってこそ更なる高みへ行けるんだ. sexだらけの作品(例えば, 『限りなく透明に近いブルー』)を載せたらいいんだよ. 99%の人間は「国語教育」から解放されていない. 洗脳されたままだ. 薄っぺらい味すらわからない優等生的な作品ばかり読ませられている. 人間は実は汚物, sex, 悪, 絶望が大好きだ. そのようなものから隔離されるから, 日本人は本を全然読まないんだ.
とにかく, 評者が言いたいことは, 「今の国語教育は間違っているということ」と「文学に品性やモラルや常識を求めるな」ということ. 本作品を反倫理的だと非難する人は, 間違っているよ. 文学者は, モラルや常識を受け入れられないから, 筆を走らせるんだ. 現状の社会に満足していたら作家になんかなっていない(そもそも評者も現状に満足していないから, 腹を立てているからこのレビューを書いているんだ).
当たり前のことしか書かれていない小説を誰が読みたいのか、誰が書きたいのか教えてくれ.
読む人間にも「器」というものがあって, 反倫理的な小説が読めない人は器ではないということだ.
本作品は, 悪, 汚物, sex, 反倫理を含んだすばらしい作品だ.
政治家としての石原は置いといて, 彼は文学者として天才だ.
それにつけても優秀な文学者はときどきその才能を無駄にするね. 石原, 三島は政治思想の虜になり, 時間を掛けて小説を書かない. そもそも三島は45歳で自害しているんだよね. 芥川, 川端も自害している.
あんな薄っぺらい教科書で国語を勉強するなんてへそで茶が沸く. 1000ページを超える教科書(3年間使ってよろしい)を作ることが国語教育の必要条件だ. 1000ページの中には善, 悪, 汚物, sex, 美, 自然, 友情, 感動を含んだ小説を載せるべきだ. 国語の教科書というものは, 善, 美, 自然, 友情, 感動だけから成る作品しか載せない. それではダメなんだよ. 比較できてこそ美も感動も味わるんだから. 良いものと悪いものを知ってこそ更なる高みへ行けるんだ. sexだらけの作品(例えば, 『限りなく透明に近いブルー』)を載せたらいいんだよ. 99%の人間は「国語教育」から解放されていない. 洗脳されたままだ. 薄っぺらい味すらわからない優等生的な作品ばかり読ませられている. 人間は実は汚物, sex, 悪, 絶望が大好きだ. そのようなものから隔離されるから, 日本人は本を全然読まないんだ.
とにかく, 評者が言いたいことは, 「今の国語教育は間違っているということ」と「文学に品性やモラルや常識を求めるな」ということ. 本作品を反倫理的だと非難する人は, 間違っているよ. 文学者は, モラルや常識を受け入れられないから, 筆を走らせるんだ. 現状の社会に満足していたら作家になんかなっていない(そもそも評者も現状に満足していないから, 腹を立てているからこのレビューを書いているんだ).
当たり前のことしか書かれていない小説を誰が読みたいのか、誰が書きたいのか教えてくれ.
読む人間にも「器」というものがあって, 反倫理的な小説が読めない人は器ではないということだ.
本作品は, 悪, 汚物, sex, 反倫理を含んだすばらしい作品だ.
政治家としての石原は置いといて, 彼は文学者として天才だ.
それにつけても優秀な文学者はときどきその才能を無駄にするね. 石原, 三島は政治思想の虜になり, 時間を掛けて小説を書かない. そもそも三島は45歳で自害しているんだよね. 芥川, 川端も自害している.
2016年2月29日に日本でレビュー済み
石原慎太郎の初期短編に、”透きとおった時間”(1956)というのがある。
まあ、ドン引きしないでください。初期には傑作があった。レフトウィングの私がいうのだから。
大江健三郎もあとがきで、これを書いたあとで死んでいたら、太宰治など彼の比でないと書いていたんだから。
さてそこで、ロベール・アンリコの"ふくろうの河”(1962)とジョゼッペ・トルナトーレの"記憶の扉”(1994)を観ていない人なら、あとは読まないほうがいいと思う。
ミステリではないけど、そうした味わいがあるから、知らないほうが楽しめると思う。。。
だから、読むのはやめてください。
”透きとおった時間”だが、初期短編集に収められていたが、手元にないので、記憶を頼りに書く。
大学の運動場で、学生たちがラクビーの試合に興じている。
ラックからすばやくボールが出ると、ラガーたちがボールを追って、散り散りに走ってゆく。
一人だけ、その場所から動かないで、うずくまっている男がいる。
やがて、かるく転倒して、そして動かなくなる。
仲間たちが心配して取り囲むが、転倒した男は下半身が麻痺していることを自覚している。
また、彼は自分がきわめて重篤であるのも知っている。
彼はタンカーで運ばれ、試合は続行される。
短編では、この致命的な怪我を負った男の意識の流れを綴っていく。
山を登ったこと、そして雨が降ってきて、ヤツデの葉に大きな蛾がとまっていたことなど、男の心象風景のディテールが流れるように描写される。
それは瑣末で、どうでもいいようなことばかりだ。
だが、意識に色濃く刻まれた風景だった。
やがて、試合は終わり、仲間たちが見舞いにやってくる。
病院の廊下にスパイクシューズの音が響く。
彼は朦朧とした意識で、その音で仲間たちが駆けつけたことに気づく。
彼はなにか言葉をいう。仲間たちはそれが聞き取れない。
彼は死に際に、もう一度、必死に一言をいう。
仲間は彼に耳を寄せて聞いている。
”いま、なんていった?”と、他の仲間たちが質す。
"チクショウ”って言った。-
上があらすじだ。再度、おことわりをしておきましょう。以下は映画のネタバレですので、ご用心ください。
"ふくろうの河”だと、絞首刑から逃げ出した男が泳いで泳いで、追ってから逃れて一軒の家にたどり着くが。。。戦慄の結末。処刑は執行されていた。
"記憶の扉”だと、警察署長と容疑者との長い尋問が描かれ、その中で、容疑者の過去に埋没していた記憶がだんだんと鮮明になってゆくが。。。。結末、実は彼は死んでいた。
こういうことって、あるのかな。
抗しえない"死”だが、その相克の中に、存在感があるってことなのか。
まあ、ドン引きしないでください。初期には傑作があった。レフトウィングの私がいうのだから。
大江健三郎もあとがきで、これを書いたあとで死んでいたら、太宰治など彼の比でないと書いていたんだから。
さてそこで、ロベール・アンリコの"ふくろうの河”(1962)とジョゼッペ・トルナトーレの"記憶の扉”(1994)を観ていない人なら、あとは読まないほうがいいと思う。
ミステリではないけど、そうした味わいがあるから、知らないほうが楽しめると思う。。。
だから、読むのはやめてください。
”透きとおった時間”だが、初期短編集に収められていたが、手元にないので、記憶を頼りに書く。
大学の運動場で、学生たちがラクビーの試合に興じている。
ラックからすばやくボールが出ると、ラガーたちがボールを追って、散り散りに走ってゆく。
一人だけ、その場所から動かないで、うずくまっている男がいる。
やがて、かるく転倒して、そして動かなくなる。
仲間たちが心配して取り囲むが、転倒した男は下半身が麻痺していることを自覚している。
また、彼は自分がきわめて重篤であるのも知っている。
彼はタンカーで運ばれ、試合は続行される。
短編では、この致命的な怪我を負った男の意識の流れを綴っていく。
山を登ったこと、そして雨が降ってきて、ヤツデの葉に大きな蛾がとまっていたことなど、男の心象風景のディテールが流れるように描写される。
それは瑣末で、どうでもいいようなことばかりだ。
だが、意識に色濃く刻まれた風景だった。
やがて、試合は終わり、仲間たちが見舞いにやってくる。
病院の廊下にスパイクシューズの音が響く。
彼は朦朧とした意識で、その音で仲間たちが駆けつけたことに気づく。
彼はなにか言葉をいう。仲間たちはそれが聞き取れない。
彼は死に際に、もう一度、必死に一言をいう。
仲間は彼に耳を寄せて聞いている。
”いま、なんていった?”と、他の仲間たちが質す。
"チクショウ”って言った。-
上があらすじだ。再度、おことわりをしておきましょう。以下は映画のネタバレですので、ご用心ください。
"ふくろうの河”だと、絞首刑から逃げ出した男が泳いで泳いで、追ってから逃れて一軒の家にたどり着くが。。。戦慄の結末。処刑は執行されていた。
"記憶の扉”だと、警察署長と容疑者との長い尋問が描かれ、その中で、容疑者の過去に埋没していた記憶がだんだんと鮮明になってゆくが。。。。結末、実は彼は死んでいた。
こういうことって、あるのかな。
抗しえない"死”だが、その相克の中に、存在感があるってことなのか。
2011年1月21日に日本でレビュー済み
こんな小説を書く人間を長にする東京都民の民度。
漫画アニメに過剰なまでに反応するくせにこの様な小説は問題視しない
マスコミと石原信者の程度
それらがはっきりと解る本です
日本の小説がつまらなくなった理由が解りました
あの条例も結局は小説が売れないのが気にくわないだけだったんでしょう
日本も終わりですね
漫画アニメに過剰なまでに反応するくせにこの様な小説は問題視しない
マスコミと石原信者の程度
それらがはっきりと解る本です
日本の小説がつまらなくなった理由が解りました
あの条例も結局は小説が売れないのが気にくわないだけだったんでしょう
日本も終わりですね
2013年1月13日に日本でレビュー済み
監禁、輪姦、殺人に至るおぞましい過程が明解かつさわやかに描写されている。
一見相入れないこの相関がどうして成り立つのか。おそらく登場人物たちに倫理観が完全に欠落しているからだと思う。
倫理がなくなると凶悪な行為もただ空虚に思えてしまう。
一見相入れないこの相関がどうして成り立つのか。おそらく登場人物たちに倫理観が完全に欠落しているからだと思う。
倫理がなくなると凶悪な行為もただ空虚に思えてしまう。
2010年12月17日に日本でレビュー済み
手前は輪姦モノの駄文を書いてる癖にアニメ・漫画規制は行うんだから、誰だって疑問視するわなぁ。
某都の都知事、完全な老害でございますね。 こんなもん、釜戸に火をくべる時にしか役立ちません。 評価も勿論1。
某都の都知事、完全な老害でございますね。 こんなもん、釜戸に火をくべる時にしか役立ちません。 評価も勿論1。