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燃えつきた地図 (新潮文庫) 文庫 – 1980/1/29
安部 公房
(著)
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都会――閉ざされた無限。けっして迷うことのない迷路。すべての区画に、そっくり同じ番地がふられた、君だけの地図。
だから君は、道を見失っても、迷うことは出来ないのだ。(本文より)
失踪した男の調査を依頼された興信所員は、追跡を進めるうちに、手がかりとなるものを次々と失い、大都会という他人だけの砂漠の中で次第に自分を見失っていく。追う者が、追われる者となり……。
おのれの地図を焼き捨てて、他人しかいない砂漠の中に歩き出す以外には、もはやどんな出発もありえない、現代の都会人の孤独と不安を鮮明に描いて、読者を強烈な不安に誘う傑作書下ろし長編小説。
本書「解説」より
『燃えつきた地図』は安部公房の傑作の一つであるばかりでなく、現代日本文学の有数の傑(すぐ)れた小説だと思う。作家としての安部氏の履歴では、プロットや人物の自然な展開等のような在来の小説の慣習を破る最初の小説であった。勿論、短編や戯曲の場合、安部氏は前衛的ないし超現実主義的な技術を活用することがあったが、長編の方は、冒頭に述べた前提から合理的に発展したものだと言ってもよかろう。
――ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)
安部公房(1924-1993)
東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。
だから君は、道を見失っても、迷うことは出来ないのだ。(本文より)
失踪した男の調査を依頼された興信所員は、追跡を進めるうちに、手がかりとなるものを次々と失い、大都会という他人だけの砂漠の中で次第に自分を見失っていく。追う者が、追われる者となり……。
おのれの地図を焼き捨てて、他人しかいない砂漠の中に歩き出す以外には、もはやどんな出発もありえない、現代の都会人の孤独と不安を鮮明に描いて、読者を強烈な不安に誘う傑作書下ろし長編小説。
本書「解説」より
『燃えつきた地図』は安部公房の傑作の一つであるばかりでなく、現代日本文学の有数の傑(すぐ)れた小説だと思う。作家としての安部氏の履歴では、プロットや人物の自然な展開等のような在来の小説の慣習を破る最初の小説であった。勿論、短編や戯曲の場合、安部氏は前衛的ないし超現実主義的な技術を活用することがあったが、長編の方は、冒頭に述べた前提から合理的に発展したものだと言ってもよかろう。
――ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)
安部公房(1924-1993)
東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。
- ISBN-104101121141
- ISBN-13978-4101121147
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1980/1/29
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ416ページ
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出版社より
他人の顔 | 壁 | けものたちは故郷をめざす | 飢餓同盟 | 第四間氷期 | 水中都市・デンドロカカリヤ | |
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【新潮文庫】安部公房 作品 | ケロイド瘢痕を隠し、妻の愛を取り戻すために他人の顔をプラスチックの仮面に仕立てた男。──人間存在の不安を追究した異色長編。 | 突然、自分の名前を紛失した男。以来彼は他人との接触に支障を来し、人形やラクダに奇妙な友情を抱く。独特の寓意にみちた野心作。 | ソ連軍が侵攻し、国府・八路両軍が跳梁する敗戦前夜の満州──政治の渦に巻きこまれた人間にとって脅迫の中の”自由”とは何か? | 不満と欲望が澱む、雪にとざされた小地方都市で、疎外されたよそ者たちが結成した”飢餓同盟”。彼らの野望とその崩壊を描く長編。 | 万能の電子頭脳に、ある中年男の未来を予言させたことから事態は意外な方向へ進展、機械は人類の苛酷な未来を語りだす。SF長編。 | 突然現れた父親と名のる男が奇怪な魚に生れ変り、何の変哲もなかった街が水中の世界に変ってゆく……。「水中都市」など初期作品集。 |
無関係な死・時の崖 | R62号の発明・鉛の卵 | 人間そっくり | 燃えつきた地図 | 砂の女 | 箱男 | |
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自分の部屋に見ず知らずの死体を発見した男が、死体を消そうとして逆に死体に追いつめられてゆく「無関係な死」など、10編を収録。 | 生きたまま自分の《死体》を売ってロボットにされた技師の人間への復讐を描く「R62号の発明」など、思想的冒険にみちた作品12編。 | 《こんにちは火星人》というラジオ番組の脚本家のところへあらわれた自称・火星人──彼はいったい何者か?異色のSF長編小説。 | 失踪者を追跡しているうちに、次々と手がかりを失い、大都会の砂漠の中で次第に自分を見失ってゆく興信所員。都会人の孤独と不安。 | 砂穴の底に埋もれていく一軒家に故なく閉じ込められ、あらゆる方法で脱出を試みる男を描き、世界20数カ国語に翻訳紹介された名作。 | ダンボール箱を頭からかぶり都市をさ迷うことで、自ら存在証明を放棄する箱男は、何を夢見るのか。謎とスリルにみちた長編。 |
密会 | 笑う月 | 友達・棒になった男 | 方舟さくら丸 | カンガルー・ノート | |
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夏の朝、突然救急車が妻を連れ去った。妻を求めて辿り着いた病院の盗聴マイクが明かす絶望的な愛と快楽。現代の地獄を描く長編。 | 思考の飛躍は、夢の周辺で行われる。快くも恐怖に満ちた夢を生け捕りにし、安部文学成立の秘密を垣間見せる夢のスナップ17編。 | 平凡な男の部屋に闖入した奇妙な9人家族。どす黒い笑いの中から”他者”との関係を暴き出す「友達」など、代表的戯曲3編を収める。 | 地下採石場跡の洞窟に、核シェルターの設備を造り上げた〈ぼく〉。核時代の方舟に乗れる者は、誰と誰なのか?現代文学の金字塔。 | 突然〈かいわれ大根〉が脛に生えてきた男を載せて、自走ベッドが辿り着く先はいかなる場所か──。現代文学の巨星、最後の長編。 |
飛ぶ男 | (霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集 | |
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安部公房の遺作が待望の文庫化! 飛ぶ男の出現、2発の銃弾、男性不信の女、妙な癖をもつ中学教師。鬼才が最期に創造した世界。 | 19歳の処女作「(霊媒の話より)題未定」、全集未収録の「天使」など、世界の知性、安部公房の幕開けを鮮烈に伝える初期短編11編。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1980/1/29)
- 発売日 : 1980/1/29
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 416ページ
- ISBN-10 : 4101121141
- ISBN-13 : 978-4101121147
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年12月14日に日本でレビュー済み
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最近公房さんにハマってしまった。展開が面白くて止まらなくなるが最後が、?、って感じか。
2023年8月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「都会――閉ざされた無限。けっして迷うことのない迷路。すべての区画に、そっくり同じ番地がふられた、君だけの地図。だから君は、道を見失っても、迷うことは出来ないのだ」
著者の他作品である『砂の女』『他人の顔』『箱男』『壁』などと同様、社会における「私」について考えさせられる、安部公房らしい一冊。「ここではないどこか」を願う思いは、いかにして満たされうるのだろうか。「私」は「私」を捨てて逃げ去ることができるのだろうか。筆者の言にもありますが、都市文明社会に生きる「私」の「私」からの解放の可能性について考えさせられました。
一冊の面白さ、安部公房文学への入り口という観点からは『砂の女』をおすすめします。
安部公房の作品をいくつか読んでみたいというのであれば、そのうちの一冊としておすすめです。
著者の他作品である『砂の女』『他人の顔』『箱男』『壁』などと同様、社会における「私」について考えさせられる、安部公房らしい一冊。「ここではないどこか」を願う思いは、いかにして満たされうるのだろうか。「私」は「私」を捨てて逃げ去ることができるのだろうか。筆者の言にもありますが、都市文明社会に生きる「私」の「私」からの解放の可能性について考えさせられました。
一冊の面白さ、安部公房文学への入り口という観点からは『砂の女』をおすすめします。
安部公房の作品をいくつか読んでみたいというのであれば、そのうちの一冊としておすすめです。
2016年7月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
***このレビューでは、あえて“分裂病者”、“正常者”ということばを使っていますが、差別的な意味ではありませんので、どうかご了承ください***
安部公房のいくつかの小説には共通点ともいうべきテーマがあります。主人公の男性はある日、突然迷路のなかに迷い込んでしまい、そこからなんとか脱出しよいとするが、結局うまくいかないというものです。
これはそもそも、このテーマ自体が、きわめて親分裂病的な性格を帯びています。
『砂の女』では迷路を構成しているのは“砂丘”で、最後、主人公は、迷路になぜか、違和感を感じることがなくなり、脱出を放棄してしまいます。
この『燃えつきた地図』は、読むうえで、『砂の女』とはことなり、ふたつの予備知識を要すると思います。
ひとつ目は、この小説で迷路を構成しているのは“都会”や“現代”などではなく、“坂の上にある町”、“勾配の町”、“台町”であることです。
“坂の上”というとなにか遠くまで見わたせるかのように思ってしまうのですが、それが住宅地であると、住宅の壁や屋根がちかくにせまるので、遠くは見えないのです。ランドマークとなるような駅前の高層ビルとか、へんてこな形をした建物などが見えないので、方向がわからなくなります。空はやたら高く、まわりは似たような住宅のくり返しとなるので、位置感覚も、方向感覚もなくなって、ゆえにゆえに“坂の上の町”は迷路を構成しえます。
ふたつ目の予備知識ですが、最初に“親分裂病的な…”という表現をつかいましたが、今度は精神分裂病の定義に相当するような概念についてです。
L. ビンスワンガーという有名な精神医学者がいます。彼の主著は『精神分裂病』という上下二巻の500頁にもなる大著です。その序論の7頁で、精神分裂病の基礎的な概念を述べています。
“(A)分裂病と診断された現存在経過の理解にとって基礎的な概念は自然な経験の一貫性の分解(原著では、この12文字は横に黒点)すなわち非一貫性であることが明らかとなった”
具体例をあげます。
私の知り合いのK君(男)の部屋では、きれいなテーブルクロスが敷かれた机のうえのガラスの小瓶に、細長いスティックシュガーがいれられています。そのスティックシュガーの紙の端に、よく茶色のマジックでポチが打たれているのです。このポチはなぁーに? とたずねると、ヒ素をいれられたスティックシュガーを区分けるために印をつけているのだ、と答えがかえってきます。
分裂病者が語る“毒”とはそれがどんな表現がされていたとしても、正常者が考える生理学的な“毒”とはまったく異なるものです。
分裂病者はどんなに見知っていて慣れ親しんだ風景でも、人物でも、事物でも、ある日ある瞬間を境に、中身(あるいは意味)がすり替えられてしまったかのような感覚をいだくのです。中身がかわってしまった“なにか”となって、目の前に出現する、ということもできます。
中身が変わると、その雰囲気も変わってしまいます。彼らの頭のなかでのすり替えられてしまった風景、人物、事物のかもしだす不気味な雰囲気、それを彼らは“毒”というのです。
文庫本版の291頁の“道の表面がアスファルトではなく…”は、この小説の冒頭と文章は同じです。文章は同じなのですが、中身と意味が違います。まさにL. ビンスワンガーのいう“自然な経験の一貫性の分解”がドラスティックにおきているのだと思います。
そう考えながら291頁以降を読んでいくと、 “考えてみると、こんな程度の記憶の中断なら、これまでにも幾度か経験したことがあるような気がする(293頁)”。 “けっきょく、この見馴れた感覚も、じつは真の記憶ではなく、いかにもそれらしくよそおわれた、偽の既知感にすぎなかったとすると…(296頁)”。“手品のように、たえず誰かが、消えた町の向こうに消えて行き、かわりに誰かが消えた町から現われる…(中略)…うまい具合に、顔見知りでも通りかかってくれるとありがたいのだが。もっとも台地の町と同様、見知っているはずの顔も、見知らぬ他人に変わってしまっているのだとすると…(296頁)”。
この296頁の叙述は、正常者の“あぁ~勘ちがい、デ・じゃめ・ビュ・しちゃた!”レベルではないと思います。“自然な経験の一貫性の分解”をさせたあとで、その印象を主人公に叙述させているのだと思います。
以上、自分でも独断にみちた読み方だとは思いますが、でも、僭越かもしれないけど、特にふたつ目の予備知識がないと、この『燃えつきた地図』の296頁までは読むのは、不可能だと思います。
安部公房のいくつかの小説には共通点ともいうべきテーマがあります。主人公の男性はある日、突然迷路のなかに迷い込んでしまい、そこからなんとか脱出しよいとするが、結局うまくいかないというものです。
これはそもそも、このテーマ自体が、きわめて親分裂病的な性格を帯びています。
『砂の女』では迷路を構成しているのは“砂丘”で、最後、主人公は、迷路になぜか、違和感を感じることがなくなり、脱出を放棄してしまいます。
この『燃えつきた地図』は、読むうえで、『砂の女』とはことなり、ふたつの予備知識を要すると思います。
ひとつ目は、この小説で迷路を構成しているのは“都会”や“現代”などではなく、“坂の上にある町”、“勾配の町”、“台町”であることです。
“坂の上”というとなにか遠くまで見わたせるかのように思ってしまうのですが、それが住宅地であると、住宅の壁や屋根がちかくにせまるので、遠くは見えないのです。ランドマークとなるような駅前の高層ビルとか、へんてこな形をした建物などが見えないので、方向がわからなくなります。空はやたら高く、まわりは似たような住宅のくり返しとなるので、位置感覚も、方向感覚もなくなって、ゆえにゆえに“坂の上の町”は迷路を構成しえます。
ふたつ目の予備知識ですが、最初に“親分裂病的な…”という表現をつかいましたが、今度は精神分裂病の定義に相当するような概念についてです。
L. ビンスワンガーという有名な精神医学者がいます。彼の主著は『精神分裂病』という上下二巻の500頁にもなる大著です。その序論の7頁で、精神分裂病の基礎的な概念を述べています。
“(A)分裂病と診断された現存在経過の理解にとって基礎的な概念は自然な経験の一貫性の分解(原著では、この12文字は横に黒点)すなわち非一貫性であることが明らかとなった”
具体例をあげます。
私の知り合いのK君(男)の部屋では、きれいなテーブルクロスが敷かれた机のうえのガラスの小瓶に、細長いスティックシュガーがいれられています。そのスティックシュガーの紙の端に、よく茶色のマジックでポチが打たれているのです。このポチはなぁーに? とたずねると、ヒ素をいれられたスティックシュガーを区分けるために印をつけているのだ、と答えがかえってきます。
分裂病者が語る“毒”とはそれがどんな表現がされていたとしても、正常者が考える生理学的な“毒”とはまったく異なるものです。
分裂病者はどんなに見知っていて慣れ親しんだ風景でも、人物でも、事物でも、ある日ある瞬間を境に、中身(あるいは意味)がすり替えられてしまったかのような感覚をいだくのです。中身がかわってしまった“なにか”となって、目の前に出現する、ということもできます。
中身が変わると、その雰囲気も変わってしまいます。彼らの頭のなかでのすり替えられてしまった風景、人物、事物のかもしだす不気味な雰囲気、それを彼らは“毒”というのです。
文庫本版の291頁の“道の表面がアスファルトではなく…”は、この小説の冒頭と文章は同じです。文章は同じなのですが、中身と意味が違います。まさにL. ビンスワンガーのいう“自然な経験の一貫性の分解”がドラスティックにおきているのだと思います。
そう考えながら291頁以降を読んでいくと、 “考えてみると、こんな程度の記憶の中断なら、これまでにも幾度か経験したことがあるような気がする(293頁)”。 “けっきょく、この見馴れた感覚も、じつは真の記憶ではなく、いかにもそれらしくよそおわれた、偽の既知感にすぎなかったとすると…(296頁)”。“手品のように、たえず誰かが、消えた町の向こうに消えて行き、かわりに誰かが消えた町から現われる…(中略)…うまい具合に、顔見知りでも通りかかってくれるとありがたいのだが。もっとも台地の町と同様、見知っているはずの顔も、見知らぬ他人に変わってしまっているのだとすると…(296頁)”。
この296頁の叙述は、正常者の“あぁ~勘ちがい、デ・じゃめ・ビュ・しちゃた!”レベルではないと思います。“自然な経験の一貫性の分解”をさせたあとで、その印象を主人公に叙述させているのだと思います。
以上、自分でも独断にみちた読み方だとは思いますが、でも、僭越かもしれないけど、特にふたつ目の予備知識がないと、この『燃えつきた地図』の296頁までは読むのは、不可能だと思います。
2019年10月17日に日本でレビュー済み
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中盤まで面白かったけど、最後は意味がよくわからなかった
結局捜索してた人見つけられなかったし
これが安部公房の世界観なんだろうが、正直ついて行けなかった
描写は上手いのでグイグイ読ませられたけど
ちゃんと結末を書いてほしかったな
結局捜索してた人見つけられなかったし
これが安部公房の世界観なんだろうが、正直ついて行けなかった
描写は上手いのでグイグイ読ませられたけど
ちゃんと結末を書いてほしかったな
2021年4月1日に日本でレビュー済み
たぶんネタばれあり。
読み始めは推理小説かと思ったが、それにしては不自然さが目立ってくる。この不自然さを解くカギはおそらく、失踪者の根室洋と主人公の私が同一人物と考えれば良いのだろう。つまり失踪した根室をその妻と弟が探したところ、根室が偶然か必然(心理的抑制)かで過去の記憶をなくしつつも興信所の調査員として働いているのを発見していたのである。そこでがみがみと真実を告げるよりも、自ずから自分が根室であることを悟ってもらおうと私に根室の捜索を依頼したのである。すなわち知らぬは本人ばかり、ということなのではないか。そう考えると不自然さの多くを説明できると思う。主人公は記憶を取り戻せたのか? それはお楽しみにである。
読み始めは推理小説かと思ったが、それにしては不自然さが目立ってくる。この不自然さを解くカギはおそらく、失踪者の根室洋と主人公の私が同一人物と考えれば良いのだろう。つまり失踪した根室をその妻と弟が探したところ、根室が偶然か必然(心理的抑制)かで過去の記憶をなくしつつも興信所の調査員として働いているのを発見していたのである。そこでがみがみと真実を告げるよりも、自ずから自分が根室であることを悟ってもらおうと私に根室の捜索を依頼したのである。すなわち知らぬは本人ばかり、ということなのではないか。そう考えると不自然さの多くを説明できると思う。主人公は記憶を取り戻せたのか? それはお楽しみにである。
2004年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
竹本健治「ハコの中の失楽」の中で、雛子という女子高生が面白かったと述べている。
自分としては、弟が殺されてからの展開が不満。そこまでは非常に面白かったのだが、いきなり終わってしまったという印象。
自分としては、弟が殺されてからの展開が不満。そこまでは非常に面白かったのだが、いきなり終わってしまったという印象。
2014年7月17日に日本でレビュー済み
一体誰を信じればいいのか。
そして次々に消えていく登場人物達。
探偵である主人公が失踪した男を捜索するうちに段々と自分を見失っていく物語。
ある種のミステリー性を孕んでいるのでスラスラと物語は頭に入ってくる。
唯、そこに含まれる安部公房独特の隠喩は難解に思える。
そして次々に消えていく登場人物達。
探偵である主人公が失踪した男を捜索するうちに段々と自分を見失っていく物語。
ある種のミステリー性を孕んでいるのでスラスラと物語は頭に入ってくる。
唯、そこに含まれる安部公房独特の隠喩は難解に思える。
2008年12月29日に日本でレビュー済み
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迷路を彷徨いつつ、依るべき地図を持たないまま、決まった区画で生きて行かなければならない現代人の姿を象徴的に描いた作品。作中に挿入される、作者の手書きの地図も印象的。
主人公は興信所の調査員の<ぼく>。根室と言う失踪した夫の捜索を依頼して来た夫人のために仕事をすると言う冒頭の設定は普通の小説らしいが、以後の展開は小説の体裁を逸脱している。失踪人に係わりがありそうな、夫人の弟でチンピラの親分が主役級で出てきたかと思うと、暴力沙汰で殺されてしまう。また突然、<ぼく>の別居中の妻が出て来て、<ぼく>と失踪人の立場が「逃げたまま、戻れない」点で似ている事に気付かせる。更に、失踪人と最後に会う予定だった田代と言う男が、失踪人に関する嘘をついたかと思うと自殺する。「存在する」とはどういう意味なのか。読者は、カフカ「城」よろしく、<ぼく>が失踪人に会う事はないと確信せざるを得ない。それでも<ぼく>は僅かな手掛かりで失踪人を追う。もしかすると、<ぼく>が追っているのは<ぼく>自身かもしれないのだ。「メビウスの環」のような展開である。また、作者の常の如く、本筋以外の日常描写に関しても精緻かつ論理的である。特に人間の視線と女体に関しては。このため、却って物語の非日常性が高まっている。結末で、<ぼく>と失踪人が逆転したように思えたが、様々な解釈があるだろう。
小説としてのストーリー展開を敢えて崩し、不確かな地図の中で「存在する」事の意義を問い掛けた秀抜な実験作。
主人公は興信所の調査員の<ぼく>。根室と言う失踪した夫の捜索を依頼して来た夫人のために仕事をすると言う冒頭の設定は普通の小説らしいが、以後の展開は小説の体裁を逸脱している。失踪人に係わりがありそうな、夫人の弟でチンピラの親分が主役級で出てきたかと思うと、暴力沙汰で殺されてしまう。また突然、<ぼく>の別居中の妻が出て来て、<ぼく>と失踪人の立場が「逃げたまま、戻れない」点で似ている事に気付かせる。更に、失踪人と最後に会う予定だった田代と言う男が、失踪人に関する嘘をついたかと思うと自殺する。「存在する」とはどういう意味なのか。読者は、カフカ「城」よろしく、<ぼく>が失踪人に会う事はないと確信せざるを得ない。それでも<ぼく>は僅かな手掛かりで失踪人を追う。もしかすると、<ぼく>が追っているのは<ぼく>自身かもしれないのだ。「メビウスの環」のような展開である。また、作者の常の如く、本筋以外の日常描写に関しても精緻かつ論理的である。特に人間の視線と女体に関しては。このため、却って物語の非日常性が高まっている。結末で、<ぼく>と失踪人が逆転したように思えたが、様々な解釈があるだろう。
小説としてのストーリー展開を敢えて崩し、不確かな地図の中で「存在する」事の意義を問い掛けた秀抜な実験作。