安部公房の作品に感じられるシュールレアリスティックな発想は、高校生の頃から惹かれていたが、それがどこから来ているものか、この一冊に示されている。先ず彼は夢を意識下で書き続けている創作ノートとして、作品を書く時の源泉のひとつとしていた。見た夢をその場で「生け捕り」にするために枕元には常にテープ・レコーダーを常備していた。しかしまた「睡りと覚醒は対応する両極だが、覚醒も度を過ぎると過集中の状態に陥り、全部の光量を保持できないものらしい。あふれた光は、周辺に浸透していき、一種の睡眠に近い状態に接近する」とも書いている。彼の医学者としての考察だろう。
その例が「藤野君のこと」に表れていると思う。安部氏は戦後間もない頃、北海道旅行の車中である老人の奇怪な話を聞く。いま北海道ではいたるところでアムダ狩りが行われている。アムダは戦時中、軍が音頭を取って飼育を農家に強制した人間そっくりの動物で、繁殖力が旺盛で食用その他に利用された。戦後農家は生き残ったアムダを山に放って逃がした。それが野生化して害を与えるようになった。この話に興奮した安部氏は是非アムダを見たいと思う。ところがアムダは彼の聞き違いでハムスター、人間にそっくりというのはネズミにそっくりという訛りからの誤解だった。しかしその誤解が『どれい狩り』の構想を生み、『ウエー』として完成する。この時も彼の言う覚醒の度が過ぎた過集中の状態で白昼夢を見ていたのではないだろうか。
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笑う月 (新潮文庫) 文庫 – 1984/7/1
安部 公房
(著)
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ユーモアとイロニー、そして恐怖…。
作家が見た「夢」にまつわるメモ的小品集。
笑う月が追いかけてくる。直径1メートル半ほどの、オレンジ色の満月が、ただふわふわと追いかけてくる。夢のなかで周期的に訪れるこの笑う月は、ぼくにとって恐怖の極限のイメージなのだ――。
交錯するユーモアとイロニー、鋭い洞察。夢という〈意識下でつづっている創作ノート〉は、安部文学生成の秘密を明かしてくれる。表題作ほか著者が生け捕りにした夢のスナップショット全17編。
本書収録「笑う月」より
ぼくが経験した限りでは、どんなたのしい夢でも、たのしい現実には遠く及ばない反面、悪夢のほうは、むしろ現実の不安や恐怖を上まわる場合が多いような気がする。
たとえば、何度も繰返して見た、いちばんなじみ深い夢は、ぼくの場合、笑う月に追いかけられる夢だ。最初はたしか、小学生の頃だったと思う。恐怖のあまり、しばらくは、夜になって睡(ねむ)らなければならないのが苦痛だったほどだ。
本書収録「空飛ぶ男」より
ある朝、ぼくは幻のような夢をみた。それとも、夢のような幻をみたと言うべきだろうか。
台所のバケツに溺れたネズミの悲鳴が、救急車のサイレンに変って、夢から這い上る。冷蔵庫の牛乳でうがいをしながら外を見ると、まだ青というまでにはなっていない夜明けの空を、男がひとり飛んでいた。
当然のことだが、ぼくは信じなかったし、驚きもしなかった。前の夢は忘れてしまったが、どうせ夢の続きだと思ったからだ。
目次
睡眠誘導術
笑う月
たとえば、タブの研究
発想の種子
藤野君のこと
蓄音機
ワラゲン考
アリスのカメラ
シャボン玉の皮
ある芸術家の肖像
阿波環状線の夢
案内人
自己犠牲
空飛ぶ男
鞄
公然の秘密
密会
挿画 安部真知
安部公房(1924-1993)
東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。
作家が見た「夢」にまつわるメモ的小品集。
笑う月が追いかけてくる。直径1メートル半ほどの、オレンジ色の満月が、ただふわふわと追いかけてくる。夢のなかで周期的に訪れるこの笑う月は、ぼくにとって恐怖の極限のイメージなのだ――。
交錯するユーモアとイロニー、鋭い洞察。夢という〈意識下でつづっている創作ノート〉は、安部文学生成の秘密を明かしてくれる。表題作ほか著者が生け捕りにした夢のスナップショット全17編。
本書収録「笑う月」より
ぼくが経験した限りでは、どんなたのしい夢でも、たのしい現実には遠く及ばない反面、悪夢のほうは、むしろ現実の不安や恐怖を上まわる場合が多いような気がする。
たとえば、何度も繰返して見た、いちばんなじみ深い夢は、ぼくの場合、笑う月に追いかけられる夢だ。最初はたしか、小学生の頃だったと思う。恐怖のあまり、しばらくは、夜になって睡(ねむ)らなければならないのが苦痛だったほどだ。
本書収録「空飛ぶ男」より
ある朝、ぼくは幻のような夢をみた。それとも、夢のような幻をみたと言うべきだろうか。
台所のバケツに溺れたネズミの悲鳴が、救急車のサイレンに変って、夢から這い上る。冷蔵庫の牛乳でうがいをしながら外を見ると、まだ青というまでにはなっていない夜明けの空を、男がひとり飛んでいた。
当然のことだが、ぼくは信じなかったし、驚きもしなかった。前の夢は忘れてしまったが、どうせ夢の続きだと思ったからだ。
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自己犠牲
空飛ぶ男
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公然の秘密
密会
挿画 安部真知
安部公房(1924-1993)
東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。
- 本の長さ172ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1984/7/1
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101121184
- ISBN-13978-4101121185
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1984/7/1)
- 発売日 : 1984/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 172ページ
- ISBN-10 : 4101121184
- ISBN-13 : 978-4101121185
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 128,292位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年8月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
エッセイと短編創作の中間のような作品集。
安部公房という作家の発想や文体を、試しに読んでみる「入門」として、位置づけることができるかもしれない。
いきなり長編に挑戦するのがためらわれる場合に、助けになると思います。
安部公房という作家の発想や文体を、試しに読んでみる「入門」として、位置づけることができるかもしれない。
いきなり長編に挑戦するのがためらわれる場合に、助けになると思います。
2024年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
安部公房は天才だと思う。この作品からもそれは充分伝わってくる。ただ残念ながらこの作品は自分好みではない。仕方ない、そういうこともある。
2017年12月11日に日本でレビュー済み
安部公房の作品は、高校時代に教科書で初めて知って以来、興味を感じ、幾冊かの本を読んだことがある。今回の「笑う月」はエッセーのような作品集である。だがエッセーのようでありながら、夢と現が重なり合って、不思議な雰囲気を醸し出している。作家が、歳を迎えたころに出版されている。
安部氏の夢の中に、花王石鹸のトレードマークを正面から見たような直径1メートル半ほどの三日月が登場すると言う。当方としても、一回でもこんなものに出くわす夢を歓迎する気にはとてもなれない。それにもかかわらず安部氏は、このエッセーを書く以前の30年間、この何とも言えない花王石鹸の三日月が登場する夢に苛まれているのである。
「藤野君のこと」に登場する“アダム”も、余り気の進まない登場者である。人間そっくりで、皮は鞣して鞄や靴にしたり、そして肉は軍隊用の缶詰に、骨は歯ブラシやボタン、カルシウムの原料にしようと期待されていたらしい。ノーベル賞を受賞したKazuo Ishiguroの「Never Let Me Go」の主人公たちであるクローン人間とは、だいぶ違った扱いである。
「蓄音機」に登場する安部氏より数年歳上の従兄のやることも、事実だとしたらビックリする。鶏のトサカを鋏で切ってまわったり、捕まえた生きた鼠を蔵の中に放ったりすると言う実害を伴ういたずらをする少年なのである。
「自己犠牲」は、武田泰淳の「ひかりごけ」とは全く違ったCannibalismの話である。乗っていた船が沈没して救命ボートで逃げたコック長、二等航海士、そして主人公が、自己犠牲のもと命を他人に捧げるという話である。筒井康隆の「亭主調理法」の方が、まだ救われるような気がする。
こうした不条理な世界、と言う表現が安部氏の文章の表現で好まれるようだが、この薄っぺらい本の中にはたっぷり詰め込まれている。好きな人にとっては、堪らないだろうけれども……。
安部氏の夢の中に、花王石鹸のトレードマークを正面から見たような直径1メートル半ほどの三日月が登場すると言う。当方としても、一回でもこんなものに出くわす夢を歓迎する気にはとてもなれない。それにもかかわらず安部氏は、このエッセーを書く以前の30年間、この何とも言えない花王石鹸の三日月が登場する夢に苛まれているのである。
「藤野君のこと」に登場する“アダム”も、余り気の進まない登場者である。人間そっくりで、皮は鞣して鞄や靴にしたり、そして肉は軍隊用の缶詰に、骨は歯ブラシやボタン、カルシウムの原料にしようと期待されていたらしい。ノーベル賞を受賞したKazuo Ishiguroの「Never Let Me Go」の主人公たちであるクローン人間とは、だいぶ違った扱いである。
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2022年1月3日に日本でレビュー済み
阿部公房が好きな人は楽しめると思います。
逆にそうでもない人は「なんじゃこりゃ」で終わってしまうかも知れません。
短編小説集というより創作ノートのようなものです。
逆にそうでもない人は「なんじゃこりゃ」で終わってしまうかも知れません。
短編小説集というより創作ノートのようなものです。
2024年2月18日に日本でレビュー済み
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「鞄」の紹介があったが、それぞれの感じかたかたがあっていいとのこと。
それに馴染めないのが受験時代かな。
それに馴染めないのが受験時代かな。
2015年7月3日に日本でレビュー済み
ある学者が言うには、夢と言うのは連続的な要素によって成り立っているのではなくて、突発的な要素がぽんぽん出てきて、目覚めた後の『醒めた意識』がそれを繋げて物語として語っているらしい。
それを踏まえて読むと、たいへん面白く読めます。夢をそのまま語ったような小説や夢分析、夢に関するエッセイなどややもすると雑多な印象を受ける一冊ですが、安部公房という『醒めた意識』が、夢というものをどう料理しているか、取り組んでいるか……ここにストレートに安部公房が安部公房である秘訣が現れているような気もします(何しろ思考の展開のさせかたや、発想の卓抜さにかけて並並ならないセンスを持った作家なので……)。ひょっとしたら安部公房の本のなかで最も「らしさ」が感じられる本かもしれません。
というわけで、僕にとっては何かあると繰り返し読み返してみたくなる一冊です。
それを踏まえて読むと、たいへん面白く読めます。夢をそのまま語ったような小説や夢分析、夢に関するエッセイなどややもすると雑多な印象を受ける一冊ですが、安部公房という『醒めた意識』が、夢というものをどう料理しているか、取り組んでいるか……ここにストレートに安部公房が安部公房である秘訣が現れているような気もします(何しろ思考の展開のさせかたや、発想の卓抜さにかけて並並ならないセンスを持った作家なので……)。ひょっとしたら安部公房の本のなかで最も「らしさ」が感じられる本かもしれません。
というわけで、僕にとっては何かあると繰り返し読み返してみたくなる一冊です。