輝ける闇・・・開高健の代表作である。
ヴェトナム戦争見聞録、とも評し得ようが、著者の「若き感性の崩壊の記録」でもあろう。
同じ著者が その作家人生で二度と書き得ない、貴重な作品であると評し得よう。
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輝ける闇 (新潮文庫) 文庫 – 1982/10/27
開高 健
(著)
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2019年は開高健、没後30年。
ヴェトナムで実際に地獄を見た著者が描く、戦場文学の到達点。
銃声が止んだ……
虫が鳴く、猿が叫ぶ、黄昏のヴェトナムの森。その叫喚のなかで人はひっそり死んでゆく。誰も殺せず、誰も救えず、誰のためでもない、空と土の間を漂うしかない焦燥のリズムが亜熱帯アジアの匂いと響きと色のなかに漂う。
孤独・不安・徒労・死――ヴェトナムの戦いを肌で感じた著者が、生の異相を果敢に凝視し、戦争の絶望とみにくさをえぐり出した書下ろし長編。
本文より
窓に黄昏がきていた。
こちらの窓のかなたには塹壕と地雷原、それをこえてゴム林、国道、とり入れのすんだ水田などが見える。あちらの窓のかなたには水田、叢林(そうりん)、ゆるやかな丘、そして果てしないジャングルである。ジャングルは長城となって地平線を蔽っている。その蒼暗(そうあん)な梢に夕陽の長い指がとどきかけている。農民も子供も水牛もいない。謙虚な、大きい、つぶやくような黄昏が沁みだしている。
本書「解説」より
ここにあるどの一行を採っても、それはさながら破裂寸前の果実のように緊張している。そんな緊張をこんな長さで続けるのは、非常の場合である。よくも声を織る糸が切れなかったものだ、と思う。そう思って見ると、ここにある言葉は、小説家の述語や文法ではない。その一つひとつが、開高氏の、寸断され、ばら撒かれた生の断片である。
――秋山駿(文芸評論家)
開高健(1930-1989)
大阪市生れ。大阪市立大卒。1958(昭和33)年、「裸の王様」で芥川賞を受賞して以来、「日本三文オペラ」「流亡記」など、次々に話題作を発表。1960年代になってからは、しばしばヴェトナムの戦場に赴く。その経験は「輝ける闇」「夏の闇」などに色濃く影を落としている。1978年、「玉、砕ける」で川端康成賞、1981年、一連のルポルタージュ文学により菊池寛賞、1986年、自伝的長編「耳の物語」で日本文学大賞を受けるなど、受賞多数。『開高健全集』全22巻(新潮社刊)。
ヴェトナムで実際に地獄を見た著者が描く、戦場文学の到達点。
銃声が止んだ……
虫が鳴く、猿が叫ぶ、黄昏のヴェトナムの森。その叫喚のなかで人はひっそり死んでゆく。誰も殺せず、誰も救えず、誰のためでもない、空と土の間を漂うしかない焦燥のリズムが亜熱帯アジアの匂いと響きと色のなかに漂う。
孤独・不安・徒労・死――ヴェトナムの戦いを肌で感じた著者が、生の異相を果敢に凝視し、戦争の絶望とみにくさをえぐり出した書下ろし長編。
本文より
窓に黄昏がきていた。
こちらの窓のかなたには塹壕と地雷原、それをこえてゴム林、国道、とり入れのすんだ水田などが見える。あちらの窓のかなたには水田、叢林(そうりん)、ゆるやかな丘、そして果てしないジャングルである。ジャングルは長城となって地平線を蔽っている。その蒼暗(そうあん)な梢に夕陽の長い指がとどきかけている。農民も子供も水牛もいない。謙虚な、大きい、つぶやくような黄昏が沁みだしている。
本書「解説」より
ここにあるどの一行を採っても、それはさながら破裂寸前の果実のように緊張している。そんな緊張をこんな長さで続けるのは、非常の場合である。よくも声を織る糸が切れなかったものだ、と思う。そう思って見ると、ここにある言葉は、小説家の述語や文法ではない。その一つひとつが、開高氏の、寸断され、ばら撒かれた生の断片である。
――秋山駿(文芸評論家)
開高健(1930-1989)
大阪市生れ。大阪市立大卒。1958(昭和33)年、「裸の王様」で芥川賞を受賞して以来、「日本三文オペラ」「流亡記」など、次々に話題作を発表。1960年代になってからは、しばしばヴェトナムの戦場に赴く。その経験は「輝ける闇」「夏の闇」などに色濃く影を落としている。1978年、「玉、砕ける」で川端康成賞、1981年、一連のルポルタージュ文学により菊池寛賞、1986年、自伝的長編「耳の物語」で日本文学大賞を受けるなど、受賞多数。『開高健全集』全22巻(新潮社刊)。
- ISBN-10410112809X
- ISBN-13978-4101128092
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1982/10/27
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ368ページ
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パニック・裸の王様 | 日本三文オペラ | 開口閉口 | 地球はグラスのふちを回る | 輝ける闇 | |
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【新潮文庫】開高健 作品 | 大発生したネズミの大群に翻弄される人間社会の恐慌「パニック」、現代社会で圧殺されかかっている生命の救出を描く「裸の王様」等。〈芥川賞受賞〉 | 大阪旧陸軍工廠跡に放置された莫大な鉄材に目をつけた泥棒集団「アパッチ族」の勇猛果敢な大攻撃!雄大なスケールで描く快作。 | 食物、政治、文学、釣り、酒、人生、読書……豊かな想像力を駆使し、時には辛辣な諷刺をまじえ、名文で読者を魅了する64のエッセイ。 | 酒・食・釣・旅。──無類に豊饒で、限りなく奥深い”快楽”の世界。長年にわたる飽くなき探求から生まれた極上のエッセイ 29 編。 | ヴェトナムの戦いを肌で感じた著者が、戦争の絶望と醜さ、孤独・不安・焦燥・徒労・死といった生の異相を果敢に凝視した問題作。〈毎日出版文化賞受賞〉 |
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夏の闇 | 対談 美酒について―人はなぜ酒を語るか― | フィッシュ・オン | |
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信ずべき自己を見失い、ひたすら快楽と絶望の淵にあえぐ現代人の出口なき日々──人間の《魂の地獄と救済》を描きだす純文学大作。 | 酒を論ずればバッカスも顔色なしという二人が酒の入り口から出口までを縦横に語りつくした長編対談。芳醇な香り溢れる極上の一巻。 | アラスカでのキング・サーモンとの壮烈な闘いをふりだしに、世界各地の海と川と湖に糸を垂れる世界釣り歩き。カラー写真多数収録。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1982/10/27)
- 発売日 : 1982/10/27
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 368ページ
- ISBN-10 : 410112809X
- ISBN-13 : 978-4101128092
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 41,370位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1930年大阪に生まれる。大阪市立大を卒業後、洋酒会社宣伝部で時代の動向を的確にとらえた数々のコピーをつくる。かたわら創作を始め、「パニック」で注目を浴び、「裸の王様」で芥川賞受賞。ベトナムの戦場や、中国、東欧を精力的にルポ、行動する作家として知られた。1989年逝去。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 饒舌の思想 (ISBN-13: 978-4480426635 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年10月17日に日本でレビュー済み
1802年に現在のベトナムとほぼ同一の領域を最初に支配した統一政権の阮朝(越南国)は、清国に朝貢して形式上従属しながら自国を「中国」と呼んで世界の中心に位置すると称し、自国と清は兄弟で対等であると見なして国家を存続させていた。1858年にナポレオン3世がフランス遠征軍を派遣してコーチシナ(ベトナム南部)を植民地にした事を起源として、1882年にトンキン(ベトナム北部)占領、それを基にした宗主国清の介入による清仏戦争(1884〜1885年)での清の敗北の結果の天津条約(1885年)で清が宗主権を放棄した事を経て、1887年にインドシナ連邦としてフランス領インドシナ(仏印)が成立し植民地とされた。阮朝自体は1945年まで続いた。
第二次大戦中の1940年にナチス・ドイツがフランスを占領した事から、ドイツの同盟国日本は同年に仏印北部に、翌年に仏印南部に進駐して在来の仏印政府との共同統治体制を布いた。其の年に、ホー・チ・ミンは「ベトナム独立同盟会(ベトミン)」を組織してその主席に就任した。
1945年に日本が敗北してベトミンが北部のハノイで蜂起して8月革命を始め、南部のサイゴンでの民衆蜂起等を経て同年に「ベトナム独立宣言」を発表し、ホーは「ベトナム民主共和国」を建国して国家主席兼首相に就任した。しかし、旧宗主国仏や米英中ソ等の連合国側諸国が承認しなかった。ポツダム協定により南北に分割されて、北部に中華民国軍、南部に英軍が進駐した。その直後に仏国が南部の支配権を奪取して、インドシナ一帯の再支配を目論んだ。ホーは北部の国民党軍(中国)の進駐が長引く事を恐れて仏国を受け入れたが、仏国とのベトナム独立についての交渉を重ね、1946年に一旦は独立が承認されかけたものを仏のコーチシナ共和国樹立という分離工作によって破談し、同年末に仏がベトナム民主共和国に攻撃して第一次インドシナ戦争が始まった。1954年に仏国が敗北してジュネーヴ協定が締結され、北緯17度線で南北に分割され、北部はベトナム民主共和国、南部はベトナム国が統治する事となり2年後に再統一の全国選挙が予定された。
しかし翌年、ジュネーヴ協定に調印しなかった米国が名目上ドミノ理論(ある一国が共産化すれば、周辺諸国も共産化される)を唱えて、共産主義を嫌悪する資本家や宗教家、自由主義者等と図って、南部に「ベトナム共和国」の政権を発足させた、経済的・軍事的支援を行った。ジュネーヴ協定で定められた再統一の全国選挙を南部のベトナム共和国がボイコットし、反対勢力を弾圧する独裁政治を行った為、それに抵抗する形で1960年にベトナム労働党の支援のもと、「南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)」が結成された。其れによってベトナム戦争が始まり、ベトコンは介入を始めた米国と激しく戦った。ベトコンは主要都市と幹線道路を除く農村地帯をほぼ完全に勢力下に置いた。
1965年に米軍がベトナム民主共和国へ北爆を開始し、50万人の大軍を投入して本格的となった。米軍は軍事関連施設のみを爆撃の対象と言いながら、実際には病院・学校・民家・キリスト教会・農業施設等、枯葉剤やナパーム弾を用いて「皆殺し作戦」を行なった。枯葉剤は戦後に健康被害や出産異常を引き起こし、焼夷兵器のナパーム弾は広範囲を無差別に焼き尽くした。又、米軍やその他の同盟国軍による一般村民への戦争犯罪として、無差別機銃掃討や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋の放火等があった。後に、ベトナム女性との混血児(ライタイハン)が確認されている。又、其の米国に対抗する為に、前線へ出た男性の民衆に代わって後方では婦人部隊が組織され、農作業の際にも銃を所持し、町の警備に当たる等をして、民衆全体が米国に対して抵抗し独立に向かって戦った。
又、南部のベトナム共和国の第2代・3代大統領グエン・バン・チューは強烈な反共主義者であったが、南ベトナム国内での麻薬の不正取引の元締めであり、しばしばベトコンからも麻薬を入手していた。更に南部の政府は不正や汚職が蔓延し、軍も堕落し士気が下がって規律の維持も難しくなり、一般市民は米軍に媚び諂って売春等が流行り、全てが腐敗していた。
次第に国際世論が反戦・反米となり、且つ米国がベトナム戦争に莫大な戦費を費やした事から、退陣に追い込まれたリンドン・ジョンソンに代わったリチャード・ニクソンが1969年に大統領に就任して撤収を模索し始めた。借金国に転落した米国は、1971年にドルの金本位制を撤廃して紙幣と金の兌換を停止してドルが「紙切れ」となり、以降、民間銀行であるFRB(米連邦準備制度理事会)によって憲法や議会に拠らずに、民間人が自由に幾らでも輪転機でドル紙幣を発行出来る様になってしまった。1973年には泥沼化した戦争を終わらそうとして、1月27日にパリ協定(ベトナム和平協定)がベトナム民主共和国(北ベトナム)、ベトナム共和国(南ベトナム)、南ベトナム共和国臨時革命政府、アメリカ合衆国の間で調印されてベトナム戦争終結を約した協定を結んだ。又、第一次オイルショックでの景気停滞や不況で打撃を受け、ニクソン政権が残したウォーターゲート事件やジョン・F・ケネディー政権が進めたアポロ計画の月面探査への膨大な出費もあった事等もあって、ジェラルド・フォード大統領は軍の派遣や軍事援助を拒否し、1975年にサイゴンが陥落して戦争が終結して南部のベトナム共和国は崩壊した。北のベトナム民主共和国が主導して南北統一を実現し、翌年に「ベトナム社会主義共和国」が成立した。そして、米国は其れ以降、世界一の借金大国である。日本のお金は米国へ流れ、貸したお金が返ってくる事は無い。
ホー・チ・ミンはベトナム戦争中の1969年に亡くなられたが、共産主義の実現よりも民族解放・ベトナム独立が生涯の主要課題であった。又、腐敗や汚職、粛清に無縁で、禁欲的で無私な指導者であった。更に、自らが個人崇拝の対象になる事を嫌っていた。自伝の類を残さずに亡くなられた為に、自己の業績について殆ど語らないという伝統がベトナムに生まれた。現在存在する霊廟や墓所、銅像、エンバーミングした遺骸は、ベトナム労働党政治局がホーの遺言を無視して作ってしまった物で、ホーはそれらの物は個人崇拝に繋がる為に望んでおらず、遺書には火葬後の遺骨を北部・中部・南部に分骨して埋葬する事と、戦争勝利後の農業合作社の税金を1年間免除することが書かれていた。その高潔な人柄から民衆から尊崇を集めて愛され、慈愛に満ちた風貌から「ホーおじさん」と民衆に親しまれた。(参考文献:ウィキペディア)
本書の著者は、1964年に南ベトナムの米軍に同行して取材を行なった。現地での直接取材でベトコンからいつ襲われて殺されるかもしれない状況にて米軍側からの視点に立って取材した。米軍の北爆が開始されて前記のような米軍の残虐行為が問題となって、国際世論の米国批判が高まる前であったことや、米国との同盟国としての日本の立場、本書の中に出てくる病院での奉仕に来ていた米人のクェーカー教徒の言う「…堕落…傲慢、無知、侮蔑、恐怖、無神論…」が米国とその他南側の同盟国軍に存在する事、米国追従国家日本の特にメディアの姿勢等も影響にあった様な内容であるように感じる。南部の腐敗は伺えたが、米国帝国主義による北側への無差別爆撃等の虐殺、侵略行為については、本書からは全く解らない。ベトナム側の視点に立ち、その様な米軍の悪の「真実」が解る様な内容の方が私にとっては良かった様に思い、残念である。知識の余り無い人にとっては、視点を持つ、或いは主人公の側が正義の様に勘違いされ、相手の敵が悪者と勘違いされかねない。
参考動画:「NDN(株)日本電波ニュース社」のホームページ([・・・])や、YouTubeチャンネル・「NihonDenpaNewsTV」にて1960年代に撮影されたドキュメント映画(のダイジェスト版?)が公開されている。其の中にはホー・チ・ミン主席への単独インタビューも在る。こちらの方から真実が伝わって来る。
第二次大戦中の1940年にナチス・ドイツがフランスを占領した事から、ドイツの同盟国日本は同年に仏印北部に、翌年に仏印南部に進駐して在来の仏印政府との共同統治体制を布いた。其の年に、ホー・チ・ミンは「ベトナム独立同盟会(ベトミン)」を組織してその主席に就任した。
1945年に日本が敗北してベトミンが北部のハノイで蜂起して8月革命を始め、南部のサイゴンでの民衆蜂起等を経て同年に「ベトナム独立宣言」を発表し、ホーは「ベトナム民主共和国」を建国して国家主席兼首相に就任した。しかし、旧宗主国仏や米英中ソ等の連合国側諸国が承認しなかった。ポツダム協定により南北に分割されて、北部に中華民国軍、南部に英軍が進駐した。その直後に仏国が南部の支配権を奪取して、インドシナ一帯の再支配を目論んだ。ホーは北部の国民党軍(中国)の進駐が長引く事を恐れて仏国を受け入れたが、仏国とのベトナム独立についての交渉を重ね、1946年に一旦は独立が承認されかけたものを仏のコーチシナ共和国樹立という分離工作によって破談し、同年末に仏がベトナム民主共和国に攻撃して第一次インドシナ戦争が始まった。1954年に仏国が敗北してジュネーヴ協定が締結され、北緯17度線で南北に分割され、北部はベトナム民主共和国、南部はベトナム国が統治する事となり2年後に再統一の全国選挙が予定された。
しかし翌年、ジュネーヴ協定に調印しなかった米国が名目上ドミノ理論(ある一国が共産化すれば、周辺諸国も共産化される)を唱えて、共産主義を嫌悪する資本家や宗教家、自由主義者等と図って、南部に「ベトナム共和国」の政権を発足させた、経済的・軍事的支援を行った。ジュネーヴ協定で定められた再統一の全国選挙を南部のベトナム共和国がボイコットし、反対勢力を弾圧する独裁政治を行った為、それに抵抗する形で1960年にベトナム労働党の支援のもと、「南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)」が結成された。其れによってベトナム戦争が始まり、ベトコンは介入を始めた米国と激しく戦った。ベトコンは主要都市と幹線道路を除く農村地帯をほぼ完全に勢力下に置いた。
1965年に米軍がベトナム民主共和国へ北爆を開始し、50万人の大軍を投入して本格的となった。米軍は軍事関連施設のみを爆撃の対象と言いながら、実際には病院・学校・民家・キリスト教会・農業施設等、枯葉剤やナパーム弾を用いて「皆殺し作戦」を行なった。枯葉剤は戦後に健康被害や出産異常を引き起こし、焼夷兵器のナパーム弾は広範囲を無差別に焼き尽くした。又、米軍やその他の同盟国軍による一般村民への戦争犯罪として、無差別機銃掃討や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋の放火等があった。後に、ベトナム女性との混血児(ライタイハン)が確認されている。又、其の米国に対抗する為に、前線へ出た男性の民衆に代わって後方では婦人部隊が組織され、農作業の際にも銃を所持し、町の警備に当たる等をして、民衆全体が米国に対して抵抗し独立に向かって戦った。
又、南部のベトナム共和国の第2代・3代大統領グエン・バン・チューは強烈な反共主義者であったが、南ベトナム国内での麻薬の不正取引の元締めであり、しばしばベトコンからも麻薬を入手していた。更に南部の政府は不正や汚職が蔓延し、軍も堕落し士気が下がって規律の維持も難しくなり、一般市民は米軍に媚び諂って売春等が流行り、全てが腐敗していた。
次第に国際世論が反戦・反米となり、且つ米国がベトナム戦争に莫大な戦費を費やした事から、退陣に追い込まれたリンドン・ジョンソンに代わったリチャード・ニクソンが1969年に大統領に就任して撤収を模索し始めた。借金国に転落した米国は、1971年にドルの金本位制を撤廃して紙幣と金の兌換を停止してドルが「紙切れ」となり、以降、民間銀行であるFRB(米連邦準備制度理事会)によって憲法や議会に拠らずに、民間人が自由に幾らでも輪転機でドル紙幣を発行出来る様になってしまった。1973年には泥沼化した戦争を終わらそうとして、1月27日にパリ協定(ベトナム和平協定)がベトナム民主共和国(北ベトナム)、ベトナム共和国(南ベトナム)、南ベトナム共和国臨時革命政府、アメリカ合衆国の間で調印されてベトナム戦争終結を約した協定を結んだ。又、第一次オイルショックでの景気停滞や不況で打撃を受け、ニクソン政権が残したウォーターゲート事件やジョン・F・ケネディー政権が進めたアポロ計画の月面探査への膨大な出費もあった事等もあって、ジェラルド・フォード大統領は軍の派遣や軍事援助を拒否し、1975年にサイゴンが陥落して戦争が終結して南部のベトナム共和国は崩壊した。北のベトナム民主共和国が主導して南北統一を実現し、翌年に「ベトナム社会主義共和国」が成立した。そして、米国は其れ以降、世界一の借金大国である。日本のお金は米国へ流れ、貸したお金が返ってくる事は無い。
ホー・チ・ミンはベトナム戦争中の1969年に亡くなられたが、共産主義の実現よりも民族解放・ベトナム独立が生涯の主要課題であった。又、腐敗や汚職、粛清に無縁で、禁欲的で無私な指導者であった。更に、自らが個人崇拝の対象になる事を嫌っていた。自伝の類を残さずに亡くなられた為に、自己の業績について殆ど語らないという伝統がベトナムに生まれた。現在存在する霊廟や墓所、銅像、エンバーミングした遺骸は、ベトナム労働党政治局がホーの遺言を無視して作ってしまった物で、ホーはそれらの物は個人崇拝に繋がる為に望んでおらず、遺書には火葬後の遺骨を北部・中部・南部に分骨して埋葬する事と、戦争勝利後の農業合作社の税金を1年間免除することが書かれていた。その高潔な人柄から民衆から尊崇を集めて愛され、慈愛に満ちた風貌から「ホーおじさん」と民衆に親しまれた。(参考文献:ウィキペディア)
本書の著者は、1964年に南ベトナムの米軍に同行して取材を行なった。現地での直接取材でベトコンからいつ襲われて殺されるかもしれない状況にて米軍側からの視点に立って取材した。米軍の北爆が開始されて前記のような米軍の残虐行為が問題となって、国際世論の米国批判が高まる前であったことや、米国との同盟国としての日本の立場、本書の中に出てくる病院での奉仕に来ていた米人のクェーカー教徒の言う「…堕落…傲慢、無知、侮蔑、恐怖、無神論…」が米国とその他南側の同盟国軍に存在する事、米国追従国家日本の特にメディアの姿勢等も影響にあった様な内容であるように感じる。南部の腐敗は伺えたが、米国帝国主義による北側への無差別爆撃等の虐殺、侵略行為については、本書からは全く解らない。ベトナム側の視点に立ち、その様な米軍の悪の「真実」が解る様な内容の方が私にとっては良かった様に思い、残念である。知識の余り無い人にとっては、視点を持つ、或いは主人公の側が正義の様に勘違いされ、相手の敵が悪者と勘違いされかねない。
参考動画:「NDN(株)日本電波ニュース社」のホームページ([・・・])や、YouTubeチャンネル・「NihonDenpaNewsTV」にて1960年代に撮影されたドキュメント映画(のダイジェスト版?)が公開されている。其の中にはホー・チ・ミン主席への単独インタビューも在る。こちらの方から真実が伝わって来る。
2019年7月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
元々「オーパ!」や「日本三文オペラ」などが非常におもしろく好きでした。
期待して読み始めた「輝ける闇」は、小説というよりもルポの要素が強く印象深いシーンは数多いのですが、
時折挿入される過剰な比喩が読みにくく途中まで退屈に思っていました。
しかし、ある青年との別れのとき、目頭が熱くなり体が震えてしまいました。
私にとってはそのページを読めただけでもこの小説を読んだ価値がありました。
読み終えた本を閉じると、心のなかを掻き乱す映像がいくつもよみがえってきます。
とっつきにくい文体とテーマ、時が経ちすぎ馴染みのなくなった用語や言葉もあるでしょうが、
読み進めていけばこの小説には現代を生きる我々の心にも訴えかける何かが必ずあります。
三島の言うように想像で書けたら確かにすごいですが、
体験して描いた真に迫る小説というものはもっとすごいことだと私は思いました。
ただどうしても暗く重い話なので、これ一作を読んで嫌いになってしまっては勿体ないです。
初めて手に取る場合は明るくユーモアにあふれた別の開高作品のほうがおススメできます。
期待して読み始めた「輝ける闇」は、小説というよりもルポの要素が強く印象深いシーンは数多いのですが、
時折挿入される過剰な比喩が読みにくく途中まで退屈に思っていました。
しかし、ある青年との別れのとき、目頭が熱くなり体が震えてしまいました。
私にとってはそのページを読めただけでもこの小説を読んだ価値がありました。
読み終えた本を閉じると、心のなかを掻き乱す映像がいくつもよみがえってきます。
とっつきにくい文体とテーマ、時が経ちすぎ馴染みのなくなった用語や言葉もあるでしょうが、
読み進めていけばこの小説には現代を生きる我々の心にも訴えかける何かが必ずあります。
三島の言うように想像で書けたら確かにすごいですが、
体験して描いた真に迫る小説というものはもっとすごいことだと私は思いました。
ただどうしても暗く重い話なので、これ一作を読んで嫌いになってしまっては勿体ないです。
初めて手に取る場合は明るくユーモアにあふれた別の開高作品のほうがおススメできます。
2021年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学生時代に推薦図書の定番だった開高健の作品を、50年遅れて読みました。愛読対象がフィクションからノンフィクションにシフトした時に、やはり避けては通れない作家と思ったからです。忘れかけていた泥沼のベトナム戦争の記憶が蘇ります。そして神秘的なもう一つの沼地の探検に羨望を覚えました。この部分はフィクションかもしれませんが。
2022年6月29日に日本でレビュー済み
少年の時はもちろんベトナム戦争がわからなかった。青年になり少しはまともに世の中がわかりだし、下手に薄っぺらな知識を得て生意気になっても、やはり、ベトナム戦争はよくわからなかった。「国際共産主義勢力に支援されたハノイ共産主義政権の侵略戦争なのか。それとも、サイゴン傀儡の圧政と腐敗に抗して立ち上がった、南ベトナム知識人と民衆の反政府ゲリラ戦なのか。これらの根本の姿がどう見てもはっきりしてこないばかりか、その混沌の中で、敵味方関係なしに、日常茶飯事のごとく兵士や一般の犠牲者、特に貧しい農民の死者数が膨らんでいく。戦争とはいったい何なのか。私の疑問は結局、究極ではあるが、なんとも漠然としたものになっていってしまった。そして戦争ということになればその中に投げ込まれる小石にしか過ぎない一個の人間の極限状況もある。もちろんそれは戦争の当事者だけが経験する、いや当事者にされた人々が経験する「圧倒的何か」であろう。しかし戦争そのものの位置づけがない限り、その中でただ犠牲になる人々は、いったい何のために死んでいくのか。
「何でも見えるが何にも見えないようでもある。すべてがわかっていながらなんにもわかっていないようでもある。一切が完備しながらすべてがまやかしのようでもある。何でもあるが何にもないようでもある」(「ああ、二十五年」開高健より)
既に半世紀以上前の話だが、ベトナム戦争につきその小説の構想を立て、友人に上記のような感覚を表現したいのだがと語った開高健に対し、友人はウイスキーグラスおきながら「それはハイデッガーだ。ハイデッガーにその観念がある。彼は現代をそういう時代だと考えた。それを彼は『輝ける闇』と呼んでいる」と教えたのでした。こうして開高健の名著「輝ける闇」のタイトルが決まりました。
(別に「渚から来るもの」と言う「輝ける闇」の下敷きのよううな作品もありますが、開高健はそれをボツにしてる)
ある方が、まるでネット時代の現代社会のようであると、先の開高健のことばを引用しそう指摘した短い文章で、たまたま私は、この開高健のことばを初めて知りました。その筆者は開高健が消化した「輝ける闇」ということばを、今のネット社会を掴む一つの切り口にできそうだと控えめに語るのです。筆者は「日々ネットに接していると、ある時はそれが民主主義の守護神にも、知恵の集合体にも見え、またある時には逆に軽薄さ、愚かさの集合体のようにも見える。そこに流れる情報も、本当のようで、嘘のようで、嘘のように本当のようで・・・」と語ってます。
私自身は今あげた筆者の言うネット社会を超えて、現代のアセンション、次元上昇の時代を考える事
に現在没頭しています。今の世の中に未だ溢れる3次元情報が、ホントに嘘っぽく感じられ、限界が
見えだした今日この頃、どのような世界が目の前に開けるのかがわからない不安を感じつつも大きな期待をもって明るい未来を考えてみたい。その時に昔から大好きな開高健の「輝ける闇」を、新しい自分の視点から再考したいと思ったのです。新潮文庫「輝ける闇」の優れた解説は秋山駿ですが私も彼がそこに挙げている開高健の文章が好きです。特に新潮文庫「輝ける闇」のP273から最後までは、私は何度も読み返しました。日本の終戦直前・直後のはなし、サイゴンでの戦場への再出発前の事、そして戦場での緊迫感に満ちた事と話が盛り上がります。秋山駿が挙げた文章もその中にあるのですが、その前後を含めて引用すると「だらだらと汗をにじみつづけるだけの永い午後と、蟻に貪られっぱなしの永い夜から未明へを、送ったり迎えたりしているうちに、自身との蜜語で蔽われてしまえば汚水に私は漬かる。徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。選ばない。扇動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、眼を輝かせ、犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ。だとすれば私は既に半ば死んでいるのではないのか。事態は私の膚のうちにのみとどまって何人にも触知されまい。徒労と知りながらなぜ求めて破滅するのか。戦争は冒険ではない・・・・・」
秋山駿は次のように書いてます。「戦争と敗戦という絶好の機会にも関わらず、日本の文学で戦争という主題を正面から描いたもの、そしてこの主題を書くために自分のすべてを賭けたもの ー つまり
人がそこで一度死んで作家として再び生まれ変わってくるような、創造の行為として書かれた作品と
しては、この『輝ける闇』の他には大岡昇平『野火』があるくらいではないか」また開高健が従来の作家のように彼の「青い月曜日」の延長線上に作家として成熟を目指すような者でなく、現代文学の
出発点とも言える覚悟のほどを示す解説を秋山駿はさらにする。「開高氏はそうはしなかった。こういうところが、従来の伝統的な文学の在り様とは手を切る、本物の現代文学の出発点でありその急所である。開高氏なら『青い月曜日』を読んで、自分で言うであろう ― ふむ、これはいい作品かもしれないが、ここに描かれた自己は、自己完了の形をしている、と。― そんな完了(或る成熟)しつつある自己を、徹底的に解体せよ。そして新たな自己自身を産め。それがこの作家の内耳で鳴った。大いなる声の強制である。彼はその声に素直に従った。徒手空拳、前途不明の賭けである。創造の起点にあって大切な、作家の無私とは、こういう意味のものだ」
これからのアセンションの次元上昇の中で生きて行くには、私のような凡人でも、程度の差こそあれ、自分自身を解体する作業が必須なように思われます。しかも、その世界はハイデッガーが言う「輝ける闇」のような世界ではなく、また開高健が苦しんだ世界でもなく、「見えなかったものが見えてくる世界」つまり、これまでとはまったく異なる、明るい積極的な世界であるはずです。それを文学的にはどう表現するのかは、凡人の私には、少々荷が重いです。しかし、開高健のこの「輝ける闇」に鮮やかに見て取れる「己を解体する」という覚悟ある生きざまは、大なり小なり多くの人がこれから経験していく事に違いないと強く感じます。「私のための戦争だ」と開高も「輝ける闇」の先に挙げた引用文のすぐ後で、そう語っています。平易な表現にすぎませんが、これも私にズシンと響くことばです。ことばが私に突き刺さります。
「何でも見えるが何にも見えないようでもある。すべてがわかっていながらなんにもわかっていないようでもある。一切が完備しながらすべてがまやかしのようでもある。何でもあるが何にもないようでもある」(「ああ、二十五年」開高健より)
既に半世紀以上前の話だが、ベトナム戦争につきその小説の構想を立て、友人に上記のような感覚を表現したいのだがと語った開高健に対し、友人はウイスキーグラスおきながら「それはハイデッガーだ。ハイデッガーにその観念がある。彼は現代をそういう時代だと考えた。それを彼は『輝ける闇』と呼んでいる」と教えたのでした。こうして開高健の名著「輝ける闇」のタイトルが決まりました。
(別に「渚から来るもの」と言う「輝ける闇」の下敷きのよううな作品もありますが、開高健はそれをボツにしてる)
ある方が、まるでネット時代の現代社会のようであると、先の開高健のことばを引用しそう指摘した短い文章で、たまたま私は、この開高健のことばを初めて知りました。その筆者は開高健が消化した「輝ける闇」ということばを、今のネット社会を掴む一つの切り口にできそうだと控えめに語るのです。筆者は「日々ネットに接していると、ある時はそれが民主主義の守護神にも、知恵の集合体にも見え、またある時には逆に軽薄さ、愚かさの集合体のようにも見える。そこに流れる情報も、本当のようで、嘘のようで、嘘のように本当のようで・・・」と語ってます。
私自身は今あげた筆者の言うネット社会を超えて、現代のアセンション、次元上昇の時代を考える事
に現在没頭しています。今の世の中に未だ溢れる3次元情報が、ホントに嘘っぽく感じられ、限界が
見えだした今日この頃、どのような世界が目の前に開けるのかがわからない不安を感じつつも大きな期待をもって明るい未来を考えてみたい。その時に昔から大好きな開高健の「輝ける闇」を、新しい自分の視点から再考したいと思ったのです。新潮文庫「輝ける闇」の優れた解説は秋山駿ですが私も彼がそこに挙げている開高健の文章が好きです。特に新潮文庫「輝ける闇」のP273から最後までは、私は何度も読み返しました。日本の終戦直前・直後のはなし、サイゴンでの戦場への再出発前の事、そして戦場での緊迫感に満ちた事と話が盛り上がります。秋山駿が挙げた文章もその中にあるのですが、その前後を含めて引用すると「だらだらと汗をにじみつづけるだけの永い午後と、蟻に貪られっぱなしの永い夜から未明へを、送ったり迎えたりしているうちに、自身との蜜語で蔽われてしまえば汚水に私は漬かる。徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。選ばない。扇動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、眼を輝かせ、犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ。だとすれば私は既に半ば死んでいるのではないのか。事態は私の膚のうちにのみとどまって何人にも触知されまい。徒労と知りながらなぜ求めて破滅するのか。戦争は冒険ではない・・・・・」
秋山駿は次のように書いてます。「戦争と敗戦という絶好の機会にも関わらず、日本の文学で戦争という主題を正面から描いたもの、そしてこの主題を書くために自分のすべてを賭けたもの ー つまり
人がそこで一度死んで作家として再び生まれ変わってくるような、創造の行為として書かれた作品と
しては、この『輝ける闇』の他には大岡昇平『野火』があるくらいではないか」また開高健が従来の作家のように彼の「青い月曜日」の延長線上に作家として成熟を目指すような者でなく、現代文学の
出発点とも言える覚悟のほどを示す解説を秋山駿はさらにする。「開高氏はそうはしなかった。こういうところが、従来の伝統的な文学の在り様とは手を切る、本物の現代文学の出発点でありその急所である。開高氏なら『青い月曜日』を読んで、自分で言うであろう ― ふむ、これはいい作品かもしれないが、ここに描かれた自己は、自己完了の形をしている、と。― そんな完了(或る成熟)しつつある自己を、徹底的に解体せよ。そして新たな自己自身を産め。それがこの作家の内耳で鳴った。大いなる声の強制である。彼はその声に素直に従った。徒手空拳、前途不明の賭けである。創造の起点にあって大切な、作家の無私とは、こういう意味のものだ」
これからのアセンションの次元上昇の中で生きて行くには、私のような凡人でも、程度の差こそあれ、自分自身を解体する作業が必須なように思われます。しかも、その世界はハイデッガーが言う「輝ける闇」のような世界ではなく、また開高健が苦しんだ世界でもなく、「見えなかったものが見えてくる世界」つまり、これまでとはまったく異なる、明るい積極的な世界であるはずです。それを文学的にはどう表現するのかは、凡人の私には、少々荷が重いです。しかし、開高健のこの「輝ける闇」に鮮やかに見て取れる「己を解体する」という覚悟ある生きざまは、大なり小なり多くの人がこれから経験していく事に違いないと強く感じます。「私のための戦争だ」と開高も「輝ける闇」の先に挙げた引用文のすぐ後で、そう語っています。平易な表現にすぎませんが、これも私にズシンと響くことばです。ことばが私に突き刺さります。
2015年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小説というジャンルなのか???読んでいて、正直、小説というものを読んでいる気には一度もなれなかったが・・・・
いい本なのですからジャンルに拘る必要は一切ないでしょう
文中で主人公である著者は米軍の大尉にこう語る
「いろいろな物のまわりの匂いを書きたい。匂いのなかに本質があるんですから。(中略)匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂い書きたいんです。」
読者に必ずやベトナム戦争の匂いが伝わってくる・・・・
まさに「匂い」を書いた素晴らしい傑作だと思います
いい本なのですからジャンルに拘る必要は一切ないでしょう
文中で主人公である著者は米軍の大尉にこう語る
「いろいろな物のまわりの匂いを書きたい。匂いのなかに本質があるんですから。(中略)匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂い書きたいんです。」
読者に必ずやベトナム戦争の匂いが伝わってくる・・・・
まさに「匂い」を書いた素晴らしい傑作だと思います
2015年5月11日に日本でレビュー済み
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汗、汚物、妄執、倦怠、肉欲、食欲、人間の臭気が物凄く濃い。
戦後間もない混沌とした日本、戦地のベトナム、
革命に高揚する騒乱の地を駆け廻り、転び、泣き叫び、
人は達観し、やがて「無」となるのか?
開高健の小説には常に「濃い臭い」がある。
だから、有る程度は腰を据えて挑まないといけない。
生半可な気分で相対すると、「濃い臭い」に気倒されてしまいます。
「闇」の中には「輝ける人々」が居るのですね。
戦後間もない混沌とした日本、戦地のベトナム、
革命に高揚する騒乱の地を駆け廻り、転び、泣き叫び、
人は達観し、やがて「無」となるのか?
開高健の小説には常に「濃い臭い」がある。
だから、有る程度は腰を据えて挑まないといけない。
生半可な気分で相対すると、「濃い臭い」に気倒されてしまいます。
「闇」の中には「輝ける人々」が居るのですね。
2014年5月31日に日本でレビュー済み
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戦争の怖さ・愚かさ、平和の大事さ、日常生活の幸せを考えされられる本です。