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ながい坂 (上巻) (新潮文庫) 文庫 – 1971/7/19
山本 周五郎
(著)
徒士組という下級武士の子に生まれた小三郎は、八歳の時に偶然経験した屈辱的な事件に深く憤り、人間として目ざめる。学問と武芸にはげむことでその屈辱をはねかえそうとした小三郎は、成長して名を三浦主水正と改め、藩中でも異例の抜擢をうける。若き主君、飛騨守昌治が計画した大堰堤工事の責任者として、主水正は、さまざまな妨害にもめげず、工事の完成をめざす。
- 本の長さ550ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1971/7/19
- ISBN-104101134170
- ISBN-13978-4101134178
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1971/7/19)
- 発売日 : 1971/7/19
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 550ページ
- ISBN-10 : 4101134170
- ISBN-13 : 978-4101134178
- Amazon 売れ筋ランキング: - 291,952位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者の晩年の作品です。文筆家はしばしば同じテーマを追求するものですが、その時々の環境、年齢、経験の積み重ねによって、当然のことながら表現もストーリーの展開も変わってきます。この作品の主人公、三浦主水正も、例えば、樅の木は残った、の原田甲斐に似た重荷が負わされます。作者がそれを原田甲斐とは違う個性を持った主水正にどう解決させていくのか、それを読むのが私の楽しみです。
2017年11月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1964年6月29日から66年1月8日まで週刊新潮に連載されていた小説。翌年2月に作者は亡くなられているので,単行本化に際し細かく手が入れられなかったのか?雑誌を各号読みついでいる感じのリズムのブツ切り感が残念。同様に各エピソードの整合性も今ひとつで尻つぼみ,辻褄あわせ的な展開になるのが惜しい。読了直後は,やっぱり先生は短編の名手か,とも思ったけど,きちんと改稿して単行本化すればやはり名作長編になったに違いない。主人公主水正も魅力的でストーリー展開も定番ながらしっかりとしているのでその辺がちょっと惜しい。でも読んで損はありませんよ。
2016年5月3日に日本でレビュー済み
◎感動&共感した場面
「ここは坂だったのか?」
作者は主人公の心の成長を描写したかったのか?
◎共感出来ない部分
主人公は孤児や知人(滝沢兵部等)には親切にするのだが、肉親には非常に薄情というか辛辣だ。現実にはこの様な人は居ないのではないか?
「ここは坂だったのか?」
作者は主人公の心の成長を描写したかったのか?
◎共感出来ない部分
主人公は孤児や知人(滝沢兵部等)には親切にするのだが、肉親には非常に薄情というか辛辣だ。現実にはこの様な人は居ないのではないか?
2019年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
下級武士の子供に生まれながら、学問と武芸に励み、抜擢を受けていく主人公。
少年から大人へ成長していく中で、主人公が自分の人生を見つめ、自分の人生に与えられた使命のようなものを見つけていく姿に感動させられました。
少年から大人へ成長していく中で、主人公が自分の人生を見つめ、自分の人生に与えられた使命のようなものを見つけていく姿に感動させられました。
2018年6月3日に日本でレビュー済み
山本周五郎『ながい坂(上)』(新潮文庫、1971年)は江戸時代の小藩を舞台とした長編時代小説である。主人公は下級武士の息子であるが、8歳の時に上級武士の家人から受けた屈辱を忘れず、学問や武芸に励む。主人公は優秀であるが、誰もが認める英才ではない。この点は「内蔵允留守」「青竹」のように世間一般とは異なる価値基準で能力のある人を描く著者らしい。
本書では、あまり良い関係ではない人間から別れ際に「気をつけて」と呼びかけれて不快感を覚えたとの描写がある。「ひやっと肌寒さを感じた」「耳を塞ぎたくなる」とまで言っている(212頁)。表面的には「気をつけて」と呼びかけることは悪いことではないが、相手に面倒をかけておきながら、表向き配慮しているかのようなアリバイ作りの欺瞞を感じることがある。本書は人間心理を突いている。
贅沢を否定する主人公の美意識は心地よい。単純な料理でも心がこもっていて人を感嘆させる(539頁)。味と価格が比例するという類の浅ましさはない。贅沢を否定する美学は庭にも表れている。「自然のままの、少しの気取りもない野末のけしき」を以下のように評している。「どんなに費用をかけ、贅をつくして造った庭も、このけしきには遠く及ばない」(下巻12頁)
主人公は家族との関係は駄目だが、社会では有能である。よく「斉家治国平天下」「慈善は家庭から」と言われるが、主人公には該当しない。そのようなパターンもあるだろう。あれもこれもを目指さなくても良い。
著者は江戸時代の情緒を描く名手であるが、本書は現代小説的である。主人公は自我を持ち、生き方に悩む近代人的な心理を持つ。庶民はギリギリの生活に苦しむ一方で、大商人が家老と結託して藩を牛耳る。これは既得権益から利益を得る現代日本の官僚資本主義に重なる。
御用商人は藩から独占権を得て、莫大な利益を上げている。独占権には業界の庇護者としての責任があるという名目になっている。「ところがしばしば、その「責任」は「権利」に転用され、業者を庇護するより、かれらを支配し、思うままに操縦する、という結果があらわれるようであった」(540頁)。これは現代日本の公共性の論理と重なる点がある。故に規制緩和が改革として求められる。
本書では、あまり良い関係ではない人間から別れ際に「気をつけて」と呼びかけれて不快感を覚えたとの描写がある。「ひやっと肌寒さを感じた」「耳を塞ぎたくなる」とまで言っている(212頁)。表面的には「気をつけて」と呼びかけることは悪いことではないが、相手に面倒をかけておきながら、表向き配慮しているかのようなアリバイ作りの欺瞞を感じることがある。本書は人間心理を突いている。
贅沢を否定する主人公の美意識は心地よい。単純な料理でも心がこもっていて人を感嘆させる(539頁)。味と価格が比例するという類の浅ましさはない。贅沢を否定する美学は庭にも表れている。「自然のままの、少しの気取りもない野末のけしき」を以下のように評している。「どんなに費用をかけ、贅をつくして造った庭も、このけしきには遠く及ばない」(下巻12頁)
主人公は家族との関係は駄目だが、社会では有能である。よく「斉家治国平天下」「慈善は家庭から」と言われるが、主人公には該当しない。そのようなパターンもあるだろう。あれもこれもを目指さなくても良い。
著者は江戸時代の情緒を描く名手であるが、本書は現代小説的である。主人公は自我を持ち、生き方に悩む近代人的な心理を持つ。庶民はギリギリの生活に苦しむ一方で、大商人が家老と結託して藩を牛耳る。これは既得権益から利益を得る現代日本の官僚資本主義に重なる。
御用商人は藩から独占権を得て、莫大な利益を上げている。独占権には業界の庇護者としての責任があるという名目になっている。「ところがしばしば、その「責任」は「権利」に転用され、業者を庇護するより、かれらを支配し、思うままに操縦する、という結果があらわれるようであった」(540頁)。これは現代日本の公共性の論理と重なる点がある。故に規制緩和が改革として求められる。
2015年5月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
主人公阿部小三郎あらため三浦主水正は、幼少期のある出来事をきっかけに、平侍の徒歩組という武士としては最下層に近い身分から、血のにじむような努力と克己心で文武両道をおさめ、藩主のお側小姓を皮切りに、十代の頃から立身を重ねてゆく。
彼はまだ十代の町奉行与力見習の身で、大火の際に際立った判断で被害を最小限に食い止め、復興処理に活躍する。
また、実家に伝わる古文書から、高地にある広大な「捨野」を新田に変えるため、低地の川から水を引く方法を知り献策、責任者として腕を振るう。
そんな彼の手腕を評価し支援してくれた藩主飛騨守昌治が陰謀により失脚し、藩は佞臣達と上方富商の悪政により、窮乏。
昌治に目をかけられた少数の若手藩士たちは、主水正をリーダーに、その身分と生命の危機に耐え、昌治の復権と悪政一新のために地を這うような活動を続ける。
主水正は、人並み外れた努力家ではあるが、現実離れした天才ではない。
幼少期から彼の前に立ちはだかる妨害、嘲笑、生命の危険、刺客や佞臣たちの圧力、貧困や家族の没落・死など、試練の数々は、当の主水正より読者の方が気が遠くなり、辛くなってしまう。
物語後半、主水正が呼吸が苦しくなるほど言い様のない不安に襲われ、夜の闇の中を歩き回り、波立つ心を必死に抑えようとする情景が何回か出てくる。
「自分がこんな状況に置かれたら、どれほど辛いだろう」「精神の平衡を保てないかも知れないだろうな」と痛感した。
彼ほどの人物であっても、必ずしも自分の能力を頼んで前向きに復活するわけではなくて、必死に、少しずつ弱い自分をなだめながら一歩一歩進む様は、心から共感できた。
もちろん、幼少期から彼を支えてくれた恩師たちや身分の違いを越えた友人たち、そして名君にして自ら人一倍の重荷を背負う藩主昌治の支援があればこそ、の彼の道行きなのだが。
この物語は、才知に恵まれつつも身分の低い一人の武士の子が、尋常でない努力と精神力で成長し、立身出世する大河ドラマの傑作であると共に、現代に生きるわれわれ弱い者たちに、「耐え難いかも知れないけど、今日一日辛抱して努めてみよう、そうすれば明日もやれるかも知れない」というメッセージを控えめに伝えてくれているような気がしてなりません。
緊張感・疲労感を強いられるお話ですが、この本に出合えてよかったと思います。
彼はまだ十代の町奉行与力見習の身で、大火の際に際立った判断で被害を最小限に食い止め、復興処理に活躍する。
また、実家に伝わる古文書から、高地にある広大な「捨野」を新田に変えるため、低地の川から水を引く方法を知り献策、責任者として腕を振るう。
そんな彼の手腕を評価し支援してくれた藩主飛騨守昌治が陰謀により失脚し、藩は佞臣達と上方富商の悪政により、窮乏。
昌治に目をかけられた少数の若手藩士たちは、主水正をリーダーに、その身分と生命の危機に耐え、昌治の復権と悪政一新のために地を這うような活動を続ける。
主水正は、人並み外れた努力家ではあるが、現実離れした天才ではない。
幼少期から彼の前に立ちはだかる妨害、嘲笑、生命の危険、刺客や佞臣たちの圧力、貧困や家族の没落・死など、試練の数々は、当の主水正より読者の方が気が遠くなり、辛くなってしまう。
物語後半、主水正が呼吸が苦しくなるほど言い様のない不安に襲われ、夜の闇の中を歩き回り、波立つ心を必死に抑えようとする情景が何回か出てくる。
「自分がこんな状況に置かれたら、どれほど辛いだろう」「精神の平衡を保てないかも知れないだろうな」と痛感した。
彼ほどの人物であっても、必ずしも自分の能力を頼んで前向きに復活するわけではなくて、必死に、少しずつ弱い自分をなだめながら一歩一歩進む様は、心から共感できた。
もちろん、幼少期から彼を支えてくれた恩師たちや身分の違いを越えた友人たち、そして名君にして自ら人一倍の重荷を背負う藩主昌治の支援があればこそ、の彼の道行きなのだが。
この物語は、才知に恵まれつつも身分の低い一人の武士の子が、尋常でない努力と精神力で成長し、立身出世する大河ドラマの傑作であると共に、現代に生きるわれわれ弱い者たちに、「耐え難いかも知れないけど、今日一日辛抱して努めてみよう、そうすれば明日もやれるかも知れない」というメッセージを控えめに伝えてくれているような気がしてなりません。
緊張感・疲労感を強いられるお話ですが、この本に出合えてよかったと思います。
2015年8月30日に日本でレビュー済み
本書は、山本周五郎氏の最後の長編とのことだが、一人の男の人生を幼年時代からじっくりと描いた読み応え十分な作品だ。
飛騨藩の平侍の長男として生まれた主人公は、8歳の時に自分の人生を変えると決意し、ながい坂を登りはじめる。その道は一本道ではなく、多くの選択肢のなかで孤独感を味わいながら、一歩一歩道を切り開いていく主人公の姿に、読者は時に共感を覚え、時に何て堅物だろうとじれったい思いをするなど、様々な感情に襲われるであろう。
そして読み終わったときには、一人の人間の長い人生を味わったような感慨を覚えるのではないだろうか。ただ、物語の終わった時点で、主人公はまだ40弱なので、この先まだながい坂を登り続けなければいけないわけだが。
飛騨藩の平侍の長男として生まれた主人公は、8歳の時に自分の人生を変えると決意し、ながい坂を登りはじめる。その道は一本道ではなく、多くの選択肢のなかで孤独感を味わいながら、一歩一歩道を切り開いていく主人公の姿に、読者は時に共感を覚え、時に何て堅物だろうとじれったい思いをするなど、様々な感情に襲われるであろう。
そして読み終わったときには、一人の人間の長い人生を味わったような感慨を覚えるのではないだろうか。ただ、物語の終わった時点で、主人公はまだ40弱なので、この先まだながい坂を登り続けなければいけないわけだが。
2018年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
友人へのプレゼントだったのですが、まさか、新古品が、手に入るとは!
喜んで貰えました。
喜んで貰えました。