過去の自分を言葉にし発した時、まるで自分のことではないように感じることは確かにある。
過去の「私」も幻想の中の「私」も、今の「私」ではないという意味では同質。
そこに、今はない。
だから、人魚(過去や幻想)は歌う「目覚めよ(今を生きろ)」と。
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目覚めよと人魚は歌う (新潮文庫) 文庫 – 2004/10/28
星野 智幸
(著)
大きな目は少し緑がかって睫毛が長く肌は薄いシナモン色をした日系ペルー人の青年ヒヨヒトは、暴走族との乱闘事件に巻き込まれ伊豆高原の家に逃げ込んだ。そこでは恋人との夢のような想い出に生きる女・糖子が疑似家族を作って暮らしていた。自分の居場所が見つからないふたりが出逢い触れ合った数日間を、サルサのリズムにのせて濃密に鮮やかに艶かしく描く。三島由紀夫賞受賞作。
- 本の長さ152ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/10/28
- ISBN-104101164517
- ISBN-13978-4101164519
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/10/28)
- 発売日 : 2004/10/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 152ページ
- ISBN-10 : 4101164517
- ISBN-13 : 978-4101164519
- Amazon 売れ筋ランキング: - 722,341位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1965年、 アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。88年、 早稲田大学卒業。2年半の新聞社勤務後、 メキシコに留学。97年『最後の吐息』で文藝賞を受賞しデビュー。2000年『目覚めよと人魚は歌う』で三島由紀夫賞、 03年 『ファンタジスタ』 で野間文芸新人賞、11年 『俺俺』 で大江健三郎賞、15年 『夜は終わらない』 で読売文学賞を受賞。『焔』『呪文』 『未来の記憶は蘭のなかで作られる』 など著書多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2022年9月13日に日本でレビュー済み
〇 藍や臙脂やオレンジなどの強い色の絵の具を厚く塗って描いた絵のようで、強烈な色彩感と他のどこでも見られない比喩にあふれた文章に魅了された。冒頭からこんなふうに始まる。
「電気仕掛けのような夜だった。天頂にぶら下がった月は巨大な白熱球の形をして、赤土がむきだしの台地やススキ野原を、氷河の色に照らしていた。蛙に代わって鳴き始めた秋の無視は、ジーィという電磁波を送ってわたしを乗っ取り、操ろうとする。群青に透きとおった大気を縫って、涼しい空気の混じった風はそよぎ続け、プラチナ色に輝くススキの穂をふるわせ、波打ちぎわにも似たさざめきを絶やさない。」
〇 物語は単純だ。暴走族との抗争でその一人を殺してしまった日系ペルー人の若者が恋人とふたりで伊豆の隠れ家のような家に逃れてそこに滞在する数日間を描く。かれの脳裏にはペルーの日々、日本での日々が去来し、自身のアイデンティティーの分裂に苦しむ。
〇 前半の力に満ちた文章も後半になると少し勢いを失うこと、かれがなぜ隠れ家を出る決意を固めることができたのかが十分に描かれていないことなど、龍頭蛇尾とまでは言わないにしろ、後半部に多少の不満を感じる。それでも、力感溢れる若々しい文章はそうしたところを補って余りある。わたしはこの作品が大好きだ。
「電気仕掛けのような夜だった。天頂にぶら下がった月は巨大な白熱球の形をして、赤土がむきだしの台地やススキ野原を、氷河の色に照らしていた。蛙に代わって鳴き始めた秋の無視は、ジーィという電磁波を送ってわたしを乗っ取り、操ろうとする。群青に透きとおった大気を縫って、涼しい空気の混じった風はそよぎ続け、プラチナ色に輝くススキの穂をふるわせ、波打ちぎわにも似たさざめきを絶やさない。」
〇 物語は単純だ。暴走族との抗争でその一人を殺してしまった日系ペルー人の若者が恋人とふたりで伊豆の隠れ家のような家に逃れてそこに滞在する数日間を描く。かれの脳裏にはペルーの日々、日本での日々が去来し、自身のアイデンティティーの分裂に苦しむ。
〇 前半の力に満ちた文章も後半になると少し勢いを失うこと、かれがなぜ隠れ家を出る決意を固めることができたのかが十分に描かれていないことなど、龍頭蛇尾とまでは言わないにしろ、後半部に多少の不満を感じる。それでも、力感溢れる若々しい文章はそうしたところを補って余りある。わたしはこの作品が大好きだ。
2010年3月3日に日本でレビュー済み
星野さんの小説を読むのは初めて(10年前の作品)。
伊坂幸太郎さんほど饒舌ではなく、小池昌代さんよりは世界の状況を反映した物語を生もうと格闘し、古川日出男さんほど自己陶酔していないという作風か。女性の描き方は大江健三郎さんを連想させる。
殺人を犯したのかもしれない日系ペルー人の青年が恋人と逃げ込んだのは、過去の愛に生きる女がつむぐ擬似家族の家。となると、中上健次さんあたりならそこから新たな旅が始まるといった展開になるだろうと思うけれど、星野さんのこの小説では物語らしい展開はない。長い、どこか非現実的な独白(こんな風に人は考えるかしら)が赤土に囲まれて孤立した家のなかで交差する。何か、小説を生もうと格闘している小説といった印象だけど、悪い感じはしない。それはたぶん、作品を通して伝わってくるある種の誠実さ、つやつやした文体の生命感が、可能性を感じさせるからだろう。
星野さんのその後の作品も読んでみよう。
伊坂幸太郎さんほど饒舌ではなく、小池昌代さんよりは世界の状況を反映した物語を生もうと格闘し、古川日出男さんほど自己陶酔していないという作風か。女性の描き方は大江健三郎さんを連想させる。
殺人を犯したのかもしれない日系ペルー人の青年が恋人と逃げ込んだのは、過去の愛に生きる女がつむぐ擬似家族の家。となると、中上健次さんあたりならそこから新たな旅が始まるといった展開になるだろうと思うけれど、星野さんのこの小説では物語らしい展開はない。長い、どこか非現実的な独白(こんな風に人は考えるかしら)が赤土に囲まれて孤立した家のなかで交差する。何か、小説を生もうと格闘している小説といった印象だけど、悪い感じはしない。それはたぶん、作品を通して伝わってくるある種の誠実さ、つやつやした文体の生命感が、可能性を感じさせるからだろう。
星野さんのその後の作品も読んでみよう。
2018年5月6日に日本でレビュー済み
これを読む前に大江健三郎の若い頃の短編集を読んでいたので、それに比べれば驚くほどポップだし、少しも難解ではない、と感じた。ただ、人称が混じり合う部分については、中途半端じゃないか。もっと徹底してやらないと、この手の企みは作者が未熟なのでは?という疑いの方が強く読み手に根付いてしまう。意図はわかるのだが。色々書いたが、作者独特の気持ち悪さが味わえる作品で、その点に明確な個性が窺えた。
2010年8月11日に日本でレビュー済み
三島賞受賞作品。受賞時の選評がネット上で読めるので,検索されるとよいであろう。自分は福田和也氏の意見と近かった。この作品を難解だという人がいるが難しいのは最初の20頁ぐらいであとはリーダブルである。最初を読んだときはこの調子が続けば面白いのではと思ったが,すぐに息切れという感じだ。「幻想と現実を自在に行き来する」(角田氏の解説)などというが成功しているのはごく一部だ。
2004年10月20日に日本でレビュー済み
ヒヨヒトとあな。
糖子と蜜夫。
そしてヒヨヒトと糖子。
ヒヨヒトは、日系ペルー人という呪縛に翻弄されながら日々を生きていた。迷いながら、ただ、迷って、もがいている。
それを支えようとするあな。
そして、かつての壊れた愛情に縋りながら、現実をみることもできない
糖子。
丸越という、糖子を思ってくれる相手もいるけれど
それは、糖子には中々届いていない。
ヒヨと糖子は、奇妙な何かで、繋がっていた。
たった三日間、まるで南米のようなうだるような熱気の中で、
蜃気楼のような三日間、
でもリアルな魂のふれあい。
細かな、批評はできないです。
わたしは批評家でもないし・・・
感じたことしか、いえません。
けれど、わたしはこの作品のなかでうだるような熱気に包まれた。
星野智幸の作った空間に迷い込んだ、そういえるのではないでしょうか。
すばらしい作品でした。
生きている時間を感じることができました。
内容といえば、そこまで大きな変化があるわけではなく、
もちろん移民に対する日本政府の、鋭い批判などがこめられてはいるのですが、それ以上にこの作品のもつ、独特のうだるような熱気に
飲まれるのではないでしょうか。
糖子と蜜夫。
そしてヒヨヒトと糖子。
ヒヨヒトは、日系ペルー人という呪縛に翻弄されながら日々を生きていた。迷いながら、ただ、迷って、もがいている。
それを支えようとするあな。
そして、かつての壊れた愛情に縋りながら、現実をみることもできない
糖子。
丸越という、糖子を思ってくれる相手もいるけれど
それは、糖子には中々届いていない。
ヒヨと糖子は、奇妙な何かで、繋がっていた。
たった三日間、まるで南米のようなうだるような熱気の中で、
蜃気楼のような三日間、
でもリアルな魂のふれあい。
細かな、批評はできないです。
わたしは批評家でもないし・・・
感じたことしか、いえません。
けれど、わたしはこの作品のなかでうだるような熱気に包まれた。
星野智幸の作った空間に迷い込んだ、そういえるのではないでしょうか。
すばらしい作品でした。
生きている時間を感じることができました。
内容といえば、そこまで大きな変化があるわけではなく、
もちろん移民に対する日本政府の、鋭い批判などがこめられてはいるのですが、それ以上にこの作品のもつ、独特のうだるような熱気に
飲まれるのではないでしょうか。
2005年6月28日に日本でレビュー済み
この本を手に取ると、赤いうろこの人魚がとても艶かしい表紙にまず惹かれてしまいます。登場人物は糖子に蜜生に蜜夫、日曜人とかいてヒヨヒト、通称ヒヨとあな、と見るからに甘ったるくって濃厚です。この物語の世界の住人にぴったりの名前ですね。それに物語の場所は伊豆のはずなのですがなぜか南米を思わせます。
物語自体は難解です。なかなかこの本の世界の仕組みを理解するのに時間がかかります。現実と空想の世界がまぜこぜになって、両者の区別がつきづらい。
この本の解説を角田光代さんがされています。この解説がまたおもしろい。解説を読んでから再び本編を読むとまた物語が違った角度から読めてまた楽しめます。解説とセットでおすすめの一冊です。
物語自体は難解です。なかなかこの本の世界の仕組みを理解するのに時間がかかります。現実と空想の世界がまぜこぜになって、両者の区別がつきづらい。
この本の解説を角田光代さんがされています。この解説がまたおもしろい。解説を読んでから再び本編を読むとまた物語が違った角度から読めてまた楽しめます。解説とセットでおすすめの一冊です。
2006年9月2日に日本でレビュー済み
硬そうでいてじつはねっとりとした文章。その独特な雰囲気にひたれるかどうかがこの作品を楽しめるかどうかの鍵。
作品の質としては大変良質だと思うが、自分は選ばれざるほうの読者だったように思う。読んでていやでいやでしょうがなかった。
作品の質としては大変良質だと思うが、自分は選ばれざるほうの読者だったように思う。読んでていやでいやでしょうがなかった。