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観光バスの行かない…―埋もれた古寺 (新潮文庫) 文庫 – 1983/12/1
岡部伊都子
(著)
- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1983/12/1
- ISBN-104101221014
- ISBN-13978-4101221014
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1983/12/1)
- 発売日 : 1983/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 262ページ
- ISBN-10 : 4101221014
- ISBN-13 : 978-4101221014
- Amazon 売れ筋ランキング: - 979,400位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
どんなお寺が載っているか興味深々でしたが有名なお寺ばかりでした。わずか数十年前までは誰もいかない埋もれた古刹だったのですね。
2015年10月19日に日本でレビュー済み
岡部女史の文章はひと時の時代の憂さを思い起こさせてくれる、懐かしいにおいがする。ある日この書に出会ったとき、夏の暑い日盛りの頃当時の世相と時に伴走しつつ物された時代の遺物に感服させられながら、私は枕の上でひと時この書に想いを委ねたのであった。
私はこのエッセイの中で特に蟹満寺の文章が好きだ。出だしからほのかな冴えを感じさせる。
「白く乾いた土の道から、陽のほてりがかっと反射し、頭上の陽はまた熱っぽく空間を燃やし続ける。…あたりはただ白炎がくるめき、自分もその中に漂う一かたまりの炎のようである。」
観光バスが往来する大寺ではなく女史の鑑識眼に耐えうる古寺の魅力は観光化がいささか進んだ現代においても聊かも色あせない。
蟹満寺は古からのもの悲しい伝説に彩られた寺である。美しい少女が蟹をがいじめられているのを助け、父も蝦蟇が蛇に飲み込まれそうになるのを助けた折に蛇に助けてくれたら娘を嫁にやるといってしまったために、娘が災難にあったのを小さい蟹が守ったという由来があるそうである。蟹という小さきもののいじらしさは婦人の心を打つものなのかもしれない。往時の蟹に守らるるがごとく貴婦人である釈迦如来が鎮座している。
古寺をめぐる魅力、聊かの説明もいらずただ鎮座する如来や菩薩の美を愛でることそれが至高のものであることは言を俟たない。しかし婦人のハンドバックに美の巡礼の虎の巻を持つこともまた大人の婦人の嗜みなのではないだろうか。そんな嗜みに見合う翡翠がこの女史の物した本だと感じるのである。
私はこのエッセイの中で特に蟹満寺の文章が好きだ。出だしからほのかな冴えを感じさせる。
「白く乾いた土の道から、陽のほてりがかっと反射し、頭上の陽はまた熱っぽく空間を燃やし続ける。…あたりはただ白炎がくるめき、自分もその中に漂う一かたまりの炎のようである。」
観光バスが往来する大寺ではなく女史の鑑識眼に耐えうる古寺の魅力は観光化がいささか進んだ現代においても聊かも色あせない。
蟹満寺は古からのもの悲しい伝説に彩られた寺である。美しい少女が蟹をがいじめられているのを助け、父も蝦蟇が蛇に飲み込まれそうになるのを助けた折に蛇に助けてくれたら娘を嫁にやるといってしまったために、娘が災難にあったのを小さい蟹が守ったという由来があるそうである。蟹という小さきもののいじらしさは婦人の心を打つものなのかもしれない。往時の蟹に守らるるがごとく貴婦人である釈迦如来が鎮座している。
古寺をめぐる魅力、聊かの説明もいらずただ鎮座する如来や菩薩の美を愛でることそれが至高のものであることは言を俟たない。しかし婦人のハンドバックに美の巡礼の虎の巻を持つこともまた大人の婦人の嗜みなのではないだろうか。そんな嗜みに見合う翡翠がこの女史の物した本だと感じるのである。
2009年1月31日に日本でレビュー済み
著者は1950-80年代に寺社、奈良、京都、仏像についての文章で活躍した人物。
本書は、単行本(1962年)と文庫版(1975年)の2種類がある。
もともと1960-61年に『芸術新潮』に連載された紀行文。当時、奈良や京都の寺社は急速に観光地化しつつあった。観光バスが横付けして、団体客がぞろぞろという風景が出現しはじめていたのである。そのなかで、人に知られず参拝客もまばらな寺を探し、訪れてまわったのが本書ということになる。
取り上げられているのは、関西の寺。京都の高山寺、泉涌寺、浄瑠璃寺、曼殊院、永観堂、奈良の室生寺、般若寺、当麻寺、兵庫の鶴林寺、無動寺、大阪の東光寺、四天王寺別院勝鬘院、滋賀の渡岸寺など。
これらの寺を訪ねて、仏像を拝ませてもらう。淡々とした文章ながら、寺や仏像の魅力が的確に伝わってくる。また、社会情勢とからめた文章も多い。
執筆されたのは半世紀近く昔である。永観堂や渡岸寺、室生寺など、すっかり観光地化してしまったところも少なくない。まさに「観光バスの行く」寺になってしまったのである。一方で、このころのままの雰囲気を保っている寺もある。どちらが良いかは難しいところだが…。本書を片手に両方をめぐってみると面白いと思う。
本書は、単行本(1962年)と文庫版(1975年)の2種類がある。
もともと1960-61年に『芸術新潮』に連載された紀行文。当時、奈良や京都の寺社は急速に観光地化しつつあった。観光バスが横付けして、団体客がぞろぞろという風景が出現しはじめていたのである。そのなかで、人に知られず参拝客もまばらな寺を探し、訪れてまわったのが本書ということになる。
取り上げられているのは、関西の寺。京都の高山寺、泉涌寺、浄瑠璃寺、曼殊院、永観堂、奈良の室生寺、般若寺、当麻寺、兵庫の鶴林寺、無動寺、大阪の東光寺、四天王寺別院勝鬘院、滋賀の渡岸寺など。
これらの寺を訪ねて、仏像を拝ませてもらう。淡々とした文章ながら、寺や仏像の魅力が的確に伝わってくる。また、社会情勢とからめた文章も多い。
執筆されたのは半世紀近く昔である。永観堂や渡岸寺、室生寺など、すっかり観光地化してしまったところも少なくない。まさに「観光バスの行く」寺になってしまったのである。一方で、このころのままの雰囲気を保っている寺もある。どちらが良いかは難しいところだが…。本書を片手に両方をめぐってみると面白いと思う。
2012年10月29日に日本でレビュー済み
「観光バスの行かない」素晴らしい本でした。
古寺だけど、地元地域の無名の人たちに支えられた寺。
しかし、今や観光化しなくては維持できない寺。このパラドックス。しかし、
西岡棟梁曰く、木は3百年。ぼろでもがんこに歴史は繋ぎたいね。
古寺だけど、地元地域の無名の人たちに支えられた寺。
しかし、今や観光化しなくては維持できない寺。このパラドックス。しかし、
西岡棟梁曰く、木は3百年。ぼろでもがんこに歴史は繋ぎたいね。