この本は、靖国神社の成り立ちを描いた本です。
戦後民主主義で靖国神社のイメージと言えば、「軍国主義」「復古主義」であり、抑圧の象徴だと思いますが、この本を読めば、靖国神社は、むしろ「近代主義」の象徴であり、伝統の破壊者の側面がある、ということが理解できると思います。(そして、それは新たな伝統の始まりでもあります。)
それに加えて、この本を読めば靖国神社が神社の役割として、近代主義と封建主義のはざま、生と死のはざま、特権階級と庶民階級のはざま、日常と非日常のはざまをつくり、人々を惹きつけ、人々に愛されていた、ということも理解できると思います。
この本を読めば靖国神社を「戦争」という視点だけで捉えるのは無理がある、ということが理解できるのではないでしょうか。
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靖国 (新潮文庫) 文庫 – 2001/7/30
坪内 祐三
(著)
「軍国主義の象徴」か、あるいは「英霊の瞑る聖地」か。八月がくるたびに、閣僚の公式参拝の是非が論じられる靖国神社。しかし、そもそも靖国は、建立当初はどのような貌をした場所だったのか――イデオロギーにまみれ、リアルな場として語られることのなかった空間の意外な姿を膨大な史料を駆使して再現し、近代化を経て現在に引き継がれる、日本人の精神性を発見する痛快な評論。
- 本の長さ349ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2001/7/30
- ISBN-104101226318
- ISBN-13978-4101226316
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2001/7/30)
- 発売日 : 2001/7/30
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 349ページ
- ISBN-10 : 4101226318
- ISBN-13 : 978-4101226316
- Amazon 売れ筋ランキング: - 577,381位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2017年12月3日に日本でレビュー済み
著者の作風が好きで、この本も出版当初に購入したのだが、なかなか読む機会に恵まれず、小谷野敦氏の「中庸、ときどきラディカル」の中で取り上げられていて、ぜひ読まねばと思い立って今回読んだ。
元々この場所は信仰の場というよりアミューズメントパークの方が似合う場所であり、競馬場、遊就館、勧工場(九段下)が設置され、日露戦争の勝利を祝う臨時大祭が挙行されたりした。また文学の中で靖国がどのように取り上げられたかを描き、軍人会館と野々宮アパートが向い合せで建てられた対比、そして最後に力道山による奉納プロレスを紹介して、靖国が決して畏れ多い場ではなく、雑多な親しみやすい場であったことを示した。最後のボブ・ディランの日本武道館でのコンサートの話も面白い。
元々この場所は信仰の場というよりアミューズメントパークの方が似合う場所であり、競馬場、遊就館、勧工場(九段下)が設置され、日露戦争の勝利を祝う臨時大祭が挙行されたりした。また文学の中で靖国がどのように取り上げられたかを描き、軍人会館と野々宮アパートが向い合せで建てられた対比、そして最後に力道山による奉納プロレスを紹介して、靖国が決して畏れ多い場ではなく、雑多な親しみやすい場であったことを示した。最後のボブ・ディランの日本武道館でのコンサートの話も面白い。
2013年5月14日に日本でレビュー済み
本書は…名著だと思います。靖国神社というと,第二次大戦のA級戦犯を含む,英霊たちを祀ったところで,公式参拝や政教分離なんてことで話題になるところというのがボヤ〜っとした一般的な印象でしょうか。ちょっと引用。
靖国神社の起源は,幕末の尊皇攘夷運動の中で斃(たお)れた志士たちの例を弔慰する目的で作られた招魂墳墓,招魂場にある。(37〜38ページ)
靖国神社の歴史はそんなに古いものではないんですね。おおざっぱに言って,明治維新の頃が起源。驚いたことに明治4年〜31年には靖国神社(招魂社)で競馬が行われたとのこと。かつての靖国神社(招魂社)は「洋風(モダン)でハイカラな場所」(78ページ)だったそうです。今で言うと,六本木ヒルズみたいなものでしょうか。サーカスや相撲なども来た,開かれた場所だったんですね。
本書によって,靖国神社について,近現代史それも幅広い文化史的観点から学べたのはありがたかった。おいしい読書でした。どうもありがとうございました。坪内祐三様。
靖国神社の起源は,幕末の尊皇攘夷運動の中で斃(たお)れた志士たちの例を弔慰する目的で作られた招魂墳墓,招魂場にある。(37〜38ページ)
靖国神社の歴史はそんなに古いものではないんですね。おおざっぱに言って,明治維新の頃が起源。驚いたことに明治4年〜31年には靖国神社(招魂社)で競馬が行われたとのこと。かつての靖国神社(招魂社)は「洋風(モダン)でハイカラな場所」(78ページ)だったそうです。今で言うと,六本木ヒルズみたいなものでしょうか。サーカスや相撲なども来た,開かれた場所だったんですね。
本書によって,靖国神社について,近現代史それも幅広い文化史的観点から学べたのはありがたかった。おいしい読書でした。どうもありがとうございました。坪内祐三様。
2010年2月4日に日本でレビュー済み
靖国というと、右も左もともかく政治的な場としてしかとらえられないことが多い。
だが、そういった場で語られる「ずっと政治的な空間で〜」というイメージを見事に覆してくれるのが本書だ。
本書では、徹底して靖国という場の生活空間との接続性、エンターテイメントとしての空間としての位置などをあぶりだしている。
現在の論争を見ていて、靖国でかつてフランスのサーカスが行われたり、力道山の奉納プロレスが行われたりといったことを、一体だれが想像できるだろうか。
「靖国」を政治の場ではなく、もっと生活空間に位置づけて見てみるのもいいのではないか。
そうすれば、靖国は全く違った顔をのぞかせる。
本書はそう問いかけているように思える。
だが、そういった場で語られる「ずっと政治的な空間で〜」というイメージを見事に覆してくれるのが本書だ。
本書では、徹底して靖国という場の生活空間との接続性、エンターテイメントとしての空間としての位置などをあぶりだしている。
現在の論争を見ていて、靖国でかつてフランスのサーカスが行われたり、力道山の奉納プロレスが行われたりといったことを、一体だれが想像できるだろうか。
「靖国」を政治の場ではなく、もっと生活空間に位置づけて見てみるのもいいのではないか。
そうすれば、靖国は全く違った顔をのぞかせる。
本書はそう問いかけているように思える。
2009年6月1日に日本でレビュー済み
東京の風俗の中での靖国神社の位置づけが非常に丁寧にまとめてあります。
靖国神社関連では,とにかく,否定,肯定に立場が分かれて,読む方とし
てはイデオロギー臭が強くて読みにくい本が多いですが,この本は全く立ち
位置が違って興味深い本です。
靖国神社関連では,とにかく,否定,肯定に立場が分かれて,読む方とし
てはイデオロギー臭が強くて読みにくい本が多いですが,この本は全く立ち
位置が違って興味深い本です。
2006年9月2日に日本でレビュー済み
中学生の頃、神保町の本屋街に行き、たまたま九段のほうに向かったところ坂の右手上に大きな鳥居が見えた。これが、靖国神社の初めての経験である。当時は、学校でも家庭でも靖国神社が話題にのぼることなどなかった。境内に古い大きな大砲、砲弾が転がっていた記憶がある。
本書で、そのとき見た大鳥居は戦時中に建てられた木製の鳥居であったことを知った。
靖国神社の歴史は浅い。著者は英国のE.ホブズボウムの「伝統的と思われている物の多くが、実は近代になって新たに人工的に作り出されたものである」を引き、いつのまにかその起源があいまいとなり、神話的世界と結びつくという。その通りと思う。そして靖国神社はすっかり、江戸から東京となった都会の一風景となった。坪内逍遥、夏目漱石などの文学作品の舞台ともなる。先日、訪れたところ子供連れの若い人たちも多く、伝統の確立は疑いもない。
本書は時代考証も優れ、靖国神社だけでなく、明治以降の東京の風景の変遷を知る上でも貴重な資料である。著者は、靖国神社と縁の深い場所にある武道館にボブ・ディランを聞きにいったという若い世代であるが、この労作に敬意を表したい。是非、イデオロギーに囚われずに大勢に読んでもらいたい本である。
本書で、そのとき見た大鳥居は戦時中に建てられた木製の鳥居であったことを知った。
靖国神社の歴史は浅い。著者は英国のE.ホブズボウムの「伝統的と思われている物の多くが、実は近代になって新たに人工的に作り出されたものである」を引き、いつのまにかその起源があいまいとなり、神話的世界と結びつくという。その通りと思う。そして靖国神社はすっかり、江戸から東京となった都会の一風景となった。坪内逍遥、夏目漱石などの文学作品の舞台ともなる。先日、訪れたところ子供連れの若い人たちも多く、伝統の確立は疑いもない。
本書は時代考証も優れ、靖国神社だけでなく、明治以降の東京の風景の変遷を知る上でも貴重な資料である。著者は、靖国神社と縁の深い場所にある武道館にボブ・ディランを聞きにいったという若い世代であるが、この労作に敬意を表したい。是非、イデオロギーに囚われずに大勢に読んでもらいたい本である。
2005年9月24日に日本でレビュー済み
靖国ってなんなのか?どんなところか?
引用をふんだんに使って、その歴史、背景、明快なイメージを提示してくれます。引用があまりに多すぎて、作者があまり見えてこない。科学論文みたいです。この本を読んでも、靖国問題の是非は、分かりませんが、なんで問題なのかは、ちょっと分かると思います。いきなり靖国問題はなにか?なんて本を読む前に、読むにはいい本だととても思います。
引用をふんだんに使って、その歴史、背景、明快なイメージを提示してくれます。引用があまりに多すぎて、作者があまり見えてこない。科学論文みたいです。この本を読んでも、靖国問題の是非は、分かりませんが、なんで問題なのかは、ちょっと分かると思います。いきなり靖国問題はなにか?なんて本を読む前に、読むにはいい本だととても思います。
2005年6月25日に日本でレビュー済み
この著書は「靖国神社」をテーマにしながら、現在の「靖国問題」からは遠い地平にある稀有で貴重な本である。右であれ左であれ、この本をイデオロギー的に読むことは不毛でしかない。
この本には、空間としての重層的な可能性を秘めていた「靖国」が、明治、大正、昭和と時代を経るごとにその広がりを縮小し、イデオロギー的な記号に回収していったことへの深い憤りと悲しみが感じられる。そしてもはや人々が忘れてしまった「靖国」の意味と、あり得たかもしれない未来の姿を、丁寧に、慈しみながら、掘り起こしていく。
本の導入部で、著者はイギリスの歴史家エリック・ホブズボウムの次の言葉を引いている。「伝統的と思われている物の多くが、実は近代になって新たに人工的に創り出された物である」。
靖国神社が、幕末の勤皇の志士たちの霊を弔慰する目的で明治になってから作られた招魂場であることを、どれくらいの人が知っているだろうか。そして、そうした宗教的、政治的、軍事的な部分から切断されたところで、いかに豊かな空間であったかを。そこには近代日本初の記念銅像や西欧建築が建てられ、競馬がサーカスが相撲が、そしてプロレスが催された。近辺にはデパートの前身とも言える観工場やモダンアパートが軒を連ねた時代もあり、戦後すぐにはアミューズメントパーク化計画が練られたことさえあったと言う。
著者は、“江戸=東京という広大な時空間の中で、これからの未来に向かって、新たな地霊を人工的に仕込ませていくのに最適の空間”だったのではと、靖国の存在を語るのである。
まったく余談だが、平日の靖国神社のベンチは人影も少なく、会社をさぼって昼寝するには持って来いの場所である。何か懐かしい匂いがし、涼しい風が吹く。この本には、あの心地良い場所の記憶がある。
この本には、空間としての重層的な可能性を秘めていた「靖国」が、明治、大正、昭和と時代を経るごとにその広がりを縮小し、イデオロギー的な記号に回収していったことへの深い憤りと悲しみが感じられる。そしてもはや人々が忘れてしまった「靖国」の意味と、あり得たかもしれない未来の姿を、丁寧に、慈しみながら、掘り起こしていく。
本の導入部で、著者はイギリスの歴史家エリック・ホブズボウムの次の言葉を引いている。「伝統的と思われている物の多くが、実は近代になって新たに人工的に創り出された物である」。
靖国神社が、幕末の勤皇の志士たちの霊を弔慰する目的で明治になってから作られた招魂場であることを、どれくらいの人が知っているだろうか。そして、そうした宗教的、政治的、軍事的な部分から切断されたところで、いかに豊かな空間であったかを。そこには近代日本初の記念銅像や西欧建築が建てられ、競馬がサーカスが相撲が、そしてプロレスが催された。近辺にはデパートの前身とも言える観工場やモダンアパートが軒を連ねた時代もあり、戦後すぐにはアミューズメントパーク化計画が練られたことさえあったと言う。
著者は、“江戸=東京という広大な時空間の中で、これからの未来に向かって、新たな地霊を人工的に仕込ませていくのに最適の空間”だったのではと、靖国の存在を語るのである。
まったく余談だが、平日の靖国神社のベンチは人影も少なく、会社をさぼって昼寝するには持って来いの場所である。何か懐かしい匂いがし、涼しい風が吹く。この本には、あの心地良い場所の記憶がある。