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男 (新潮文庫) 文庫 – 2002/6/28
- 本の長さ234ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2002/6/28
- ISBN-104101229236
- ISBN-13978-4101229232
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2002/6/28)
- 発売日 : 2002/6/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 234ページ
- ISBN-10 : 4101229236
- ISBN-13 : 978-4101229232
- Amazon 売れ筋ランキング: - 998,859位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,243位新潮文庫
- - 22,924位日本文学
- - 28,276位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
劇作家・小説家。1968年、茨城県土浦市生まれ。神奈川県横浜市育ち。
高校中退後、ミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に入団。女優、演出助手を経て、1987年に演劇ユニット「青春五月党」を結成。1993年、『魚の祭』で第37回岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。1994年、初の小説作品「石に泳ぐ魚」を文芸誌「新潮」に発表。1996年、『フルハウス』で第18回野間文芸新人賞、第24回泉鏡花文学賞を受賞。1997年、「家族シネマ」で第116回芥川賞を受賞。1999年、『ゴールドラッシュ』で第3回木山捷平文学賞を受賞。2001 年、『命』で第7回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。
2012年3月16日より福島県南相馬市の臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」にて「柳美里のふたりとひとり」をスタートさせる。番組は2018年3月の閉局まで続き、約600人の地元住民の話を放送する。
2015年4月、福島県南相馬市原町区に転居。2017年7月、同市小高区に転居。
2018年4月、自宅一部を改装し本屋「フルハウス」を開業。9月、青春五月党復活公演vol.1「静物画」、10月、復活公演vol.2「町の形見」を小高にて上演。2019年「ある晴れた日に」を上演。
2020年3月、ブックカフェ「フルハウス」としてリニューアルオープン。
2020年、『Tokyo Ueno Station(JR上野駅公園口)』で全米図書賞(翻訳部門)を受賞。
2022年、第5回バークレー日本賞を受賞。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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柳美里さんの文体は、独特の繊細さがとても魅力的です。
重く切ない感じがする。セックスを「抹消神経の摩擦に過ぎない」
といった寺山修司の引用文がなぜか印象に残った。
読むたびにそんな感覚になる作家が柳美里です。
この作品は、目、耳、つめなど身体の各部位の名称を表題とする18の断章。
主人公はポルノ小説を書こうとする作家の日常と、ノートに書かれた小説の断片が効果的に絡んで作品となっています。
主人公の作家は柳自身。
章題の身体の各部位にまつわる、彼女の男性経験が語られています。
彼女が寺山修司の「セックスは『末梢神経の摩擦に過ぎない』」という言葉を引用して、「快感は脳で感じるもの」と断じ「セックスは完全に脳の行為である」読んで、以前付き合った男性で、同じような事を言った人を思い出しました。
女性の私は確認する術を持たないのだけれど、相手に愛情や興味がなければ、セックスもただの処理になってしまう感覚は分かるような気がします。でも逆に、心は求めていなくても、自己防衛の本能から身体が反応する女性としての感覚も分かるのです。
作者が断言するように、脳の行為とまではきっと一生かかっても分からないような気がしますが、相手と自分を傷つけながら、深いつながりを求める姿勢が羨ましいです。
枯渇が苦しく感じはじめた頃に読んでしまいました。
大好きだった?大好きな彼に会いたくなりました。
手を、唇を、腕を・・・。
懐かしかった。
こんなに大きな手をしていた?
唇が触れるまでの時間を長く感じた。
この腕で、奪い返して・・・・・・・・・・!
やってしまいましたよ・・。(笑)
ムリに眠らせていた感情が
突き動かされたというかんじですね。
この内容は、かなりの部分でノンフィクションなのであろう。それにしても、筆者の関わって来た相手の男というのが、かくまで妻帯者ばかりというのは、なぜであろう。
それについて、筆者は、全く注釈も説明もしていない。
筆者にとっての「性」は、被虐的なものでなければならず、最初から破滅(苦痛に満ちた結末)を予感させなければならないのだろう。健康的な、みんなから祝福される関係の「性」には、どうも惹かれなかったらしい。(現在の同棲関係は不明であるが)
その筆者も、42歳になり、まだまだ筆者自身にとっての「性」は生々しい自分自身の本質のままであろうが、「オンエア」より「性」を主観から客観に据え換えて、描写するようになっており、読者として少し安心して読めるようになっている。
さてこの本は、題名とは裏腹に、「女」を知る本だと思う。男にとって。男を愛する女を、その体を通して知る本だと思う。体が心に通じること。愛する女の体の全てが愛すべきものであることを知る本だと思う。
この本は、女が読むと、逆に男を知る本なんだろうか。それは私にはわからない。
何と言うか、愛する女には読ませたくない、と言う気もする本である。
「八年ほど演劇の世界にいた経験からいうと、恋人役を演じるとかなりの確率で恋人同士になってしまう。このことは恋がいかに遊犠牲と演劇性に支えられているかを物語っている」
よくある私小説的なつくりとも一味違った構成が、ともすればどうでもいいと思いがちな他人の恋愛遍歴を、自分の「それ」に当て嵌めざるを得ない説得力は一読の価値ありです。
摩擦し合い、傷つけ合って、それでも男と女は生きている。