映画の紹介がすごくうまく、表現が私の中でしっくりきたので
買ってしまいました。言葉って奥が深いなと思いました。
映画を見終わったときの気持ちやイメージ・映像は、
うまく表現をするのが難しいのにうまく描写していました。
映画を見た後でも読んで、楽しい本です。
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シネマと書店とスタジアム (新潮文庫) 文庫 – 2005/6/26
沢木 耕太郎
(著)
『蝶の舌』『ピンポン』などのヒット映画から、ピート・ハミルや古井由吉の本まで、著者は決して手放しに褒めない。たとえ欠点があるとしても、なぜ自分はその作品が楽しめたのかを率直にやわらかく語る。長野五輪と日韓W杯では、選手の内面に視線を向けて、プレー中の一瞬の決断や逡巡に推理をめぐらす。映画と本とスポーツをこよなく愛する著者による刺激的なコラム批評99編。
- 本の長さ328ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2005/6/26
- ISBN-104101235155
- ISBN-13978-4101235158
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2005/6/26)
- 発売日 : 2005/6/26
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 328ページ
- ISBN-10 : 4101235155
- ISBN-13 : 978-4101235158
- Amazon 売れ筋ランキング: - 742,052位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,826位映画 (本)
- - 9,589位新潮文庫
- - 21,723位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1947(昭和22)年、東京生れ。横浜国大卒業。
ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。『若き実力者たち』『敗れざる者たち』等を発表した後、1979年、『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1982年には『一瞬の夏』で新田次郎文学賞を受賞。常にノンフィクションの新たな可能性を追求し続け、1995(平成7)年、檀一雄未亡人の一人称話法に徹した『檀』を発表。
2000年に初めての書き下ろし長編小説『血の味』を刊行。2002年から2004年にかけて、それまでのノンフィクション分野の仕事の集大成『沢木耕太郎ノンフィクション』が刊行され、2005年にはフィクション/ノンフィクションの垣根を超えたとも言うべき登山の極限状態を描いた『凍』を発表、大きな話題を呼んだ。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年9月20日に日本でレビュー済み
2002年に新潮社から刊行された単行本の文庫化されたもの。新聞紙上に掲載された、99篇の映画評・書評・スポーツ観戦記を集めた本。表紙に「99 Columns about Cinema, Books and Games」とある。何だか格好いいな。
映画評は1999年〜2002年に掲載されもの、書評はもっと古く1992年〜1995年に掲載されたもの、スポーツ観戦記は長野オリンピック(1998年)とサッカーワールドカップ日韓大会(2002年)を題材としたものなので、内容的には今となっては距離感がある。しかし、それがこの人の本の場合、全くマイナス要素になっていないような気がする。
この人の文章の面白さは、この人ならではの視点から書くことを貫いている点から生じているのだと思う。例えば、サッカーについて彼よりも詳しい人はいくらでもいるだろうし、彼の映画評は全く映画紹介にはなっていない。それでも、誰も彼の代わりを務められない。それは、彼の文章が「沢木耕太郎は、それについてどう感じ、何を考えたのか」を冷徹に見据えた上で(これまた彼らしい筆致で)表現したものであり、読者が彼の本に求めるものもまさにそれだからだ。
おそらく彼は、自分が感じたことがいったい何だったのか、自分自身に問わずにはいられないタイプの人間なのだろう。僕自身もそういうタイプだと思う。しかし、僕は彼のように、徹底的に自問することはできないし、できたとしてもそれを文章によって表現することができない。だから、彼の書いたものに憧れるのだ。
映画評は1999年〜2002年に掲載されもの、書評はもっと古く1992年〜1995年に掲載されたもの、スポーツ観戦記は長野オリンピック(1998年)とサッカーワールドカップ日韓大会(2002年)を題材としたものなので、内容的には今となっては距離感がある。しかし、それがこの人の本の場合、全くマイナス要素になっていないような気がする。
この人の文章の面白さは、この人ならではの視点から書くことを貫いている点から生じているのだと思う。例えば、サッカーについて彼よりも詳しい人はいくらでもいるだろうし、彼の映画評は全く映画紹介にはなっていない。それでも、誰も彼の代わりを務められない。それは、彼の文章が「沢木耕太郎は、それについてどう感じ、何を考えたのか」を冷徹に見据えた上で(これまた彼らしい筆致で)表現したものであり、読者が彼の本に求めるものもまさにそれだからだ。
おそらく彼は、自分が感じたことがいったい何だったのか、自分自身に問わずにはいられないタイプの人間なのだろう。僕自身もそういうタイプだと思う。しかし、僕は彼のように、徹底的に自問することはできないし、できたとしてもそれを文章によって表現することができない。だから、彼の書いたものに憧れるのだ。
2006年1月28日に日本でレビュー済み
読んだことのある本、見たことのある映画については、著者の感じ方、
解釈の仕方などが分かり、楽しめます。
当然オリンピックとワールドカップについてはよく知っているので、
当時の感情が強烈に思い出されます。
特に原田雅彦の記述については、あの感動を活字で追体験できるほど、すばらしい。
しかし、しかしです。
知らない作品については、隔靴掻痒の感覚で、今ひとつです。
見てみよう、読んでみようという気に必ずしもなるわけではなく、
かといってマイナーな作品が多いだけに、すぐに手に入りにくい。
ということで、楽しめたの半分だけでした。
解釈の仕方などが分かり、楽しめます。
当然オリンピックとワールドカップについてはよく知っているので、
当時の感情が強烈に思い出されます。
特に原田雅彦の記述については、あの感動を活字で追体験できるほど、すばらしい。
しかし、しかしです。
知らない作品については、隔靴掻痒の感覚で、今ひとつです。
見てみよう、読んでみようという気に必ずしもなるわけではなく、
かといってマイナーな作品が多いだけに、すぐに手に入りにくい。
ということで、楽しめたの半分だけでした。
2005年8月23日に日本でレビュー済み
著者はニュー・ノンフィクションの旗手と謳われた人だけど、新しい、とされた所以は、徹底した写実描写と被写体との距離。このスタンスは、書籍や映画の評者にとっても、いかに効果的かがこの本で分かります。
熱い思いを冷静に語る著者の持ち味が存分に発揮されています。巷の映画評ってのが、自らの思い入れにのめりこんでしまうスタイルが多いのに対して、独自の分析による鋭い評を加えながら単なる好き嫌いを述べるだけに堕することなく、ちゃんと内容紹介も織り込んでくれて、なおかつ、何に著者が心うち震わせたのかも分かる仕組みになっていますし、斬るべき作品は斬ってます。
氏持ち前の端正な語り口は人によって好き嫌いがあるでしょうが、出だしが「発端はこうだ。」 締めが「少なくとも私は、あふれる陽光を手のひらで掬って呑んだ、という不思議な満足感を覚えたものだった。」 こんな映画評、ほかの人じゃあ書けないな。
評の対象として、映画が単館上映の海外映画、本が翻訳小説にウェイトが置かれているため、それらに興味がある人には◎のお奨め。ハリウッド娯楽大作とベストセラーにしか興味ないって人は・・・大体、沢木耕太郎の本なんて手に取らないよね。
熱い思いを冷静に語る著者の持ち味が存分に発揮されています。巷の映画評ってのが、自らの思い入れにのめりこんでしまうスタイルが多いのに対して、独自の分析による鋭い評を加えながら単なる好き嫌いを述べるだけに堕することなく、ちゃんと内容紹介も織り込んでくれて、なおかつ、何に著者が心うち震わせたのかも分かる仕組みになっていますし、斬るべき作品は斬ってます。
氏持ち前の端正な語り口は人によって好き嫌いがあるでしょうが、出だしが「発端はこうだ。」 締めが「少なくとも私は、あふれる陽光を手のひらで掬って呑んだ、という不思議な満足感を覚えたものだった。」 こんな映画評、ほかの人じゃあ書けないな。
評の対象として、映画が単館上映の海外映画、本が翻訳小説にウェイトが置かれているため、それらに興味がある人には◎のお奨め。ハリウッド娯楽大作とベストセラーにしか興味ないって人は・・・大体、沢木耕太郎の本なんて手に取らないよね。
2006年3月31日に日本でレビュー済み
1つの本・映画についてのエッセイを5分程度で読むことができるので、通勤電車やランチタイムなどに、少しずつ読むのも楽しいです。主観的ではない、淡々とした文体、でも沢木さんの思い入れがしっかり伝わってきます。ゆっくり読書や映画鑑賞できない人も、この本を読むだけで日常にちょっとしたゆとりを持つことができそうです。
2005年8月5日に日本でレビュー済み
沢木耕太郎の映画評+書評+スポーツ観戦評となれば、どうしてもゾクゾクして読まねばならなくなったのだが、時期のズレはいかんともしがたいようだ。映画は1999年ー2002年の上映のものが対象で、「シックス・センス」「グリーンマイル」「アメリカンビューティ」などまだビデオ・DVDでなじみのあるものが登場するが、書評の対象は1992年ー1995年の一昔前で、しかも大部分がマイナーなものばかり。「キルショット」「語りかける花」「ひそやかな村」と初耳の小説を丹念に紹介されても、食べたことの無い世界の珍味の解説を聞くようなもの。どこかに空々しさが漂う。もっともこれは、沢木さんの責任ではない。映画にしても小説にしても、年月の流れの中で風化してゆくという当然の現象なのであろう。あとさらに10年の後、一層多くのものが消えてゆくことになる。と、考えると、本書(平成17年7月発行文庫本)は、批評対象とされた映画や小説よりも長く残るのは沢木耕太郎だという意味合いをもつのであろうか。沢木ファンにのみお勧めで星三つ。