読み終えた今、放心状態で読書も格闘技かと
私の作では無いが全ての登場人物と作者に一句捧げたい
鬼逝きて眠らざるべし寒椿
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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下) (新潮文庫) 文庫 – 2014/2/28
増田 俊也
(著)
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牛島辰熊と袂を分かち、プロレス団体を立ち上げた木村政彦。ブラジルやハワイ、アメリカ本土で興行ののち帰国し、大相撲元関脇の力道山とタッグを組むようになる。そして、「昭和の巌流島」と呼ばれた木村vs力道山の一戦。ゴング――。視聴率100%、全国民注視の中、木村は一方的に潰され、血を流し、表舞台から姿を消す。木村はなぜ負けたのか。戦後スポーツ史最大の謎に迫る。
- 本の長さ616ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2014/2/28
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101278121
- ISBN-13978-4101278124
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対象商品: 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下) (新潮文庫)
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出版社より
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか〔上〕 | 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか〔下〕 | 北海タイムス物語 | |
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カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.3
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5つ星のうち4.3
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5つ星のうち4.1
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価格 | ¥990¥990 | ¥924¥924 | ¥400¥400 |
【新潮文庫】増田俊也 作品 | 柔道史上最強と謳われた木村政彦は力道山との一戦で表舞台から姿を消す。木村は本当に負けたのか。戦後スポーツ史最大の謎に迫る。〈大宅壮一ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞受賞〉 | 低賃金、果てなき労働。だが、この新聞社には伝説の先輩がいた。悩める新入社員がプロとして覚醒する。熱血度 120 %のお仕事小説! |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2014/2/28)
- 発売日 : 2014/2/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 616ページ
- ISBN-10 : 4101278121
- ISBN-13 : 978-4101278124
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 56,530位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,340位新潮文庫
- - 1,767位スポーツ (本)
- - 14,560位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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増田俊也(ますだとしなり)小説家。北海道大学中退。1965年生。2006年「シャトゥーン ヒグマの森」(宝島社)で第5回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。2012年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)で第43回大宅賞と第11回新潮ドキュメント賞受賞。2013年には北海道大学柔道部を舞台にした「七帝柔道記」(角川書店)で山田風太郎賞最終候補。2017年『北海タイムス物語』(新潮社)で第2回北海道ゆかりの本大賞受賞。他著に『猿と人間』(宝島社)『VTJ前夜の中井祐樹』(角川文庫)『本当の強さとは何か』(新潮社)など。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年3月25日に日本でレビュー済み
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2019年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上巻だけでも非常に濃く面白い内容でしたが、下巻も引き続き面白いです。
特にハワイやブラジルへの遠征は、資料入手が困難なはずなのによくぞここまで、と素人でも驚くほど取材したことが伝わってきます。
また、下巻と違い、エリオ・グレーシー戦や力道山戦のように、映像が残っている試合については専門家に見せた感想も掲載されており、非常に興味深いです。読んでよかったと心から思える一冊です。
特にハワイやブラジルへの遠征は、資料入手が困難なはずなのによくぞここまで、と素人でも驚くほど取材したことが伝わってきます。
また、下巻と違い、エリオ・グレーシー戦や力道山戦のように、映像が残っている試合については専門家に見せた感想も掲載されており、非常に興味深いです。読んでよかったと心から思える一冊です。
2018年12月4日に日本でレビュー済み
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夜のデスクワークをついつい後回しにしてしまって読んでいました。下巻と同時購入したので、読み切るのに1週間ほどかかりました。睡眠不足になるので、休憩をとるためにも、同時購入はおすすめしません。読んだ感想は「木村政彦???」上巻でのイメージと変わります。
2023年12月8日に日本でレビュー済み
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こんなに強い人がいたんだ
2014年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
総合格闘技発祥の地ブラジル。下巻はそのブラジルへの木村政彦の進出で幕を開ける。ブラジリアン柔術の三角締めは実は日本の高専柔道が起源であるという興味深い事実が上巻の末尾で語られているが、そのブラジリアン柔術の担い手であり現在でも活躍するグレイシー一族のエリオ・グレイシーが、ブラジルでも無敵の木村に挑戦状を叩きつける。最初は相手にしていなかった木村も、実力者加藤幸夫がエリオに絞め落とされるに至って重い腰を上げる。日本が戦争に勝ったのか負けたのかで大論争が起こっている敵地ブラジルのマラカナンスタジアムで、大勢のブラジル人と少数の日系人が見守る中、木村はエリオ・グレイシーの腕をへし折って勝利する。木村の世界最強が証明された瞬間である。
ここで物語の舞台は日本に移り力道山が登場する。朝鮮人の力道山は日本の相撲部屋にスカウトされ大相撲にデビューするが、病気を機に負けがこみ始め、番付が上がらないのを民族差別ととらえて力士を廃業し、日本では黎明期のプロレスに転向する。アメリカ(ハワイ)での修行中に木村政彦とのファーストコンタクトがあったらしい。そのアメリカでも無敵だった木村は日本に帰国し力道山とタッグを組むことになるが、弱い木村を力道山が救うという台本に則って進行する試合で木村は完全に負け役を演じさせられ、その不満が「真剣勝負なら負けない」という発言につながり、「昭和の巌流島」決戦へと二人を導いてゆく。
自分は格闘技の素人であり何も言う資格はないことは承知の上で、著者が触れていないことをあえて二点指摘してみたい。
一つ目はもちろん「なぜ木村政彦は力道山に負けたのか」ということについてである。
「いや木村は負けてはいない」と著者は言いたかったのだろうし、その想いは何よりも本書のタイトルが代弁している。「木村政彦はなぜ力道山に負けたのか」ではなく「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」というタイトルにあえてしたのは「負けた」という言葉を使いたくなったからだろう。「負けた」と認めたくなかったからだろう。
確かに力道山は卑劣であり、あの闘いはアンフェアだったと思う。木村だけに念書を書かせ、序盤はプロレスのように見せかけて木村を疲れさせ、突然リング上で約束を破って木村を叩き潰した。プロレスでもなく真剣勝負でもない、だまし討ち以外の何物でもない試合だった。
だからこそ著者は言う。最初から真剣勝負だと分かっていれば、木村は負けるはずがなかったと。柔道関係者をはじめ木村の信奉者そして多くの読者もそう思っているだろう。
しかし個人的に気になる点が一つある。
試合が決まってから当日までの約一ヶ月のあいだ、木村はなぜろくに練習もせず、前日には大酒を飲んで二日酔いで試合に臨むという失態を演じたのか。
「試合は真剣勝負でなくプロレスであり、結果は決まっていると木村は思っていたからだ」という反論があるかも知れない。しかし著者自身も書いているとおり、試合前から二人のあいだにはきな臭い匂いが漂っており、木村もその匂いに気づいていたはずだろう。まして相手は念書を渡そうとしないのだ。何が起こるか分からないと警戒するのが当然ではないだろうか。
それを「油断」という言葉で片付けるのは簡単だ。しかし思い切って言わせてもらえば、そこには木村の「不安」もしくは「怯え」があったのではないだろうか。すなわち真剣に闘ったとしても勝てないかも知れないという一抹の不安が。
「真剣に闘ったとしても木村は勝てなかった」と言っているのではない。「勝てないかも知れない」と、だれよりも木村自身が怯えていたのではないかと思うのだ。そしてその怯えは、あまり指摘されていないが二人の年齢差に起因するものだったのではないか。
決戦のとき木村は三十七歳、力道山は三十歳であった。七歳という年齢差は決して小さくはない。少なくとも三十七歳の木村がすでにピークを過ぎていたことは明らかだろう。エリオ・グレイシーとの死闘からも三年が経過している。そして何よりもプロレスのリングでは柔道着を着ることができない。
その不安、怯えが、鬼の木村をして練習に向かわせるのではなく、現実からの逃避を選択させたということは考えられないだろうか。「練習していれば、酒を飲んでいなければ勝てたのだ」という言い訳を用意しておくという逃げ道を。
おそらく大ブーイングが起こっていると思うので、それを静めるためにも二番目の指摘に移りたい。
「昭和の巌流島」決戦で力道山に敗れた木村は、表舞台から姿を消した。その後の二人の人生は明暗を分けることになる。実際のところ力道山の名前はだれでも知っているが、木村政彦の名前はだれも知らない。
しかしそれは「昭和の巌流島」決戦で木村が力道山に負けたからではないと思う。
こと知名度に関していえば、木村は力道山に負けたのではなく、テレビに負けただけなのではないか。
日本のプロレス黎明期とテレビの黎明期は見事に重なる。テレビの普及と共に見世物としてのプロレスは大人気を博し、力道山は国民的ヒーローとなる。一方木村政彦の全盛期にはテレビなどというものはなかった。柔道家としての木村政彦の現役時代の動画は一枚も残っていない。
どれほど強かったとしても、その勇姿を見ることができなければ、国民的ヒーローとしての記憶は刻印されづらい。木村政彦は世界最強だったと思うが、その実体は活字による記録というあまりにも実感しづらい泥濘の下に埋もれてしまっている。
力道山との知名度の違いは、結局のところそこに尽きるのではないだろうか。もしも木村の全盛時代にすでにテレビが普及していたならば、たとえあの試合で木村が敗れていたとしても、全く違う評価が下っていたはずである。
それゆえこの大著の末尾にひっそりと明かされる、木村政彦の愛弟子岩釣兼生の、だれにも知られていないエピソードは感動的であると同時に象徴的である。木村政彦は一般大衆には縁のない孤高の王者であった。その木村を歴史の泥濘から救い出し、この途方もない大著を木村への情熱によって書き上げた著者に拍手を送りたい。
ここで物語の舞台は日本に移り力道山が登場する。朝鮮人の力道山は日本の相撲部屋にスカウトされ大相撲にデビューするが、病気を機に負けがこみ始め、番付が上がらないのを民族差別ととらえて力士を廃業し、日本では黎明期のプロレスに転向する。アメリカ(ハワイ)での修行中に木村政彦とのファーストコンタクトがあったらしい。そのアメリカでも無敵だった木村は日本に帰国し力道山とタッグを組むことになるが、弱い木村を力道山が救うという台本に則って進行する試合で木村は完全に負け役を演じさせられ、その不満が「真剣勝負なら負けない」という発言につながり、「昭和の巌流島」決戦へと二人を導いてゆく。
自分は格闘技の素人であり何も言う資格はないことは承知の上で、著者が触れていないことをあえて二点指摘してみたい。
一つ目はもちろん「なぜ木村政彦は力道山に負けたのか」ということについてである。
「いや木村は負けてはいない」と著者は言いたかったのだろうし、その想いは何よりも本書のタイトルが代弁している。「木村政彦はなぜ力道山に負けたのか」ではなく「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」というタイトルにあえてしたのは「負けた」という言葉を使いたくなったからだろう。「負けた」と認めたくなかったからだろう。
確かに力道山は卑劣であり、あの闘いはアンフェアだったと思う。木村だけに念書を書かせ、序盤はプロレスのように見せかけて木村を疲れさせ、突然リング上で約束を破って木村を叩き潰した。プロレスでもなく真剣勝負でもない、だまし討ち以外の何物でもない試合だった。
だからこそ著者は言う。最初から真剣勝負だと分かっていれば、木村は負けるはずがなかったと。柔道関係者をはじめ木村の信奉者そして多くの読者もそう思っているだろう。
しかし個人的に気になる点が一つある。
試合が決まってから当日までの約一ヶ月のあいだ、木村はなぜろくに練習もせず、前日には大酒を飲んで二日酔いで試合に臨むという失態を演じたのか。
「試合は真剣勝負でなくプロレスであり、結果は決まっていると木村は思っていたからだ」という反論があるかも知れない。しかし著者自身も書いているとおり、試合前から二人のあいだにはきな臭い匂いが漂っており、木村もその匂いに気づいていたはずだろう。まして相手は念書を渡そうとしないのだ。何が起こるか分からないと警戒するのが当然ではないだろうか。
それを「油断」という言葉で片付けるのは簡単だ。しかし思い切って言わせてもらえば、そこには木村の「不安」もしくは「怯え」があったのではないだろうか。すなわち真剣に闘ったとしても勝てないかも知れないという一抹の不安が。
「真剣に闘ったとしても木村は勝てなかった」と言っているのではない。「勝てないかも知れない」と、だれよりも木村自身が怯えていたのではないかと思うのだ。そしてその怯えは、あまり指摘されていないが二人の年齢差に起因するものだったのではないか。
決戦のとき木村は三十七歳、力道山は三十歳であった。七歳という年齢差は決して小さくはない。少なくとも三十七歳の木村がすでにピークを過ぎていたことは明らかだろう。エリオ・グレイシーとの死闘からも三年が経過している。そして何よりもプロレスのリングでは柔道着を着ることができない。
その不安、怯えが、鬼の木村をして練習に向かわせるのではなく、現実からの逃避を選択させたということは考えられないだろうか。「練習していれば、酒を飲んでいなければ勝てたのだ」という言い訳を用意しておくという逃げ道を。
おそらく大ブーイングが起こっていると思うので、それを静めるためにも二番目の指摘に移りたい。
「昭和の巌流島」決戦で力道山に敗れた木村は、表舞台から姿を消した。その後の二人の人生は明暗を分けることになる。実際のところ力道山の名前はだれでも知っているが、木村政彦の名前はだれも知らない。
しかしそれは「昭和の巌流島」決戦で木村が力道山に負けたからではないと思う。
こと知名度に関していえば、木村は力道山に負けたのではなく、テレビに負けただけなのではないか。
日本のプロレス黎明期とテレビの黎明期は見事に重なる。テレビの普及と共に見世物としてのプロレスは大人気を博し、力道山は国民的ヒーローとなる。一方木村政彦の全盛期にはテレビなどというものはなかった。柔道家としての木村政彦の現役時代の動画は一枚も残っていない。
どれほど強かったとしても、その勇姿を見ることができなければ、国民的ヒーローとしての記憶は刻印されづらい。木村政彦は世界最強だったと思うが、その実体は活字による記録というあまりにも実感しづらい泥濘の下に埋もれてしまっている。
力道山との知名度の違いは、結局のところそこに尽きるのではないだろうか。もしも木村の全盛時代にすでにテレビが普及していたならば、たとえあの試合で木村が敗れていたとしても、全く違う評価が下っていたはずである。
それゆえこの大著の末尾にひっそりと明かされる、木村政彦の愛弟子岩釣兼生の、だれにも知られていないエピソードは感動的であると同時に象徴的である。木村政彦は一般大衆には縁のない孤高の王者であった。その木村を歴史の泥濘から救い出し、この途方もない大著を木村への情熱によって書き上げた著者に拍手を送りたい。
2018年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
色んな方に読んで欲しい本ですね。
日本人、外国人関係なく(^^)
色々勉強になるし面白いしね。
日本人、外国人関係なく(^^)
色々勉強になるし面白いしね。
2018年5月27日に日本でレビュー済み
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拓殖大学に入学したときに必須科目で柔道を取ったが、高校時代3段を取得しており、乱取りをしているところ声をかけられたがその当時顔をはじめて合わせたときに、鬼の形相というか、この本に書いてあることを全て行ってきた偉人という印象で昔父が同じ拓大出身で空手部だったころとても全てにおいて突出していたことを昔のように話をしてくれたことを、思い出しました、ただ残念なのはこの本の題がなぜ・・・力道山の試合をネットで見ましたが反撃できないもどかしさ八百長を最後まで受けようとした意地、あれは絶対だらしない姿ではなく、力道山の汚い手口に翻弄された姿かな、最後に長生きした木村政彦氏に感謝。
2016年7月8日に日本でレビュー済み
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上下巻購入してとても読み応えがあった。
伝説の人の息吹に触れた感じがしました。
伝説の人の息吹に触れた感じがしました。