私は作家志望だ。ただしもう七十に近いので、もちろん陽の目を見ることはないだろう。七、八年前まで自分のことを書いていた。自分の苦しかった過去のことを思い出して形に残しておこう、なかったことにはしたくない、と意気込んでいた。そして一通り書いてしまった今、書く素材が少なくなってしまった。たぶん「私はこんなにつらい日々を送ってきました」式に書くことに、私は飽きたのだろう。そんなときにこの小説を知った。
<夫にメールをしてみようかと、わたしは思った。でも、わたしの手はこのとき、特に、動いたわけではなかった。>
私はこの小説の書き方の面白さを誰かに伝えたい。でも、もう読了して一か月になるので、丁寧に振り返る根気がない。誰かに伝えたいと思うのだけれど、伝える能力がないと思っているので、取り組まないだけなのだろう。物事を深刻にとらえるのも、軽くとらえるのも、どちらも大事だ、とにかく自分を偽りたくない、と思っている方は気に入るのではないだろうか。
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わたしたちに許された特別な時間の終わり (新潮文庫) 文庫 – 2009/12/24
岡田 利規
(著)
ブッシュがイラクに宣告した「タイムアウト」が迫る頃、偶然知り合った男女が、渋谷のラブホテルであてどない時を過ごす「三月の5日間」。疲れ切ったフリーター夫婦に忍び寄る崩壊の予兆と無力感を、横たわる妻の饒舌な内面を通して描く「わたしの場所の複数」。人気劇団チェルフィッチュを率いる演劇界の新鋭が放つ、真に新しい初めての小説。第2回大江健三郎賞受賞作。
- ISBN-104101296715
- ISBN-13978-4101296715
- 版文庫
- 出版社新潮社
- 発売日2009/12/24
- 言語日本語
- 寸法10.5 x 0.9 x 15 cm
- 本の長さ184ページ
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2009/12/24)
- 発売日 : 2009/12/24
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 184ページ
- ISBN-10 : 4101296715
- ISBN-13 : 978-4101296715
- 寸法 : 10.5 x 0.9 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 408,133位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2009年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
芝居で観れなかったので、
本で読んでみようと思いました。
独白的な文章だけでつづられ、
会話はない。
2作の中編。
1作目の『三月の五日間』は、
ある男と女が、
出会ってから、
渋谷のラブホテルで一緒に過ごした、
という話。
その後にも、先にも、
続くドラマはない。
2作目は『わたしの場所の複数』は、
主人公の女が、
頭の中で思いついたことをのべつまくなしに書きたてる。
それは、
誰もがしてることであり、
何の変哲もない日常に起こりうる、
特別ではないこと。
その積み重ねで、
時に人と出会い、
時に何かに気づいたりする。
ただ、こちらはくどすぎて、
読むのが大変だった…。
総じて、
文学である以上、
読ませることが必要だと思う。
ここまでくどくて、
読みづらいというのは、
使命感以外に、
最後まで読むことが難しかった。
やはり、舞台で聞きたい言葉なのかな、と思った。
本で読んでみようと思いました。
独白的な文章だけでつづられ、
会話はない。
2作の中編。
1作目の『三月の五日間』は、
ある男と女が、
出会ってから、
渋谷のラブホテルで一緒に過ごした、
という話。
その後にも、先にも、
続くドラマはない。
2作目は『わたしの場所の複数』は、
主人公の女が、
頭の中で思いついたことをのべつまくなしに書きたてる。
それは、
誰もがしてることであり、
何の変哲もない日常に起こりうる、
特別ではないこと。
その積み重ねで、
時に人と出会い、
時に何かに気づいたりする。
ただ、こちらはくどすぎて、
読むのが大変だった…。
総じて、
文学である以上、
読ませることが必要だと思う。
ここまでくどくて、
読みづらいというのは、
使命感以外に、
最後まで読むことが難しかった。
やはり、舞台で聞きたい言葉なのかな、と思った。
2015年9月7日に日本でレビュー済み
高橋源一郎氏だったと記憶するのですが、演劇関係者の書く小説が面白いとの記事がきっかけで、数年前に何冊か読んだものの読み残していた最後の一冊です。中編2作、渋谷が出てくることを除けば、何ひとつ自分と共通点はありませんが、何かを思い出させられて、じわりとやるせない気持ちにさせられる作品でした。第二回の大江健三郎賞を受賞した関係で解説をものした大江健三郎氏の、(自分の、もしくは自分と同タイプの)小説の将来を憂いた文章も、それとはまた違った意味で、氏の独特の文体で緩衝されてはいますが、じわりとくる悲しさを湛えていて、読みごたえがありました。
2015年9月29日に日本でレビュー済み
大江健三郎賞受賞作品らしい。
本屋さんで偶然目にし、この機を逃せば、おそらく私に2度とこの本を手に取らないだろうと、購入。
題名に魅かれたのだが、この題名の作品はない。
「三月の5日間」「わたしの場所の複数」という2つの中編小説を収めている。
「三月の5日間」は、アメリカが、イラクへの宣戦布告をし戦争に突入する時を、地理的心理的にはるか離れた日本の男女の側から描く。
設定、登場人物ともにありえそうでありえないと思いつつも、不思議な切実感がある。
2人芝居で1時間半ほどのステージで、魅力的な俳優が演じれば、意外と楽しめるかもしれない。
「わたしの場所の複数」
アルバイトで生計を立てているらしい若夫婦の妻の側から描かれた夫婦愛?か。
酔っ払いのわけのわからない話を、無理矢理聞かされている気分になった。
この作品は、作者が呑みながら口頭でだらだらと録音したものを、文章に起こしたのではなかろうかと疑ってしまう。
そういう手法があっていいとは思うが、とにかく、この作品の魅力は私にはわからなかった。
純文学の範疇に入る作品なのだろうか?
よくわからずにいる私は、まだまだ勉強が足りないらしい。
本屋さんで偶然目にし、この機を逃せば、おそらく私に2度とこの本を手に取らないだろうと、購入。
題名に魅かれたのだが、この題名の作品はない。
「三月の5日間」「わたしの場所の複数」という2つの中編小説を収めている。
「三月の5日間」は、アメリカが、イラクへの宣戦布告をし戦争に突入する時を、地理的心理的にはるか離れた日本の男女の側から描く。
設定、登場人物ともにありえそうでありえないと思いつつも、不思議な切実感がある。
2人芝居で1時間半ほどのステージで、魅力的な俳優が演じれば、意外と楽しめるかもしれない。
「わたしの場所の複数」
アルバイトで生計を立てているらしい若夫婦の妻の側から描かれた夫婦愛?か。
酔っ払いのわけのわからない話を、無理矢理聞かされている気分になった。
この作品は、作者が呑みながら口頭でだらだらと録音したものを、文章に起こしたのではなかろうかと疑ってしまう。
そういう手法があっていいとは思うが、とにかく、この作品の魅力は私にはわからなかった。
純文学の範疇に入る作品なのだろうか?
よくわからずにいる私は、まだまだ勉強が足りないらしい。
2008年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第2回大江健三郎賞受賞作らしい。第1回受賞作は読んでいない(何だったかも覚えていない)。今回は、「それに釣られて」読んでみた。
駄作である。何が言葉の機能か? 保坂和志までが褒めている。高橋源一郎などは、「イラク戦争についての最も優れた日本語の小説だ」とまで評している。オイ、オイ。
アメリカ合衆国のイラク空爆前後の時期、東京都の繁華街渋谷が舞台。しかし、一言で言えば若者風俗にイラクの戦も使ってみましたというだけである。
話者の思わせぶりな視点のチェンジや、現代若者言葉の使用や、淡々としているが饒舌体風(その実、所謂饒舌体ではないが)の文体が前衛もどきの雰囲気を醸し出していると考えるナイーヴな読者もいるのだろう、多分。こういうのに弱い(わかると思い込んでいる)人もいるのだろうが、2003年の現実、ことさらに2003年のイラク戦争と同期させる必要などはまったくない、うすっぺらな言葉の連なりとしか言う他はない駄作だ。電車で騒ぎ、渋谷をうろつく若者が、イラク戦争などに何らの関心もなく、デモ行進なんてものはダサと思っているし、その行動原理は理解の範囲外であるという厳然たる事実は、事実である以上、それを批判してもこの際意味はない。しかし、低俗愚かな彼らの風俗を描いていても、優れた小説は稀にはあるし、それを通して戦争状態のニッポンの現実を描くことも可能である。本書は愚かな人間の貧相な言語活動(老若男女概ね誰しもそうだ)の可能性をではなく、誠に中途半端なフィーリングを描いているに過ぎない。保坂評は全文を読んでいるのではなく、本書オビの惹句を見ているだけであるが、この作品に「これを書いた人の存在はずっと消えない」ほどの価値があるとは到底思えない。少なくともこの作品はすぐに消え去る消費物であろう。
こういうのを「わかる」ことが、文学・小説をわかることではない。こういうのを「わかる」ということが、小説の衰退を招いている元凶のひとつであるとすら言っておいてもよい。作家も読者もお互いを甘やかし、衰退するままに任せ、閉じられたサークル化が進んでいるのである。
いずれにしても、近年の大江に見合っているではないか。
駄作である。何が言葉の機能か? 保坂和志までが褒めている。高橋源一郎などは、「イラク戦争についての最も優れた日本語の小説だ」とまで評している。オイ、オイ。
アメリカ合衆国のイラク空爆前後の時期、東京都の繁華街渋谷が舞台。しかし、一言で言えば若者風俗にイラクの戦も使ってみましたというだけである。
話者の思わせぶりな視点のチェンジや、現代若者言葉の使用や、淡々としているが饒舌体風(その実、所謂饒舌体ではないが)の文体が前衛もどきの雰囲気を醸し出していると考えるナイーヴな読者もいるのだろう、多分。こういうのに弱い(わかると思い込んでいる)人もいるのだろうが、2003年の現実、ことさらに2003年のイラク戦争と同期させる必要などはまったくない、うすっぺらな言葉の連なりとしか言う他はない駄作だ。電車で騒ぎ、渋谷をうろつく若者が、イラク戦争などに何らの関心もなく、デモ行進なんてものはダサと思っているし、その行動原理は理解の範囲外であるという厳然たる事実は、事実である以上、それを批判してもこの際意味はない。しかし、低俗愚かな彼らの風俗を描いていても、優れた小説は稀にはあるし、それを通して戦争状態のニッポンの現実を描くことも可能である。本書は愚かな人間の貧相な言語活動(老若男女概ね誰しもそうだ)の可能性をではなく、誠に中途半端なフィーリングを描いているに過ぎない。保坂評は全文を読んでいるのではなく、本書オビの惹句を見ているだけであるが、この作品に「これを書いた人の存在はずっと消えない」ほどの価値があるとは到底思えない。少なくともこの作品はすぐに消え去る消費物であろう。
こういうのを「わかる」ことが、文学・小説をわかることではない。こういうのを「わかる」ということが、小説の衰退を招いている元凶のひとつであるとすら言っておいてもよい。作家も読者もお互いを甘やかし、衰退するままに任せ、閉じられたサークル化が進んでいるのである。
いずれにしても、近年の大江に見合っているではないか。
2010年2月3日に日本でレビュー済み
私たちは多くの時間を過ごす。そして、大概の時間は、日々の営みに撲殺されてしまう。ただ、その時間の中で、ある一瞬、ほんの一時はまるで神様から祝福を受けたように特別に許されたような奇跡的な時間がある。そして、そんな幸福に満ちた時間は永続的に続く訳もなく、必然として終わってしまい、また日常に埋没してしまう。
そんな、お話でした。
読んでて、気持ちがヘコミんだり、テンション上がりまくったり、でもやっぱり最低の気分になったり、感情の起伏が激しくなってしまいました。
文体がかなり変です。新しいといえば新しいかもしれませんが、へたくそといえば、へたくそなのかもしれません。ただ、私は内容も当然ながら、あの変な文体が大好きです。
品質は保障しませんが、面白いと思う人は、かなり面白いと思います。(当たり前ですけど…)
そんな、お話でした。
読んでて、気持ちがヘコミんだり、テンション上がりまくったり、でもやっぱり最低の気分になったり、感情の起伏が激しくなってしまいました。
文体がかなり変です。新しいといえば新しいかもしれませんが、へたくそといえば、へたくそなのかもしれません。ただ、私は内容も当然ながら、あの変な文体が大好きです。
品質は保障しませんが、面白いと思う人は、かなり面白いと思います。(当たり前ですけど…)
2008年5月25日に日本でレビュー済み
大江健三郎賞を受賞したということでこの本をよむ人は少なくないでしょう。私(65歳)もその一人。で、言葉の力に期待しておられる大江さんだけあって、高質な文学と評価しておられるようです。
ふたつの中編小説「三月の5日間」「わたしの場所の複数」からなっています。
ふたつとも、今風な若者言葉が続いていたかと思うと、突然話し手が別の人に変わったりして最初は戸惑いますが、それにはすぐ慣れて話を追っていけるようになります。そういったことをはじめとして、これら小説のテクニックは確かに優れているように感じます。
しかし、そういう技法を使って描かれるその中身では、特に何かをあからさまに、明示的に主張していません。それでいて、何かを訴えているようには確かに思われます。現代の若者が置かれている特徴ある状況の中で、善し悪しとは別に何とか生きようとしている姿は描かれます。一種のリアリズムです。そこから、何を汲み出すかは、読者の読み方如何にかなり依存するのでしょう。そして、それら汲み出されたものを、誰かが集めて眺めるとボーッとしたある固まりになっている、といった種類のものかも知れません。
実際にその固まりがこの本の場合に何なのか。私は未だに分かりません。高橋源太郎氏は「『イラク戦争』について日本語で書かれた、もっとも優れた小説だ。いや、もっと、それ以上のものだ」と言っておられます。しかし、この小説、「三月の5日間」のことでしょうが、イラク戦争がなければ全く違ったシチュエーションになったでしょうが、イラク戦争が、この小説によって何か変わるのか、といえば変わることなく、主人公達や読者、とくに若者たちの生活が何か変わるかも知れない、ということくらいしか見えてきません。
小説技法としては、確かに高いでしょうし、それに十分堪能する人もいるでしょう。しかし、文学としては未知数でしょう。大江賞には、奨励賞的性格もあるようですので、それで十分なのかも知れません。
本の名前「わたしたちに許された特別な時間の終わり」は、読後に考えると、これら2編に描かれたようなリアルな日常、つまりある個別な空間において特別に許された時間も限りがあって、そこから何ごとかが生まれうる、というようなことを思わせます。
ふたつの中編小説「三月の5日間」「わたしの場所の複数」からなっています。
ふたつとも、今風な若者言葉が続いていたかと思うと、突然話し手が別の人に変わったりして最初は戸惑いますが、それにはすぐ慣れて話を追っていけるようになります。そういったことをはじめとして、これら小説のテクニックは確かに優れているように感じます。
しかし、そういう技法を使って描かれるその中身では、特に何かをあからさまに、明示的に主張していません。それでいて、何かを訴えているようには確かに思われます。現代の若者が置かれている特徴ある状況の中で、善し悪しとは別に何とか生きようとしている姿は描かれます。一種のリアリズムです。そこから、何を汲み出すかは、読者の読み方如何にかなり依存するのでしょう。そして、それら汲み出されたものを、誰かが集めて眺めるとボーッとしたある固まりになっている、といった種類のものかも知れません。
実際にその固まりがこの本の場合に何なのか。私は未だに分かりません。高橋源太郎氏は「『イラク戦争』について日本語で書かれた、もっとも優れた小説だ。いや、もっと、それ以上のものだ」と言っておられます。しかし、この小説、「三月の5日間」のことでしょうが、イラク戦争がなければ全く違ったシチュエーションになったでしょうが、イラク戦争が、この小説によって何か変わるのか、といえば変わることなく、主人公達や読者、とくに若者たちの生活が何か変わるかも知れない、ということくらいしか見えてきません。
小説技法としては、確かに高いでしょうし、それに十分堪能する人もいるでしょう。しかし、文学としては未知数でしょう。大江賞には、奨励賞的性格もあるようですので、それで十分なのかも知れません。
本の名前「わたしたちに許された特別な時間の終わり」は、読後に考えると、これら2編に描かれたようなリアルな日常、つまりある個別な空間において特別に許された時間も限りがあって、そこから何ごとかが生まれうる、というようなことを思わせます。
2007年4月17日に日本でレビュー済み
観る者を震撼させてきた「ゆらゆら劇」の作家・演出家、岡田利規の強烈すぎる小説デビュー作。
意識の流れをとりとめもなく書いているようでいて、実は、先の尖った感覚のナイフを使って、繊細に丹念に作りこまれている細工物だ。
とくに「三月の5日間」にはにくらしいほどの才能がきらめいている。社会性という手足をもぎ取られた男女が、獣のようにあるいは機械のように、お互いの性器がすり切れるまで渋谷のラブホでセックスに耽る。からっぽな時間と空間から逃れ出したいの? 寂寥と絶望の中に、生命のいとおしさが匂い立つ。
その香りは、ほんのそこはかとない気配であるがゆえに、思わず「好きだ〜」と叫ばずにはいられない不思議な威力を秘めている。
意識の流れをとりとめもなく書いているようでいて、実は、先の尖った感覚のナイフを使って、繊細に丹念に作りこまれている細工物だ。
とくに「三月の5日間」にはにくらしいほどの才能がきらめいている。社会性という手足をもぎ取られた男女が、獣のようにあるいは機械のように、お互いの性器がすり切れるまで渋谷のラブホでセックスに耽る。からっぽな時間と空間から逃れ出したいの? 寂寥と絶望の中に、生命のいとおしさが匂い立つ。
その香りは、ほんのそこはかとない気配であるがゆえに、思わず「好きだ〜」と叫ばずにはいられない不思議な威力を秘めている。