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甘粕正彦 乱心の曠野 (新潮文庫) 文庫 – 2010/10/28
佐野 眞一
(著)
大杉事件の主謀者として“主義者殺し"の汚名を負い入獄。後年、満映理事長に着任後は一転、満州国の「夜の帝王」として君臨した、元憲兵大尉・甘粕正彦。趣味は「釣りと鴨撃ち、そして謀略」と公言し、現代史の暗部を彷徨した甘粕が、自死と共に葬ろうとしたものは何だったか? 講談社ノンフィクション賞受賞の衝撃作に、新事実を大幅加筆。通説を大きく揺さぶる満州巨編評伝。
- 本の長さ613ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2010/10/28
- 寸法10.5 x 2 x 15 cm
- ISBN-104101316406
- ISBN-13978-4101316406
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2010/10/28)
- 発売日 : 2010/10/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 613ページ
- ISBN-10 : 4101316406
- ISBN-13 : 978-4101316406
- 寸法 : 10.5 x 2 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 86,415位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,938位新潮文庫
- - 17,564位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1947(昭和22)年東京生れ。
出版社勤務を経てノンフィクション作家に。主著に、民俗学者・宮本常一と渋沢敬三の交流を描いた『旅する巨人』(大宅賞)、エリートOLの夜の顔と外国人労働者の生活、裁判制度を追究した『東電OL殺人事件』、大杉栄虐殺の真相に迫り、その通説を大きく覆した『甘粕正彦 乱心の曠野』『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』など多数。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
嘗て読んで、当時の上司が実名で記載されていたので、再読したく購入。ほぼ新本。
2008年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
■ 【甘粕大尉を巡る人々 】
著者は、社会主義者(大杉 栄)殺しで当時の、憲兵司令部
という官僚組織のスケープゴートになった甘粕正彦大尉
に関して、その人物像を関係する人物、文献、その他の
資料を国内のみならず、中国の関係各地をも訪ねて面
談して、本書を著している。
■ 【甘粕大尉の半生 】
甘粕大尉は、懲役10年の実刑判決を受け、千葉の刑務
所で服役。しかし、皇室の慶弔行事も重なり、わすか3年
弱で仮出獄をする。その後、結婚。フランスでの新婚滞
在から帰国。中国大陸に渡り、1932年の『満州国』建国
に尽力。東条英機関東軍参謀長らと親交、後、1939年
のノモンハンでの大敗北の為、関東軍の主要メンバー
は、帰国。甘粕大尉は、満洲に留まり、満鉄映画会社理
事長に就任。阿片王の里見 甫と共に満州国を支える
闇の帝王となる。敗戦時に青酸カリにて自害。
■ 【新聞社の田舎芝居 】
ところで、全国紙が時の権力者の「提灯持ち」になること
は、ジャーナリズムの本筋から外れると考えるのだが、
当時の一端が本書に描かれている。それは、「憲兵隊と
新聞社が手を組んだ田舎芝居」と著者に言わしめている
仮出獄後の甘粕大尉との会見記である。(報知新聞、国
民新聞)著者は、隠された伏線も指摘している。
■ 【口開かぬ鬼籍前の人々 】
10日後の朝日新聞が実際の単独会見をスクープ。とこ
ろで、その後の朝日新聞と言えども、太平洋戦争中は、
「大本営」発表に従わざるを得なかったように、新聞社と
しての信念は時としては消えてしまい、単なる通信社の
姿に堕落した。真相を風化させ忘却させる歴史の残酷さ
と、鬼籍前の人々の隠蔽との戦いに臨んだ著者は、本
当に数多くの貴重な真相を引き出している。あたかも、
外套を太陽の暖かさで脱いでもらうように。脱帽。
著者は、社会主義者(大杉 栄)殺しで当時の、憲兵司令部
という官僚組織のスケープゴートになった甘粕正彦大尉
に関して、その人物像を関係する人物、文献、その他の
資料を国内のみならず、中国の関係各地をも訪ねて面
談して、本書を著している。
■ 【甘粕大尉の半生 】
甘粕大尉は、懲役10年の実刑判決を受け、千葉の刑務
所で服役。しかし、皇室の慶弔行事も重なり、わすか3年
弱で仮出獄をする。その後、結婚。フランスでの新婚滞
在から帰国。中国大陸に渡り、1932年の『満州国』建国
に尽力。東条英機関東軍参謀長らと親交、後、1939年
のノモンハンでの大敗北の為、関東軍の主要メンバー
は、帰国。甘粕大尉は、満洲に留まり、満鉄映画会社理
事長に就任。阿片王の里見 甫と共に満州国を支える
闇の帝王となる。敗戦時に青酸カリにて自害。
■ 【新聞社の田舎芝居 】
ところで、全国紙が時の権力者の「提灯持ち」になること
は、ジャーナリズムの本筋から外れると考えるのだが、
当時の一端が本書に描かれている。それは、「憲兵隊と
新聞社が手を組んだ田舎芝居」と著者に言わしめている
仮出獄後の甘粕大尉との会見記である。(報知新聞、国
民新聞)著者は、隠された伏線も指摘している。
■ 【口開かぬ鬼籍前の人々 】
10日後の朝日新聞が実際の単独会見をスクープ。とこ
ろで、その後の朝日新聞と言えども、太平洋戦争中は、
「大本営」発表に従わざるを得なかったように、新聞社と
しての信念は時としては消えてしまい、単なる通信社の
姿に堕落した。真相を風化させ忘却させる歴史の残酷さ
と、鬼籍前の人々の隠蔽との戦いに臨んだ著者は、本
当に数多くの貴重な真相を引き出している。あたかも、
外套を太陽の暖かさで脱いでもらうように。脱帽。
2017年1月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書を読み終わった後、再度読み返したくなった。甘粕の持ついくつかの特質に惹きつけられたためだろうか。自分に厳しく、金にきれいで、部下の面倒見がよく、形式より物事の本質を重んじ、犠牲的精神に富み、最後は自決するという潔さにさわやかな人柄を感じた。一方で酒乱という負の側面を持っていたのでその摩訶不思議な人格が気にならずにはいられない。又、満映時代には、ボーナスを渡す時、「ここで封を切ってはいけません。うちへ帰って奥さんに渡しなさい。」というおせっかいとも思えるアドバイスを部下にしていたという。当時の価値観から見れば男の甲斐性とは正反対とも思えるそのような言葉を発していた所に甘粕の真骨頂があるように思う。
上層部から見れば、実に使い勝手がよい人間であったと思う。損な役回りをさせても文句を言わない。自分が貪ろうと思えば貪れる立場にいてもそれをしない。組織の汚れ仕事をさせるにはうってつけの人材であったのだろう。どんな組織にも必ず汚れ仕事があり、大正末から昭和初期の怪しげな時期においては特にそうであったと思われる。「時代の方から魅入られ、歴史の表舞台に心ならずも引きずり出されてしまった男」という著者の冒頭の表現は甘粕の人生を一言で言い表した言葉だと思う。本書を読んで、「陸軍の走狗」という甘粕に対するイメージは完全に払拭された。
上層部から見れば、実に使い勝手がよい人間であったと思う。損な役回りをさせても文句を言わない。自分が貪ろうと思えば貪れる立場にいてもそれをしない。組織の汚れ仕事をさせるにはうってつけの人材であったのだろう。どんな組織にも必ず汚れ仕事があり、大正末から昭和初期の怪しげな時期においては特にそうであったと思われる。「時代の方から魅入られ、歴史の表舞台に心ならずも引きずり出されてしまった男」という著者の冒頭の表現は甘粕の人生を一言で言い表した言葉だと思う。本書を読んで、「陸軍の走狗」という甘粕に対するイメージは完全に払拭された。
2014年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この時代のことは勉強中なので、まだよくわかりません。甘粕正彦氏のことは、まだ謎です。
2020年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
事実と想像が入り混じった作者の思い入れが強い作と思いました。
私の父親が暮らしていた満州のかすかな息吹を感じられました。
戦後引き上げた人たちの心情が少し理解できるような気がします。
私の父親が暮らしていた満州のかすかな息吹を感じられました。
戦後引き上げた人たちの心情が少し理解できるような気がします。
2016年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
甘粕が友人だけに漏らした「自分はやってない」が衝撃の言葉として記録されている。しかしここまで甘粕を追い込んだものは彼自身の内なるものだったのか、外圧によるものだったか、謎は残る。
2014年2月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
甘粕氏が手を下したものとばかり思っていたが、そうではないことが分かり意外性を感じたし、甘粕氏の行動規範は現代の企業においてもおこなわれていることとさがないものと感じた。
2016年7月24日に日本でレビュー済み
甘粕正彦大尉は、関東大震災直後の大杉栄一家殺害事件、満州での特務機関の謀略活動、満州映画理事長の活躍で名を知られており興味がありました。
映画「ラスト・エンペラー」で坂本龍一が演じた冷酷な軍人イメージを抱いていましたが、やはり実像は相当違います。
佐野さんがノンフィクションライターとして脂が乗っていた頃で2008年の作品です。
例によって膨大な文献・史料を調べ、芋づる式の関係のある場所を訪れ、少しでも関係のある人たちへのインタビューを通じて書かれた労作です。
甘粕は、戦国時代から続いた武士の家系で、軍隊のエリートコースを歩んだ秀才です。
落馬事故でケガをして後遺症から軍人としての出世コースからはずれ憲兵隊に所属していました。
甘粕正彦の名前が知られるようになったのは大正12年の無政府主義者の杉栄一家殺害事件でした。
関東大震災直後の混乱時に、アナキストの大杉栄が、陸軍憲兵大尉甘粕正彦によって絞殺された事件で世間を騒がせました。
裁判で甘粕は大杉栄と伊藤野枝を絞殺を認めました。
しかし子供を殺していないと主張し、その後、3人の東京憲兵隊員が子供を殺したと自首し、事件は一応、解決の形で終わりました。
甘粕は10年の刑期でしたが恩赦で2年半で出獄しました。
大杉栄の「死因鑑定書」が発見されたのは昭和51年で事件発生後64年です。
体中に暴行の跡があり、甘粕の証言と食い違っていました。
佐野さんは、大杉一家殺しは陸軍か警察の仕業で、甘粕は犯人でないと数々の傍証を挙げています。
晩年になって甘粕や、事件に近い関係者も、そう仄めかしています。
世間からの非難、攻撃から陸軍を守るために甘粕はスケープゴートになったのでしょう。
出獄してから陸軍は甘粕をマスコミの目から遠ざけ、金を渡してフランスへ送り、その後満州へと送ります。
満州では関東軍の特務機関で、様々な活動に携わり、幽閉されていたラストエンペエラー溥儀を、秘密裏に逃亡させるなどの活躍で、満州国建国後は満州の警察庁長官になり、その後、満洲映画協会の経営を託され、手腕を発揮します。
自ら先頭に立ち、スピードと合理主義で仕事をすすめる猛烈経営者ぶりで会社を軌道に乗せました。
日本が敗戦となり、甘粕は1000人の満州映画従業員を前に、「お前たちは生きて日本に帰ってくれ、俺はここで死ぬ」と言います。
部下たちが日本へ戻れる手配をした後、甘粕は青酸カリで自殺します。
軍歴を汚した自分には切腹する資格はないとの思いからです。
黒板に書きなぐった「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」が辞世の句となリました。
波乱万丈の人生で、時代に翻弄された軍人です。
私利私欲に走ることなく、仕事には厳しいけれど清濁を合わせて飲む剛毅で、面倒見の良い人柄を慕う部下は多かったです。
平成7年に、関係者によって甘粕正彦50回忌追悼会が行われています。
大杉栄一家殺害事件の真相は、謎のままです。
映画「ラスト・エンペラー」で坂本龍一が演じた冷酷な軍人イメージを抱いていましたが、やはり実像は相当違います。
佐野さんがノンフィクションライターとして脂が乗っていた頃で2008年の作品です。
例によって膨大な文献・史料を調べ、芋づる式の関係のある場所を訪れ、少しでも関係のある人たちへのインタビューを通じて書かれた労作です。
甘粕は、戦国時代から続いた武士の家系で、軍隊のエリートコースを歩んだ秀才です。
落馬事故でケガをして後遺症から軍人としての出世コースからはずれ憲兵隊に所属していました。
甘粕正彦の名前が知られるようになったのは大正12年の無政府主義者の杉栄一家殺害事件でした。
関東大震災直後の混乱時に、アナキストの大杉栄が、陸軍憲兵大尉甘粕正彦によって絞殺された事件で世間を騒がせました。
裁判で甘粕は大杉栄と伊藤野枝を絞殺を認めました。
しかし子供を殺していないと主張し、その後、3人の東京憲兵隊員が子供を殺したと自首し、事件は一応、解決の形で終わりました。
甘粕は10年の刑期でしたが恩赦で2年半で出獄しました。
大杉栄の「死因鑑定書」が発見されたのは昭和51年で事件発生後64年です。
体中に暴行の跡があり、甘粕の証言と食い違っていました。
佐野さんは、大杉一家殺しは陸軍か警察の仕業で、甘粕は犯人でないと数々の傍証を挙げています。
晩年になって甘粕や、事件に近い関係者も、そう仄めかしています。
世間からの非難、攻撃から陸軍を守るために甘粕はスケープゴートになったのでしょう。
出獄してから陸軍は甘粕をマスコミの目から遠ざけ、金を渡してフランスへ送り、その後満州へと送ります。
満州では関東軍の特務機関で、様々な活動に携わり、幽閉されていたラストエンペエラー溥儀を、秘密裏に逃亡させるなどの活躍で、満州国建国後は満州の警察庁長官になり、その後、満洲映画協会の経営を託され、手腕を発揮します。
自ら先頭に立ち、スピードと合理主義で仕事をすすめる猛烈経営者ぶりで会社を軌道に乗せました。
日本が敗戦となり、甘粕は1000人の満州映画従業員を前に、「お前たちは生きて日本に帰ってくれ、俺はここで死ぬ」と言います。
部下たちが日本へ戻れる手配をした後、甘粕は青酸カリで自殺します。
軍歴を汚した自分には切腹する資格はないとの思いからです。
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私利私欲に走ることなく、仕事には厳しいけれど清濁を合わせて飲む剛毅で、面倒見の良い人柄を慕う部下は多かったです。
平成7年に、関係者によって甘粕正彦50回忌追悼会が行われています。
大杉栄一家殺害事件の真相は、謎のままです。