統合失調症になった著者がその体験を手記にした書。
私もこの人と同じ病名がついているので、似た様な境遇なので、どういう体験をしたのか興味を持って読みました。
流石に、名のある大学を推薦で合格しただけある人という事で、自分の症状を客観的に観察や回想出来ていて、私みたいに高卒の野郎とは違うなぁと素直に感心しました。
私もこの著者の方みたいな症状もありましたが、特に解説で精神科医の方が書いてらっしゃる「妄想着想」という現象はあったなぁ、とか思いだしました。何かいいことがあると、自分が特別な才能があって、周りの人よりも優れていると勘違いしたり、何かあると、その前に予兆の様な物があって、それも特別な才能を持っている、と錯覚したりと恥ずかしい記憶がありました。私の場合は病名が付く前からそういう物(多分、全能感という物)が強く、周囲の人よりも優れていて、何でも出来るという考えが強かったですが、早い段階(10代くらい)で、出来る事よりも出来ない事が多い、周りよりも人間として劣る、と気がついたので、結構長生きできたのかもとも思っていたりします(ただ、面接等であまり肯定感を出せないで、損している部分もある様ですが)。
あと、小説等のフィクションで部分的な文章を理解できますが、全体を総合するとイマイチ全体の把握が出来ない場合があり、主治医に告げたら、まさに病名の「統合」が「失調」している状態、と指摘されました。なので、周到に伏線の張られた推理小説や色々な仕掛けのあるメタフィクションで、一回読んだだけだと上手く把握できないで、2回読んだりする事が増えました(病名の付く前の若い頃はなかったのですが)。ピンチョン先生の難解といわれる「重力の虹」という小説に関しては、4回読んで何となく理解したつもりになりました(まぁこの作品に関しては健常者でも、最後まで読めないという人が多いらしいですが)。トニ・モリスン氏の「パラダイス」という小説も3回読み、マルカム・ラウリーという人の「火山の下で」も2回読んだり、と苦労して読んでいたりします。
私の飲んでいる薬は、不安や緊張を抑えるという効能の物が多いのですが、服用した後眠くなるので、危険な作業や車の運転は控えてください、という注意があり、病気でも働かされるので、そういう薬を作られてもねぇ、とか思います。ただ、長く服用していて、飲まないと発汗がおきたり、集中出来なくなったり、夜一睡も出来なくなったり、とやばいので、服薬管理は徹底しております。
世間であまりいい印象でない原因の1つに、昔の偏向があると思いますが、テレビで自警団的性質の組織が悪の集団と戦う、というタイプの番組や刑事物で、悪の組織がホームレスの人を病気にして殺人者にしたてる、という感じの話が多かったので、そういう偏見が今でも根強いらしいです。今ではそういう番組は殆ど放送禁止らしいですが。「羊たちの沈黙」も翻訳された際、読んだ作家の方が日本では出版社が嫌がる、と申されておりましたが、多分キャラクターのレクター博士が病気で凶悪犯という設定の性かも。
著者の方はまだご健在かどうか寡聞にして知りませんが、なるべく大過なく生きてらっしゃる様に期待します。頑張ってください。
統合失調症の事が具体的によく判る体験記。ぜひご一読を。
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ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫) 文庫 – 2011/10/28
小林 和彦
(著)
早稲田大学を出てアニメーション制作会社へ入ったごく普通の青年がいた。駆け出しながら人気アニメ作品の演出にも携わるようになったが、24歳のある日を境に、仕事場では突飛な大言壮語をし、新聞記事を勝手に自分宛のメッセージと感じ、また盗聴されている、毒を盛られるといった妄想を抱き始め……。四半世紀に亘る病の経過を患者本人が綴る稀有な闘病記にして、一つの青春記。
- 本の長さ381ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2011/10/28
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101354413
- ISBN-13978-4101354415
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2011/10/28)
- 発売日 : 2011/10/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 381ページ
- ISBN-10 : 4101354413
- ISBN-13 : 978-4101354415
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 106,512位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,325位新潮文庫
- - 23,597位ノンフィクション (本)
- - 29,628位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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2021年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2022年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一応注意:「健全なる精神は健全なる身体に宿れかし」=健康な体の持ち主が全員精神まで健常なら楽なのに、現実はそうはいかないね(嘆き)という意味
統合失調症に苦しんでいる人、苦しんだことのある人、苦しむ人に興味を持つ人すべてに捧ぐ
統合失調症に苦しんでいる人、苦しんだことのある人、苦しむ人に興味を持つ人すべてに捧ぐ
2021年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
普通に読めるのは最初の30%だけ。残りは発症後の普通ではない内容に終始します。なのでこれを永遠と読まされるのはかなりしんどいと言いますかハッキリ言うと無理です。レビュアーの方にはまずその点を明確に伝えてほしかった。
精神科医によるあとがきには、発症後にこれほど明晰な文章で自分を表現できることについて、レアであるとの言及がなされています。医学的には興味深いことなのかもしれません。このかたのあとがきは比較的温かさを感じますが、もう一人の大学の先輩のほうのあとがきは・・・。
・筆者は目立った才能の持ち主ではない
・自分は当時から忙しく活躍していた
・自分の後追いで後輩が何人かきたが自分はそれをよく思っていなかった
・最終的にこの業界で生き残っているのは自分だけである
・病気も辛いかも知れないが現実世界も辛い(自分は耐えとるけども)。筆者はその厳しい現実に戻る気がないのであろう。
というような意識を感じさせる文面で「マジか・・・」と思ってしまいました。
当時の仕事場に住み着き、最終的に自分が飼うことになった猫の寿命と筆者の病歴の長さを比べたりする表現もなんといいますか・・・違和感を覚えます。
病気とか関係なく、イラストレーターってこんな方が多い傾向にあるのかなっていう感想をもった1冊でした。
精神科医によるあとがきには、発症後にこれほど明晰な文章で自分を表現できることについて、レアであるとの言及がなされています。医学的には興味深いことなのかもしれません。このかたのあとがきは比較的温かさを感じますが、もう一人の大学の先輩のほうのあとがきは・・・。
・筆者は目立った才能の持ち主ではない
・自分は当時から忙しく活躍していた
・自分の後追いで後輩が何人かきたが自分はそれをよく思っていなかった
・最終的にこの業界で生き残っているのは自分だけである
・病気も辛いかも知れないが現実世界も辛い(自分は耐えとるけども)。筆者はその厳しい現実に戻る気がないのであろう。
というような意識を感じさせる文面で「マジか・・・」と思ってしまいました。
当時の仕事場に住み着き、最終的に自分が飼うことになった猫の寿命と筆者の病歴の長さを比べたりする表現もなんといいますか・・・違和感を覚えます。
病気とか関係なく、イラストレーターってこんな方が多い傾向にあるのかなっていう感想をもった1冊でした。
2016年12月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
それは、記憶細胞の過度な疲労によって起きている。
たとえば、鏡の前のコップには、存在感があるが、鏡の中のコップには存在感がない。その原因は、鏡の中のコップには触れた経験がないからです。
日常世界の物は、それぞれが存在感を持った物として見えています。たとえばテーブルの上をたまごが転がると、あなたは「あぶない」と思います。でも、そのたまごが固い地面に落ちて、バウンドして跳ねて転がったとすればどうでしょう。「あれっ」と思って、そのたまごの存在感が失われてしまいます。
一瞬、白いものが見えているけどなんだかわからない状態になります。
次に、あなたがそのたまごに触って、それがたまご型のゴムボールだと、そのたまごは、たまご型のゴムボールの存在感を持って見えてきます。
このことから、日常の物の見かけ(視覚的感覚)は、そのものについての無数の記憶を再生させ、漠然とした存在感を形成していると考えられます。
感覚とイメージは、知覚の強さによって、はっきり区別されています。感覚とイメージの強さが同じだと行動で失敗するからです。たとえば、目の前のりんごのイメージはいくら取ろうとしても失敗します。
逆に見れば、行動しなければ失敗もないから、感覚とイメージの区別が不要になります。睡眠中見る夢は、強くても抑制される必要がない。人は夢見る時、それは現実感を持っている。感覚とイメージの強さによる区別がなくなり、イメージが現実の存在感を持って見える。
統合失調症の世界では、人が目覚めている時に感覚とイメージの強さによる区別がなくなる。明確なイメージを利用する人間に、感覚とイメージの強さによる区別を失うことは、致命的な欠落だ。
なぜ記憶の働きの根幹となる能力が失われるのか、そしてその時、世界が不快に満ちてみえるのか。そして自分の存在感が希薄になってしまうのか。その原因は、次のように考えることができます。
腹がへるから食べる。
空腹が不快で、食べることが快だから、動物は食べるのです。
記憶には、身体の内外の感覚とこれらの感覚についての快または不快の感覚の記憶がくっついています。
快の記憶は、それと結び着いた記憶細胞を興奮させ、シナプス結合を促します。不快の記憶は、それと結び着いた記憶の興奮を抑制し、シナプス結合の成長を止めます。
その結果、動物は、快をもとめ、不快を避ける行動をすると考えられます。
記憶全体が安定して働くと記憶全体が疲労して、記憶細胞全体の興奮が低下し、睡眠が誘発されます。
しかし記憶全体のまとまりが不安定だと、部分的な興奮が続き、睡眠が誘発されにくくなります。
快の記憶とそれが結び着いた記憶は、積極的に興奮するため、疲労します。
眠れない日が続けば、快の記憶は過度に疲労し働きにくくなり、反面、不快の記憶とそれと結び着いた記憶が反応するようになります。
このため、世界は不快に満ちて見える。不安や恐怖という不快の記憶の連鎖的な反応が、些細な出来事で引き起こされる。
統合失調症の原因は、筋肉細胞の疲労と同じく、記憶細胞の過度な疲労だと考えられます。
筋肉の疲労を回復するためには、休ませることだ。記憶細胞の疲労を回復するには、睡眠が必要だが、そのためには、記憶全体の働きを安定させる絆が必要になる。
記憶全体を働かせるための絆として有効な身体感覚
他人顔は、その他人の記憶の絆です。
知り合いの人に町で出会うと、「やー」とやります。この時、その人の顔を見て、その人の記憶の全体が漠然と働いたのです。
人はいつも同じ顔をしていて、それぞれちがっているから、各人の記憶はその人の顔に結び付いて記憶されるのです。
同じことが自分の記憶全体についても言えます。
ただし、自分の顔は、自分の記憶の絆にはなりません。なぜなら、ふだん人は、行動してる時、自分で自分の顔を見ないからです。
その代わり、自分の身体を感じています。身体の感覚の中で、もっとも安定している身体の感覚が、直立活動をする人間の直立姿勢を維持するお腹と背中の筋肉の働きによってつくられる身体の感覚です。
他人の顔が、その他人についての記憶全体の絆になっているように、自分の身体は、自分の記憶全体の絆になっています。
人生は快でも不快でもない、人が生存するために快も不快も両方必要だからです。
たとえ仕事や勉強であれ、身体を酷使すれば、身体の絆は弱くなります。
自分を支えてくれる友達がいないことに気づいたら、他人に評価されるために自分を必要以上に酷使することをせず、むしろ時間をかけて毎日楽しく身体を動かす時間を持ちましょう。
日本には、イギリスやフランスのような楽しいアウトドアは身近にはありません。
でも、楽しく身体を動かすことは簡単です。
歩く代わりにジョーバ(パナソニックの乗馬機械、中古がアマゾンで1万7000円くらい)に乗り、楽しい展望の代わりにテレビゲームを楽しむ。
こうすれば、飽きずに、楽しく効果的に身体の絆を育てることができます。
これが、私が試した限り、今のところ一番簡単で手軽で楽しい方法です。
ジョーバは、前後左右に揺れるだけのたいくつな機械です。
テレビゲームは、子供の遊び、時間の浪費です。
でも、この二つの組み合わせは、飽きることのない効果的なスポーツです。
テレビゲームの画面の中心は、視線より高くしましょう。
こうすれば、自然と姿勢がよくなります。
いい姿勢は、身体感覚を安定させます。
他人の顔は、いつも同じだから、その人の記憶は、その顔に結びつくのです。
自分の身体感覚を安定させることは、言わば「自分の顔」を同じにすることです。
ジョーバは、テレビゲームを楽しめるように、最低速で乗りましょう。
アウトドアをゆったり歩きながら楽しむ感じでいいのです。
幹の成長力は、「運動量×時間」ではなく、「楽しさ×時間」なのです。
寝つきがよくなったら、成功です。
私は、ゼルダ ブレイス オブ ザワイルド WiiUを500時間楽しみ、地球防衛軍5 PS4をたぶん1000時間くらい楽しんでいます。
私がジョーバ+テレビゲームを始めたのが、2017年3月なので、2年余り毎日やっています。
今のところ、問題はありません。
現在、94歳の強度の物忘れの母の介護もあって、昼間ほとんどジョーバ+テレビゲームができません。
でも、夜中に、母がぐっすり寝たときにでも、近くでこっそりできる良さがあります。
寝付けない人は、一晩中でもやるべきです。
絶好のチャンスです。
(中古ジョーバで一度、不愉快な雑音のするのが送られてきたことがあります。
すぐに送り返しました。)
たとえば、鏡の前のコップには、存在感があるが、鏡の中のコップには存在感がない。その原因は、鏡の中のコップには触れた経験がないからです。
日常世界の物は、それぞれが存在感を持った物として見えています。たとえばテーブルの上をたまごが転がると、あなたは「あぶない」と思います。でも、そのたまごが固い地面に落ちて、バウンドして跳ねて転がったとすればどうでしょう。「あれっ」と思って、そのたまごの存在感が失われてしまいます。
一瞬、白いものが見えているけどなんだかわからない状態になります。
次に、あなたがそのたまごに触って、それがたまご型のゴムボールだと、そのたまごは、たまご型のゴムボールの存在感を持って見えてきます。
このことから、日常の物の見かけ(視覚的感覚)は、そのものについての無数の記憶を再生させ、漠然とした存在感を形成していると考えられます。
感覚とイメージは、知覚の強さによって、はっきり区別されています。感覚とイメージの強さが同じだと行動で失敗するからです。たとえば、目の前のりんごのイメージはいくら取ろうとしても失敗します。
逆に見れば、行動しなければ失敗もないから、感覚とイメージの区別が不要になります。睡眠中見る夢は、強くても抑制される必要がない。人は夢見る時、それは現実感を持っている。感覚とイメージの強さによる区別がなくなり、イメージが現実の存在感を持って見える。
統合失調症の世界では、人が目覚めている時に感覚とイメージの強さによる区別がなくなる。明確なイメージを利用する人間に、感覚とイメージの強さによる区別を失うことは、致命的な欠落だ。
なぜ記憶の働きの根幹となる能力が失われるのか、そしてその時、世界が不快に満ちてみえるのか。そして自分の存在感が希薄になってしまうのか。その原因は、次のように考えることができます。
腹がへるから食べる。
空腹が不快で、食べることが快だから、動物は食べるのです。
記憶には、身体の内外の感覚とこれらの感覚についての快または不快の感覚の記憶がくっついています。
快の記憶は、それと結び着いた記憶細胞を興奮させ、シナプス結合を促します。不快の記憶は、それと結び着いた記憶の興奮を抑制し、シナプス結合の成長を止めます。
その結果、動物は、快をもとめ、不快を避ける行動をすると考えられます。
記憶全体が安定して働くと記憶全体が疲労して、記憶細胞全体の興奮が低下し、睡眠が誘発されます。
しかし記憶全体のまとまりが不安定だと、部分的な興奮が続き、睡眠が誘発されにくくなります。
快の記憶とそれが結び着いた記憶は、積極的に興奮するため、疲労します。
眠れない日が続けば、快の記憶は過度に疲労し働きにくくなり、反面、不快の記憶とそれと結び着いた記憶が反応するようになります。
このため、世界は不快に満ちて見える。不安や恐怖という不快の記憶の連鎖的な反応が、些細な出来事で引き起こされる。
統合失調症の原因は、筋肉細胞の疲労と同じく、記憶細胞の過度な疲労だと考えられます。
筋肉の疲労を回復するためには、休ませることだ。記憶細胞の疲労を回復するには、睡眠が必要だが、そのためには、記憶全体の働きを安定させる絆が必要になる。
記憶全体を働かせるための絆として有効な身体感覚
他人顔は、その他人の記憶の絆です。
知り合いの人に町で出会うと、「やー」とやります。この時、その人の顔を見て、その人の記憶の全体が漠然と働いたのです。
人はいつも同じ顔をしていて、それぞれちがっているから、各人の記憶はその人の顔に結び付いて記憶されるのです。
同じことが自分の記憶全体についても言えます。
ただし、自分の顔は、自分の記憶の絆にはなりません。なぜなら、ふだん人は、行動してる時、自分で自分の顔を見ないからです。
その代わり、自分の身体を感じています。身体の感覚の中で、もっとも安定している身体の感覚が、直立活動をする人間の直立姿勢を維持するお腹と背中の筋肉の働きによってつくられる身体の感覚です。
他人の顔が、その他人についての記憶全体の絆になっているように、自分の身体は、自分の記憶全体の絆になっています。
人生は快でも不快でもない、人が生存するために快も不快も両方必要だからです。
たとえ仕事や勉強であれ、身体を酷使すれば、身体の絆は弱くなります。
自分を支えてくれる友達がいないことに気づいたら、他人に評価されるために自分を必要以上に酷使することをせず、むしろ時間をかけて毎日楽しく身体を動かす時間を持ちましょう。
日本には、イギリスやフランスのような楽しいアウトドアは身近にはありません。
でも、楽しく身体を動かすことは簡単です。
歩く代わりにジョーバ(パナソニックの乗馬機械、中古がアマゾンで1万7000円くらい)に乗り、楽しい展望の代わりにテレビゲームを楽しむ。
こうすれば、飽きずに、楽しく効果的に身体の絆を育てることができます。
これが、私が試した限り、今のところ一番簡単で手軽で楽しい方法です。
ジョーバは、前後左右に揺れるだけのたいくつな機械です。
テレビゲームは、子供の遊び、時間の浪費です。
でも、この二つの組み合わせは、飽きることのない効果的なスポーツです。
テレビゲームの画面の中心は、視線より高くしましょう。
こうすれば、自然と姿勢がよくなります。
いい姿勢は、身体感覚を安定させます。
他人の顔は、いつも同じだから、その人の記憶は、その顔に結びつくのです。
自分の身体感覚を安定させることは、言わば「自分の顔」を同じにすることです。
ジョーバは、テレビゲームを楽しめるように、最低速で乗りましょう。
アウトドアをゆったり歩きながら楽しむ感じでいいのです。
幹の成長力は、「運動量×時間」ではなく、「楽しさ×時間」なのです。
寝つきがよくなったら、成功です。
私は、ゼルダ ブレイス オブ ザワイルド WiiUを500時間楽しみ、地球防衛軍5 PS4をたぶん1000時間くらい楽しんでいます。
私がジョーバ+テレビゲームを始めたのが、2017年3月なので、2年余り毎日やっています。
今のところ、問題はありません。
現在、94歳の強度の物忘れの母の介護もあって、昼間ほとんどジョーバ+テレビゲームができません。
でも、夜中に、母がぐっすり寝たときにでも、近くでこっそりできる良さがあります。
寝付けない人は、一晩中でもやるべきです。
絶好のチャンスです。
(中古ジョーバで一度、不愉快な雑音のするのが送られてきたことがあります。
すぐに送り返しました。)
2021年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作中出てきた大学や出先での錯乱のシーンが強烈すぎて読者の私の夢にまで出てしまうほどでした。
その分、統合失調症に苦しむ小林氏の苦悩の日々やその後の紆余曲折がよくわかる1冊だと思います。
その分、統合失調症に苦しむ小林氏の苦悩の日々やその後の紆余曲折がよくわかる1冊だと思います。