表紙と取り上げた絵画の写真類から、セックスとそれに纏わるとっぴな解説を主体とした本かと読み始めかしたが、なかなかに読ませる文章に感心しました。確かにカパネルの「ヴイナス誕生」などは今の時代は、美術の教科書には掲載出来ない作品ですが、マネの「草上の昼食」はどの教科書にも載っています。何故に過去の時代に於いては、評価が反対だったのか?「ヌードはそれが裸であるという条件と不可欠としていた」(P40)という著者の言葉が、この一冊を支える基本のワードです。神話や聖書、歴史の一場面ならば、それを言い訳として、誠に綿密な裸体を描くことが出来たという解説は誠に秀逸です。描く方にも、見る方にも性的官能を満足させながら、それを表面的には繕うことが出来たわけですな。
確かに若い頃、「草上の昼食」で男性二人はダークスーツなのに、なぜに女性二人が裸体なのか?と疑問に思っていましたが、「日常の裸体」は神話でも歴史でも、聖書の内容にも合致しませんものね。
個人的には古典派、新古典派の画家たちの仕事がよく解ったのが収穫でした。なるほど、ローレンス・アルマ、レオン・ジエローム、ジャン・オーギュスト、そしてアングルのある意味素晴らしい頑迷さ等々が実に解り易く説明されています。そしてあのバイロンが、画家たちに与えた影響の大きさを初めて知りました。そしてドラクロアとクールベが如何に時代に反抗した偉大な画家であったかを再認識しました。(クールベの「世界の起源」の写真を見れば、その反骨心は明白でしょう)そこからマネの作品の説明になりその解り易さを再認識しました。その他ホィッスラーとロセッテイなどに言及し、今まで知らなかった知識を得ました。ナポレオン三世に触れているのも、よい味付けになっており、期待以上の一冊で誠に読ませます。この著者の他の作品も読んでみようと思います。
価格との釣り合いもあるでしょうが、本文の写真もカラーに出来なかったのかと惜しまれます。個人的には、なんと言ってもジエロームの「ローマの奴隷市場」が最も官能的でしょう。
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絶頂美術館―名画に隠されたエロス (新潮文庫) 文庫 – 2011/10/28
西岡 文彦
(著)
観るものの心をときめかせるエロティックな絵画。時を超え、文化を超えて人々を引き付けてやまない「性」の讃歌を湛えた名画の、細部に宿る謎を解き明かす。しどけなく横たわるヴィーナスの足指が反り返っているのはなぜか。実在の娼婦から型取りされた裸体彫刻の、ねじれたポーズの意味するところは? 神話や時代背景を読み解き、読者を知的絶頂(エクスタシー)へと誘(いざな)う、目からウロコの美術案内。
- 本の長さ214ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2011/10/28
- 寸法10.8 x 1 x 15.1 cm
- ISBN-10410135541X
- ISBN-13978-4101355412
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2011/10/28)
- 発売日 : 2011/10/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 214ページ
- ISBN-10 : 410135541X
- ISBN-13 : 978-4101355412
- 寸法 : 10.8 x 1 x 15.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 488,878位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 848位西洋画
- - 7,523位新潮文庫
- - 84,218位ノンフィクション (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年7月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
期待通りの商品です。サイズが多少小さいですが十分に絵画を楽しむ事は出来ます。
2015年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本のタイトル、そして何より表紙(カバー)の絵の魅力に惹かれて手に取った。
この絵は一体何を表現しているのだろうか?
実はこのカバーは部分であり絵の魅力を十全に表してはいなかった。
口絵の部分にもこの絵が現れるが(カラー)、そこではもう少し大きく、カバーでは見えなかった足首より下が見え、さらに脱ぎ捨てられた衣服も描かれているし、上部のほとんど暗闇ではあるが必要な空間が描かれている。
また本文のp55にも三度(みたび)この絵が現れ(こちらは白黒)、更に空間の広がりを感じさせる。
しかしそれでもこの絵の全体像ではなかったことが、ネットで検索することにより知ることになる。
ともあれこの絵はジェロームの「ローマの奴隷市場」という1884年に描かれた絵であることが分かる。
(A Roman Slave Market: Jean-Leon Gerome )
この絵に関する著者、西岡文彦の文章をそのまま引用する。
『内容は説明不要。古代風俗に題材をとってはいても、これほど絵を見る者のエロティックな欲求に率直に応えるべく描かれた作品も珍しい。奴隷制も人身売買も通常の市民感覚に照らせば不道徳きわまりないはずなのだが、すべて古代の野蛮な習慣ということで大目に見られ、画家はひたすら美しき恥じらいのヌードの描写に専念し、見る者は画面中の競売者さながらに裸身を食い入るように眺めることになる。
全裸の奴隷がとるポーズは、古代ギリシャ彫刻以来、ヴィーナス像等のヌードに伝統的に用いられた、片足に重心をかけて心持ち内股にする恥じらいのポーズである。(中略)
フランスの画壇に君臨した画家だけあって、そのリアルな描写は完璧。写真以上の迫力と魅力を発揮している。』
近代絵画でストレートに女性のヌードを表現できるようになる以前は、ヌードを書く時に何らかの口実が必要であったことがこの本で書かれている。
だから神話とか聖書の設定によりかかって、これは芸術であり、史実であるということで描く方も見るほうも免罪符を得ていたようなのだ。
ところがである。根本にスケベ心があるものだから、その作品は上記西岡氏が書くように逆に、却ってエロティック度を増しているようなのだ。
だって、この「ローマの奴隷市場」をもう一度見て頂きたい。
まず左手に主催する男がいる。その男によって衣服をはぎ取られ全裸にされて、ステージのようなところに立たされる女。それを見上げて真剣な表情で見つめる男たち。
第一「奴隷市場」という言葉。買われた後どうなるのだろう、などと劣情はいやでも刺激される。そこにはサド・マゾ的感覚も絶対ある。なんていやらしい。
これに比べると日本の浮世絵、春画などは全然エロティックではない。やはりキリスト教の「禁忌」のようなものがあったほうがよりエロティックになるようだ。
この絵は女性の後姿を描いているが、そうなると当然前の方も見たくなるのが人情だ。
サービス満点のジェロームはちゃんと前から見た情景も描いている。
残念ながらこの本には載っていないが、”Slave Auction ”というタイトルで、前から見た光景を描いている。オークションなのだ。なんてエッチなんだ。
ちなみにその絵ではその当時までの絵が全てそうであるように、陰毛は描かれていない。(ステージ上には子供も書かれていてより不道徳だ。)
ジェロームの絵のことばかりになったが、西岡史彦氏の文章は実に面白い。
特に「はじめに」が秀逸で、人間の性愛のありかたについて深く思索したフランスの思想家ジュルジュ・バタイユの言葉などを引用しながら、絵画を通して見る性、生、死について書いていて興味深い。
「小さな死:petite mort」 :性的な絶頂感のあとにくる死に近い感覚(それだけにとどまる言葉ではないかもしれないが)ーー「小さな死を最終的な死そのものの予感としてこそ、人間は十全に生きることができるのではないか」とバタイユは書いているそうだ。
この絵は一体何を表現しているのだろうか?
実はこのカバーは部分であり絵の魅力を十全に表してはいなかった。
口絵の部分にもこの絵が現れるが(カラー)、そこではもう少し大きく、カバーでは見えなかった足首より下が見え、さらに脱ぎ捨てられた衣服も描かれているし、上部のほとんど暗闇ではあるが必要な空間が描かれている。
また本文のp55にも三度(みたび)この絵が現れ(こちらは白黒)、更に空間の広がりを感じさせる。
しかしそれでもこの絵の全体像ではなかったことが、ネットで検索することにより知ることになる。
ともあれこの絵はジェロームの「ローマの奴隷市場」という1884年に描かれた絵であることが分かる。
(A Roman Slave Market: Jean-Leon Gerome )
この絵に関する著者、西岡文彦の文章をそのまま引用する。
『内容は説明不要。古代風俗に題材をとってはいても、これほど絵を見る者のエロティックな欲求に率直に応えるべく描かれた作品も珍しい。奴隷制も人身売買も通常の市民感覚に照らせば不道徳きわまりないはずなのだが、すべて古代の野蛮な習慣ということで大目に見られ、画家はひたすら美しき恥じらいのヌードの描写に専念し、見る者は画面中の競売者さながらに裸身を食い入るように眺めることになる。
全裸の奴隷がとるポーズは、古代ギリシャ彫刻以来、ヴィーナス像等のヌードに伝統的に用いられた、片足に重心をかけて心持ち内股にする恥じらいのポーズである。(中略)
フランスの画壇に君臨した画家だけあって、そのリアルな描写は完璧。写真以上の迫力と魅力を発揮している。』
近代絵画でストレートに女性のヌードを表現できるようになる以前は、ヌードを書く時に何らかの口実が必要であったことがこの本で書かれている。
だから神話とか聖書の設定によりかかって、これは芸術であり、史実であるということで描く方も見るほうも免罪符を得ていたようなのだ。
ところがである。根本にスケベ心があるものだから、その作品は上記西岡氏が書くように逆に、却ってエロティック度を増しているようなのだ。
だって、この「ローマの奴隷市場」をもう一度見て頂きたい。
まず左手に主催する男がいる。その男によって衣服をはぎ取られ全裸にされて、ステージのようなところに立たされる女。それを見上げて真剣な表情で見つめる男たち。
第一「奴隷市場」という言葉。買われた後どうなるのだろう、などと劣情はいやでも刺激される。そこにはサド・マゾ的感覚も絶対ある。なんていやらしい。
これに比べると日本の浮世絵、春画などは全然エロティックではない。やはりキリスト教の「禁忌」のようなものがあったほうがよりエロティックになるようだ。
この絵は女性の後姿を描いているが、そうなると当然前の方も見たくなるのが人情だ。
サービス満点のジェロームはちゃんと前から見た情景も描いている。
残念ながらこの本には載っていないが、”Slave Auction ”というタイトルで、前から見た光景を描いている。オークションなのだ。なんてエッチなんだ。
ちなみにその絵ではその当時までの絵が全てそうであるように、陰毛は描かれていない。(ステージ上には子供も書かれていてより不道徳だ。)
ジェロームの絵のことばかりになったが、西岡史彦氏の文章は実に面白い。
特に「はじめに」が秀逸で、人間の性愛のありかたについて深く思索したフランスの思想家ジュルジュ・バタイユの言葉などを引用しながら、絵画を通して見る性、生、死について書いていて興味深い。
「小さな死:petite mort」 :性的な絶頂感のあとにくる死に近い感覚(それだけにとどまる言葉ではないかもしれないが)ーー「小さな死を最終的な死そのものの予感としてこそ、人間は十全に生きることができるのではないか」とバタイユは書いているそうだ。
2014年2月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現在はモネやマネに代表されるような印象派が芸術の主流と言われていますが、その基準さえも
たかだか100年程度のものであり、絶対のものでない。
ヌード絵画が当たり前になった現代においては、どれだけヌード絵画が貴重であり、挑戦的なものであるかを
忘れがちになる。
しかし、ヌードをこうして現代として鑑賞できることは非常に幸運なことであり、長い歴史の果ての結果なのだ。
こうした主題にそった解説はとても納得性の高いものなのですが、いかんせんレイアウトが悪く、写真が小さする場合が多いのが気になります。
ということで★4つ。
たかだか100年程度のものであり、絶対のものでない。
ヌード絵画が当たり前になった現代においては、どれだけヌード絵画が貴重であり、挑戦的なものであるかを
忘れがちになる。
しかし、ヌードをこうして現代として鑑賞できることは非常に幸運なことであり、長い歴史の果ての結果なのだ。
こうした主題にそった解説はとても納得性の高いものなのですが、いかんせんレイアウトが悪く、写真が小さする場合が多いのが気になります。
ということで★4つ。
2014年7月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヌードという視点から絵画の歴史を説明した非常に興味深い本。
本の表紙になっている白く珠のように美しい肌は古代ギリシャ彫刻を理想とする新古典主義の筆のタッチを一切のこさないフィニといわれるなめらかな仕上げから来ている。おもわず触りたくなる欲望にかられてしまう。
聖書やギリシャ神話を題材にしたときだけに許されるヌードだが、その後のフランス革命などでも英雄をギリシャの英雄になぞらえ、ヌードにしてしまうことが許されていたというのが興味深い。本当はヌードが描きたかったのではないかとかんぐってしまう。
さらにギリシャ文化は同性愛を賛美していることから、絵画も好んで描いていたということは知らなかった。映画「300」で驚異的な強さを誇ったスパルタ軍も同性愛の結束力によって信頼関係が仲間を守りあったという話だ。三角関係などになったらかえってややこしくなりそうな気がする(笑)。プラトニックラブはセックスをしない男女の愛と思われているが、プラトンがギリシャで、プラトニックラブとは同性愛が語源らしい。必ずしもホモというわけではなく同性の親愛ということだが面白い。
やがてギリシャの英雄をなぞらえるだけでなく普通のヌードが現れる。裸のマハのように隠して所蔵しているのではなく堂々とサロンに出品して大批判を浴びたマネの「草上の昼食」だ。今見ると、「なんで女だけ裸なんだ?」と思うだけで誰も眉をしかめるひとはいないが、おそらく当時は今のTバックのビキニギャルが突然住宅街を歩き出したような衝撃を受けたのだろう。著者の西岡氏が言っているように、いままで神話や聖書の話ですといういい訳で散々エロいヌードを描きまくっておいて、ヌードが一般世間に登場したとたんに非難するというのは今考えると不思議であり面白くもある。
さらに本から得た豆知識でいうと、ロマンス、ロマンティックというのは、本来ラテン語の俗語のロマンス語から来ていて、貴族のしきたりに左右されない大衆の奔放な冒険や恋愛を本来意味していたということだ。今では随分意味が違っています。
また、コーヒーの語源は、アラビア語の酒を意味する「カフワ」で、酒が飲めなかったイスラム教の人たちが代用で愛飲したのが東ローマ帝国のオーストリアからヨーロッパに広がった話も目からウロコでした。
本の表紙になっている白く珠のように美しい肌は古代ギリシャ彫刻を理想とする新古典主義の筆のタッチを一切のこさないフィニといわれるなめらかな仕上げから来ている。おもわず触りたくなる欲望にかられてしまう。
聖書やギリシャ神話を題材にしたときだけに許されるヌードだが、その後のフランス革命などでも英雄をギリシャの英雄になぞらえ、ヌードにしてしまうことが許されていたというのが興味深い。本当はヌードが描きたかったのではないかとかんぐってしまう。
さらにギリシャ文化は同性愛を賛美していることから、絵画も好んで描いていたということは知らなかった。映画「300」で驚異的な強さを誇ったスパルタ軍も同性愛の結束力によって信頼関係が仲間を守りあったという話だ。三角関係などになったらかえってややこしくなりそうな気がする(笑)。プラトニックラブはセックスをしない男女の愛と思われているが、プラトンがギリシャで、プラトニックラブとは同性愛が語源らしい。必ずしもホモというわけではなく同性の親愛ということだが面白い。
やがてギリシャの英雄をなぞらえるだけでなく普通のヌードが現れる。裸のマハのように隠して所蔵しているのではなく堂々とサロンに出品して大批判を浴びたマネの「草上の昼食」だ。今見ると、「なんで女だけ裸なんだ?」と思うだけで誰も眉をしかめるひとはいないが、おそらく当時は今のTバックのビキニギャルが突然住宅街を歩き出したような衝撃を受けたのだろう。著者の西岡氏が言っているように、いままで神話や聖書の話ですといういい訳で散々エロいヌードを描きまくっておいて、ヌードが一般世間に登場したとたんに非難するというのは今考えると不思議であり面白くもある。
さらに本から得た豆知識でいうと、ロマンス、ロマンティックというのは、本来ラテン語の俗語のロマンス語から来ていて、貴族のしきたりに左右されない大衆の奔放な冒険や恋愛を本来意味していたということだ。今では随分意味が違っています。
また、コーヒーの語源は、アラビア語の酒を意味する「カフワ」で、酒が飲めなかったイスラム教の人たちが代用で愛飲したのが東ローマ帝国のオーストリアからヨーロッパに広がった話も目からウロコでした。
2014年9月24日に日本でレビュー済み
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恐らく、美術品への捉え方や感じ取り方は、人によって異なるので、その事を云々する事は出来ず、またその必要もないでしょうが、私自身の捉え方との違いが、この評価になっています。 人によってはもっと別の評価になるでしょう。
2012年1月6日に日本でレビュー済み
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パリで美術館巡りをするために購入しました。
実際に絵を見て、すぐに読みました。
ルーブルで宗教画を見ていたときに、感じた違和感。
イタリアで見た宗教画と何か違う。
ヌードがいつも画面にあるような。。。
宗教画なのに、何でこんなに女性の裸が描かれているの?
この疑問に答えてくれる本でした。
あとがきにあった「タモリ倶楽部」の放送の件を読んでさらに納得。
その回の放送は記憶に残っています。
結局、画家は男性で、究極の美を女性の身体に見出しているという事につきるのかも。
美術史を語る一つの側面として、とても納得できる本です。
実際に絵を見て、すぐに読みました。
ルーブルで宗教画を見ていたときに、感じた違和感。
イタリアで見た宗教画と何か違う。
ヌードがいつも画面にあるような。。。
宗教画なのに、何でこんなに女性の裸が描かれているの?
この疑問に答えてくれる本でした。
あとがきにあった「タモリ倶楽部」の放送の件を読んでさらに納得。
その回の放送は記憶に残っています。
結局、画家は男性で、究極の美を女性の身体に見出しているという事につきるのかも。
美術史を語る一つの側面として、とても納得できる本です。
2009年2月1日に日本でレビュー済み
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裸体表現というとそれだけで不道徳とか嫌らしいと偏見の目で見られる場合がまだまだ多い。
しかしあらゆる芸術表現の中で裸体表現は欠かせないものであることも周知の事実である。
この本は西洋絵画に見られる裸体表現についてユニークな視点から、その作品の意味や作者の表現しようとしたことなどを読み解く糸口を与えてくれる格好の入門書となっている。
さらに裸体表現のみならず、その作品が成立した時代背景や歴史的な意味なども踏まえて西洋絵画の鑑賞の見事な手引書ともなっている。
文章もやさしく丁寧でボリュームも程よくお勧めの一冊です。
しかしあらゆる芸術表現の中で裸体表現は欠かせないものであることも周知の事実である。
この本は西洋絵画に見られる裸体表現についてユニークな視点から、その作品の意味や作者の表現しようとしたことなどを読み解く糸口を与えてくれる格好の入門書となっている。
さらに裸体表現のみならず、その作品が成立した時代背景や歴史的な意味なども踏まえて西洋絵画の鑑賞の見事な手引書ともなっている。
文章もやさしく丁寧でボリュームも程よくお勧めの一冊です。