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インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫) 文庫 – 2000/6/28
阿部 和重
(著)
渋谷・公園通り。風俗最先端の街に通う映写技師オヌマには、5年間にわたるスパイ私塾訓練生の過去があった。一人暮しをつづけるオヌマは、暴力沙汰にかかわるうち、圧縮爆破加工を施されたプルトニウムをめぐるトラブルに巻き込まれていく。ヤクザや旧同志との苛烈な心理戦。映画フィルムに仕掛けられた暗号。騙しあいと錯乱。ハードな文体。現代文学の臨界点を超えた長編小説。
- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2000/6/28
- ISBN-104101377219
- ISBN-13978-4101377216
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2000/6/28)
- 発売日 : 2000/6/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 206ページ
- ISBN-10 : 4101377219
- ISBN-13 : 978-4101377216
- Amazon 売れ筋ランキング: - 209,431位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,133位新潮文庫
- - 5,252位日本文学
- - 17,726位エンターテイメント (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1968年生まれ。小説家。
「アメリカの夜」で第37回群像新人文学賞を受賞しデビュー。1999年『無情の世界』で第21回野間文芸新人賞、2004年『シンセミア』で第15回伊藤整文学賞および第58回毎日出版文化賞、2005年『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞をそれぞれ受賞した。
その他の著書に『インディヴィジュアル・プロジェクション』『ニッポニアニッポン』『プラスティック・ソウル』『映画覚書vol.1』『阿部和重対談集』『ABC 阿部和重初期短編集』『ピストルズ』など。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年4月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
彼の作風は、本来、僕の好むも二ではないのですが,なぜか、時に、バイオレンステイックであり、セクシュアルでもあり、ありきたりの世界を描いた作品ではない。しかし、彼の文体には、内容いかんにかかわらず、引き込まれていく。文体に「力」があるのだろう。どう評価してよいのかは、僕には、まだ、難しいところであるが, 今後、注目の作家の一人だろう。
2018年1月28日に日本でレビュー済み
山形県東根市出身の芥川賞作家。individual projection 各個の投影。この英語の意味を確かめずに読みだして、むしろ楽しめた。タイトルは一種のネタばらしだ。といっても、相当読み進まないとこのタイトルの意味は分からないだろう。
スニーカーや銃や服のファッションなど詳しくして、わたしはなどそこでもはや着いていけなくなりそうだが、そこは分かったふりをして進む。
フリオ・イグレシアスという歌手が好きたということで、歌詞の鑑賞が入る。フリオはかろうじて私の青春期に引っ掛かっていた歌手なので抵抗はない。むしろ作中の若者が好きだということに引っ掛かってしまった。
フリオが33歳の時に書いたという「33歳」という歌詞の解釈によると、33歳という年齢は青年と中年の境にあり、なにか決心を迫られる年齢らしい。「きのうという時」という語句は不吉な響きがあるらしい。
小説を最後まで読み進んでいくと、この「きのうという時」は、ただの感傷的な表現、過ぎ去る青春などというものではなく、とんでもないドラマの回想であることに気づかされる。
日記形式で書き進められるドラマは、過去を整理するものであったり、過去の影響で現在起きている事件を分析したりしているが、最後の最後は、執筆者オヌキのレポートへの高踏塾々長マサキの感想が添えられているということで、これまで営々と読みながら構築してきた自分なりの解釈が一瞬で覆されることになる。
高踏塾とは、山形県東根市と思しき場所に設置されたスパイ養成塾で、映画学校の生徒たちが卒業作品を制作するべくその地にやってきてハマってしまったものだ。
スパイ養成塾とはいっても、たとえばニンジャ塾のように、ゴッコを少々本気でやる、そんな類のものではなかった。若者たちは、だんだんと本気度が進んで行ったのか、相当ヤバイところま深まっていく。グループなので、登場人物が多い。
主人公のオヌキは、潜むように逃げるように渋谷のヤバい場所にある映画館の映写技師になるが、JK(女子高校生)とのつきあいもあり、その関係でヤクザ殺害現場に巻き込まれたり、と発展していく。映画館の関係者たちもこうして登場し、さらに登場人物たちが増える。
だが・・・、ひょっとして彼って統合失調症? と思えるような錯覚のような間違いをしでかす。イノウエのアパートに侵入したつもりが、自分のアパートであり、イノウエは自分だったかということになる。それがどこまでも進むので、あれほどたくさんいた登場人物たちのほとんどが統合失調症の幻視、あるいは多重人格的分身か、とドラマの終わりが見えてきたころはそう思わせられるようになる。それが、最後の「感想」つまり日記形式のレポートへの感想を見ると、やっぱりみんな実在していたのか、と思い返されるが、その感想を書いたマサキもまたオヌキの分身かも、という疑惑もぬぐいきれない、という塩梅なのだ。
ここまで曖昧だと心理劇のような感じもするが、スパイ養成ということではまるでアクション映画を見ているような感じでもある。例えばマット・デイモンの「ボーン」シリーズなどを彷彿とさせられた。ジェイソン・ボーンは心因性健忘で架空の元CIA暗殺者という役どころである。そのように、日記は主人公のオヌキの心因性による幻視なのか、リアルなのか、読者にほとんど確信を与えないスゴワザ小説だ。
スニーカーや銃や服のファッションなど詳しくして、わたしはなどそこでもはや着いていけなくなりそうだが、そこは分かったふりをして進む。
フリオ・イグレシアスという歌手が好きたということで、歌詞の鑑賞が入る。フリオはかろうじて私の青春期に引っ掛かっていた歌手なので抵抗はない。むしろ作中の若者が好きだということに引っ掛かってしまった。
フリオが33歳の時に書いたという「33歳」という歌詞の解釈によると、33歳という年齢は青年と中年の境にあり、なにか決心を迫られる年齢らしい。「きのうという時」という語句は不吉な響きがあるらしい。
小説を最後まで読み進んでいくと、この「きのうという時」は、ただの感傷的な表現、過ぎ去る青春などというものではなく、とんでもないドラマの回想であることに気づかされる。
日記形式で書き進められるドラマは、過去を整理するものであったり、過去の影響で現在起きている事件を分析したりしているが、最後の最後は、執筆者オヌキのレポートへの高踏塾々長マサキの感想が添えられているということで、これまで営々と読みながら構築してきた自分なりの解釈が一瞬で覆されることになる。
高踏塾とは、山形県東根市と思しき場所に設置されたスパイ養成塾で、映画学校の生徒たちが卒業作品を制作するべくその地にやってきてハマってしまったものだ。
スパイ養成塾とはいっても、たとえばニンジャ塾のように、ゴッコを少々本気でやる、そんな類のものではなかった。若者たちは、だんだんと本気度が進んで行ったのか、相当ヤバイところま深まっていく。グループなので、登場人物が多い。
主人公のオヌキは、潜むように逃げるように渋谷のヤバい場所にある映画館の映写技師になるが、JK(女子高校生)とのつきあいもあり、その関係でヤクザ殺害現場に巻き込まれたり、と発展していく。映画館の関係者たちもこうして登場し、さらに登場人物たちが増える。
だが・・・、ひょっとして彼って統合失調症? と思えるような錯覚のような間違いをしでかす。イノウエのアパートに侵入したつもりが、自分のアパートであり、イノウエは自分だったかということになる。それがどこまでも進むので、あれほどたくさんいた登場人物たちのほとんどが統合失調症の幻視、あるいは多重人格的分身か、とドラマの終わりが見えてきたころはそう思わせられるようになる。それが、最後の「感想」つまり日記形式のレポートへの感想を見ると、やっぱりみんな実在していたのか、と思い返されるが、その感想を書いたマサキもまたオヌキの分身かも、という疑惑もぬぐいきれない、という塩梅なのだ。
ここまで曖昧だと心理劇のような感じもするが、スパイ養成ということではまるでアクション映画を見ているような感じでもある。例えばマット・デイモンの「ボーン」シリーズなどを彷彿とさせられた。ジェイソン・ボーンは心因性健忘で架空の元CIA暗殺者という役どころである。そのように、日記は主人公のオヌキの心因性による幻視なのか、リアルなのか、読者にほとんど確信を与えないスゴワザ小説だ。
2006年3月31日に日本でレビュー済み
ただ、この作品が 面白いのか、面白くないのか、それだけを気にしているあなたに僕が言うとするならば、この作品は 面白い。がしかし、阿部和重の本をまだ読んだことがない人にとっては、内容はともかくとして、書き方がハードな文体である為に、読みにくいかもしれない、ということは頭に入れておいてほしい。
もう少し、この作品の詳細を言うあなたに。この作品は旧友との間での心理戦が繰り広げられ、スリルのある作品だと僕は思っている。だが阿部和重は、書き方が固く厳しく、その分、読むスピードが落ちる。そう言った意味で、展開が遅い(逆に阿部ワールドを体感できる)。その中で、こういったスリルのある作品を書ける阿部にはかなり感動させられてしまった。シメも阿部らしい終わりで、この作品を読めば、阿部和重を知ることが出来ると僕は思う。
かなり詳細を知りたいあなたに僕がレビューを書くとするなら、少し話の内容を説明することになる。それに加え、阿部和重の他の作品を読まないと僕が記述する内容が分からなくなってしまいかねない。
文体はあくまでも"阿部和重"なわけだが、このインディヴィジュアル・プロジェクションの以後に発刊された、『シンセミア』、『グランド・フィナーレ』、『プラスティック・ソウル』と比較すると、ストーリーのプロットの組み方がかなり異なってくる。
インディビジュアル・プロジェクションやニッポンニアニッポンといった作品は『一つの目的』を通してストーリーが発展していくのだ。それに比べると、グランド・フィナーレ等はコレといった目的もなく、ストーリーの展開も地味で(しかし面白い)、リアリティが追及されている様に見える。
そこが、阿部和重の前後の作品の違いだと思われる。
この作品の素晴らしいところは、一つの目的(心理戦をこなしていく)へ向かう過程での面白みが存分に書かれていて、ストーリーが巡るに巡る。グランド・フィナーレ等を先に読んだ方々には、こういう"阿部和重"があることを是非とも知ってほしい。
もう少し、この作品の詳細を言うあなたに。この作品は旧友との間での心理戦が繰り広げられ、スリルのある作品だと僕は思っている。だが阿部和重は、書き方が固く厳しく、その分、読むスピードが落ちる。そう言った意味で、展開が遅い(逆に阿部ワールドを体感できる)。その中で、こういったスリルのある作品を書ける阿部にはかなり感動させられてしまった。シメも阿部らしい終わりで、この作品を読めば、阿部和重を知ることが出来ると僕は思う。
かなり詳細を知りたいあなたに僕がレビューを書くとするなら、少し話の内容を説明することになる。それに加え、阿部和重の他の作品を読まないと僕が記述する内容が分からなくなってしまいかねない。
文体はあくまでも"阿部和重"なわけだが、このインディヴィジュアル・プロジェクションの以後に発刊された、『シンセミア』、『グランド・フィナーレ』、『プラスティック・ソウル』と比較すると、ストーリーのプロットの組み方がかなり異なってくる。
インディビジュアル・プロジェクションやニッポンニアニッポンといった作品は『一つの目的』を通してストーリーが発展していくのだ。それに比べると、グランド・フィナーレ等はコレといった目的もなく、ストーリーの展開も地味で(しかし面白い)、リアリティが追及されている様に見える。
そこが、阿部和重の前後の作品の違いだと思われる。
この作品の素晴らしいところは、一つの目的(心理戦をこなしていく)へ向かう過程での面白みが存分に書かれていて、ストーリーが巡るに巡る。グランド・フィナーレ等を先に読んだ方々には、こういう"阿部和重"があることを是非とも知ってほしい。
2012年12月16日に日本でレビュー済み
本作品は、渋谷の映画館で働く映写技師オヌマの4ヶ月にわたる日記という体裁である。
高踏塾というスパイ養成所に5年間入塾していた過去をもつオヌマ。オヌマは、今や、高踏塾と縁を切り身を隠すように暮らしていた。ある日、オヌマに仲間の死の報がもたらされる。訓練途中にヤクザから奪ったプルトニウムが原因の報復か。それとも、高踏塾の粛清にあったのか。拡大するトラブル、そして元同志イノウエの陽動に、オヌマの思考は乱れに乱れてしまうのだった。 ・・・
あらすじを書いてしまうと謀略小説のように見えてしまうが、これが全く違う。
オヌマが現実逃避のかっこうで入塾したのは、マサキという胡散臭い男の開いた私塾だ。マサキの指導を仰ぐ塾生たちは、訓練の一貫で、暴力団組長を誘拐し、プルトニウムを強奪してしまう。もうこの時点で現実性がない。どこか抜けている。この違和感は、本作品の最後まで続く。
マサキを失い、塾を抜けたオヌマに次々に降りかかる暴力沙汰。その過程で、オヌマは自分自身と他人の区別がつなかくなっていく。Individual Projection=個人的な投影は、自我が拡大していく様のようだ。徐々に、オヌマの日記が真実であるのか、オヌマの頭の中の出来事なのかが判然としなくなる。オヌマの願望を充足するめの人格がかたちづくられているのか、それとも単なる妄想か。自己というアイデンティティの崩壊は、フィリップ・K・ディックの作品に見られるような心もとなさを喚起する。
結末までオヌマの錯乱は続くかと思いきや、最後の3頁で、ひっくり返される。冒頭のフリオ・イグレシアスの歌詞から始まるこの物語は、束縛からの脱却へ という大きなテーマにそって流れているようだ。ここで好き嫌いが別れそうだが、どうだろう。
高踏塾というスパイ養成所に5年間入塾していた過去をもつオヌマ。オヌマは、今や、高踏塾と縁を切り身を隠すように暮らしていた。ある日、オヌマに仲間の死の報がもたらされる。訓練途中にヤクザから奪ったプルトニウムが原因の報復か。それとも、高踏塾の粛清にあったのか。拡大するトラブル、そして元同志イノウエの陽動に、オヌマの思考は乱れに乱れてしまうのだった。 ・・・
あらすじを書いてしまうと謀略小説のように見えてしまうが、これが全く違う。
オヌマが現実逃避のかっこうで入塾したのは、マサキという胡散臭い男の開いた私塾だ。マサキの指導を仰ぐ塾生たちは、訓練の一貫で、暴力団組長を誘拐し、プルトニウムを強奪してしまう。もうこの時点で現実性がない。どこか抜けている。この違和感は、本作品の最後まで続く。
マサキを失い、塾を抜けたオヌマに次々に降りかかる暴力沙汰。その過程で、オヌマは自分自身と他人の区別がつなかくなっていく。Individual Projection=個人的な投影は、自我が拡大していく様のようだ。徐々に、オヌマの日記が真実であるのか、オヌマの頭の中の出来事なのかが判然としなくなる。オヌマの願望を充足するめの人格がかたちづくられているのか、それとも単なる妄想か。自己というアイデンティティの崩壊は、フィリップ・K・ディックの作品に見られるような心もとなさを喚起する。
結末までオヌマの錯乱は続くかと思いきや、最後の3頁で、ひっくり返される。冒頭のフリオ・イグレシアスの歌詞から始まるこの物語は、束縛からの脱却へ という大きなテーマにそって流れているようだ。ここで好き嫌いが別れそうだが、どうだろう。
2019年8月31日に日本でレビュー済み
スリリングな作品である。だが最もスリルを味わったのは阿部和重氏自身では無いだろうか。
2013年7月30日に日本でレビュー済み
テロ組織、多重人格と某海外文学と共通するが、全てが「渋谷」に帰結する脳内の自閉的物語。
2006年12月23日に日本でレビュー済み
著者の魅力が出ている。
J文学と呼ばれてはいるが、そういったことばでカテゴライズしたくない作品でもある。
手紙形式という、割と古い手法をちょっとひねって、最後の最後に実はそれが、スパイ養成塾のレポートであるというのは、なかなかよいと思った。
大小の伏線もあり、不可解な部分、倒錯する部分ありで、楽しめる。
この作品は、たぶん読む人によって受け取り方に非常に巾が出る作品。
J文学と呼ばれてはいるが、そういったことばでカテゴライズしたくない作品でもある。
手紙形式という、割と古い手法をちょっとひねって、最後の最後に実はそれが、スパイ養成塾のレポートであるというのは、なかなかよいと思った。
大小の伏線もあり、不可解な部分、倒錯する部分ありで、楽しめる。
この作品は、たぶん読む人によって受け取り方に非常に巾が出る作品。
2018年8月7日に日本でレビュー済み
第10回三島賞候補作。
阿部和重が小説家として乗りに乗っていた最盛期に書いた(と私が考える)、「阿部和重節」あふれるキレッキレの純文学作品。
阿部作品に頻出の暴力、のっぴきならない状況、苦境からの脱出劇、といったものが好きな方には楽しめると思う。主人公の自我がゆらいでいく過程の描き方がやはり阿部らしくて良い。
阿部和重が小説家として乗りに乗っていた最盛期に書いた(と私が考える)、「阿部和重節」あふれるキレッキレの純文学作品。
阿部作品に頻出の暴力、のっぴきならない状況、苦境からの脱出劇、といったものが好きな方には楽しめると思う。主人公の自我がゆらいでいく過程の描き方がやはり阿部らしくて良い。