この筆者にしてはちょっと異色かもしれない作品です。文章そのものは作者ならではのものですが。
デーマや、その取り上げ方は、読む方を選ぶかもしれません。
森茉莉の「恋人たちの森」や「甘い蜜の部屋」的な、耽美系のジャンルに入りそうにも思います。
恋人たちの森 (新潮文庫)
ただ、森茉莉の文体があくまで「耽美系」の濃密な描写であるにもかかわらず、資料性も重視した
乾いた文体で描き切っているところが眼目です。これは、骨董・美術品をも多く描いている、この
方でこそなせる技でしょう。しかも力技でなく、しなやかな女性視点から離れていないのも秀逸です。
本棚に1冊転がしておく価値は十分にあるかと。薄いw文庫本ですし、価格も非常に安価に良品
が入手可能です。
また、この筆者の、若かりし頃、「韋駄天オマサ」と呼ばれたヤンチャっぷりを描いた自伝も併せて
読むのも一興。才能にあふれ、行動力にあふれ、かの白州次郎でなくば「乗りこなせなかった」で
あろう、暴れ馬(しかも牝馬)の来歴が良く判ります。
白洲正子自伝 (新潮文庫)
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両性具有の美 (新潮文庫) 文庫 – 2003/2/28
白洲 正子
(著)
光源氏、西行、世阿弥、南方熊楠。歴史に名を残す天性の芸術家たちが結んだ「男女や主従を超えたところにある美しい愛のかたち」とは――。薩摩隼人の血を享け、女性でありながら男性性を併せ持ち、小林秀雄、青山二郎ら当代一流の男たちとの交流に生きた白洲正子。その性差を超越したまなざしが、日本文化を遡り、愛と芸術に身を捧げた「魂の先達」と交歓する、白洲エッセイの白眉。
- 本の長さ203ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2003/2/28
- ISBN-104101379084
- ISBN-13978-4101379081
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2003/2/28)
- 発売日 : 2003/2/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 203ページ
- ISBN-10 : 4101379084
- ISBN-13 : 978-4101379081
- Amazon 売れ筋ランキング: - 87,331位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,839位近現代日本のエッセー・随筆
- - 1,969位新潮文庫
- - 4,096位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1910-1998)東京・永田町生れ。薩摩隼人の海軍軍人、樺山資紀伯爵の孫娘。幼時より梅若宗家で能を習う。14歳で米国留学、1928(昭和3)年帰国。翌年、白洲次郎と結婚。1943年『お能』を処女出版。戦後、小林秀雄、青山二郎らを知り、大いに鍛えられて審美眼と文章をさらに修業。1964年『能面』で、また1972年には『かくれ里』で、ともに読売文学賞を受賞している。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年8月4日に日本でレビュー済み
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2020年12月29日に日本でレビュー済み
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白洲正子の能と人となりを晩年に至り、吐露した貴重な一冊ですね!河合隼雄氏とのやり取りも素直さが現われて!
2015年7月1日に日本でレビュー済み
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男同士の友情が高じて愛情に変わり、さらに同性愛に進化する。
これは恥ずかしいことでもなんでもない。要するにホモセクシュアル。
例えば、足利義満は世阿弥を自分の小姓に取り立てて贔屓にしたが、ようは彼の美童としての容色を愛でるためであった。
でも旧仏教界も妻帯を禁止していたので、男色が流行ったみたいです。
織田信長が比叡山を焼き討ちし、皆殺しにしたのもこれが原因だと言われてます。
つまり江戸時代になって儒教が広まるまでは同性愛はごく普通の出来事だったようです。
まあ、女性が男性に搾取されることを容認したようなものです。男性は陽、女性は陰ですから。
でも時代は変わりました。同性愛、同性婚が欧米諸国では急増し、米国の最高裁も容認する判決を出しました。
我が国でも欧米ほどではありませんが、そのようなカップルも出現し、同性婚で結婚式あげたりしてますね。
法律上認める必要性もあるかもしれません。
日本も遠からず、米国に追いつき同性婚カップルが急増する?
時代は進んでいます。
少なくとも予断と偏見の目で同性婚カップルを見るのは止めましょう。
ここまで拝読いただきありがとうございます。
これは恥ずかしいことでもなんでもない。要するにホモセクシュアル。
例えば、足利義満は世阿弥を自分の小姓に取り立てて贔屓にしたが、ようは彼の美童としての容色を愛でるためであった。
でも旧仏教界も妻帯を禁止していたので、男色が流行ったみたいです。
織田信長が比叡山を焼き討ちし、皆殺しにしたのもこれが原因だと言われてます。
つまり江戸時代になって儒教が広まるまでは同性愛はごく普通の出来事だったようです。
まあ、女性が男性に搾取されることを容認したようなものです。男性は陽、女性は陰ですから。
でも時代は変わりました。同性愛、同性婚が欧米諸国では急増し、米国の最高裁も容認する判決を出しました。
我が国でも欧米ほどではありませんが、そのようなカップルも出現し、同性婚で結婚式あげたりしてますね。
法律上認める必要性もあるかもしれません。
日本も遠からず、米国に追いつき同性婚カップルが急増する?
時代は進んでいます。
少なくとも予断と偏見の目で同性婚カップルを見るのは止めましょう。
ここまで拝読いただきありがとうございます。
2018年10月31日に日本でレビュー済み
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「女にお能は舞えない」
では、男にあって能を舞わせる或るものとは何なのか。男に限ったことでも、じつはない。
無限の中の一行が、ピリッと辛味を効かせる真実の一書。
では、男にあって能を舞わせる或るものとは何なのか。男に限ったことでも、じつはない。
無限の中の一行が、ピリッと辛味を効かせる真実の一書。
2010年11月18日に日本でレビュー済み
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これは平成9年出版となっているので著者のswan bookなのでしょうか?最終的にたどり着いたのがこの側面からの観察というのは感慨深いものがあります。自分の先祖である薩摩と人生をかけた能の接点が「男色」だったというわけです。
もっとも、両性具有とはいってももっぱら男色が取り上げられます。したがって場所というよりも個人が中心となってくる叙述です。男色といっても、その位置づけは、より一般化、抽象化、そして普遍化されています。性の業というよりは、むしろ男性の成長における「通過儀礼」といってもいいほどです。源氏、西行、世阿弥、南方熊楠、そして天狗や忍者などまで取り上げられますが、男色をテーマとしながらも、そこに浮かび上がるのは、著者によって抽出された日本文化のエッセンスです。
「人にも物にも個性なんか求めず、周囲の環境といかによく調和しているか、そのことだけを美しいと見たのである」、「思想とか理念とか呼ばれるものを、それとは程遠いあいまいな日本語を用いて、たどたどしい文章で書くことを私は少しも恥じてはいない」、「私たちにはこれほどの執念深さも..情熱ももない。それは...はるかに穏やかで閑かなものだった」。どれも小林秀雄と間違えてしまいそうですね。
もっとも、両性具有とはいってももっぱら男色が取り上げられます。したがって場所というよりも個人が中心となってくる叙述です。男色といっても、その位置づけは、より一般化、抽象化、そして普遍化されています。性の業というよりは、むしろ男性の成長における「通過儀礼」といってもいいほどです。源氏、西行、世阿弥、南方熊楠、そして天狗や忍者などまで取り上げられますが、男色をテーマとしながらも、そこに浮かび上がるのは、著者によって抽出された日本文化のエッセンスです。
「人にも物にも個性なんか求めず、周囲の環境といかによく調和しているか、そのことだけを美しいと見たのである」、「思想とか理念とか呼ばれるものを、それとは程遠いあいまいな日本語を用いて、たどたどしい文章で書くことを私は少しも恥じてはいない」、「私たちにはこれほどの執念深さも..情熱ももない。それは...はるかに穏やかで閑かなものだった」。どれも小林秀雄と間違えてしまいそうですね。
2021年9月5日に日本でレビュー済み
二つの点でこの本の内容は題名からは遠いところにある。一つ目は「両性具有」と謳っておきながら、語られるのはもっぱら衆道であること。二つ目は筆者の言う「美」がどこにあるのか分からないことである。ここには系統立った学問的考察の成果も、筆者個人による深い洞察に満ちた見解も、残念ながら見出すことはできない。ここに書かれているのは、いいところの家の出自で白洲次郎の妻という恵まれた立場にある世間知らずのお嬢様が、お金と時間を心配することなくのめり込むことのできた「趣味」についての脈絡のない感想に過ぎない。
そのあまり味わい深いとは言えない文章とあいまって、彼女が言わんとする「両性具有」とは何なのか、そこに見出した「美」とは何であったのか、私には最後までどうしても分からなかった。
そのあまり味わい深いとは言えない文章とあいまって、彼女が言わんとする「両性具有」とは何なのか、そこに見出した「美」とは何であったのか、私には最後までどうしても分からなかった。
2022年12月30日に日本でレビュー済み
これは「日本の伝統」を軽々しく言う方々にも好適な本で、わずか5,6代前、明治の世を作った薩摩人の文化·行動様式が異世界レベルで、目が回りそうになるほどだということに、最初の2,3章目で衝撃を受ける。
全編は、ヴァージニア·ウルフのオルランドー(の映画版)から始まって、ヤマトタケルと薩摩隼人、新羅花郎、源氏物語、藤原頼長、西行、折口信夫、天狗、病床の夢うつつ、南方熊楠と粘菌、世阿弥、忍者、カストラート、竜女成仏と、縦横無尽·自由自在に様々な話題を扱っていく。
その中に一貫して、日本文化のよく知られた古典美から、男性にも女性的なものを見出だす感性を選り分ける手つきの見事さに感嘆させられる。
学術的に厳密ではない内容が含まれるとしても、そうしたものも拾い上げるのが、こうしたエセーの本領ではないか。
ここまで視野を広げながら、全人格的な視点を据えた書き方で読ませられる書き手は今はもういないだろう。
晩年の晩年、肺炎で入院し、半月以上を4,5日と思っていた夢うつつを経ながら書き切られた貴重な最後の著作で、私の乏しい読書経験の中では最上の名著の部類と言える。
最後の竜女成仏だけは、男の芸道だった能楽を50年舞った自分へのメッセージだろうか。
全編は、ヴァージニア·ウルフのオルランドー(の映画版)から始まって、ヤマトタケルと薩摩隼人、新羅花郎、源氏物語、藤原頼長、西行、折口信夫、天狗、病床の夢うつつ、南方熊楠と粘菌、世阿弥、忍者、カストラート、竜女成仏と、縦横無尽·自由自在に様々な話題を扱っていく。
その中に一貫して、日本文化のよく知られた古典美から、男性にも女性的なものを見出だす感性を選り分ける手つきの見事さに感嘆させられる。
学術的に厳密ではない内容が含まれるとしても、そうしたものも拾い上げるのが、こうしたエセーの本領ではないか。
ここまで視野を広げながら、全人格的な視点を据えた書き方で読ませられる書き手は今はもういないだろう。
晩年の晩年、肺炎で入院し、半月以上を4,5日と思っていた夢うつつを経ながら書き切られた貴重な最後の著作で、私の乏しい読書経験の中では最上の名著の部類と言える。
最後の竜女成仏だけは、男の芸道だった能楽を50年舞った自分へのメッセージだろうか。
2007年10月24日に日本でレビュー済み
1997年に出た単行本の文庫化。
両性具有、男色、南方熊楠などをテーマとした16篇からなるエッセイ。
思想の深さはともかくとして、文章の味わいには素晴らしいものがある。堅牢であり、流れるような名文だ。
しかし、内容にはけっこう疑問が残る。南方熊楠についての事実関係には誤りが多いし、彼の人生・人格への考察にも首肯しがたい部分が少なくない。熊楠という人を、それほど良く知らないまま、自分のなかで想像を膨らませて書いたものという気がする。それはそれで一貫した世界観をつくっていて面白いのだが、受け入れることは出来ない。
歴史的な問題としての両性具有や男色の話に、女性が正面から切り込んだものは珍しい。その眼差しには勉強させられる点が多い。
両性具有、男色、南方熊楠などをテーマとした16篇からなるエッセイ。
思想の深さはともかくとして、文章の味わいには素晴らしいものがある。堅牢であり、流れるような名文だ。
しかし、内容にはけっこう疑問が残る。南方熊楠についての事実関係には誤りが多いし、彼の人生・人格への考察にも首肯しがたい部分が少なくない。熊楠という人を、それほど良く知らないまま、自分のなかで想像を膨らませて書いたものという気がする。それはそれで一貫した世界観をつくっていて面白いのだが、受け入れることは出来ない。
歴史的な問題としての両性具有や男色の話に、女性が正面から切り込んだものは珍しい。その眼差しには勉強させられる点が多い。