プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
![Kindleアプリのロゴ画像](https://m.media-amazon.com/images/G/09/kindle/app/kindle-app-logo._CB666561098_.png)
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ぼくがいま、死について思うこと (新潮文庫) 文庫 – 2015/12/23
購入オプションとあわせ買い
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2015/12/23
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101448396
- ISBN-13978-4101448398
よく一緒に購入されている商品
![ぼくがいま、死について思うこと (新潮文庫)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/71mSS1Usl-L._AC_UL116_SR116,116_.jpg)
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
出版社より
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
---|---|---|---|---|---|
「十五少年漂流記」への旅―幻の島を探して― | ぼくがいま死について思うこと | 殺したい蕎麦屋 | かぐや姫はいやな女 | すばらしい暗闇世界 | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.3
39
|
5つ星のうち4.2
61
|
5つ星のうち3.5
15
|
5つ星のうち3.9
15
|
5つ星のうち4.3
11
|
価格 | ¥605¥605 | ¥572¥572 | ¥64¥64 | ¥605¥605 | ¥693¥693 |
【新潮文庫】椎名誠 作品 | あの作品のモデルとなった島へ行かないか。胸躍る誘いを受けて、冒険作家は南太平洋へ。少年の夢が壮大に羽ばたく紀行エッセイ! | うつ、不眠、大事故。思えば、ずいぶん危ういときもあった──。シーナ 69 歳、幾多の別れを経て、はじめて真剣に〈死〉と向き合う。 | 殺したいなんて不謹慎?真実のためならかまうものか!!蹴りたい店、愛しい犬、忘れられない旅。好奇心と追憶みなぎるエッセイ集。 | 実はそう思っていただろうSF視点で読むオトギ噺、ニッポンの不思議、美味い酒、危険で愉しい旅。シーナ節炸裂のエッセイ集。 | 世界一深い洞窟、空飛ぶヘビ、パリの地下墓地。閉所恐怖症で不眠症のシーナが体験した地球の神秘を書き尽くす驚異のエッセイ集! |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2015/12/23)
- 発売日 : 2015/12/23
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 224ページ
- ISBN-10 : 4101448396
- ISBN-13 : 978-4101448398
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 83,688位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 253位ロシア・東欧文学研究
- - 1,404位日本文学研究
- - 1,837位日本のエッセー・随筆
- カスタマーレビュー:
著者について
![椎名 誠](https://m.media-amazon.com/images/I/01Kv-W2ysOL._SY600_.png)
1944(昭和19)年、東京生れ。東京写真大学中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイスト。「本の雑誌」編集長。『さらば国分寺書店のオババ』でデビューし、その後『アド・バード』(日本SF大賞)『武装島田倉庫』などのSF作品、『わしらは怪しい探検隊』シリーズなどの紀行エッセイ、『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『哀愁の町に霧が降るのだ』『岳物語』『大きな約束』などの自伝的小説、『風のかなたのひみつ島』『全日本食えば食える図鑑』『海を見にいく』など旅と食の写真エッセイと著書多数。映画『白い馬』では、日本映画批評家大賞最優秀監督賞ほかを受賞している。
カスタマーレビュー
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
ここにきて、立花隆さんやら、椎名さんやら、我が人生の先達と仰ぐ方々が 相次いで 「 死 」 に就いて、想い・考え・述べていらっしゃいますが、これこそ 今 生きていることの これ以上ない証(あかし)ですよねぇ。
昔、ワタクシメがまだ 大学生であった頃、番外授業として、学外の多種多様な職業の方々、生物学者/人類学者/医者/映画監督/お寺の住職/小説家 などなどによる 共通テーマ 連続講義というものを 受講したことがあります。
テーマは ズバリ「 生と死 」。
ヒトは 何故 死を おそれるのか? 死んだら 心と 身体は どうなるのか? 生物個体の寿命と 種属としての寿命はどのように関わるか? 等々。
「 死 」を考えるというのは、そもそも「 生 」とは何かということの裏返しでありましょう。
ヒトは 皆、例外なく 100パーセントの確率で 他界する。しかし、死んだら どうなるのか、そもそも 生きているって どういうことなのか、誰にも 説明できない。
シーナさんの この本は、いかにも シーナさんらしい切り口で 多方面から「 死 」という 誰もが 避けられない できごと に アプローチを試みていらっしゃいますが、読後感は 読み手それぞれに異なることでしょう。
誰もが みんな死ぬんだ、と言ってみても、死に方は それこそ 千差万別。誰一人として 同じではないはずでしょうから。
シーナさんと同時代に生き、サイン会やトークショーで 御目にかかれるシアワセが、願わくば、もう 20年 続いてほしいと感じる今日此の頃です。
ところがそのラジオ番組の話にとても共感した。その話の中心が彼の著書「ぼくがいま、死について思うこと」だった。この刺激的でもあり淡々としたタイトルは、本書の雰囲気や内容をうまく表している。
死者に対する世界の国々の「取り扱い方」が主な内容。その結果浮かび上がるのが、現代日本の「死者に対する扱い方」への疑問。そして、死を迎えるとはどういうことか、を本書を読みながら初めてちゃんと考えてみた。
アメリが約44万円、以下イギリス12万円、ドイツ20万円、韓国39万円、そして日本がとびぬけて高く230万円 P.31
これは本書からの引用だが、何の値段か分かるだろうか?
[ビジネス、ビジネス、ビジネス]
答えは、葬儀費用です。
おそらく日本が世界で一番葬儀に金を使っていると考えられる。先の金額は単純な平均(相加平均)だろうから、もっと高い場合も少なくはない。墓石を購入したり、その後のイベント?などで、更に出費はかさむ。
社会人になって東京で、個人で友人の結婚式や披露宴に出るようになった。時間制限の式や披露宴で、一日だけで何組もその会場で執り行われる。田舎の「まったりした披露宴」しか知らなかったので、そんな味気ない宴に「そんなもんなのかな...」と疑問を持った。派手婚、地味婚など、訳の分からない言葉まである。
その背景に「ブライダルビジネス」があるのは間違いない。そんな流れと同じなのが「葬儀産業」というビジネス。私の田舎で近年目立つ建物と風景は、老人ホーム、そこへの送迎バスの乗降り、そして斎場での葬儀。ガキどもが走り回って遊ぶのに遭遇するより圧倒的に多いその数だ。その雰囲気は 終わりの姿 だ、未来なんてない!!
結婚式が「幼稚なカッコよさ」に走ってその本来がデフォルメされているように、豪華葬儀のほうは遺族の「見栄」が主軸になっているのだろう。またそれを煽る葬儀産業の手練手管もそうとうなものだ。 P.30
本書にあるように、田舎では車での移動ばかりで、自宅で葬式を営むには不便というのもあるだろう。煩わしい自宅での葬儀準備も理由だろう、昔ながらのご近所の協力も期待できないのかもしれない。そこで登場するのが葬儀産業。
あるビジネスに頼ると、もう後戻りはできない。エスカレートするだけ。極端に言えば「金払って楽する」と、過去の煩わしい形態に戻るのは難しい。そして、いつの日か斎場葬儀が当たり前のことになる。
本質的には金の問題ではない。豪華な葬儀が良いという訳でもないだろう。要は気持ちの問題だ。死者とどうやって別れるべきか。
本書の日本の墓地や墓石に対する疑問も興味深い。確かに日本のいたるところに墓地がある。ガキの頃から見慣れた風景だが、世界的にはかなり「不自然」なものだろう。少なくとも私は、日本語であっても、日本の墓地や墓石の説明はできない。
[他国の死の扱い方]
本書の話題の多くが、他国での死の扱い方。世界を旅する著者ならではの視点だ。
一見すると残酷な鳥葬、水葬、などなどは、ある意味において理にかなっている。その背景にあるのは、その国や地域の文化、死者への考え方の違いだ。「アメリカ人が日本で死ぬと」の話題は、一見理屈に沿っているが、その結末は残酷とも言える。現代における法律や薬の使用の結果、逆に死者には残酷なものになっている可能性がある。
「日本人だから日本のしきたりで良いじゃん」でも結構だとは思う。とはいえ「日本のしきたり、慣例て何?」とも思ってしまう。
「自分が死んだらどうしてほしいか」の漠然として答えはもっているが、ここには書かない。難しいのは「家族に任せるしかない」面も大きいので、気軽には書けないし言うこともできない。自分の意思を伝えるには、時間をかけるしかない。
[死を考える先にあるもの]
私も著者同様に、この年まで「自分が死ぬ」ということをほとんど考えたことがなかった。ただ、年を重ねるごとに「他人の死」に向き合うことが多くなった。友人や知人、そして家族の死だ。
そんな経験から募っていったのは、現代の医療、特に日本の医療の実態への疑問だ。根底にあるのは「生きること」と「生かされている」ことの違い。
ピーター・バラカンのラジオ番組では、そんな私の疑問を思い出させてくれたゲストが何人も出演した。その結果、それらの疑問への私なりに答えを探そうと、幾つかの本を手に入れている。
そのことについては後日書くかもしれないが、書かないかもしれない。というのも、あまりにもセンシティブな話題で、主観的すぎるような気がしているからだ。しかし、本を読んだ感想は、結局このように書きたくなるので、私の断片的な考えは公表することになってしまうのだが(笑)
少しだけ、ここ最近確信していることを簡単に書くと「医療もビジネス」「100%治癒はできない」「医者も単なる人間」などなどだ。医療を「コンプレックス産業」として見ると多くの真実が明るみに出るように思う。
結婚式や披露宴に出席するより、葬儀に出ることが多くなり始めた頃に確信したことがある。「葬儀に出るより、生前にもっと会うようにしよう」ということだ。同時に抱いた疑問は、生前に親しくもなかった人の葬儀に出ること。田舎に帰ってからそんな機会が増えたからだ。田舎なんて、少しだけ友人知人を辿れば、ほとんどの人に関係する。「そんな葬儀には出てられるか」ということではない。
結局は、気持ちの問題なのだ。死者へ向かう気持ちが軽いのは良くないという考えだ。参列者の数でも葬儀の豪華さでもない。しんみりするのが葬儀でもない。明るく送りたい知人の場合だってある。起こってしまったことだ、究極的には笑顔で送りたいのが本音だ。悲しい雰囲気で送ってもらいたいだけが故人の願いではないだろう。
今この時を生きている私の考えや姿勢はいたってシンプルだ。
重い病気を患うかもしれない未来の不確定事項に怯えるよりは、日々をよりよく懸命に生きること。
これから病気や身体のこと、心理的なことについて自分なりに学ぶつもりだ。それは怯えからではない。日々色々なことに立ち向かう「勇気」を得るためた。数学や統計学、データ分析を日々学んでいるのと変わりない。ギター弾いたり、バイク乗ったりするのも含まれることだろう。
Life goes on. Enjoy your life.
世界各国の旅先でみた死、肉親、友人の死。
自ずと自らの死についても考えることに。
友人、仕事仲間に実施した死についてのアンケートが興味深い。
だから「ぼくがいま、死について思うこと」という書名で、著者の死生観が述べらている事を期待して買うと肩すかしかもしれません。
私は個人的に旧来から著者のファンで椎名誠の本はほとんど読んでいるので、今回はもっと適切な書名があったのではないかな、と考えます。
きっと彼には私のようなファンが多いのではないかと思います。