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カンバセイション・ピース (新潮文庫) 文庫 – 2006/3/28
保坂 和志
(著)
小説家の私が妻、猫三匹と暮らし始めた東京・世田谷にある築五十年の一軒家。友人が経営する社員三人の会社が間借りをし、妻の姪も転がり込んだ。にぎやかだがゆったりと流れる日常のなか、お盆にやってくる陽気なイトコたちの昔話や、同居人たちとの会話から、かつてそこで暮らした人々の記憶が立ち上る。濃密な時間が流れ、過去と現在がつながり、生と死がともに息づく長篇小説。
- 本の長さ498ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2006/3/28
- ISBN-104101449244
- ISBN-13978-4101449241
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2006/3/28)
- 発売日 : 2006/3/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 498ページ
- ISBN-10 : 4101449244
- ISBN-13 : 978-4101449241
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,098,318位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1956年、山梨県生まれ。鎌倉で育つ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞を受賞。その他の著書に『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年9月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
保坂氏の「小説の自由」シリーズを全部読み、小説のほうもデビュー作から順番に読んでいきついに代表作といわれる本作を読んでみたが、さすがにここまでいくと口説いというか、飽きる。主人公は完全に作者本人で、他の登場人物も他の作品で見たことがあるような人たちばかりで、図式的に役割が決められているように思えるし、保坂氏の考えをしゃべらせているだけという印象が強く感情移入させられないどころか、キャラクターとして魂がないとすら思えてくる。視覚や聴覚の動きについての描写があまりにもくどくて、小説としてもなんだか読むのがダルくなる。文章もお決まりパターンが繰り返されてて、ほんとに飽きる。「〜ということでは全然なくて、なんとかかんとか」、からの、「そんなことを考えていたら誰々がやってきて」、それで図式的な人物が不自然で抽象的な会話をしてるうちに保坂氏が世界に対する疑問や発見を逐一語っていく。一応小説なんだろうけど、だんだん小説に思えなくなってくる。保坂氏の住みなれた鎌倉や世田谷、そして猫がお約束のように出てくるのはいつものことなんだけど、これってもうただ自分の話をしてるだけで、創作って感じがない。だから小説を読んでるというより、保坂氏の人生の話を無理やり小説したという感じがして、小説を読んでるときに感じる大事な何かが、リアリティがない。かといってノンフィクションでもないし、その中途半端さに不穏な気持ちにすらなる。保坂氏が住んでいた山梨と世田谷の話は他の作品でもさんざん読んでいるため、どうしても連想するものがあり、変な味付けの丼という感じ。これは野暮ったらしいい、ダメだ、と思ってしまった。この作品を読むまではほんとにハマってたのに、いきなり猛烈に飽きた。本作が面白かったら「未明の闘争」を読もうと思ってたけど、やめた。
2022年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
家と家族と友達と猫
現代の話なのにノスタルジックな日常が淡々と語られる様にしばし酔い痴れました
読む人によっては忍耐が強いられるかも
現代の話なのにノスタルジックな日常が淡々と語られる様にしばし酔い痴れました
読む人によっては忍耐が強いられるかも
2010年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この小説を読んでいると、自分の感覚がずっと遠くまで伸びていくような気がする。
球場で野次を飛ばす場面があまりにも素晴らしく、泣いてしまうほど。
球場で野次を飛ばす場面があまりにも素晴らしく、泣いてしまうほど。
2006年3月20日に日本でレビュー済み
タイトル通り、ばらばらの Conversation Piece から成り立っている小説である。ストーリーは無い。登場人物それぞれが、勝手なことを話し合い、それで小説が進んでいく。また、ピース は Peace とももちろん響きあう。会話の中身は、ネコ、風呂場の幽霊、横浜ベイスターズ、木登り、とかであって、和やかで弛緩している空気感は平和そのものだ。
『Studio Voice』の特集「00年代小説150(1番目がこの作品である)」では、『白鯨』のような博物小説と紹介されていた。しかし、壮大なで荒々しい冒険小説でもある『白鯨』とは違い、本編はむしろ、ミニマルなスケールで気だるい現代市民の日常を忠実に切り取っているという意味で、むしろテイストはカーヴァーの短編に近い。保坂の方が、気だるさの種類がスノビッシュではあるが。
結論としてはこの作品も、短編だったら好きになれたかもしれない、と思う。(カーヴァーも大好きだが、カーヴァーの長編は読みたくないと思う)。
『Studio Voice』の特集「00年代小説150(1番目がこの作品である)」では、『白鯨』のような博物小説と紹介されていた。しかし、壮大なで荒々しい冒険小説でもある『白鯨』とは違い、本編はむしろ、ミニマルなスケールで気だるい現代市民の日常を忠実に切り取っているという意味で、むしろテイストはカーヴァーの短編に近い。保坂の方が、気だるさの種類がスノビッシュではあるが。
結論としてはこの作品も、短編だったら好きになれたかもしれない、と思う。(カーヴァーも大好きだが、カーヴァーの長編は読みたくないと思う)。
2009年2月19日に日本でレビュー済み
大人ばかりの家族と友人と猫の集う世田谷の木造一軒家では、世の中とは隔絶した別の種類の時間が流れていて、浮世離れしたその情景は箱庭か映画のセットをのぞいているかのようだ。「猫は家に付く」という言い方があるけれど、この物語では家に付いているのは人間なのだろう。人間達が家の内外を徘徊しながら、特徴のない日常が繰り返される。猫は家に付く象徴として登場するに過ぎない。しかし、実は猫の存在感は圧倒的で、死んでしまった猫とその生まれ変わりとも言えるような猫の話が繰り返されるたびに、単なる読者であって猫好きでもない私にはすごくうつろに響く。ときどき登場する切れ目のない長い口上も、変に理屈をこねたりする自己完結する思考のこだわりも、それはそれでこの作品を特徴づけているのだけれど、けっして心地良いものとは思えないので、これを作者言うところの「非−貯蓄型の人間」のライフスタイルとか波長とか言うものだとしたら自分にはそれがうまく共有できないのだと気が付いたが、最後に「夫婦二人が共有した記憶によって、記憶が相互に強化されて二人の視線がどちらのものかわからなくなる」というくだりを読んで、この住民と猫たちがすべての時間と空間を共有して、記憶を再確認して温存することでその貯蓄の利子で生きているのではないかと思い当たった。
長さが苦にならない作品だとは言えるが、個人的な嗜好とはあまり合わなかった。
長さが苦にならない作品だとは言えるが、個人的な嗜好とはあまり合わなかった。
2018年5月7日に日本でレビュー済み
なんてことない日常。なんてことない日常も文学になるんですね。これは町全体がのんびりとした世田谷的な文章空間だなぁ。急にお休みもらえて、どこにいくわけでもなく家で過ごす、そんな休日にぴったり。そんな一冊かなと。
2019年6月10日に日本でレビュー済み
保坂和志初めて。
共感できるところも多々あるが、それの1.5倍濃縮でグニグニ折り返して記述したような。疲れる。
椎名誠とかエッセイが流行った時にこういう文を読んだような。
ものすごく特定の時間、個人の描写が普遍に転換して自分の共感に繋がっていく感じは、
なるほど 高野文子の"黄色い本"や"奥村さんちのお茄子"と似ているように感じた。
こういう何もハプニングが起きない(ローズが引退するくらい)小説は好きですよ。
共感できるところも多々あるが、それの1.5倍濃縮でグニグニ折り返して記述したような。疲れる。
椎名誠とかエッセイが流行った時にこういう文を読んだような。
ものすごく特定の時間、個人の描写が普遍に転換して自分の共感に繋がっていく感じは、
なるほど 高野文子の"黄色い本"や"奥村さんちのお茄子"と似ているように感じた。
こういう何もハプニングが起きない(ローズが引退するくらい)小説は好きですよ。