エスカレーターのある空間に足を運べば「手すりにつかまり・・・黄色の線の内側にお立ちください」というアナウンスが鼓膜を叩き、街中では停まっているバスが「バスにご注意ください」と延々と喋り続け、新幹線のホームでは「お忘れ物にご注意ください!」と車掌がやかましく喋り続けている...
無意味なアナウンスの洪水、その無意味さを指摘する人物を「クレーマー」扱いして糾弾したがり(外国の方が指摘した場合は「郷に入れば郷に従え」の一言で片付けようとする)、ほとんどのアナウンスが過剰であり無意味であることを理解できない日本の大衆の知力の低さはこの本が刊行された後もたぶんまったく改善していないだろう。
2023年5月、アベプラ(YouTube)にてこの過剰アナウンス問題が取り上げられた。比較的規模の大きい言論空間でこの問題が取り上げられたため、嬉しく思った。そして過剰なアナウンスの無意味さを冷静に指摘する出演者を見ることができたが、コメント欄で大衆(畜群)の反応をみるとやはり事態は絶望的。「過剰な」アナウンスの無意味さを指摘している人物を「アナウンスそのものを否定している人物」として都合よく捉え、「視覚障害者への配慮ができない人」「クレームを入れる心の狭い人」という型に収めようとする。このレビュー欄にも散見されますね?
私は、そのうち自販機や踏切からも無意味なアナウンスが発せられてしまうのではないかと懸念している。自販機に金を入れたら「商品をお選びください!」、ボタンを押して商品が出てきたら「ご利用ありがとうございました!」「お取り忘れにご注意ください!」とか喋り出しそうだ。そして一度このような騒音が生じるとそれはもう事実上除去不可能となる。アナウンスが不要で無意味であり、そしてその音が不快で苦痛に感じると伝えると、「(文化的価値が生じる余地がないのに)そのアナウンスは日本文化たるおもてなしだ!」「こんな親切なアナウンスが不要で耳障りとは何様だ!下品なクレーマーめ!」と叫ばれるのだろう。
大衆のマイノリティに対する上から目線の傲慢さ、対話を忌避する怠惰さこそ批判されるべき(もっとも、数の暴力で反撃して無下にしてくるのでしょうが)。
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うるさい日本の私 (新潮文庫 な 33-1) 文庫 – 1999/11/1
中島 義道
(著)
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1999/11/1
- ISBN-104101467218
- ISBN-13978-4101467214
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1999/11/1)
- 発売日 : 1999/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 256ページ
- ISBN-10 : 4101467218
- ISBN-13 : 978-4101467214
- Amazon 売れ筋ランキング: - 742,756位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 680位日本論
- - 1,192位都市開発・都市問題 (本)
- - 1,216位環境・エコロジー (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年12月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何故、日本は公共の場所で過剰なアナウンスや音を垂れ流すのか?
その理由と、著者が実際に行っている反対運動などについて書かれた稀少な本。
最近、保育施設の新設に周辺から騒音などの問題が指摘されたり、除夜の鐘がウルサイ、という意見があったりしますが、このような意見が出てくる理由を考える上でも重要な資料になる気がしました。
その理由と、著者が実際に行っている反対運動などについて書かれた稀少な本。
最近、保育施設の新設に周辺から騒音などの問題が指摘されたり、除夜の鐘がウルサイ、という意見があったりしますが、このような意見が出てくる理由を考える上でも重要な資料になる気がしました。
2023年12月8日に日本でレビュー済み
たしかに日本はうるさい。東京に初めて到着して最初に驚かせたのは、オートウォーク、ムービングウォーク、トラベレーターともいう人間が乗るコンベヤーの最後に「もうすぐ終わりますので、気を付けてください」と女性の声が足元から聞こえてきてびっくりしました。翌日に自動販売的が挨拶やお礼を言うのもとても新鮮でした。もっとイギリス人していた僕は、人間の声イコール人間だという感覚をもっていたので、空港のコンベヤーや自動販売機の中には、日本人が隠れていると感じました。中島先生はこれらのうるさいことや、標語などの乱闘される公的な言語と、日本には私語も(対話も)ないことと結びつけて、日本は公的にうるさく、個々人は、ご本人の先生を除いて、抑圧されているというおなじみの集団主義理論と結びつけて展開しています。私としては、日本社会が個人を弾圧している云々ではなく、日本では、物体・身体・顔にペルソナ・生命ムがあると感じるアニミズがあるように、ヨーロッパでは声が生きていると感じ、言語中心主義ゴロセントリズムがあるから、生命を伴わない声が驚きで、うるさいと感じるという媒体(物や顔⇔声)の逆転があると思います。しかし、日本の煩さをご指摘していただいている本書は英訳してもっと有名になっていただきたいです。また、中島先生は、ヨーロッパ人の感覚を持たれていることで、とても面白いとも感じます。
2021年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
面白そうなタイトルに惹かれて購入しましたが
40ページほどで心が折れました。
読書すると普段は落ち着くのですが
ひたすらに愚痴を聞かされてるいるのうな感覚で一言で言うと、おそらく99%が気にしないことに噛みつくクレーマーの世迷い言でした。
自分の価値観でしか物事を判断出来ずに
「自分が不快だから」という理由に屁理屈を
こじつけて、文句を言ってるだけにしか感じませんでした。
ただ唯一感じたのは、接客業を経験してるとたまにいる「そんな事で?」って理由でキレてる人達はこういう思考なんだな。
というのはなんとなく理解しました。
40ページほどで心が折れました。
読書すると普段は落ち着くのですが
ひたすらに愚痴を聞かされてるいるのうな感覚で一言で言うと、おそらく99%が気にしないことに噛みつくクレーマーの世迷い言でした。
自分の価値観でしか物事を判断出来ずに
「自分が不快だから」という理由に屁理屈を
こじつけて、文句を言ってるだけにしか感じませんでした。
ただ唯一感じたのは、接客業を経験してるとたまにいる「そんな事で?」って理由でキレてる人達はこういう思考なんだな。
というのはなんとなく理解しました。
2019年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんな哲学者が世の中にいたんだって感じです。
彼の他の作品にも書いてある、やりたいことをやるのではなく、やりたくないことはやらない。
嫌なものは嫌とはっきり言う。
こんな人生を歩んでみたいです。
彼の他の作品にも書いてある、やりたいことをやるのではなく、やりたくないことはやらない。
嫌なものは嫌とはっきり言う。
こんな人生を歩んでみたいです。
2018年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
静寂という環境を破壊するようなBGMや、やたら注意をがなり立てるばかりの自動音声がうるさいだけで、
音の暴力に等しいとあるのはおおむね同感ですが、一方、意味が無いようであっても、それを頼りに体を動かす人も
いると思うので(例えば、筆者の視点からは目の不自由な人のことがまるで抜け落ちているようにも思える)、
一概に無意味とは言えないのではないか。
また、例えば、終点の到着駅名のアナウンスは理屈でいえば不必要だろうが、そういうものを欲しがる人間の心理の不合理さはあってもいいと思う。
筆者は巡回販売車のスピーカー音を目の敵にしているが、たいてい十数分くらいで通り過ぎてしまうものだし、普通、深夜早朝にはやらない。
そういう業者から灯油を買わなければ凍えてしまう人もいるのだし、そこまで気になるなら自室を防音室に改造すればいいと思う。
で、そういう騒音を気にしているなら当然、一年中軒先に風鈴を吊るしている家とか、いつもうるさく吠える犬を飼っている家も
やり玉にあげられるだろうと思っていたら、最後まで出てこなかった。筆者は高級マンションに住んでいて、経験がないのだろうか。
それらこそ、逃れられない最悪の騒音で、外に出なければいいという程度ではない。
筆者は騒音体験から、さすが哲学者らしく表立っては文句を言わない飼いならされた日本人の理由を描き出してみせるのだが、
これがわかりにくいというか、はっきり言って実に中途半端である。読者である自分の頭の弱さを差し引いてもそうだと思う。
結局西洋人視点になってしまうのかね。
暑いから教室の窓を開けてもよいかと、窓際の一人の女子学生に聞いても他にたくさんの学生が座っていて、
それぞれどのように感じているかわからないので、答えようがないだろう。その(西洋人)教師は教室全体に問いかけるべきなのだ。
以上僕のレビューも半端ですが、しかし、この本は出版された当時読みましたがそれから二十年以上たって、筆者が指摘した
音の公害はかなり減ったようではあります。この本の影響は少なくなかったようですね。
※余談ですが、著者の聞いた、どこかの銀行の支店では「お客様の声ノート」を一年分ためた後読まずに捨てているという話は、
読んで実になごみました。そこだけでも、本書の価値の半分はあると思いました。
音の暴力に等しいとあるのはおおむね同感ですが、一方、意味が無いようであっても、それを頼りに体を動かす人も
いると思うので(例えば、筆者の視点からは目の不自由な人のことがまるで抜け落ちているようにも思える)、
一概に無意味とは言えないのではないか。
また、例えば、終点の到着駅名のアナウンスは理屈でいえば不必要だろうが、そういうものを欲しがる人間の心理の不合理さはあってもいいと思う。
筆者は巡回販売車のスピーカー音を目の敵にしているが、たいてい十数分くらいで通り過ぎてしまうものだし、普通、深夜早朝にはやらない。
そういう業者から灯油を買わなければ凍えてしまう人もいるのだし、そこまで気になるなら自室を防音室に改造すればいいと思う。
で、そういう騒音を気にしているなら当然、一年中軒先に風鈴を吊るしている家とか、いつもうるさく吠える犬を飼っている家も
やり玉にあげられるだろうと思っていたら、最後まで出てこなかった。筆者は高級マンションに住んでいて、経験がないのだろうか。
それらこそ、逃れられない最悪の騒音で、外に出なければいいという程度ではない。
筆者は騒音体験から、さすが哲学者らしく表立っては文句を言わない飼いならされた日本人の理由を描き出してみせるのだが、
これがわかりにくいというか、はっきり言って実に中途半端である。読者である自分の頭の弱さを差し引いてもそうだと思う。
結局西洋人視点になってしまうのかね。
暑いから教室の窓を開けてもよいかと、窓際の一人の女子学生に聞いても他にたくさんの学生が座っていて、
それぞれどのように感じているかわからないので、答えようがないだろう。その(西洋人)教師は教室全体に問いかけるべきなのだ。
以上僕のレビューも半端ですが、しかし、この本は出版された当時読みましたがそれから二十年以上たって、筆者が指摘した
音の公害はかなり減ったようではあります。この本の影響は少なくなかったようですね。
※余談ですが、著者の聞いた、どこかの銀行の支店では「お客様の声ノート」を一年分ためた後読まずに捨てているという話は、
読んで実になごみました。そこだけでも、本書の価値の半分はあると思いました。
2017年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日常の騒音について思うところがありこの本を購入しました。
こんな風に感じていたのは自分1人じゃないって思えたことが嬉しかったです。
「そうだ!その通りだ!」とうなずきながら読みました。
こんな風に感じていたのは自分1人じゃないって思えたことが嬉しかったです。
「そうだ!その通りだ!」とうなずきながら読みました。
2014年6月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世の中にあふれるスピーカー音を意識してみれば、なるほど確かにうるさい。至る所で、分かりきったことを間違った敬語で絶え間なくアナウンスし、場にそぐわない音楽を爆音で流している。読み進める内に、著者の主張を理解するばかりか共感するようになった。