中巻は個人的には初頭のゾシマ長老のエピソードから面白かったが、万人が面白いと感じるのは第3部第8編の「ミーチャ」からであろう。
上巻では、カラマーゾフ家の他のメンバー全員から愛されるアリョーシャの存在感が大きく、家族の残りの構成員はロクな奴じゃない印象を持たされるが、ここへ来て長男のミーチャ(ドミートリイ)に脚光が当てられる。中巻のクライマックスに向けてのミーチャのドタバタ劇が面白すぎるし、細かい書き込みの積み重ねで、重層的な素晴らしい群像劇が楽しめる。そこから先、下巻の最後に向けては一気である。すべてが伏線になっていたことを知り、あっけに取られてしまう。
気が付くと、ロクな連中じゃないと読者に思わせていた家族それぞれに、多少なりとも共感させてしまう筆力はさすが。特に人間くさいミーチャの魅力は凄いのではないか。
最後の、アリョーシャのエピソードが良い。このエピソードのおかげで、『カラマーゾフの兄弟 』の読後感はとてもさわやかである。長編小説で、こんなに読後感が良いのも珍しいと思う。
(このことは最初に書かれていてネタばらしでも何でもないから書くが)今出ている『カラマーゾフの兄弟 』は第1部で、ドストエフスキーには第2部を書く構想があった。書く前に亡くなってしまい、世間では続編がないのを惜しむ声が多いが、私はこの小説はこれで終わって良かったと思っている。アリョーシャが革命家になる未来なんて読みたくないからである。
日本では、この小説の宗教的な背景その他、わかりにくいところがあり、まったく読み込めていないと感じたので、読後の興奮冷めやらぬまま、『謎とき カラマーゾフの兄弟 』(江川卓、新潮選書)を買ってしまった。それを読んでから、一年後くらいにまた『カラマーゾフの兄弟 』を読み返したい。
なお、日本人としては、この小説に出てくるネギのエピソードが芥川龍之介の『蜘蛛の糸 』にそっくりで・・・というか、芥川のほうが、このエピソードを換骨奪胎した(要するにパクった)のだと知り、興味深かった。
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カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫) 文庫 – 1978/7/20
『教養を身につける全8冊セット』
8冊の内容は『論理トレーニング101題』、『理科系の作文技術』、『銃・病原菌・鉄 (上)(下)』、『カラマーゾフの兄弟 (上)(中)(下)』 こちらをチェック
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累計170万部の世界的巨編も、さて、この最終巻を残すのみ。
事件が事件を呼び起こし、物語は加速する。気が付いたら読了していた!の第三巻。
父親殺しの嫌疑をかけられたドミートリイの裁判がはじまる。公判の進展をつうじて、ロシア社会の現実が明らかにされてゆくとともに、イワンの暗躍と、私生児スメルジャコフの登場によって、事件は意外な方向に発展し、緊迫のうちに結末を迎える。ドストエフスキーの没する直前まで書き続けられた本書は、有名な「大審問官」の章をはじめ、著者の世界観を集大成した巨編である。
目次
第四部
第十編 少年たち
第十一編 兄イワン
第十二編 誤審
エピローグ
解説原卓也
年譜江川卓
本文より
朗読が終るとすぐ、裁判長が胸にこたえるような大声でミーチャに質問した。
「被告は自己を有罪と認めますか」
ミーチャはふいに席から立ちあがった。
「深酒と放蕩の罪は認めます」またしてもなにやらとっぴな、ほとんど気違いじみた声で彼は叫んだ。「怠惰と乱暴狼藉の罪も認めます。運命に足をすくわれた、まさにあの瞬間、わたしは永久に誠実な人間になろうと思っていました!しかし、わたしの敵であり、父親であるあの老人の死に関しては無実です!」……(第十二編「誤審」)
ドストエフスキー Фёдор М.Достоевский(1821-1881)
19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。父はモスクワの慈善病院の医師。1846年の処女作『貧しき人びと』が絶賛を受けるが、1849年、空想的社会主義に関係して逮捕され、シベリアに流刑。この時持病の癲癇が悪化した。出獄すると『死の家の記録』等で復帰。1861年の農奴解放前後の過渡的矛盾の只中にあって、鋭い直観で時代状況の本質を捉え、『地下室の手記』を皮切りに『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』等、「現代の予言書」とまでよばれた文学を創造した。
原卓也(1930-2004)
東京生れ。東京外国語大学ロシア語科卒。同大教授、学長を歴任。トルストイ、チェホフ、ドストエフスキー等の翻訳多数。著書に『スターリン批判とソビエト文学』等。
事件が事件を呼び起こし、物語は加速する。気が付いたら読了していた!の第三巻。
父親殺しの嫌疑をかけられたドミートリイの裁判がはじまる。公判の進展をつうじて、ロシア社会の現実が明らかにされてゆくとともに、イワンの暗躍と、私生児スメルジャコフの登場によって、事件は意外な方向に発展し、緊迫のうちに結末を迎える。ドストエフスキーの没する直前まで書き続けられた本書は、有名な「大審問官」の章をはじめ、著者の世界観を集大成した巨編である。
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第四部
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第十一編 兄イワン
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エピローグ
解説原卓也
年譜江川卓
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朗読が終るとすぐ、裁判長が胸にこたえるような大声でミーチャに質問した。
「被告は自己を有罪と認めますか」
ミーチャはふいに席から立ちあがった。
「深酒と放蕩の罪は認めます」またしてもなにやらとっぴな、ほとんど気違いじみた声で彼は叫んだ。「怠惰と乱暴狼藉の罪も認めます。運命に足をすくわれた、まさにあの瞬間、わたしは永久に誠実な人間になろうと思っていました!しかし、わたしの敵であり、父親であるあの老人の死に関しては無実です!」……(第十二編「誤審」)
ドストエフスキー Фёдор М.Достоевский(1821-1881)
19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。父はモスクワの慈善病院の医師。1846年の処女作『貧しき人びと』が絶賛を受けるが、1849年、空想的社会主義に関係して逮捕され、シベリアに流刑。この時持病の癲癇が悪化した。出獄すると『死の家の記録』等で復帰。1861年の農奴解放前後の過渡的矛盾の只中にあって、鋭い直観で時代状況の本質を捉え、『地下室の手記』を皮切りに『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』等、「現代の予言書」とまでよばれた文学を創造した。
原卓也(1930-2004)
東京生れ。東京外国語大学ロシア語科卒。同大教授、学長を歴任。トルストイ、チェホフ、ドストエフスキー等の翻訳多数。著書に『スターリン批判とソビエト文学』等。
- ISBN-104102010122
- ISBN-13978-4102010129
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1978/7/20
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ680ページ
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【新潮文】ドストエフスキー 作品 | 白痴と呼ばれる純真なムイシュキン公爵を襲う悲しい破局……作者の”無条件に美しい人間”を創造しようとした意図が結実した傑作。 | 世間から侮㚽の目で見られている小心で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンと薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋を描いた処女作。 | 妻は次々と愛人を替えていくのに、その妻にしがみついているしか能のない”永遠の夫”トルソーツキイの深層心理を鮮やかに照射する。 | 賭博の魔力にとりつかれ身を滅ぼしていく青年を通して、ロシア人に特有の病的性格を浮彫りにする。著者の体験にもとづく異色作品。 | 極端な自意識過剰から地下に閉じこもった男の独白を通して、理性による社会改造を否定し、人間の非合理的な本性を主張する異色作。 |
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カラマーゾフの三人兄弟を中心に、十九世紀のロシア社会に生きる人間の愛憎うずまく地獄絵を描き、人間と神の問題を追究した大作。 | 無神論的革命思想を悪霊に見立て、それに憑かれた人々の破滅を実在の事件をもとに描く。文豪の、文学的思想的探究の頂点に立つ大作。 | 地獄さながらの獄内の生活、悽惨目を覆う笞刑、野獣のような状態に陥った犯罪者の心理──著者のシベリア流刑の体験と見聞の記録。 |
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青年貴族アリョーシャと清純な娘ナターシャの悲恋を中心に、農奴解放、ブルジョア社会へ移り変わる混乱の時代に生きた人々を描く。 | 独自の犯罪哲学によって、高利貸の老婆を殺し財産を奪った貧しい学生ラスコーリニコフ。良心の呵責に苦しむ彼の魂の遍歴を辿る名作。 | ロシア社会の混乱を背景に、「父と子」の葛藤、未成年の魂の遍歴を描きながら人間の救済を追求するドストエフスキー円熟期の名作。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1978/7/20)
- 発売日 : 1978/7/20
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 680ページ
- ISBN-10 : 4102010122
- ISBN-13 : 978-4102010129
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 68,801位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2023年6月16日に日本でレビュー済み
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2023年12月11日に日本でレビュー済み
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良心、自己嫌悪、誇りでミーチャの心は混沌とする。検事、弁護士、陪審員はそんなミーチャを置き去りにし、勝手に想像を掻き立て騒ぎはじめる。結局ミーチャは裁かれ、スメルジャコフは自殺。スメルジャコフの名は嫌な臭いを発する男の意味。悲しい結末。あとがきにドストエフスキーの生涯が紹介されているが、スメルジャコフの痴呆の母、百姓に殺される横暴な父親、監獄生活…等、この本に自らの体験が色濃く反映されていることを知る。まさに生涯をかけた大作。この本が表現したかったことの1つでも感じとれれば幸い。
2021年8月13日に日本でレビュー済み
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長いし、大変だけど、面白い。
ほとんどの人が多分大審問官のところで挫折するけど、オリラジあっちゃんのYouTube大学観た後だったら割と理解できる。
ほとんどの人が多分大審問官のところで挫折するけど、オリラジあっちゃんのYouTube大学観た後だったら割と理解できる。
2021年4月26日に日本でレビュー済み
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下巻の主内容は被告ドミートリイの裁判です。上巻、中巻と、何気なく読んでいた内容が、ほぼすべてじゃないかと思うくらい数々の伏線になっており、裁判の場で恐ろしく多様な解釈を発生させることになります。目撃者のいない状況証拠だけで、裁かなければならないのです。
カラマーゾフ家の最後の希望がアリョーシャです。彼が知り合った少年たちにこれからの人生の話しをする場面で幕切れとなります。
「みなさん、僕たちは間もなくお別れします。・・・でも、もうすぐ僕はこの町を立ち去ります。たぶん非常に永い間。だから、いよいよお別れなんです」
この大作の万感胸に迫る終局です。
「カラマーゾフ万歳!」
カラマーゾフ家の最後の希望がアリョーシャです。彼が知り合った少年たちにこれからの人生の話しをする場面で幕切れとなります。
「みなさん、僕たちは間もなくお別れします。・・・でも、もうすぐ僕はこの町を立ち去ります。たぶん非常に永い間。だから、いよいよお別れなんです」
この大作の万感胸に迫る終局です。
「カラマーゾフ万歳!」
2020年8月12日に日本でレビュー済み
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誤審から読み終えるまでが凄く長く感じた。検事の話とか途中脱線するので…
ただ弁護側の話とエピローグ凄く読みやすくで少し救われました。
上中下巻読み終わるのに20日程度かかりました。 読書って読むことで速さも培われて行くものだなと自信が付きました。
ただ弁護側の話とエピローグ凄く読みやすくで少し救われました。
上中下巻読み終わるのに20日程度かかりました。 読書って読むことで速さも培われて行くものだなと自信が付きました。
2021年3月7日に日本でレビュー済み
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物語の終焉が非常に美しいです。下巻の最後のほうは何度読んでも泣けます。
伏線の張り方が非常に緻密で、物語全体が縦横無尽につながることに驚きとある種の快感があります。
この作品についても良心の光に従う人間と、それをあざ笑う人間の対比が一つのテーマになっていて、
良くも悪くも素直で情熱家のカラマーゾフと冷酷な登場人物の応対に虚しさを感じます。
「真実の光の中に立つ」には愛の記憶が不可欠。もし愛を受けた経験が人生で一遍でもあり、そのありがたさを忘れなければ「憎悪の中で滅びることはない」
ドストエフスキーは人生最期の2年間で書ききったとのこと、恐れ入りました。
間違いなく人類の名著です。
伏線の張り方が非常に緻密で、物語全体が縦横無尽につながることに驚きとある種の快感があります。
この作品についても良心の光に従う人間と、それをあざ笑う人間の対比が一つのテーマになっていて、
良くも悪くも素直で情熱家のカラマーゾフと冷酷な登場人物の応対に虚しさを感じます。
「真実の光の中に立つ」には愛の記憶が不可欠。もし愛を受けた経験が人生で一遍でもあり、そのありがたさを忘れなければ「憎悪の中で滅びることはない」
ドストエフスキーは人生最期の2年間で書ききったとのこと、恐れ入りました。
間違いなく人類の名著です。
2023年6月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
皆さんおっしゃるように、最初はとっつきにくく我慢して読み進め、慣れてくると中巻下巻と一気読み状態。日本の芥川賞作品とかが苦手な人は頑張りが必要かも?
最後の解説もすごく参考になりました。
最後の解説もすごく参考になりました。
2015年7月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上巻・中巻を読み終えた段階での印象は<ロシア人の因縁的狂気>という感じでした。
女性がヒステリックになる、カラマーゾフだけではないその他の百姓・貴族連中にも同様の異常さ・狂気が存在する、脱俗に対する世間の羨望と蔑み。
かねてからロシア人とはどういった民族・思想を持つ人々なのか興味があり本作を手にとったが、現在のウクライナ危機などを理解するに十分な資料と判断。
日本人から見て、これは普通に考えてこうでしょ?という所をなぜか予想を超えた行動を取ることをしばしばニュースを見ていて不思議に思っていましたが、
ロシア人には<狂気>が備わっているのだと改めて実感しました。
ミーチャはフョードルを軽蔑し、フョードルもミーチャを軽蔑する。イワンも同じであるが、二人を客観視することでなんとか自己に内在する血としてのカラマーゾフ的狂気を抑制しようとしている。彼らと同化しないように哲学・理論を磨き上げ、徹底対抗する姿勢。
しかし部屋に現れた幻覚の悪魔(自分の中の抑制された意識が別人格として独立しようとしている)を自分の外に見ることによって、改めて自分がカラマーゾフであると認識し、絶対に認めたくないがために、徐々に精神崩壊していく。
こうした純粋な<カラマーゾフ的血統>を一切憎むこと無くアリョーシャは、こころの弱い・寂しい人はその反動から道化に走るものだと、深く理解している。
しかし自身も全くもってカラマーゾフであることも理解している。欲に翻弄された父・兄達はそれぞれうまく行かない結果に走っていったが、アリョーシャはそうはならかなった。単純に精神力の強さやゾシマ長老と過ごしたことだけが彼を救ったわけではなく、最大の恩恵は、アリョーシャ自身が<末っ子>だったことにあるように思える。(スメルジャコフは除く。なぜなら同じ血があるかどうかというよりも、彼は屋敷での単なる貧しい召使であり兄弟として生活していたわけではなかった為)
アリョーシャは自己に狂気を感じることがあっても、一切その狂気・欲にブレーキをかけることが出来ない父・ミーチャを見て、またはその狂気を克服するために哲学・理論で武装したイワンを見ることによって、それらが一切無意味と感じることが出来た。戦うことよりも愛を持ってそれらを抱擁することのみが唯一の手段だと理解することが出来たのである。無くそう、無くそうと戦うことよりも逃げずに狂気そのものを真正面から見て、受け入れたことが彼を堕落させなかったことが救いだったのだと思う。そう、彼には生まれながらにして優秀な反面教師がいたのである。
しかし、フョードル・ミーチャ・イワン、彼らはただ苦しみ無意味な存在だったわけではない。あとに生まれてくる人間に、つまりアリョーシャに、<人間がもとある純粋さ故に、そのままで欲に従順になるとどうなるか>を体を張って証明した勇気ある殉教者と言える。
当時のロシア人の全てが酒、名誉欲、肉欲に溺れていたわけではなく、やはりそれぞれが自分の人生を崩壊させないようにほどほどのブレーキをかけて生活していたわけで、そういう人々から見てカラマーゾフの系譜・一連の事件というのは、自分たちが出来なかった、欲に純粋なロシア人の一生というものを自己犠牲を持って体現してくれた、<聖者>のような存在であったのである。それがなければ当時度々あったありふれた殺人事件としてではなく、<欲の体現者>としてロシア人全体に認識されたからこそ、全国規模で新聞や噂で<有名>になったのである。その証拠が、裁判に押しかけたペテルブルグやその他遠方からの貴族連中の熱狂さである。
下巻の最後辺りまで終始頭のなかにあるイメージとして、フョードル・ミーチャなどは雑な、汚らしい俗物でその対比として長老・アリョーシャがあると感じていた為、アリョーシャが登場するととても嬉しくなったのを覚えている。しかしエピローグを読み終えて、それらの認識は間違いで、汚らしい俗物も聖者も全て元は同じ人間で、<いい人>に出会ったかそうでなかったかの、それだけの差で歩く道が違ったということであった。
個として人間が自分自身の窮極の目標、<欲>を達成するためには必ず他人の犠牲が必要であり、全体として人間全体が目標を目指すなら、パンの為に生きる必要もなく、石をパンに変える奇跡も必要なく、死者を生き返らせる奇跡の聖者も必要ないのである。
なかなかボリュームのある内容で時折周りくどい言い回しが疲れましたが、その疲れすらも全て伏線として存在していたことがあっぱれでありました。
読んでいて、なんとなく、(ロシア人の無神論と日本人の無神論って違うようで似てるなぁ)と思ってしまいました。もちろん性質は全く異なりますが、神を、偶像崇拝を排除し、現実に人間の幸せを願うその気持が、深い部分でつながっているように思えました。
ロシア人が好きになりそうな作品でした。とても良い作品です。
女性がヒステリックになる、カラマーゾフだけではないその他の百姓・貴族連中にも同様の異常さ・狂気が存在する、脱俗に対する世間の羨望と蔑み。
かねてからロシア人とはどういった民族・思想を持つ人々なのか興味があり本作を手にとったが、現在のウクライナ危機などを理解するに十分な資料と判断。
日本人から見て、これは普通に考えてこうでしょ?という所をなぜか予想を超えた行動を取ることをしばしばニュースを見ていて不思議に思っていましたが、
ロシア人には<狂気>が備わっているのだと改めて実感しました。
ミーチャはフョードルを軽蔑し、フョードルもミーチャを軽蔑する。イワンも同じであるが、二人を客観視することでなんとか自己に内在する血としてのカラマーゾフ的狂気を抑制しようとしている。彼らと同化しないように哲学・理論を磨き上げ、徹底対抗する姿勢。
しかし部屋に現れた幻覚の悪魔(自分の中の抑制された意識が別人格として独立しようとしている)を自分の外に見ることによって、改めて自分がカラマーゾフであると認識し、絶対に認めたくないがために、徐々に精神崩壊していく。
こうした純粋な<カラマーゾフ的血統>を一切憎むこと無くアリョーシャは、こころの弱い・寂しい人はその反動から道化に走るものだと、深く理解している。
しかし自身も全くもってカラマーゾフであることも理解している。欲に翻弄された父・兄達はそれぞれうまく行かない結果に走っていったが、アリョーシャはそうはならかなった。単純に精神力の強さやゾシマ長老と過ごしたことだけが彼を救ったわけではなく、最大の恩恵は、アリョーシャ自身が<末っ子>だったことにあるように思える。(スメルジャコフは除く。なぜなら同じ血があるかどうかというよりも、彼は屋敷での単なる貧しい召使であり兄弟として生活していたわけではなかった為)
アリョーシャは自己に狂気を感じることがあっても、一切その狂気・欲にブレーキをかけることが出来ない父・ミーチャを見て、またはその狂気を克服するために哲学・理論で武装したイワンを見ることによって、それらが一切無意味と感じることが出来た。戦うことよりも愛を持ってそれらを抱擁することのみが唯一の手段だと理解することが出来たのである。無くそう、無くそうと戦うことよりも逃げずに狂気そのものを真正面から見て、受け入れたことが彼を堕落させなかったことが救いだったのだと思う。そう、彼には生まれながらにして優秀な反面教師がいたのである。
しかし、フョードル・ミーチャ・イワン、彼らはただ苦しみ無意味な存在だったわけではない。あとに生まれてくる人間に、つまりアリョーシャに、<人間がもとある純粋さ故に、そのままで欲に従順になるとどうなるか>を体を張って証明した勇気ある殉教者と言える。
当時のロシア人の全てが酒、名誉欲、肉欲に溺れていたわけではなく、やはりそれぞれが自分の人生を崩壊させないようにほどほどのブレーキをかけて生活していたわけで、そういう人々から見てカラマーゾフの系譜・一連の事件というのは、自分たちが出来なかった、欲に純粋なロシア人の一生というものを自己犠牲を持って体現してくれた、<聖者>のような存在であったのである。それがなければ当時度々あったありふれた殺人事件としてではなく、<欲の体現者>としてロシア人全体に認識されたからこそ、全国規模で新聞や噂で<有名>になったのである。その証拠が、裁判に押しかけたペテルブルグやその他遠方からの貴族連中の熱狂さである。
下巻の最後辺りまで終始頭のなかにあるイメージとして、フョードル・ミーチャなどは雑な、汚らしい俗物でその対比として長老・アリョーシャがあると感じていた為、アリョーシャが登場するととても嬉しくなったのを覚えている。しかしエピローグを読み終えて、それらの認識は間違いで、汚らしい俗物も聖者も全て元は同じ人間で、<いい人>に出会ったかそうでなかったかの、それだけの差で歩く道が違ったということであった。
個として人間が自分自身の窮極の目標、<欲>を達成するためには必ず他人の犠牲が必要であり、全体として人間全体が目標を目指すなら、パンの為に生きる必要もなく、石をパンに変える奇跡も必要なく、死者を生き返らせる奇跡の聖者も必要ないのである。
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読んでいて、なんとなく、(ロシア人の無神論と日本人の無神論って違うようで似てるなぁ)と思ってしまいました。もちろん性質は全く異なりますが、神を、偶像崇拝を排除し、現実に人間の幸せを願うその気持が、深い部分でつながっているように思えました。
ロシア人が好きになりそうな作品でした。とても良い作品です。