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罪と罰〈下〉 (新潮文庫) 文庫 – 1987/6/9
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『罪と罰 (上)(下)巻セット』 こちらをチェック
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一つの死と百の生命(いのち)の交代――
独自の犯罪哲学によって、高利貸の老婆を殺し財産を奪った貧しい学生ラスコーリニコフ。良心の呵責に苦しむ彼の魂の遍歴を辿る歴史的傑作。
不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。――ロシヤ思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。
独自の犯罪哲学によって、高利貸の老婆を殺し財産を奪った貧しい学生ラスコーリニコフ。良心の呵責に苦しむ彼の魂の遍歴を辿る歴史的傑作。
不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。――ロシヤ思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。
- ISBN-10410201022X
- ISBN-13978-4102010228
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1987/6/9
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ601ページ
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【新潮文】ドストエフスキー 作品 | 白痴と呼ばれる純真なムイシュキン公爵を襲う悲しい破局……作者の”無条件に美しい人間”を創造しようとした意図が結実した傑作。 | 世間から侮㚽の目で見られている小心で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンと薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋を描いた処女作。 | 妻は次々と愛人を替えていくのに、その妻にしがみついているしか能のない”永遠の夫”トルソーツキイの深層心理を鮮やかに照射する。 | 賭博の魔力にとりつかれ身を滅ぼしていく青年を通して、ロシア人に特有の病的性格を浮彫りにする。著者の体験にもとづく異色作品。 | 極端な自意識過剰から地下に閉じこもった男の独白を通して、理性による社会改造を否定し、人間の非合理的な本性を主張する異色作。 |
カラマーゾフの兄弟〔上〕 | カラマーゾフの兄弟〔中〕 | カラマーゾフの兄弟〔下〕 | 悪霊〔上〕 | 悪霊〔下〕 | 死の家の記録 | |
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価格 | ¥1,100¥1,100 | ¥1,045¥1,045 | ¥1,100¥1,100 | ¥979¥979 | ¥1,034¥1,034 | ¥990¥990 |
カラマーゾフの三人兄弟を中心に、十九世紀のロシア社会に生きる人間の愛憎うずまく地獄絵を描き、人間と神の問題を追究した大作。 | 無神論的革命思想を悪霊に見立て、それに憑かれた人々の破滅を実在の事件をもとに描く。文豪の、文学的思想的探究の頂点に立つ大作。 | 地獄さながらの獄内の生活、悽惨目を覆う笞刑、野獣のような状態に陥った犯罪者の心理──著者のシベリア流刑の体験と見聞の記録。 |
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青年貴族アリョーシャと清純な娘ナターシャの悲恋を中心に、農奴解放、ブルジョア社会へ移り変わる混乱の時代に生きた人々を描く。 | 独自の犯罪哲学によって、高利貸の老婆を殺し財産を奪った貧しい学生ラスコーリニコフ。良心の呵責に苦しむ彼の魂の遍歴を辿る名作。 | ロシア社会の混乱を背景に、「父と子」の葛藤、未成年の魂の遍歴を描きながら人間の救済を追求するドストエフスキー円熟期の名作。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1987/6/9)
- 発売日 : 1987/6/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 601ページ
- ISBN-10 : 410201022X
- ISBN-13 : 978-4102010228
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 28,810位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 25位ロシア・ソビエト文学 (本)
- - 685位新潮文庫
- カスタマーレビュー:
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2024年4月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
罪を犯した果てにラスコーリニコフが辿り着いたもの。ラストは涙なくしては読まれない。
2024年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
彼は社会的な罰は甘んじて受けたものの、首尾一貫として罪の意識が感じられない。
例え殺した相手が虱のように忌々しい存在であろうといかなる動機や理屈があろうと、人間の本性上殺人そのものに罪と恥辱があるということに、一貫して気づいていないのだ。
物語の最後に、彼がそのことについて将来気づく可能性が示唆されるが、具体的な描写はされない。
彼が己の罪を知り、贖罪をしたいと願い始めたとき、彼の本当の苦悩と人生が始まる。
その苦しさは、作中に描かれた彼の苦しみとは比にならないほど巨大なものだろう。
作中の彼の苦しみは、所詮は状況であり思想であり、あるいはその両者が起こす齟齬の産物でしかない。
しかし罪の意識は、自己をすべてそこに差し出す事で生まれる。
つまり、自己全てを苦しめるものなのだ。
それこそ「罰」なのである。
臆病な彼は1000ページを経てようやくそれに気付きかけている。
もし彼が完全に気付き悟ったなら、彼はこれから一生、自分に罰を与えながら生きるしかない。
一生すべての人に赦しを請い、大地に赦しを請いながら生きていくしかない。
それが「不幸」なのか「幸福」なのか。
それは読者の判断と人生に委ねられるのだ。
この世に罪のない人間はいない。
人は、すべての人に対して罪を持つ。
ドストエフスキーの考え方とはそういうもの。
つまり私達読者全員が、ラスコリーニコフと同じ存在なのだ。
だから「罪と罰」の後に続くラスコリーニコフの人生は、私達がイメージして紡いでいくか、私達が人生のなかで見出だすしかない。
ラスコリーニコフの物語は、ソーネチカとロマンスで結ばれてそれで終わり、ではない。
むしろ読者がこの本を読み終わり離れた瞬間から、始まるのだ。
そのように感じた。
例え殺した相手が虱のように忌々しい存在であろうといかなる動機や理屈があろうと、人間の本性上殺人そのものに罪と恥辱があるということに、一貫して気づいていないのだ。
物語の最後に、彼がそのことについて将来気づく可能性が示唆されるが、具体的な描写はされない。
彼が己の罪を知り、贖罪をしたいと願い始めたとき、彼の本当の苦悩と人生が始まる。
その苦しさは、作中に描かれた彼の苦しみとは比にならないほど巨大なものだろう。
作中の彼の苦しみは、所詮は状況であり思想であり、あるいはその両者が起こす齟齬の産物でしかない。
しかし罪の意識は、自己をすべてそこに差し出す事で生まれる。
つまり、自己全てを苦しめるものなのだ。
それこそ「罰」なのである。
臆病な彼は1000ページを経てようやくそれに気付きかけている。
もし彼が完全に気付き悟ったなら、彼はこれから一生、自分に罰を与えながら生きるしかない。
一生すべての人に赦しを請い、大地に赦しを請いながら生きていくしかない。
それが「不幸」なのか「幸福」なのか。
それは読者の判断と人生に委ねられるのだ。
この世に罪のない人間はいない。
人は、すべての人に対して罪を持つ。
ドストエフスキーの考え方とはそういうもの。
つまり私達読者全員が、ラスコリーニコフと同じ存在なのだ。
だから「罪と罰」の後に続くラスコリーニコフの人生は、私達がイメージして紡いでいくか、私達が人生のなかで見出だすしかない。
ラスコリーニコフの物語は、ソーネチカとロマンスで結ばれてそれで終わり、ではない。
むしろ読者がこの本を読み終わり離れた瞬間から、始まるのだ。
そのように感じた。
2024年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これぞ文学の最高峰!
引き込まれるように読了した。
数年後にまた読み返したい。
引き込まれるように読了した。
数年後にまた読み返したい。
2024年1月26日に日本でレビュー済み
ラスコーリニコフが『理性と光明の世界にたてこもる』ことができたのは、『犯罪遂行の全過程における犯罪者の心理状態の考察』という自分の論文が脳裏にあったからだ。
『凡人』『非凡人』の仕分けと序列、生存権の優劣による自然に関わらず淘汰については、特段ラスコーリニコフの知見ではなく、過去から漠然と現代に伝わる優生思考の流れを一望するに過ぎなかった。それに自己流の定義と独善的な解釈をまじえ、『良心の声にしたがって血を許す』までに理想化した。
だが、ラスコーリニコフは金貸し老婆だけでなく、偶然その部屋にやってきた古着屋の善良な女リザベータ、彼女は老婆の義妹であり、あとでわかったことたけれど、ソーニャの聖書友だちでもあった、そのリザベータを斧で殺したのである。『良心の声にしたがって血を許す』理想とはおよそかけはなれた、口封じのための殺人に堕してしまった…ラスコーリニコフはソーニャに会いたくなった。
身をもちくずす稼ぎで黙々と家族を養い、そうすることがきわめて自然な義務であるかのような直向きな姿を見て、ラスコーリニコフは感動していた。その整然とした敬虔さはどこからきているのだろう。ラスコーリニコフは自分のわだかまりを告白するにふさわしい女かどうか、ソーニャの信仰の証を見てやろう思った。彼は『不意に』にヨハネ伝福音書より、「ラザロの復活」をソーニャに読んでくれと頼んだ。ソーニャはためらった。
神を信じないラスコーリニコフには理解しがたい奇跡の一章だからだ。
ところで、前に友人ラズミーヒンと訪れた予審判事ポルフィーリイの事務所で、ラスコーリニコフは、自分の論文について質問を受けた。老婆殺害にいたる動機を探り出そうとしている…。アリバイの有無にとどまらない心情調査も兼ねているのか。終始冷静にふるまったラスコーリニコフだったが、話が佳境に及ぶといささか上ずった調子で『新しいエルサレム』ができるまでは生存権を巡る『永遠の戦争』を賛歌すると口走った。『新しいエルサレム』と聞いて、ニヒリズムの力学を信奉するラスコーリニコフの言動に耳を疑ったポルフィーリイ予審判事は「不意に」「神」を信じるか、ならば『ラザロの復活』はどうか聞いた。ラスコーリニコフはポルフィーリイの意図を疑う間もなく、虚をつかれ生返事で肯定してしまった。また、論文はありきたりな思想で新味に欠けると批判するラズミーヒンではあったが、そこに『良心の声にしたがって血を許す』という、ラスコーリニコフの『傲慢な独創性』があることを見抜いた。
後日、ポルフィーリイ予審判事を警察署に訪ねてきたラスコーリニコフに、尋問などという形式は必要ないとくりかえし、その真意がどこにあるのかつかめなかった。
『蛾がろうそくの火のまわりをまわるみたいに、たえずわたしのまわりをぐるぐるまわっている。わたしのまわりに円を描きながらしだいに輪をせばめてきて、ついに ― 往生というわけです!』
この作品は「金貸し老婆殺人事件」に特化しただけではなく、帝政ロシア末期に顕著になるカトリックとロシア正教の確執、そして無神論やニヒリズムが巷にはびこり、人心の動揺や壊乱があからさまで、信心のよりどころを失ってきた社会の背景を、ドストエフスキーはいつもながら巧みに描写する。すべて金が敵の世の中なのだ。
ラスコーリニコフはソーニャに犯罪を告白する。
彼の論文における顕示欲も、ポルフィーリイ予審判事との姑息な意地の張り合いにも、あのとき『理性と光明の世界にたてこもる』と見栄をきった、「居心地の良い」はずの虚偽の魔力が、今にいたってだんだんと失われていくのを感じた。
『良心の声にしたがって血を許す』という、ラスコーリニコフの『傲慢さ』は、<< 社会が下す機械的な刑罰ではなく、真に効果のある、真に人をおののかせかつ柔らげるような、自分の良心の中に秘められたほんとうの罰 >> に気づいたのかもしない。
『ソーニャがもう永遠に彼のそばを離れないで、たとい地の果てであろうと、運命が彼をみちびくところへ、どこまでもついて来てくれることを感じ、そしてさとった。』
『』本文より
<< >> カラマーゾフの兄弟、アーメン、アーメンより
『凡人』『非凡人』の仕分けと序列、生存権の優劣による自然に関わらず淘汰については、特段ラスコーリニコフの知見ではなく、過去から漠然と現代に伝わる優生思考の流れを一望するに過ぎなかった。それに自己流の定義と独善的な解釈をまじえ、『良心の声にしたがって血を許す』までに理想化した。
だが、ラスコーリニコフは金貸し老婆だけでなく、偶然その部屋にやってきた古着屋の善良な女リザベータ、彼女は老婆の義妹であり、あとでわかったことたけれど、ソーニャの聖書友だちでもあった、そのリザベータを斧で殺したのである。『良心の声にしたがって血を許す』理想とはおよそかけはなれた、口封じのための殺人に堕してしまった…ラスコーリニコフはソーニャに会いたくなった。
身をもちくずす稼ぎで黙々と家族を養い、そうすることがきわめて自然な義務であるかのような直向きな姿を見て、ラスコーリニコフは感動していた。その整然とした敬虔さはどこからきているのだろう。ラスコーリニコフは自分のわだかまりを告白するにふさわしい女かどうか、ソーニャの信仰の証を見てやろう思った。彼は『不意に』にヨハネ伝福音書より、「ラザロの復活」をソーニャに読んでくれと頼んだ。ソーニャはためらった。
神を信じないラスコーリニコフには理解しがたい奇跡の一章だからだ。
ところで、前に友人ラズミーヒンと訪れた予審判事ポルフィーリイの事務所で、ラスコーリニコフは、自分の論文について質問を受けた。老婆殺害にいたる動機を探り出そうとしている…。アリバイの有無にとどまらない心情調査も兼ねているのか。終始冷静にふるまったラスコーリニコフだったが、話が佳境に及ぶといささか上ずった調子で『新しいエルサレム』ができるまでは生存権を巡る『永遠の戦争』を賛歌すると口走った。『新しいエルサレム』と聞いて、ニヒリズムの力学を信奉するラスコーリニコフの言動に耳を疑ったポルフィーリイ予審判事は「不意に」「神」を信じるか、ならば『ラザロの復活』はどうか聞いた。ラスコーリニコフはポルフィーリイの意図を疑う間もなく、虚をつかれ生返事で肯定してしまった。また、論文はありきたりな思想で新味に欠けると批判するラズミーヒンではあったが、そこに『良心の声にしたがって血を許す』という、ラスコーリニコフの『傲慢な独創性』があることを見抜いた。
後日、ポルフィーリイ予審判事を警察署に訪ねてきたラスコーリニコフに、尋問などという形式は必要ないとくりかえし、その真意がどこにあるのかつかめなかった。
『蛾がろうそくの火のまわりをまわるみたいに、たえずわたしのまわりをぐるぐるまわっている。わたしのまわりに円を描きながらしだいに輪をせばめてきて、ついに ― 往生というわけです!』
この作品は「金貸し老婆殺人事件」に特化しただけではなく、帝政ロシア末期に顕著になるカトリックとロシア正教の確執、そして無神論やニヒリズムが巷にはびこり、人心の動揺や壊乱があからさまで、信心のよりどころを失ってきた社会の背景を、ドストエフスキーはいつもながら巧みに描写する。すべて金が敵の世の中なのだ。
ラスコーリニコフはソーニャに犯罪を告白する。
彼の論文における顕示欲も、ポルフィーリイ予審判事との姑息な意地の張り合いにも、あのとき『理性と光明の世界にたてこもる』と見栄をきった、「居心地の良い」はずの虚偽の魔力が、今にいたってだんだんと失われていくのを感じた。
『良心の声にしたがって血を許す』という、ラスコーリニコフの『傲慢さ』は、<< 社会が下す機械的な刑罰ではなく、真に効果のある、真に人をおののかせかつ柔らげるような、自分の良心の中に秘められたほんとうの罰 >> に気づいたのかもしない。
『ソーニャがもう永遠に彼のそばを離れないで、たとい地の果てであろうと、運命が彼をみちびくところへ、どこまでもついて来てくれることを感じ、そしてさとった。』
『』本文より
<< >> カラマーゾフの兄弟、アーメン、アーメンより
2022年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人間は高い地位にいる<特殊な人々>と<その他の人々>に二分され、<特殊な人々>は法律の適用を受けないばかりか<その他の人々=材料=ゴミ>のために法律を作ってやる。そして、<特殊な人々>である天才たちは小さな悪を平気で踏み越えていく…。つまり、「大きな目的が善を目ざしていれば、一つくらいの悪業は許される」。こんな思想を持った主人公のラスコーリニコフ君が、「しらみ(虱)」と形容する金貸しの老婆とその妹を斧で殴り殺す…というところから物語は始まる。
例によって、いつもの捻くれたねちっこい文章が延々と続いていき、読者は次第にそのしつこさの魅力に取り込まれていく訳で、最初はとっつきにくく感じられても、次第に「読み進めずにはいられない」状態となってしまうのだが、とにかくその文章・物語に込められた熱量が無駄に凄まじく、圧倒される。
とはいえ、そこまで重要な作品かというと、そこまででも…。確かに打ちのめされる程の力が感じられるとまでは言えないまでも、「聖なる娼婦」ソーニャとの会話でラスコーリニコフ君が意地悪く語る「神なんてぜんぜん存在しないかもしれないよ」という一言や、ソーニャの母親であるカテリーナ・イワーノヴナの「世の中に正義というものがないのでしょうか!」という興奮した叫び声には強く心を打たれ、考えさせられるところも無いではない。しかし、あまり話は深まらずに物語の最後まで進んでいってしまうので、なんとも拍子抜けしてしまう。『カラマーゾフ』ほどの豊かさは、ここには無いと思う。
翻訳は工藤精一郎であまり話題に上る人ではないし、古臭い表現なども目にはつくものの、別に読みにくいほどの古臭さでもなく、その文章の熱量というか暑苦しさがとても上手く滲み出る訳であって非常にドストエフスキー向きだと感じられ、私は結構好きである。光文社から出ている亀山訳とも読み比べたりしてみたが、やっぱり工藤訳の方が心に響いた。また、巻末の解説は非常に理解しやすく親切な内容になっている(が、ネタバレ気味なので最初には読まないほうが良い)。
例によって、いつもの捻くれたねちっこい文章が延々と続いていき、読者は次第にそのしつこさの魅力に取り込まれていく訳で、最初はとっつきにくく感じられても、次第に「読み進めずにはいられない」状態となってしまうのだが、とにかくその文章・物語に込められた熱量が無駄に凄まじく、圧倒される。
とはいえ、そこまで重要な作品かというと、そこまででも…。確かに打ちのめされる程の力が感じられるとまでは言えないまでも、「聖なる娼婦」ソーニャとの会話でラスコーリニコフ君が意地悪く語る「神なんてぜんぜん存在しないかもしれないよ」という一言や、ソーニャの母親であるカテリーナ・イワーノヴナの「世の中に正義というものがないのでしょうか!」という興奮した叫び声には強く心を打たれ、考えさせられるところも無いではない。しかし、あまり話は深まらずに物語の最後まで進んでいってしまうので、なんとも拍子抜けしてしまう。『カラマーゾフ』ほどの豊かさは、ここには無いと思う。
翻訳は工藤精一郎であまり話題に上る人ではないし、古臭い表現なども目にはつくものの、別に読みにくいほどの古臭さでもなく、その文章の熱量というか暑苦しさがとても上手く滲み出る訳であって非常にドストエフスキー向きだと感じられ、私は結構好きである。光文社から出ている亀山訳とも読み比べたりしてみたが、やっぱり工藤訳の方が心に響いた。また、巻末の解説は非常に理解しやすく親切な内容になっている(が、ネタバレ気味なので最初には読まないほうが良い)。