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トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫) 文庫 – 1967/9/27

4.2 5つ星のうち4.2 63個の評価

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美少年への抗いがたい想い――。
超大作『魔の山』へと続くテーマに肉薄した初期代表作2編。


憂鬱で思索型の一面と、優美で感性的な一面をもつ青年を主人公に、孤立ゆえの苦悩とそれに耐えつつ芸術性をたよりに生をささえてゆく姿を描いた「トニオ・クレーゲル」、死に魅惑されて没落する初老の芸術家の悲劇「ヴェニスに死す」。
精神と肉体、芸術と生活の相対立する二つの力の間を彷徨しつつ、そのどちらにも完全に屈服することなく創作活動を続けていた初期のマンの代表作2編。

目次
トニオ・クレーゲル
ヴェニスに死す
解説 高橋義孝

本書収録「トニオ・クレーゲル」冒頭より
冬の太陽は乳色にかすれて厚い雲におおわれたまま、狭い町の上にわずかにとぼしい光を投げていた。破風(はふ)づくりの家の立ち並んだ路地々々は、じめじめとして風が強く、時おり氷ともつかぬ柔らかい霙(みぞれ)みたいなものが降ってきた。
学校がひけた。石を敷きつめた中庭から格子門へかけて、解放された生徒たちは、雪崩をうって外に出ると、右に左に思いおもい急いで帰って行った。……

トーマス・マン Mann, Thomas(1875-1955)
ドイツ、リューベックに生れる。実科高等学校を中退し、火災保険会社の見習い社員となるが一年で辞め、大学の聴講生となる。1894年、処女短編「転落」を発表し、詩人デーメルに認められた。1901年『ブデンブローク家の人々。ある家族の没落』で注目を集め、以降、『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』『マーリオと魔術師』など話題作を次々と発表。1924年、11年の歳月を費やして長編『魔の山』を完成させた。1929年、ノーベル文学賞受賞。他に『ワイマルのロッテ』『ヨゼフとその兄弟たち』『選ばれし人』等著書多数。

高橋義孝(1913-1995)
東京生れ。東大独文科卒。九大、名大、桐朋学園大等で独文学教授を歴任。翻訳の他、評論、随筆でも高い評価を得た。『森鴎外』(読売文学賞)『現代不作法読本』『文学研究の諸問題』『近代芸術観の成立』等著書多数。


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魔の山〔上〕 魔の山〔下〕 トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す
カスタマーレビュー
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【新潮文庫】トーマス・マン 作品 死と病苦、無為と頹廃の支配する高原療養所で療養する青年カストルプの体験を通して、生と死の谷間を彷徨する人々の苦闘を描く。 美と倫理、感性と理性、感情と思想のように相反する二つの力の板ばさみになった芸術家の苦悩と、芸術を求める生を描く初期作品集。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社; 改版 (1967/9/27)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1967/9/27
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 259ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4102022015
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4102022016
  • 寸法 ‏ : ‎ 14.8 x 10.5 x 2 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 63個の評価

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トオマス・マン
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前別々に持っていた文庫本の2作品を、引越しで売ってしまったのですが、また読みたくなり、購入しました。
『トニオ・クレーゲル』のほうが好きです。『ヴェニスに死す』は映画化もされており、そちらも映像美。よりわかりやすいと思います。
表紙が写真と違いましたが、品のある美しい表紙です。
2017年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『トニオ・クレーゲル』と『ヴェニスに死す』、前者は、市民気質と芸術家気質の対立を、後者は芸術家気質ゆえに死に至る過程を描いている。
『トニオ・クレーゲル』・・・主人公トニオは少女に恋するが、恋敵のハンスに及ばない。ハンスは明るく快活な少年だが、考え深くない。トニオは、10数年後に別の場所で少女に再開する。少女とハンスは結婚していた。ふたりは幸せそうに、トニオの前でトニオに気付かないままダンスを踊る。トニオは、自らが芸術家であり、二人は健全な市民なのだから仕方がない,と思う。芸術家である自分の仕事は、市民の生活に憧れ、そこから素材を受け取り、孤独の中で作品を完成させることだと考える。
現在は、市民と芸術家の区別は以前に比べて目立たなくなっている(芸術家に対する理解がない人もなんとかごまかして生きている)。しかし、一個の市民として、芸術家への理解がある方が当然望ましいと思う。
『ヴェニスに死す』・・・芸術家としての感情の赴くままに、少年に恋をしてしまい、遂に破滅してしまう年配作家の物語だ(ヴェニスにコレラが蔓延し始めたのだが、少年がヴェニスにとどまっているので、この作家もヴェニスを離れる気にならずそのまま居続け、そして海の中を歩む少年を目で追いながら夢心地のなかで死んでいく)。今の時代にあっては、芸術家の気質を極端に強調した作品だと感じる。現在は、以前と比べて、芸術家が特別視されなくなっているのではないか。それにしても作家アッシェンバハの美少年タドゥツィオへの思慕の箇所(後半部)の記述は圧巻である(別に少年への思慕だからといって驚かなくてもいいいのであって、少女への思慕でも実質は同じことだと思う)。片思いの心理があますところなく描かれているのには驚嘆する。
どちらの作品も、〈「世界は、一般観念、整合性をもった物語によってとらえられない」とするような二十世紀的考え方に基づいた作品〉ではないような気がする。具象画の世界を緻密に描いたものであり、現代の多様で混沌とした世界とは違う。その意味で四つ星にした。そうはいっても力作であることに変わりはない。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年9月12日に日本でレビュー済み
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読みづらい点も有りましたが、読んで良かったと思います。
2019年6月20日に日本でレビュー済み
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トニオ・クレーゲルのサビの部分を読み比べての比較ですが、
福田宏年(中央公論社 世界の文学 65')>実吉捷郎(岩波文庫 '52)>高橋義孝(新潮文庫 56')

中央公論社 世界の文学 福田訳
「それでおしまい?トニオ・クレーゲルさん」
「いえ、でももうなにも申しません」
「ほんとに、もうたくさん。ーー返事を待ってらっしゃるの」
「返事があるんですか」
「ないこともありませんわ。(略)」

新潮文庫 高橋訳
「おしまい、それで、トニオ・クレーゲルさん」
「おしまいじゃありません。けれどもう何も言いますまい」
「そうね、それで結構だと思うわ。ーー返事を待っていらっしゃるの」
「返事があるんですか」
「あると思うわ。(略)」

中央公論社 世界の文学 福田訳
「ではいいこと。解決というのはね、ここにこうしてすわってらっしゃるあなたは、なんのことはない、一人の俗人だということ」
「わたしが」といって、彼はいささかたじろいだ・・・
「それごらんなさい、こたえたでしょう。それが当然だわ。だったら少しだけ判決をゆるめて差し上げましょう。できないこともないのよ。あなたは道に迷った俗人なのよ、トニオ・クレーゲルさんーー迷える俗人なのよ」

新潮文庫 高橋訳
「いいですか、それはこうよ、そのお答えというのはね、そこにそうして坐っていらっしゃるあなたという人はね、あっさり言ってしまえば俗人です」
「私が」と言って、トニオ・クレーゲルはややはっとした態である。
「ほらごらんなさい、痛いでしょう、そうね、それでなくちゃいけないのよ。ですからね、ちょっと減刑してあげましょう、なぜってその余地があるの。あなたはね、トニオ・クレーゲルさん、道を踏み迷った俗人ですーー迷える俗人なんです」

福田訳は実吉訳を踏襲していますが、よりこなれた流暢なものです。この高橋訳は直訳調で日本語としてはやや硬くて詰まらないものです。
しかし、最近の訳では「俗人」"Bürger"が「普通の人」(河出文庫)、「一般人」(光文社古典新訳文庫)などと訳されているらしい。
それでは全然駄目。
18人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年3月2日に日本でレビュー済み
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個人的には実吉捷郎訳の方が好きですが、内容の奥深さを体感するには別の人の訳にふれるのもいい。他にも光文社などで別訳にふれられるので、読み比べてみるとさらに楽しめる。芸術的なセンスだけでなく、内容の深さ、それこそヨーロッパ文学の権化としてのアッシェンバッハの思考、そして結末に至るまでの道程には、芸術の真理が詰まっている。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年10月13日に日本でレビュー済み
「ヴェニスに死す」が名作だと思っていると、間違います。伝染病の描写の辺りから、説明が多く、効果を半減して、主題の切迫性が削がれています。無駄な描写があまりにも多い。トーマス・マンは当初自信がなく、フランス語訳で高く評価されたため、自信回復したと解説にはありますが、自信が無かった方がこの小説に関しては、正しい。駄作というんははばかられるけれど、主題が曖昧化して、切迫性を欠いていることが失敗の原因です。
2020年11月30日に日本でレビュー済み
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おばに、頼まれ購入したものですが、面白くもあり勉強になると喜んでもらえました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年1月4日に日本でレビュー済み
 三十年ぶりくらいの再読です。もはや初めて読んだといっても過言でないほど、内容については忘れていました。
 本書には、二つの中編が収められているのですが、いずれも芸術と、それに携わる人間との関係がテーマになっています。原文がどういった文体で書かれているのかもちろん知る術や素養はないものの、輪郭のはっきりした、それでいて詩的な散文で構築されているのが、複数の翻訳から察することができます。あるいはそれは、芸術や、その在り方をめぐる論議から結果することではないのかとも思うのですが、蓋し、「芸術」といったことが議論のテーマとなることが非常に困難である昨今にあっては、これらの作品はその内容もさることながら、そもそもこの文体がなかなか得難く、尊いものであるように思われました。しかし、少々下賤なことを書かせていただくと、作中しばしば用いられる「芸術」と、それに相対する「俗なるもの」といったような二項対立の構図で、何の疑問も差し挟さむことなく常に上位に抽象的なものを置く潔さというのも、「カウンターカルチャー」や「オルタナティヴ」といった言葉を経てしまった現在の視点から見ると、揶揄ではなく、すこし羨ましかったりもしました。
 ともに作者が二十六、七歳の頃の作品ですが、読むほうもそれくらいかそのすこし前くらいの年齢が最適であるように思います。早熟でない、自分のような者が高校生で読むにはすこし年齢からくる読みの限界があるような気がします。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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