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オコナー短編集 (新潮文庫 オ 7-1) 文庫 – 1974/3/1

4.3 5つ星のうち4.3 13個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (1974/3/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1974/3/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 251ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4102053018
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4102053010
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 13個の評価

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32歳の哲学博士号を持つジョイは、聖書のセールスマンに義足を持ち去られてしまう
5 星
32歳の哲学博士号を持つジョイは、聖書のセールスマンに義足を持ち去られてしまう
『オコナー短編集』(フラナリー・オコナー著、須山静夫訳、新潮文庫)に収められている『善良な田舎者』は、改めて、「善良」というものを考えさせられる短篇小説です。哲学の博士号を取った「ジョイは彼女(ホープウェル夫人)の娘で、ブロンドの髪をした大柄な女で、片足が義足だった。彼女は三十二歳になっていて、非常に教養があったが、ホープウェル夫人は彼女のことを子どもだと思っていた」。ホープウェル夫人が雇っている家政婦のフリーマンさん一家は「善良な田舎者だった」。ホープウェル夫人宅に聖書のセールスにやって来た若者は「善良な田舎の若者」です。納屋でジョイと若者が抱擁後、「彼は体をかがめて唇を彼女の耳につけた。『あんたの木の足がくっついているところを見せてくれ』と彼はささやいた」。「『(義足を)はずしたり、つけたりするのをやって見せてくれ』。彼女は彼のためにそれをはずし、またもとどおりにつけた。すると、彼はそれを自分ではずしたが、まるでほんものの足にさわるようにやさしく扱った」。「『おれは善良な田舎者さ』と彼は言って、唇をわずかにねじまげた」。「『義足を返して!』と彼女はかんだかく叫び、そのほうに突き進もうとした。しかし、彼はやすやすと彼女を押し倒した」。何ということでしょう。彼はその義足をスーツケースに入れ、立ち去ってしまったのです。
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年1月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
きょうから寝るまえの読書は、新潮文庫の『オコナー短篇集』だ。全短篇集をすでに読んでいるのだが、ぼくが傑作だと思っている2作品が収められているかどうかはわからない。収められていたら、いいのだけれど。1つは、釣りをしていた黒人の少年が獲った獲物を、帰り道を歩いているうちに白人の悪童どもらに目をつけられて盗まれるというもの。もう1つは、南部からニューヨークに来て、黒人がりっぱな服装をして自分の息子がいるマンションにいるのを見て驚く白人のおやじの物語。どうだろ。入ってるかな。

1作目は、「川」5歳の少年が説教師に川で洗礼を受ける。ただそれだけの物語。

2作目は、「火のなかの輪」いたずらっ子たち3人が、夫人の森に火をつけた。

3作目は、「黒んぼの人形」街へ行ったことがある祖父と孫が、街へ行く話。汽車で行ったのだが、街でふたりは道に迷う。黒人街に迷ったらしく、ふたりは難渋する。犬の散歩に出ていた白人の男に出合って、汽車の駅の場所を聞く。ふたりは汽車に乗って田舎に戻る。黒人街で、孫が黒人女をこかせて、けがをさせたので、黒人女が祖父に慰謝料をと言うと、あれはわしの子じゃないと拒んだ。このことが祖父と孫のあいだに一線を引いた。

4作目は、「善良な田舎者(いなかもの)」善良な田舎者と見られた聖書売りのセールスマンの青年が、じつはとんでもない悪人で、30歳の片足の女の義足を盗み出すというもの。

5作目は、「高く昇って一点へ」白人親子がバスで健康センターに行くときに、黒人の母親と小さな男の子を見る。白人の母親が黒人の男に1セント硬貨をあげようとすると、黒人の母親は拒んだ。白人の息子は自分の母親に世界は変わったのだと言う。

6作目は、「啓示」タービン夫人は、医院の待合室で、しゃべっているときに、気違いの娘から「いぼいのしし」と言われ、本を投げつけられた。娘は救急車で病院に送られた。タービン夫人は、家に戻って、夕方になって、丘を進む人々の群れを見て、うしろからついていく人々を、自分と同じ種類の人間だと思う。

さいごの7作目は、「パーカーの背中」230ページの二行目に、「入れ墨師は二十八歳のパーカーと同じくらいの年齢だったが、」とあり、西洋文学で二十八歳が大人と子どもの分岐点だという、ぼくの見解を確かめられたような気がした。ところで、この短篇の主人公のパーカーは背中以外のところに獣や鳥などの入れ墨をしていたのだが、ある日、妻を感心させようと、背中に神さまの入れ墨をしたのだが、妻は不機嫌であった。パーカーは泣いた。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年8月18日に日本でレビュー済み
『オコナー短編集』(フラナリー・オコナー著、須山静夫訳、新潮文庫)に収められている『善良な田舎者』は、改めて、「善良」というものを考えさせられる短篇小説です。

哲学の博士号を取った「ジョイは彼女(ホープウェル夫人)の娘で、ブロンドの髪をした大柄な女で、片足が義足だった。彼女は三十二歳になっていて、非常に教養があったが、ホープウェル夫人は彼女のことを子どもだと思っていた」。

ホープウェル夫人が雇っている家政婦のフリーマンさん一家は「善良な田舎者だった」。

ホープウェル夫人宅に聖書のセールスにやって来た若者は「善良な田舎の若者」です。

納屋でジョイと若者が抱擁後、「彼は体をかがめて唇を彼女の耳につけた。『あんたの木の足がくっついているところを見せてくれ』と彼はささやいた」。

「『(義足を)はずしたり、つけたりするのをやって見せてくれ』。彼女は彼のためにそれをはずし、またもとどおりにつけた。すると、彼はそれを自分ではずしたが、まるでほんものの足にさわるようにやさしく扱った」。

「『おれは善良な田舎者さ』と彼は言って、唇をわずかにねじまげた」。

「『義足を返して!』と彼女はかんだかく叫び、そのほうに突き進もうとした。しかし、彼はやすやすと彼女を押し倒した」。

何ということでしょう。彼はその義足をスーツケースに入れ、立ち去ってしまったのです。
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5つ星のうち5.0 32歳の哲学博士号を持つジョイは、聖書のセールスマンに義足を持ち去られてしまう
2023年8月18日に日本でレビュー済み
『オコナー短編集』(フラナリー・オコナー著、須山静夫訳、新潮文庫)に収められている『善良な田舎者』は、改めて、「善良」というものを考えさせられる短篇小説です。

哲学の博士号を取った「ジョイは彼女(ホープウェル夫人)の娘で、ブロンドの髪をした大柄な女で、片足が義足だった。彼女は三十二歳になっていて、非常に教養があったが、ホープウェル夫人は彼女のことを子どもだと思っていた」。

ホープウェル夫人が雇っている家政婦のフリーマンさん一家は「善良な田舎者だった」。

ホープウェル夫人宅に聖書のセールスにやって来た若者は「善良な田舎の若者」です。

納屋でジョイと若者が抱擁後、「彼は体をかがめて唇を彼女の耳につけた。『あんたの木の足がくっついているところを見せてくれ』と彼はささやいた」。

「『(義足を)はずしたり、つけたりするのをやって見せてくれ』。彼女は彼のためにそれをはずし、またもとどおりにつけた。すると、彼はそれを自分ではずしたが、まるでほんものの足にさわるようにやさしく扱った」。

「『おれは善良な田舎者さ』と彼は言って、唇をわずかにねじまげた」。

「『義足を返して!』と彼女はかんだかく叫び、そのほうに突き進もうとした。しかし、彼はやすやすと彼女を押し倒した」。

何ということでしょう。彼はその義足をスーツケースに入れ、立ち去ってしまったのです。
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2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年4月27日に日本でレビュー済み
ここには、さすが選集だけあって短いながらも精髄ともいえるオコナー短編の最良の部分が収録されている。本書には7篇の短編が収録されている。これを読んでまず痛感するのは、やはり向こうでの宗教に対する信心の違いである。ぬくぬくとした日本に育った身としては、それは比較するのもおこがましいものがある。もともとアメリカ南部は宗教色の濃い土地なのだが、その偏執的なまでの宗教心には戦々恐々となる。宗教への信心の強さは、保守と排他をも身の内としてしまう。そこに絡んでくるのが人種差別とくれば、この短編集の持つ色合いはおよそ想像がつくのではないだろうか。はっきりいってその感覚は馴染み薄いものだ。南部の風土に根ざしたこれらの物語を読んで、拒否反応をしめす人もおられることと思う。しかし、これは暗部ではあるが目を逸らして通ることのできない人間の真実の姿でもあるのだ。

オコナーは甘さを削ぎ落とし、そういった宗教、差別といった扱いにくい題材を正攻法で描いてゆく。時にそれはあまりにも残酷であり、あまりにも無情である。たった7篇の作品なのに心にのしかかってくるものはかなりハードだ。この薄い短編集を読んだ人にはオコナーの影が生涯つきまとうことだろう。本書にはそれだけの力がある。好き嫌い云々以前に、無条件に降伏させてしまうような力があるのだ。短い生涯を送ったオコナーは、若くしてこんなに激しい作品群を残した。凄い作家がいたものだ。愚かな人間と、愚かな行為。神はすべてお見通しなのである。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2002年7月8日に日本でレビュー済み
フラナリー・オコナー(Flannery O'Connor)は1925年に生まれ、1964年に39歳でその生涯を閉じた。父親を奪った難病が彼女自身をも襲ったのは、まだ20代の半ばにも至っていなかった頃である。父親の死から自身の死まで、彼女が対峙した「死」という巨大な塊にノミを刻んで彫って築き上げたかのような作品群である。
彼女と彼女の作品に対しては、暴力・南部・キリスト・救済などといったキーワードが冠せられるが、何よりもまず感じることは、彼女が作り上げる物語自体の圧倒的な力強さである。
まずは一読をお薦めします。
訳者の須山静夫氏の解説で引用されているオコナーの言葉=覚悟もまたその力強さを裏付ける。
「人々は常に、現代作家には希望がない、現代作家の描く世界像は耐えがたい、と不平をこぼす。これに対する唯一の答えは、希望のない人間は小説を書かないということである。小説を書くのは恐ろしい体験であり、書いているあいだに髪はばらばら抜け落ち、歯はぼろぼろになる。」
「絶望に至る道とは、いかなる種類の体験を持つことも拒絶することである。そして、もちろん、小説は体験を持つことに至る一つの道である」
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2004年12月12日に日本でレビュー済み
キリスト教作家、南部の作家、そういったレッテルを超えた素晴らしいマスター・ピースの短編作家である。レイモンド・カーヴァーのエッセイで読むまで、全く未知の作家だっただけに、読後の衝撃も一際ショッキングだった。こんなに素晴らしい作家を今まで知らなかったことが不思議なくらいである。(注意:フランク・オコナーと混同しないように)
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2002年7月2日に日本でレビュー済み
 オコナーはとにかく人間をみつめる、観察します。オコナーの描く人間はけっして美しくありません。肉体的に不具であれば、精神的にも歪んでいるし、堕落している。そこに、不意に衝撃的な暴力の一撃が、作者によって、非情にも加えられるのです…。しかし、オコナーはけっして彼らを見離さない。純粋な努力により、必ず恩寵がやってくる。物語りは自然と神秘的となり、そしてなぜか喜劇性をおびています。オコナーが他の本のなかで、「希望を持たぬ人が小説を書くことはない」というのも納得されました。
 「川」「火のなかの輪」「黒んぼの人形」「善良な田舎者」「高く昇って一点へ」「啓示」「パーカーの背中」を収載。どの短編も、奇妙で深い味わいがあります。何回読んでもそれは変わりません。とくに「善良な田舎者」がほんとうにショッキング、印象的でした。
 オコナーは不幸にも短い文筆生活しかおくれなかったため、とても寡作です。この短編集を皮切りに、そのほかの彼女の著作にも触れられることをお薦めします。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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