村上春樹のカポーティのテクストに基づく換骨奪胎を読む位なら原書を読んだ方がいい。
中学生の英語でも読めるからだ。現に私も中学時代に RANDOM HOUSE の SIGNET版で読んだ。
それに村上春樹は「カート・ウェール」をクルト・ヴァイルに直す事は出来ても、彼の
DIE DREIGROSCHENOPER の歌手がどんなイギリス映画に出ているかは知らないだろうし、
カポーティが、どの時点でのマリア・オイスペンスカヤを描写しているのか、その彼女の
出演している映画さえ知らないと思う。
極めつけは「花盛りの家」という誤訳だ。これは”House of Flowers”だから、龍口訳の
「わが家は花ざかり」の方が余程妥当だ。村上なら知らない筈は無いと思うが、これに、
あの「虹のかなた」のハロルド・アーレンが曲を付け、ミュージカルとしてブロードウェイ
で大ヒットしたのだ。この中の一曲”The sleepin' bee”はスタンダード・ナンバーとして
定着し、多くの歌手に歌われている。
1984年に発売されたCD:WITH A SONG IN MY HEART ではボストン・ポップスをバックに、
ジェシー・ノーマンが歌っている。編曲・指揮は勿論、ジョン・ウィリアムズ。プロデュー
サーは「ブルーノ・ワルター復刻」で有名なジョン・マックルーアだ。
さて龍口直太郎 訳だが、私はこれを文庫版ではなくハードカヴァーの初版で持っている。
田中一光氏の洒落た装丁で Capote の表記も「カポーティー」となっている。下品な話
で申し訳無いのだが、フランス語で capote とはコンドームの事を指す。
初版発行は1960年2月29日。あとがきは僅か3ページで文庫版の昭和四十三年七月三十日
発行のあとがきに比較すると、龍口さんがニューヨーク周縁の文化関係を如何に緻密に取材
なさったかが判る。それは勿論、本文にも反映されているという訳である。
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ティファニーで朝食を (新潮文庫 カ 3-1) 文庫 – 1968/7/1
オードリー・ヘップバーン主演映画。小説。
- 本の長さ247ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1968/7/1
- ISBN-104102095012
- ISBN-13978-4102095010
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1968/7/1)
- 発売日 : 1968/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 247ページ
- ISBN-10 : 4102095012
- ISBN-13 : 978-4102095010
- Amazon 売れ筋ランキング: - 212,630位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年6月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ホリーは、少女をみそめて結婚した変態おじさんの犠牲者だった。子供の将来や子供の最善を考えないで、自らのニーズのために子供を犠牲する大人たち。ホリーがまともな女になれるわけない。この作品は、大人に蝕まれ健全な少女時代を奪われた子供たちが、どういう大人になってしまうかを描いた悲劇だ。
2015年5月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
村上春樹の日本語訳と比べるとなかなか面白い。特に筆者本人が書いている「あとがき」には、映画版の辛辣な批判があり、とても面白い
2017年11月19日に日本でレビュー済み
龍口訳が原作に忠実で良いと色々なネットで評価されていて、どうしても読みたくて探していました。(村上春樹訳しか本屋は置いてなくて)状態も良かったし、表紙がヘプバーンなのもとても気に入りました。
2007年3月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ティファニーで朝食を」というタイトル名は、おそらく、映画やこの原作を見たことがない誰もが知っており、また、そのうちの大半の人が、その洒落たタイトル名から、素晴らしい名作を思い描いているのではないだろうか。
私の場合は、この作品に映画から入ったのだが、そんな先入観に反し、意外に平凡な映画であることに拍子抜けしてしまい、「オードリーが演じたからこそ、後世に残った映画」としか思えなかったのだ。ただ、総じて、原作物のドラマというものは、原作にあった大切なものが抜け落ちてしまっていることが多いものであり、私は、「カポーティの小説には、何かがあるのではないか」と期待し、この原作の方も読んでみることにしたのである。
しかし、残念ながら、その期待は、裏切られてしまった。たしかに、映画の方では、多少の改変が行われていることはわかったものの、映画で感じた物足りなさは、そっくりそのまま、この原作の方にも感じてしまったのである。
「この物足りなさは、どこからくるのだろうか?」と考えてみたのだが、やはり、ストーリー自体に、名作には必要不可欠の、読む者を惹き付け、捉えて離さないだけの劇的な起伏が乏しいと思う。カポーティ独特の筆致とともに、このストーリーの流れの中に身を置き、148ページを付き合うのは、私には少々辛かった。
ホリーという女性も、漠として捉えようがなく、必ずしも魅力的な女性としては描かれておらず、むしろ、この原作のホリーを、映画の中で、あそこまで強烈な存在感を放つ女性として演じ切ってしまったオードリーの偉大さの方を思い知らされる結果となってしまったのである。
併録の三つの短編も今一つだったが、特に気になったのが、「わが家は花ざかり」だ。タイトル名とは裏腹の、ストーリー展開にさして必要とも思えないグロテスクな描写は、私には、悪趣味としか思えない。繊細な人は、読まない方がいいだろう。
私の場合は、この作品に映画から入ったのだが、そんな先入観に反し、意外に平凡な映画であることに拍子抜けしてしまい、「オードリーが演じたからこそ、後世に残った映画」としか思えなかったのだ。ただ、総じて、原作物のドラマというものは、原作にあった大切なものが抜け落ちてしまっていることが多いものであり、私は、「カポーティの小説には、何かがあるのではないか」と期待し、この原作の方も読んでみることにしたのである。
しかし、残念ながら、その期待は、裏切られてしまった。たしかに、映画の方では、多少の改変が行われていることはわかったものの、映画で感じた物足りなさは、そっくりそのまま、この原作の方にも感じてしまったのである。
「この物足りなさは、どこからくるのだろうか?」と考えてみたのだが、やはり、ストーリー自体に、名作には必要不可欠の、読む者を惹き付け、捉えて離さないだけの劇的な起伏が乏しいと思う。カポーティ独特の筆致とともに、このストーリーの流れの中に身を置き、148ページを付き合うのは、私には少々辛かった。
ホリーという女性も、漠として捉えようがなく、必ずしも魅力的な女性としては描かれておらず、むしろ、この原作のホリーを、映画の中で、あそこまで強烈な存在感を放つ女性として演じ切ってしまったオードリーの偉大さの方を思い知らされる結果となってしまったのである。
併録の三つの短編も今一つだったが、特に気になったのが、「わが家は花ざかり」だ。タイトル名とは裏腹の、ストーリー展開にさして必要とも思えないグロテスクな描写は、私には、悪趣味としか思えない。繊細な人は、読まない方がいいだろう。
2013年12月10日に日本でレビュー済み
作品自体は最高に面白い。しかし訳というものはやはり鮮度がある。村上春樹は好きではないが、こればかりは村上訳を手に取るべき。
2015年12月12日に日本でレビュー済み
夢の中を生きているいつまでも少女のままで時が止まった女性。ホリーはそんな女性だ。ホリーの家の表札にはトラヴェリングと何時も掛かっている。そんな個性的なというより少しお頭の弱いようにも思われる、どこかとらえどころの無いホリーは、女優の卵であるのにもかかわらず週一回刑務所に「空模様」を伝えにいくために出かけたり、軍人たちから法外なチップを貰い彼らは彼女の家へと押しかける…、そんな不可思議な謎に満ちている。そして主人公僕は彼女の上の階の高級マンションに住むようになって、彼女と出会う。
物語は何年も前に消息を絶った彼女に生き写しの木製の彫像を日本人のユニオシ氏が文明から遠いところにいて自然と共に暮らしているようなアフリカ人が持っていたのを目撃するところから始まる。僕は以前のマンションで行きつけだったホリーとの共通の親友であるバーのマスターからその話を聞き、彼女のことを回想するのだ。そこで彼女に振り回されながら、恋した日々を…。
物語としてはとてもコンセプトのはっきりした小説で、フィッツジェラルドのようなストーリーよりも描写の美しさを重視した小説とは異なっている。しかしホリーの天衣無縫さがとても愛らしく神々しささえ感じられる。扱っている宝石はどうでもよいがティファニーのようなところで過ごすことが出来たなら幸せだ、彼女は言う。ティファニーの落ち着いた佇まい。働く人間のセンスのよさ。牛革の財布やベルトの匂い…。それが彼女に人生の意味、生きがいを感じさせるのだ。しかしそのくせそこいら辺に転がっている彼女をシンデレラにしてくれるチャンスには目もくれようともしない。そして彼女はついにその機会を掴むことは出来ずに僕の前から姿を消すことになる。
彼女の相棒の猫とのお別れのシーンはほろっとさせられる。僕たちよりもかけがえの無い親友の彼に注がれたホリーの優しさは美しい。そんな猫氏はさておき、しかし男ならば読者として僕の立場に立てる僕らは喜ぶべきことなのかもしれない。天衣無縫の美女とのまさに特権的なトラヴェリングは想像力の豊かなカポーティによってしか実現し得ないだろう。実際にそんな体験が出来るなど望むべくも無い。この文明の世の中彼女のような天衣無縫な女性が生きていくにはアメリカのハリウッドはさぞ住みづらくなったことであろう。ホリーは今どこへとトラヴェリングをしているのであろうか…。
物語は何年も前に消息を絶った彼女に生き写しの木製の彫像を日本人のユニオシ氏が文明から遠いところにいて自然と共に暮らしているようなアフリカ人が持っていたのを目撃するところから始まる。僕は以前のマンションで行きつけだったホリーとの共通の親友であるバーのマスターからその話を聞き、彼女のことを回想するのだ。そこで彼女に振り回されながら、恋した日々を…。
物語としてはとてもコンセプトのはっきりした小説で、フィッツジェラルドのようなストーリーよりも描写の美しさを重視した小説とは異なっている。しかしホリーの天衣無縫さがとても愛らしく神々しささえ感じられる。扱っている宝石はどうでもよいがティファニーのようなところで過ごすことが出来たなら幸せだ、彼女は言う。ティファニーの落ち着いた佇まい。働く人間のセンスのよさ。牛革の財布やベルトの匂い…。それが彼女に人生の意味、生きがいを感じさせるのだ。しかしそのくせそこいら辺に転がっている彼女をシンデレラにしてくれるチャンスには目もくれようともしない。そして彼女はついにその機会を掴むことは出来ずに僕の前から姿を消すことになる。
彼女の相棒の猫とのお別れのシーンはほろっとさせられる。僕たちよりもかけがえの無い親友の彼に注がれたホリーの優しさは美しい。そんな猫氏はさておき、しかし男ならば読者として僕の立場に立てる僕らは喜ぶべきことなのかもしれない。天衣無縫の美女とのまさに特権的なトラヴェリングは想像力の豊かなカポーティによってしか実現し得ないだろう。実際にそんな体験が出来るなど望むべくも無い。この文明の世の中彼女のような天衣無縫な女性が生きていくにはアメリカのハリウッドはさぞ住みづらくなったことであろう。ホリーは今どこへとトラヴェリングをしているのであろうか…。
2017年1月12日に日本でレビュー済み
古本屋のワゴンから拾ってきたやつで、評判の村上訳はとりあえず無視。
オードリー・ヘプバーンの映画はわずかしか観てなくて、なんとこれは未見です。
きらいじゃないけど数世代前の女優さんだと思うから。
自由奔放、きまぐれ、現実的な処世、既成価値観の無視など型やぶりな淫婦ホリーの言動を追い、
ちょっとアタマおかしいんじゃないの、と危ぶむ。反面、破天荒な生きざまにあこがれてしまう。
彼女は実兄フレッド以外、何者も愛さないし、他者からの愛情も求めず、愛や結婚を手段に自由を満喫し、
各地・各国を転々とする。
ヒロインの個性が強烈すぎて、他の作中人物がかすんだ感は否めないが、軽妙ながら奇怪な印象を受ける。
※ 写真・自己紹介は無視して下さい
オードリー・ヘプバーンの映画はわずかしか観てなくて、なんとこれは未見です。
きらいじゃないけど数世代前の女優さんだと思うから。
自由奔放、きまぐれ、現実的な処世、既成価値観の無視など型やぶりな淫婦ホリーの言動を追い、
ちょっとアタマおかしいんじゃないの、と危ぶむ。反面、破天荒な生きざまにあこがれてしまう。
彼女は実兄フレッド以外、何者も愛さないし、他者からの愛情も求めず、愛や結婚を手段に自由を満喫し、
各地・各国を転々とする。
ヒロインの個性が強烈すぎて、他の作中人物がかすんだ感は否めないが、軽妙ながら奇怪な印象を受ける。
※ 写真・自己紹介は無視して下さい