"そのとき、眠りに落ちていたホルカムでは、その音−結果的に六人の命を絶つことになる散弾銃の四発の轟音−を耳にしたものはいなかった"1965年発刊【実際に起きた一家4人惨殺事件】に5年間の緻密取材を行って発表されたノンフィクション・ノベルの本書は、著者の代表的傑作にして『ニュージャーナリズム』の始まりの一冊。
最初に言っておくと、ごめんなさい。ノンフィクションとして事件を題材にした小説ジャンルには主に個人的先入観【事実のねつ造や美談化】【著者のふりかざす正義感】みたいなイメージから苦手としていたのですが。重ねて、ごめんなさい。本書は驚かされるくらいに傑作です。圧倒的に面白かった。
さて、そんな本書のあらすじ的な紹介は冒頭で紹介したとおりで、殺人事件として予想される『犯人探し』も意外にも始めの方であっさり開示されるわけですが。何がそんなに面白いかと言えば、二つ。一つはその【徹底取材の緻密さ】被害者と加害者のみならず、登場する全ての人(や動物)にスポットに当て、それが後半にかけて【無駄なく組み合わさってくる構成力】には尋常ではない才能と迫力を感じます。
また、もう一つは明らかに犯人の一人、ペリーに著者自らの不幸な生い立ちを重ねて寄り添っているにも関わらず、描写に関しては突き放すかの様に(私はこの態度がタイトルの意味と感じました)【書き手である自分を徹底的に作中から排除】して、『通常』は重きを置かれそうな『犯行理由や善悪』に関しては【読み手に委ねる俯瞰的態度】です。
何故なら、これは現代にも通じる、事件の度に【安易な犯人探し、正義を振りかざすマスコミ糾弾】に日々触れる世界に生きる一人として、普遍的な意味をもって考えさせられる指摘だと感じたからだ。
実際の事件を題材にした圧倒的に面白い『小説』を探す人へ、また安易な善悪決めつけ報道や『正義マン』の横暴にモヤモヤする人へオススメ。
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冷血 (新潮文庫 赤 95C) 文庫 – 1978/9/1
惨殺事件の発生から二人の殺人者が絞首台に消えるまでの事件の過程を、綿密に再現させた、衝撃的なノンフィクション・ノヴェル。
- 本の長さ559ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1978/9/1
- ISBN-104102095039
- ISBN-13978-4102095034
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1978/9/1)
- 発売日 : 1978/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 559ページ
- ISBN-10 : 4102095039
- ISBN-13 : 978-4102095034
- Amazon 売れ筋ランキング: - 116,751位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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5 星
「一見動機がないように思われる殺人」
この本の476ページ以降、2人の殺人犯に関する精神病医の分析が書かれた箇所は、特に私たちの目を開かせ、深いため息をつかせる。まずヒコックの分析。「知性は平均以上」「思考力はよく組織されて論理的」だが、「あとの結果とか、そのため将来、自分自身や他の人間にどのような不快なことが起こるかといったことを考慮せずに物事を行う傾向のある人間」であり、「挫折感にたいしては、もっと正常な人間ならばがまんしていくところを、がまんすることができず、反社会的な行動に出る以外に、その挫折感を取り除くすべを知らないよう」なタイプ。もう一人の殺人犯ペリーの分析。「その貧弱な教育的背景を考慮すれば、なかなか広範囲の知識をそなえている」が、「他人が口にする事柄のうちに侮蔑とか侮辱とかいったものを鋭く感じとり、しばしば善意の言葉を曲解」し、「他人にだまされたり、さげすまれたり、劣っているとレッテルを貼られたと感じると、わけもなく激発」し、そして「彼は非常に狭い範囲の友人以外の人たちにたいしては、ほとんどどのような感情も示さず、人間の生命というものにたいしてほんとうの価値をほとんど認めていない」タイプ。まさに、日本でもほぼ日常的に報道されている凶悪犯の人物像が、ヒコックとペリーに見事に重なる。それどころか、アイツがそっくりだ、と自分に身近な人間が思い浮かぶはず。そして、486ページ以降に出てくる、ある論文に書かれた仮説がさらに裏付ける。この論文では、“精神正常者”と“精神異常者”という区分のどちらにも入らないような犯人−「殺人者が一見、合理的で、矛盾がなく、抑制がきいているような人間に思えながら、それでいて、怪奇な、一見、無意味と思われるような殺人行為を犯す」犯人を考察している。論文では、それらの犯人は「将来の犠牲者が、ある過去の外傷性形態において中心的人物であると無意識に感知される場合」に(暴発的な殺意が)活性化する、と書いている。わかりやすく言うと、殺される人は、殺人犯が悪意を抱くような言動は全くしておらず、悪い点は一つもない。しかし、犯人側のトラウマ(幼少時の虐待、両親の不仲など)がある瞬間に蘇えり、その何も罪のない被害者に“偶然”重なってしまった場合、犯人の凶行が噴出するのだという。大阪府池田市の事件、秋葉原の事件…日本の犯罪史上でも、私たちは論文の仮説と重なるような事件を容易に思い出すことができる。殺人、裁判、死刑といった、自分の日常から遠いと思っていた問題が、実は自宅の玄関のドアを出たすぐそこに身を隠し、凶器をもって私たちが近づくのを待っているかもしれないという現実…でも、この本を読んでその現実を世間より先に知り得た私たち読者は、少しだけ幸せかもしれない。気休めにもならないけど。
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2019年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年に公開された「サスペクツ・ダイヤリー」という映画を観ました。
スティーブン・エリオットという人の自叙伝「犯罪回顧録」を原作としているそうです。
映画はスティーブンがIT業界の大物ハンス・ライザーが起こした殺人事件をノンフィクションとして書き上げるという内容です。
その作品についてスティーブンが「カポーティの冷血のように…」と話していたので「冷血」を読んでみたくなりました。
「冷血」も1978年発行の龍口直太朗訳のものと2006年発行の佐々田雅子訳の2種類が新潮社から出ています。
私はレビューなども参考に今後は入手困難となる1978年版のほうを選び購入しました。
中古で価格は1円でしたが状態はとても良い本でした。
同時に映画「冷血」のDVDも購入しました。
文庫と映画を見比べてみたいです。
本に挟んであるしおりの模様のことまで書かれていてカポーティの細密な調査と情報収集と事件にとくべつの関心を示していたことがわかります。
スティーブン・エリオットという人の自叙伝「犯罪回顧録」を原作としているそうです。
映画はスティーブンがIT業界の大物ハンス・ライザーが起こした殺人事件をノンフィクションとして書き上げるという内容です。
その作品についてスティーブンが「カポーティの冷血のように…」と話していたので「冷血」を読んでみたくなりました。
「冷血」も1978年発行の龍口直太朗訳のものと2006年発行の佐々田雅子訳の2種類が新潮社から出ています。
私はレビューなども参考に今後は入手困難となる1978年版のほうを選び購入しました。
中古で価格は1円でしたが状態はとても良い本でした。
同時に映画「冷血」のDVDも購入しました。
文庫と映画を見比べてみたいです。
本に挟んであるしおりの模様のことまで書かれていてカポーティの細密な調査と情報収集と事件にとくべつの関心を示していたことがわかります。
2014年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
カポーティの原書を読み解くための参考として購入したのですが、独立した小説としても洒落た感じです。
2011年6月4日に日本でレビュー済み
この本の476ページ以降、2人の殺人犯に関する精神病医の分析が書かれた箇所は、特に私たちの目を開かせ、深いため息をつかせる。
まずヒコックの分析。
「知性は平均以上」「思考力はよく組織されて論理的」だが、「あとの結果とか、そのため将来、自分自身や他の人間にどのような不快なことが起こるかといったことを考慮せずに物事を行う傾向のある人間」であり、「挫折感にたいしては、もっと正常な人間ならばがまんしていくところを、がまんすることができず、反社会的な行動に出る以外に、その挫折感を取り除くすべを知らないよう」なタイプ。
もう一人の殺人犯ペリーの分析。
「その貧弱な教育的背景を考慮すれば、なかなか広範囲の知識をそなえている」が、「他人が口にする事柄のうちに侮蔑とか侮辱とかいったものを鋭く感じとり、しばしば善意の言葉を曲解」し、「他人にだまされたり、さげすまれたり、劣っているとレッテルを貼られたと感じると、わけもなく激発」し、そして「彼は非常に狭い範囲の友人以外の人たちにたいしては、ほとんどどのような感情も示さず、人間の生命というものにたいしてほんとうの価値をほとんど認めていない」タイプ。
まさに、日本でもほぼ日常的に報道されている凶悪犯の人物像が、ヒコックとペリーに見事に重なる。
それどころか、アイツがそっくりだ、と自分に身近な人間が思い浮かぶはず。
そして、486ページ以降に出てくる、ある論文に書かれた仮説がさらに裏付ける。
この論文では、“精神正常者”と“精神異常者”という区分のどちらにも入らないような犯人−「殺人者が一見、合理的で、矛盾がなく、抑制がきいているような人間に思えながら、それでいて、怪奇な、一見、無意味と思われるような殺人行為を犯す」犯人を考察している。
論文では、それらの犯人は「将来の犠牲者が、ある過去の外傷性形態において中心的人物であると無意識に感知される場合」に(暴発的な殺意が)活性化する、と書いている。
わかりやすく言うと、殺される人は、殺人犯が悪意を抱くような言動は全くしておらず、悪い点は一つもない。
しかし、犯人側のトラウマ(幼少時の虐待、両親の不仲など)がある瞬間に蘇えり、その何も罪のない被害者に“偶然”重なってしまった場合、犯人の凶行が噴出するのだという。
大阪府池田市の事件、秋葉原の事件…日本の犯罪史上でも、私たちは論文の仮説と重なるような事件を容易に思い出すことができる。
殺人、裁判、死刑といった、自分の日常から遠いと思っていた問題が、実は自宅の玄関のドアを出たすぐそこに身を隠し、凶器をもって私たちが近づくのを待っているかもしれないという現実…
でも、この本を読んでその現実を世間より先に知り得た私たち読者は、少しだけ幸せかもしれない。気休めにもならないけど。
まずヒコックの分析。
「知性は平均以上」「思考力はよく組織されて論理的」だが、「あとの結果とか、そのため将来、自分自身や他の人間にどのような不快なことが起こるかといったことを考慮せずに物事を行う傾向のある人間」であり、「挫折感にたいしては、もっと正常な人間ならばがまんしていくところを、がまんすることができず、反社会的な行動に出る以外に、その挫折感を取り除くすべを知らないよう」なタイプ。
もう一人の殺人犯ペリーの分析。
「その貧弱な教育的背景を考慮すれば、なかなか広範囲の知識をそなえている」が、「他人が口にする事柄のうちに侮蔑とか侮辱とかいったものを鋭く感じとり、しばしば善意の言葉を曲解」し、「他人にだまされたり、さげすまれたり、劣っているとレッテルを貼られたと感じると、わけもなく激発」し、そして「彼は非常に狭い範囲の友人以外の人たちにたいしては、ほとんどどのような感情も示さず、人間の生命というものにたいしてほんとうの価値をほとんど認めていない」タイプ。
まさに、日本でもほぼ日常的に報道されている凶悪犯の人物像が、ヒコックとペリーに見事に重なる。
それどころか、アイツがそっくりだ、と自分に身近な人間が思い浮かぶはず。
そして、486ページ以降に出てくる、ある論文に書かれた仮説がさらに裏付ける。
この論文では、“精神正常者”と“精神異常者”という区分のどちらにも入らないような犯人−「殺人者が一見、合理的で、矛盾がなく、抑制がきいているような人間に思えながら、それでいて、怪奇な、一見、無意味と思われるような殺人行為を犯す」犯人を考察している。
論文では、それらの犯人は「将来の犠牲者が、ある過去の外傷性形態において中心的人物であると無意識に感知される場合」に(暴発的な殺意が)活性化する、と書いている。
わかりやすく言うと、殺される人は、殺人犯が悪意を抱くような言動は全くしておらず、悪い点は一つもない。
しかし、犯人側のトラウマ(幼少時の虐待、両親の不仲など)がある瞬間に蘇えり、その何も罪のない被害者に“偶然”重なってしまった場合、犯人の凶行が噴出するのだという。
大阪府池田市の事件、秋葉原の事件…日本の犯罪史上でも、私たちは論文の仮説と重なるような事件を容易に思い出すことができる。
殺人、裁判、死刑といった、自分の日常から遠いと思っていた問題が、実は自宅の玄関のドアを出たすぐそこに身を隠し、凶器をもって私たちが近づくのを待っているかもしれないという現実…
でも、この本を読んでその現実を世間より先に知り得た私たち読者は、少しだけ幸せかもしれない。気休めにもならないけど。
この本の476ページ以降、2人の殺人犯に関する精神病医の分析が書かれた箇所は、特に私たちの目を開かせ、深いため息をつかせる。
まずヒコックの分析。
「知性は平均以上」「思考力はよく組織されて論理的」だが、「あとの結果とか、そのため将来、自分自身や他の人間にどのような不快なことが起こるかといったことを考慮せずに物事を行う傾向のある人間」であり、「挫折感にたいしては、もっと正常な人間ならばがまんしていくところを、がまんすることができず、反社会的な行動に出る以外に、その挫折感を取り除くすべを知らないよう」なタイプ。
もう一人の殺人犯ペリーの分析。
「その貧弱な教育的背景を考慮すれば、なかなか広範囲の知識をそなえている」が、「他人が口にする事柄のうちに侮蔑とか侮辱とかいったものを鋭く感じとり、しばしば善意の言葉を曲解」し、「他人にだまされたり、さげすまれたり、劣っているとレッテルを貼られたと感じると、わけもなく激発」し、そして「彼は非常に狭い範囲の友人以外の人たちにたいしては、ほとんどどのような感情も示さず、人間の生命というものにたいしてほんとうの価値をほとんど認めていない」タイプ。
まさに、日本でもほぼ日常的に報道されている凶悪犯の人物像が、ヒコックとペリーに見事に重なる。
それどころか、アイツがそっくりだ、と自分に身近な人間が思い浮かぶはず。
そして、486ページ以降に出てくる、ある論文に書かれた仮説がさらに裏付ける。
この論文では、“精神正常者”と“精神異常者”という区分のどちらにも入らないような犯人−「殺人者が一見、合理的で、矛盾がなく、抑制がきいているような人間に思えながら、それでいて、怪奇な、一見、無意味と思われるような殺人行為を犯す」犯人を考察している。
論文では、それらの犯人は「将来の犠牲者が、ある過去の外傷性形態において中心的人物であると無意識に感知される場合」に(暴発的な殺意が)活性化する、と書いている。
わかりやすく言うと、殺される人は、殺人犯が悪意を抱くような言動は全くしておらず、悪い点は一つもない。
しかし、犯人側のトラウマ(幼少時の虐待、両親の不仲など)がある瞬間に蘇えり、その何も罪のない被害者に“偶然”重なってしまった場合、犯人の凶行が噴出するのだという。
大阪府池田市の事件、秋葉原の事件…日本の犯罪史上でも、私たちは論文の仮説と重なるような事件を容易に思い出すことができる。
殺人、裁判、死刑といった、自分の日常から遠いと思っていた問題が、実は自宅の玄関のドアを出たすぐそこに身を隠し、凶器をもって私たちが近づくのを待っているかもしれないという現実…
でも、この本を読んでその現実を世間より先に知り得た私たち読者は、少しだけ幸せかもしれない。気休めにもならないけど。
まずヒコックの分析。
「知性は平均以上」「思考力はよく組織されて論理的」だが、「あとの結果とか、そのため将来、自分自身や他の人間にどのような不快なことが起こるかといったことを考慮せずに物事を行う傾向のある人間」であり、「挫折感にたいしては、もっと正常な人間ならばがまんしていくところを、がまんすることができず、反社会的な行動に出る以外に、その挫折感を取り除くすべを知らないよう」なタイプ。
もう一人の殺人犯ペリーの分析。
「その貧弱な教育的背景を考慮すれば、なかなか広範囲の知識をそなえている」が、「他人が口にする事柄のうちに侮蔑とか侮辱とかいったものを鋭く感じとり、しばしば善意の言葉を曲解」し、「他人にだまされたり、さげすまれたり、劣っているとレッテルを貼られたと感じると、わけもなく激発」し、そして「彼は非常に狭い範囲の友人以外の人たちにたいしては、ほとんどどのような感情も示さず、人間の生命というものにたいしてほんとうの価値をほとんど認めていない」タイプ。
まさに、日本でもほぼ日常的に報道されている凶悪犯の人物像が、ヒコックとペリーに見事に重なる。
それどころか、アイツがそっくりだ、と自分に身近な人間が思い浮かぶはず。
そして、486ページ以降に出てくる、ある論文に書かれた仮説がさらに裏付ける。
この論文では、“精神正常者”と“精神異常者”という区分のどちらにも入らないような犯人−「殺人者が一見、合理的で、矛盾がなく、抑制がきいているような人間に思えながら、それでいて、怪奇な、一見、無意味と思われるような殺人行為を犯す」犯人を考察している。
論文では、それらの犯人は「将来の犠牲者が、ある過去の外傷性形態において中心的人物であると無意識に感知される場合」に(暴発的な殺意が)活性化する、と書いている。
わかりやすく言うと、殺される人は、殺人犯が悪意を抱くような言動は全くしておらず、悪い点は一つもない。
しかし、犯人側のトラウマ(幼少時の虐待、両親の不仲など)がある瞬間に蘇えり、その何も罪のない被害者に“偶然”重なってしまった場合、犯人の凶行が噴出するのだという。
大阪府池田市の事件、秋葉原の事件…日本の犯罪史上でも、私たちは論文の仮説と重なるような事件を容易に思い出すことができる。
殺人、裁判、死刑といった、自分の日常から遠いと思っていた問題が、実は自宅の玄関のドアを出たすぐそこに身を隠し、凶器をもって私たちが近づくのを待っているかもしれないという現実…
でも、この本を読んでその現実を世間より先に知り得た私たち読者は、少しだけ幸せかもしれない。気休めにもならないけど。
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2013年1月6日に日本でレビュー済み
トルーマン・カポーティ「冷血」を読了。実際に起こった事件を元に小説として再構築した作品。事件を起こした犯人2人の生い立ちから事件のこと、そして絞首刑になるまでを様々な人物や様々な出来事を配してこれでもかとこの事件全体像を浮かび上がらせる。
読んでいると何か心の奥底を逆なでされる感覚がしてならない。自分もこうなるのではないか、とありもしない感覚が心の奥底から浮かび上がってくるのである。長編で様々なことが織り交ぜられている読みにくい作品ではあるが、なぜか物語の世界観から抜け出すことが出来ず、どんどん深入りしていってしまう。そして不気味な感覚が浮かんでくるのである。
怖い作品ですが、人間を知る上では読むべき作品の一つであることには間違いない作品です。
読んでいると何か心の奥底を逆なでされる感覚がしてならない。自分もこうなるのではないか、とありもしない感覚が心の奥底から浮かび上がってくるのである。長編で様々なことが織り交ぜられている読みにくい作品ではあるが、なぜか物語の世界観から抜け出すことが出来ず、どんどん深入りしていってしまう。そして不気味な感覚が浮かんでくるのである。
怖い作品ですが、人間を知る上では読むべき作品の一つであることには間違いない作品です。
2005年8月16日に日本でレビュー済み
初めてカポーティの作品を読みました。
読みはじめは少し退屈に感じたのですが、読後は非常に達成感があり、とても興味深い作品でした。
非常に入念な情報収集と推敲により、とても淡々と事件を描いていると思います。特筆すべきドラマチックな展開というのはないのですが、読み手としては常に引き込まれているという感じです。事件というものは淡々と、それぞれの日常の中でおこっているのだということを感じました。
犯人の生い立ち、境遇にも感情移入させられることなく、客観的に読み進めることができました。不遇であること、しかしそれもまたその人にとっては日常のことであったのではないでしょうか。
殺人事件という題材であるにもかかわらず、それは誰にでも持ちうる感情の流れと状況の重なり合いであり、どこにでも起こりうるささいな出来事であるという印象を受けました。
読みはじめは少し退屈に感じたのですが、読後は非常に達成感があり、とても興味深い作品でした。
非常に入念な情報収集と推敲により、とても淡々と事件を描いていると思います。特筆すべきドラマチックな展開というのはないのですが、読み手としては常に引き込まれているという感じです。事件というものは淡々と、それぞれの日常の中でおこっているのだということを感じました。
犯人の生い立ち、境遇にも感情移入させられることなく、客観的に読み進めることができました。不遇であること、しかしそれもまたその人にとっては日常のことであったのではないでしょうか。
殺人事件という題材であるにもかかわらず、それは誰にでも持ちうる感情の流れと状況の重なり合いであり、どこにでも起こりうるささいな出来事であるという印象を受けました。
2006年4月19日に日本でレビュー済み
「世田谷一家惨殺事件」を想起させるような、キャンザス州ホルカムで起こった「一家四人皆殺し事件」をドキュメンタリーに描いてゆく。その丁寧さは、事件と直接関係しない人たちの表情までも描き出し、その町の雰囲気をしっかりと描き出している。
世田谷の事件と同じく証拠物件の少なさが、迷宮入りを思わせる事件である。その事件が、犯人の一人の「口」が災いして、殺された人たちに関係ない犯人二人を浮かび上がらせてゆく。
作者は小説の中には登場しないが、引き込まれるように罪を犯した犯人の一人に自らの気持ちを入れ込んでゆくかのような筆致で描き、その犯罪に至る気持ちを読者に訴えかけてくる。
カポーティの気持ちの入った傑作である。
映画「カポーティ」が、このあたりの作者の心理をどのように描いてくれるのか、楽しみになってきた。
世田谷の事件と同じく証拠物件の少なさが、迷宮入りを思わせる事件である。その事件が、犯人の一人の「口」が災いして、殺された人たちに関係ない犯人二人を浮かび上がらせてゆく。
作者は小説の中には登場しないが、引き込まれるように罪を犯した犯人の一人に自らの気持ちを入れ込んでゆくかのような筆致で描き、その犯罪に至る気持ちを読者に訴えかけてくる。
カポーティの気持ちの入った傑作である。
映画「カポーティ」が、このあたりの作者の心理をどのように描いてくれるのか、楽しみになってきた。
2004年7月15日に日本でレビュー済み
前半、犯人の逮捕までの持っていき方は上手い!!のひとこと。現状をほとんど描写しないところが、かえってノンフィクション的でいい。写実的描写の上手さがまるで一流のカメラマンのように現実を伐っていくところなんか凄い。主人公(?)のペリーは行動学者の喜びそうなサンプルだけれど、相棒のリチャードがもっと書き込まれていればな、なんて思っちゃった。ただ、瀧口御大にしては、ちょっと訳が.....。