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人間の絆(上) (新潮文庫) 文庫 – 2007/4/24
人生の意味など、そんなものは、なにもない。
そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ――。
文豪モームが描く、自伝的小説。青年は官能の世界を彷徨う。
幼くして両親を失い、牧師である叔父に育てられたフィリップは、不自由な足のために、常に劣等感にさいなまれて育つ。いつか信仰心も失い、聖職者への道を棄てた彼は、芸術に魅了され、絵を学びにパリに渡る。しかし、若き芸術家仲間との交流の中で、己の才能の限界を知った時、彼の自信は再び崩れ去り、やむなくイギリスに戻り、医学を志すことに。
誠実な魂の遍歴を描く自伝的長編。
本文冒頭より
くらい灰色の朝が明けた。雲が重く垂れ下り、ひどく冷え冷えとして、雪にでもなりそうだった。子供の寝室に、乳母が入って来て、窓のカーテンを開けた。彼女は向いの、玄関(ポーチ)のある漆喰壁の家をチラと機械的にながめると、そのまま子供のベッドの方へやって来た。
「おめざめでございますよ、坊ちゃま(フィリップ)。」
いいながら掛布団をめくると、抱き上げて、階下へ降りた。子供はまだ半分寝ぼけている。
「お母様がお呼びでいらっしゃいますからね。」……
サマセット・モーム Maugham, William Somerset(1874-1965)
イギリスの小説家・劇作家。フランスのパリに生れるが、幼くして両親を亡くし、南イングランドの叔父のもとで育つ。ドイツのハイデルベルク大学、ロンドンの聖トマス病院付属医学校で学ぶ。医療助手の経験を描いた小説『ランベスのライザ』(1897)が注目され、作家生活に入る。1919年に発表した『月と六ペンス』は空前のベストセラーとなった代表作である。
中野好夫(1903-1985)
愛媛県松山市生れ。英文学者・評論家・翻訳家。東大英文科卒。シェイクスピアやモーム、スウィフト等の名訳で知られる。
そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ――。
文豪モームが描く、自伝的小説。青年は官能の世界を彷徨う。
幼くして両親を失い、牧師である叔父に育てられたフィリップは、不自由な足のために、常に劣等感にさいなまれて育つ。いつか信仰心も失い、聖職者への道を棄てた彼は、芸術に魅了され、絵を学びにパリに渡る。しかし、若き芸術家仲間との交流の中で、己の才能の限界を知った時、彼の自信は再び崩れ去り、やむなくイギリスに戻り、医学を志すことに。
誠実な魂の遍歴を描く自伝的長編。
本文冒頭より
くらい灰色の朝が明けた。雲が重く垂れ下り、ひどく冷え冷えとして、雪にでもなりそうだった。子供の寝室に、乳母が入って来て、窓のカーテンを開けた。彼女は向いの、玄関(ポーチ)のある漆喰壁の家をチラと機械的にながめると、そのまま子供のベッドの方へやって来た。
「おめざめでございますよ、坊ちゃま(フィリップ)。」
いいながら掛布団をめくると、抱き上げて、階下へ降りた。子供はまだ半分寝ぼけている。
「お母様がお呼びでいらっしゃいますからね。」……
サマセット・モーム Maugham, William Somerset(1874-1965)
イギリスの小説家・劇作家。フランスのパリに生れるが、幼くして両親を亡くし、南イングランドの叔父のもとで育つ。ドイツのハイデルベルク大学、ロンドンの聖トマス病院付属医学校で学ぶ。医療助手の経験を描いた小説『ランベスのライザ』(1897)が注目され、作家生活に入る。1919年に発表した『月と六ペンス』は空前のベストセラーとなった代表作である。
中野好夫(1903-1985)
愛媛県松山市生れ。英文学者・評論家・翻訳家。東大英文科卒。シェイクスピアやモーム、スウィフト等の名訳で知られる。
- 本の長さ660ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2007/4/24
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-10410213025X
- ISBN-13978-4102130254
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2007/4/24)
- 発売日 : 2007/4/24
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 660ページ
- ISBN-10 : 410213025X
- ISBN-13 : 978-4102130254
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 353,320位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 6,053位新潮文庫
- - 54,728位ノンフィクション (本)
- - 59,813位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年11月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
注文から配達まで迅速。無駄のないパッケージでしたが、商品は綺麗でした。大満足です。
2021年7月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
モームの正直な人生の描写は、勉強になった。他の作者たち同様、自らの感情についての記憶力が凄い。それにしても自己中心極まる男である。作者本人がそれに気づいていないことも悲劇。育ててくれた伯父夫婦に感謝のかけらも無くー自分が理性あるまともな人になれたのも、この二人のおかげなのだがー、女たちを利用しても悪びれもない。最後に結ばれた若い女も後で捨てられそう、彼の他の短編小説を読むと。この作品の主人公のタイプに顕著だが、とにかく自分の立場、自分の利益、自分の状態にしか関心がない。主人公が他人を軽蔑するのも、自己執着しているからこそである。(ところで絵描きの女友人は、「のだめカンタービレ」を思わせる喜悲劇だった) この作品で一番哀れな人物は、主人公の母親だ。息子が、敬虔はおろか誰にも感謝できない人物になってしまったのだから。作家モームのそういう傲慢な態度は、他の作品の人間への冷ややかさにも出ている。「人間の絆」は、作者自身も気づいていない「自己中心」の記録だ。
2015年10月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
訳者中野氏は解説で、およそ作家とはとかく自分自身のために書くエゴイストであり、その自我のカタルシスを追求した作品こそが返って人間を高め、清めると述べています。本作もそれであり、モームが他の人を喜ばせるのではなく、自身のために書いた。また、彼はそれによって固執観念から開放されたと記さています。ですが、本作は彼個人の精神活動に供されるだけでなく、100年経った現在の我々の精神活動にも資するものがあります。
私が読み取った現在にも通じる人間の行動様式、思考パターンや概略は以下です。
主人公は純朴に育った少年ですが、身体不具のためからかわれ、自尊心を高めて身を守ろうとします。ですが一方で人からは認めてもらいたいという欲求が強く、それらをうまく消化できずにドイツに飛び出してしまします。ドイツでもうまく行かずフランスへ。フランスでもうまく行かず次はロンドンへ。
ちょっとやってうまく行かなければ次の新天地を求め、自分がやりたかったのは実はこれだったんだと思ってみせます。ですが、結局はうまく行かず出戻りを繰り返し、一つのことをがんばりぬくことができず、場所や環境を変えるれば次こそはうまくいくんだいった理想主義がうまく行かない様が描かれています。
そこで主人公は「人生の目的とはいったい何だ」と考えはじめ、自分の周囲にいる人間の観察を通して自分なりの答えを出していきます。
以前の彼と同じように理想に生きている人間は結局のところ何も成せず惨めに死ぬものも出ます。主人公はこういったことから人生にはそもそも意味はないのだ。意味がないということはそもそも失敗にも、成功にも意味はない。人の営みとはちょうど、各人が織匠となり自身の美しい意匠を織るようなものだ。たとえ失敗して死んだとしてもそれは見方を変えれば立派に美しい。という考えに至ります。
本作品が紹介されるとき、よくこの「人生には意味がない」が強調されますが、それよりも私自身は主人公が貧民層に接し、自分の人生をとても現実的に見ていく変化に興味をもって読みました。
何かやってうまく行かない時に周りのせいにしてみたり、自分は他の人とは違うんだと思ってみたりしていたのが、貧しい人々の生き様に接するうちに自分も実際はこの人たちとは何も変わらない、現実的に計画を立てて生きていくんだと変わっていく様が100年立っても人間の本質は変わらないんだなぁと思いながら読みました。
人生には意味がないというと後退的ですが、主人公が自分の意匠を美しい物にするために人生を現実的に捉えていく様に積極性を感じました。
私が読み取った現在にも通じる人間の行動様式、思考パターンや概略は以下です。
主人公は純朴に育った少年ですが、身体不具のためからかわれ、自尊心を高めて身を守ろうとします。ですが一方で人からは認めてもらいたいという欲求が強く、それらをうまく消化できずにドイツに飛び出してしまします。ドイツでもうまく行かずフランスへ。フランスでもうまく行かず次はロンドンへ。
ちょっとやってうまく行かなければ次の新天地を求め、自分がやりたかったのは実はこれだったんだと思ってみせます。ですが、結局はうまく行かず出戻りを繰り返し、一つのことをがんばりぬくことができず、場所や環境を変えるれば次こそはうまくいくんだいった理想主義がうまく行かない様が描かれています。
そこで主人公は「人生の目的とはいったい何だ」と考えはじめ、自分の周囲にいる人間の観察を通して自分なりの答えを出していきます。
以前の彼と同じように理想に生きている人間は結局のところ何も成せず惨めに死ぬものも出ます。主人公はこういったことから人生にはそもそも意味はないのだ。意味がないということはそもそも失敗にも、成功にも意味はない。人の営みとはちょうど、各人が織匠となり自身の美しい意匠を織るようなものだ。たとえ失敗して死んだとしてもそれは見方を変えれば立派に美しい。という考えに至ります。
本作品が紹介されるとき、よくこの「人生には意味がない」が強調されますが、それよりも私自身は主人公が貧民層に接し、自分の人生をとても現実的に見ていく変化に興味をもって読みました。
何かやってうまく行かない時に周りのせいにしてみたり、自分は他の人とは違うんだと思ってみたりしていたのが、貧しい人々の生き様に接するうちに自分も実際はこの人たちとは何も変わらない、現実的に計画を立てて生きていくんだと変わっていく様が100年立っても人間の本質は変わらないんだなぁと思いながら読みました。
人生には意味がないというと後退的ですが、主人公が自分の意匠を美しい物にするために人生を現実的に捉えていく様に積極性を感じました。
2017年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
モームの半自伝的小説である本著は、生来の足の不具合による劣等感を背負う主人公フィリップが、苦難や挫折を経て生きていく姿を描いた傑作長編です。人は誰しもが少なからず劣等感を抱えて生きているために、多くの読者はフィリップに自分自身を投影するのではないでしょうか。
様々な出来事や人物との交わりを経験して成長するフィリップですが、中でも悪女ミルトレッドとの関係はどうしようもない人間の弱さを曝け出していて、その展開の面白さは格別で強烈に印象付けられます。形だけの幸福を追い求める人生の儚さ、無意味さを悟り、精神の自由を獲得するフィリップ。その描写部分(下巻)は本作の核心であり、最も心に響くところでもあります。人が生きるとは、本当の幸福とは、を教えてくれる名著です。
様々な出来事や人物との交わりを経験して成長するフィリップですが、中でも悪女ミルトレッドとの関係はどうしようもない人間の弱さを曝け出していて、その展開の面白さは格別で強烈に印象付けられます。形だけの幸福を追い求める人生の儚さ、無意味さを悟り、精神の自由を獲得するフィリップ。その描写部分(下巻)は本作の核心であり、最も心に響くところでもあります。人が生きるとは、本当の幸福とは、を教えてくれる名著です。
2019年9月26日に日本でレビュー済み
サマセット・モームが41歳の時、出版された自伝的小説『人間の絆』(サマセット・モーム著、中野好夫訳、新潮文庫、上・下)を読んで、分かったことが3つある。
第1は、モームがこの作品を書いた理由。
モーム自身が、彼の中にあったある種の精神的しこりみたいなものを浄化するための一つの記念碑だったと語っている。
第2は、モームが吃音というコンプレックスを初め、多くの悩みを抱えていたこと。これらの苦悩を通じて、人生に対する考察を深め得たこと。なお、吃音は、主人公のフィリップ・ケアリの場合は先天性内反足に置き換えられている。
「いったい人生とは、なんのためにあるのだ? フィリップは、絶望にも似た気持ちで、自問してみた。まったくむなしい、夢のような気がする。・・・努力に比して、なんという、それは、あわれな結果なのだ。青春の美しい希望の数々にむくいられるものは、ただかくも苦い幻滅、それだけなのだ。それにしても、苦痛と病と不幸との重錘(おもし)が、あまりにも重すぎる。いったい、どういうことなのだ? フィリップは、彼自身の一生を振り返ってみた。人生へ乗り出したころの輝かしい希望、彼の肉体が強いたさまざまの制限、友だちのない孤独、彼の青春を包んだ愛情の涸渇。彼にしてみれば、いつもつねに、ただ最上と思えることだけをしてきたつもりだ。しかも、このみじめな失敗ぶりは、どうだ! 彼と同じように、いっこう取り柄もなさそうな人間で、りっぱに成功しているのもあれば、彼よりは、はるかに有利な条件をそろえていて、それでいて失敗した人間もいる。すべては、まったくの運らしい。雨は、正しい人間にも、悪い人間にも、一様に降る。人生いっさいのこと、なぜだの、なにゆえにだのという、そんなものは、いっさいないのだ」。
(尊敬する年長の友で、急死した)クロンショーのことを考えながら、フィリップは、ふと彼がくれたペルシャじゅうたんのことを思い出した。人生の意味とはなにか、ときいたフィリップの質問に対して、彼は、これが答えだと言った。・・・答えは、あまりにも明白だった。人生に意味などあるものか。空間を驀進している一つの太陽の衛星としてのこの地球上に、それもこの遊星の歴史の一部分である一定条件の結果として、たまたま生物なるものが生まれ出た。したがって、そうしてはじまった生命は、いつまた別の条件の下で、終りを告げてしまうかもわからない。人間もまた、その意義において、他のいっさいの生物と少しも変りない以上、それは、創造の頂点として生まれたものなどというのでは、もちろんなく、ただ単に環境に対する一つの物理的反応として、生じたものにすぎない」。
「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、なにもない。そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ。彼が、生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは、いっさいなんの影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」。
「幸福への願いを捨てることによって、彼は、いわば最後の迷妄を脱ぎ捨てていたのだった。幸福という尺度で計られていたかぎり、彼の一生は、思ってもたまらないものだった。だが、いまや人の一生は、もっとほかのものによって計られてもいい、ということがわかってからは、彼は、自然勇気のわくのをおぼえた。幸福とか、苦痛とか、そんなものは、ほとんど問題でない。それらは、彼の一生における、いろいろほかの事柄と一緒に、ただ(じゅうたんの)意匠を複雑、精妙にするだけに、はいって来るものであり、彼自身は、一瞬間、彼の生活のあらゆる偶然の上に、はるかに高く立ったような気持ちがして、もはやいままでのように、それらによって動かされることは、完全にあるまいと思えた。たとえどんなことが起ころうと、それは、ただ模様の複雑さを加える動機が一つ、新しく加わったということにすぎない。・・・フィリップは幸福だった」。
「彼は、未来にばかり生きていて、かんじんの現在は、いつも、いつも、指のあいだから、こぼれ落ちていたのだった。彼の理想とは、なんだ? 彼は、無数の無意味な人生の事実から、できるだけ複雑な、できるだけ美しい意匠を、織りあげようという彼の願いを、反省してみた。だが、考えてみると、世にも単純な模様、つまり人が、生まれ、働き、結婚し、子供を持ち、そして死んで行くというのも、また同様に、もっとも完璧な図柄なのではあるまいか? 幸福に身をゆだねるということは、たしかにある意味で、敗北の承認かもしれぬ。だが、それは、多くの勝利よりも、はるかによい敗北なのだ」。
第3は、モームが女性関係で大変苦労したこと。作品で描かれた主人公の恋愛の一つひとつがモームの実体験そのものかは分からないが、執筆理由から考えて、同じような恋をしたことは間違いないだろう。
医学生のフィリップは、カフェの給仕女、ミルドレッド・ロジャーズという性悪女に翻弄され続けます。一方、ノラ・ネズビットという年上の大衆小説家の女は、美人ではないが、頭も人間性も良く、フィリップを心から愛しているのに、フィリップはノラを捨ててしまいます。やがて、フィリップは、彼が担当した患者と親しくなり、その長女、サリー・アセルニーに惹かれていきます。
「彼女(サリー)も、もう成人になりかけていた。ドレスメーカー(裁縫師)の見習いにかよっていたが、毎朝7時には、ちゃんと家を出て。終日、リージェント街の店で働いていた。素直そうな青い目、広い前額、そして豊かな髪は、輝くばかりだった。大きなしり、大きな乳房、いかにも丈夫そうな女だった。・・・動物のように健康で、しかも女らしいところが、彼女の魅力だった。だいぶ賛美者もあるようだったが、彼女は、いっこうケロリとしていた」。
「彼女は、足を止めて、(待ち合わせ場所の)木戸の方へ来た。彼女と一緒に、ほのかな、甘い田園のかおりが、漂って来た、刈りたてのほし草のかおり、熟したホップの味、若草の新鮮さ、なにかそういったもののすべてを、一緒に身につけて歩いているような女だった。彼は、彼のくちびるに、ふくらみのある、やわらかい彼女のくちびるを感じた。美しい、健康そうな肉体が、しっかり彼の腕の中に、抱かれていた」。
「はじめは、実際彼女のすることがわからなかった。だが、知りあうにしたがって、だんだん好きになった。しっかりしていて、自制心があり、ことにその正直さが、よかった、この女ならは、どんなときでも、安心して信頼できるという、そんな気がした」。ここまで読み進めてきて、私の好みの女性のタイプとモームのそれが一致していることが判明し、ホッとした。
30歳になろうとする医師のフィリップが19歳のサリーに結婚を申し込み、サリーが快く受け容れたところで、物語は終わっている。
第1は、モームがこの作品を書いた理由。
モーム自身が、彼の中にあったある種の精神的しこりみたいなものを浄化するための一つの記念碑だったと語っている。
第2は、モームが吃音というコンプレックスを初め、多くの悩みを抱えていたこと。これらの苦悩を通じて、人生に対する考察を深め得たこと。なお、吃音は、主人公のフィリップ・ケアリの場合は先天性内反足に置き換えられている。
「いったい人生とは、なんのためにあるのだ? フィリップは、絶望にも似た気持ちで、自問してみた。まったくむなしい、夢のような気がする。・・・努力に比して、なんという、それは、あわれな結果なのだ。青春の美しい希望の数々にむくいられるものは、ただかくも苦い幻滅、それだけなのだ。それにしても、苦痛と病と不幸との重錘(おもし)が、あまりにも重すぎる。いったい、どういうことなのだ? フィリップは、彼自身の一生を振り返ってみた。人生へ乗り出したころの輝かしい希望、彼の肉体が強いたさまざまの制限、友だちのない孤独、彼の青春を包んだ愛情の涸渇。彼にしてみれば、いつもつねに、ただ最上と思えることだけをしてきたつもりだ。しかも、このみじめな失敗ぶりは、どうだ! 彼と同じように、いっこう取り柄もなさそうな人間で、りっぱに成功しているのもあれば、彼よりは、はるかに有利な条件をそろえていて、それでいて失敗した人間もいる。すべては、まったくの運らしい。雨は、正しい人間にも、悪い人間にも、一様に降る。人生いっさいのこと、なぜだの、なにゆえにだのという、そんなものは、いっさいないのだ」。
(尊敬する年長の友で、急死した)クロンショーのことを考えながら、フィリップは、ふと彼がくれたペルシャじゅうたんのことを思い出した。人生の意味とはなにか、ときいたフィリップの質問に対して、彼は、これが答えだと言った。・・・答えは、あまりにも明白だった。人生に意味などあるものか。空間を驀進している一つの太陽の衛星としてのこの地球上に、それもこの遊星の歴史の一部分である一定条件の結果として、たまたま生物なるものが生まれ出た。したがって、そうしてはじまった生命は、いつまた別の条件の下で、終りを告げてしまうかもわからない。人間もまた、その意義において、他のいっさいの生物と少しも変りない以上、それは、創造の頂点として生まれたものなどというのでは、もちろんなく、ただ単に環境に対する一つの物理的反応として、生じたものにすぎない」。
「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、なにもない。そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ。彼が、生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは、いっさいなんの影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」。
「幸福への願いを捨てることによって、彼は、いわば最後の迷妄を脱ぎ捨てていたのだった。幸福という尺度で計られていたかぎり、彼の一生は、思ってもたまらないものだった。だが、いまや人の一生は、もっとほかのものによって計られてもいい、ということがわかってからは、彼は、自然勇気のわくのをおぼえた。幸福とか、苦痛とか、そんなものは、ほとんど問題でない。それらは、彼の一生における、いろいろほかの事柄と一緒に、ただ(じゅうたんの)意匠を複雑、精妙にするだけに、はいって来るものであり、彼自身は、一瞬間、彼の生活のあらゆる偶然の上に、はるかに高く立ったような気持ちがして、もはやいままでのように、それらによって動かされることは、完全にあるまいと思えた。たとえどんなことが起ころうと、それは、ただ模様の複雑さを加える動機が一つ、新しく加わったということにすぎない。・・・フィリップは幸福だった」。
「彼は、未来にばかり生きていて、かんじんの現在は、いつも、いつも、指のあいだから、こぼれ落ちていたのだった。彼の理想とは、なんだ? 彼は、無数の無意味な人生の事実から、できるだけ複雑な、できるだけ美しい意匠を、織りあげようという彼の願いを、反省してみた。だが、考えてみると、世にも単純な模様、つまり人が、生まれ、働き、結婚し、子供を持ち、そして死んで行くというのも、また同様に、もっとも完璧な図柄なのではあるまいか? 幸福に身をゆだねるということは、たしかにある意味で、敗北の承認かもしれぬ。だが、それは、多くの勝利よりも、はるかによい敗北なのだ」。
第3は、モームが女性関係で大変苦労したこと。作品で描かれた主人公の恋愛の一つひとつがモームの実体験そのものかは分からないが、執筆理由から考えて、同じような恋をしたことは間違いないだろう。
医学生のフィリップは、カフェの給仕女、ミルドレッド・ロジャーズという性悪女に翻弄され続けます。一方、ノラ・ネズビットという年上の大衆小説家の女は、美人ではないが、頭も人間性も良く、フィリップを心から愛しているのに、フィリップはノラを捨ててしまいます。やがて、フィリップは、彼が担当した患者と親しくなり、その長女、サリー・アセルニーに惹かれていきます。
「彼女(サリー)も、もう成人になりかけていた。ドレスメーカー(裁縫師)の見習いにかよっていたが、毎朝7時には、ちゃんと家を出て。終日、リージェント街の店で働いていた。素直そうな青い目、広い前額、そして豊かな髪は、輝くばかりだった。大きなしり、大きな乳房、いかにも丈夫そうな女だった。・・・動物のように健康で、しかも女らしいところが、彼女の魅力だった。だいぶ賛美者もあるようだったが、彼女は、いっこうケロリとしていた」。
「彼女は、足を止めて、(待ち合わせ場所の)木戸の方へ来た。彼女と一緒に、ほのかな、甘い田園のかおりが、漂って来た、刈りたてのほし草のかおり、熟したホップの味、若草の新鮮さ、なにかそういったもののすべてを、一緒に身につけて歩いているような女だった。彼は、彼のくちびるに、ふくらみのある、やわらかい彼女のくちびるを感じた。美しい、健康そうな肉体が、しっかり彼の腕の中に、抱かれていた」。
「はじめは、実際彼女のすることがわからなかった。だが、知りあうにしたがって、だんだん好きになった。しっかりしていて、自制心があり、ことにその正直さが、よかった、この女ならは、どんなときでも、安心して信頼できるという、そんな気がした」。ここまで読み進めてきて、私の好みの女性のタイプとモームのそれが一致していることが判明し、ホッとした。
30歳になろうとする医師のフィリップが19歳のサリーに結婚を申し込み、サリーが快く受け容れたところで、物語は終わっている。
2022年1月26日に日本でレビュー済み
片足に障害のある青年が様々な体験をして・・・というお話。
これが何でもモームの自伝的な小説ということで、かなり苦労して人生航路を歩んできたのだな、ということが判る大長編になっております。両親が亡くなり伯父伯母夫婦に引き取られ、宗教系の学校に入り、アートを志し、その後医学の道を志し、株や投機に手をだしたり、色々な人格の人たちと仲良くなり、様々なタイプの女性と恋愛で翻弄され・・という波乱万丈の大河ドラマもかくやという疾風怒涛の人生遍歴を歩んだモームという人の一生が手に取るように判る小説でありました。
まぁ多少は小説として色づけされていて、実際には体験していないことも書き込んであるとは思いますが、そういうことがどうでもよくなるくらい面白く読み易い小説でした。上下合わせて1300ページになんなんとする小説を途中でダレることなく描ききったということに驚嘆の念を禁じえません。しかも書かれてから丁度100年経っても些かも古びていずに逆にその新しさに驚かされます。これは偏にモームという人の常人離れした筆力と昔も今も変わらない人間の本質を見抜く力によるものだと思わざるをえません。モームの著作は全て翻訳されているかは知りませんが、翻訳されているものだけでも全部読もうと思います。
一人の男の人生を描ききった大作。是非ご一読を。
上記は以前の訳で読んだ感想です。今回読んだ新訳でもあまり読後感は変わらず、面白かったです。
巻末にモームの序がついていて、必ずしも自分の体験だけを小説にした訳ではなく、他人の体験を織り込んだりしているらしいので、やはり自伝ではなく、自伝的な作品だと思いました。
また、プロットによって時間が錯綜したりする訳でもないのし、編年体で話しが進むので、物語といった方が相応しいかもしれません。
いずれにしても結構長い作品ですが、息切れしないで最後まで読ませる才能は凄いと改めて思いました。万人必読。
これが何でもモームの自伝的な小説ということで、かなり苦労して人生航路を歩んできたのだな、ということが判る大長編になっております。両親が亡くなり伯父伯母夫婦に引き取られ、宗教系の学校に入り、アートを志し、その後医学の道を志し、株や投機に手をだしたり、色々な人格の人たちと仲良くなり、様々なタイプの女性と恋愛で翻弄され・・という波乱万丈の大河ドラマもかくやという疾風怒涛の人生遍歴を歩んだモームという人の一生が手に取るように判る小説でありました。
まぁ多少は小説として色づけされていて、実際には体験していないことも書き込んであるとは思いますが、そういうことがどうでもよくなるくらい面白く読み易い小説でした。上下合わせて1300ページになんなんとする小説を途中でダレることなく描ききったということに驚嘆の念を禁じえません。しかも書かれてから丁度100年経っても些かも古びていずに逆にその新しさに驚かされます。これは偏にモームという人の常人離れした筆力と昔も今も変わらない人間の本質を見抜く力によるものだと思わざるをえません。モームの著作は全て翻訳されているかは知りませんが、翻訳されているものだけでも全部読もうと思います。
一人の男の人生を描ききった大作。是非ご一読を。
上記は以前の訳で読んだ感想です。今回読んだ新訳でもあまり読後感は変わらず、面白かったです。
巻末にモームの序がついていて、必ずしも自分の体験だけを小説にした訳ではなく、他人の体験を織り込んだりしているらしいので、やはり自伝ではなく、自伝的な作品だと思いました。
また、プロットによって時間が錯綜したりする訳でもないのし、編年体で話しが進むので、物語といった方が相応しいかもしれません。
いずれにしても結構長い作品ですが、息切れしないで最後まで読ませる才能は凄いと改めて思いました。万人必読。
2014年10月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
(上下巻通してのレビューです)
「それは、まるで長年、危険と窮乏を冒しながら、大海原を彷徨して来たものが、最後にやっと、美しい港に辿り着く…」
自尊心が強いくせに優しすぎるお人好しの青年(こういう人は苦労します)フィリップの人生航路。ストーカーになったり破産したり、もうこれまでかと思う大嵐を生き延び、人生の陸地に無事帰り着きます。終わりよければすべてよし。
「それは、まるで長年、危険と窮乏を冒しながら、大海原を彷徨して来たものが、最後にやっと、美しい港に辿り着く…」
自尊心が強いくせに優しすぎるお人好しの青年(こういう人は苦労します)フィリップの人生航路。ストーカーになったり破産したり、もうこれまでかと思う大嵐を生き延び、人生の陸地に無事帰り着きます。終わりよければすべてよし。