プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
マルテの手記 (新潮文庫) 文庫 – 1953/6/12
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥649","priceAmount":649.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"649","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"eKvXMq6tjkPcYNNLzj1pPCGyLyM3CPILL3ax7kcNQfLPCxzksz3NP95A2Y7idPvBnd0nWRS3lvisvVg2ZIPpXIDlgVESEG776s2dwZE7RzTHvouK%2BT%2FB%2FOxiy9NL7A1F","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
青年作家マルテをパリの町の厳しい孤独と貧しさのどん底におき、生と死の不安に苦しむその精神体験を綴る詩人リルケの魂の告白。
- ISBN-104102175032
- ISBN-13978-4102175033
- 版改
- 出版社新潮社
- 発売日1953/6/12
- 言語日本語
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- 本の長さ302ページ
よく一緒に購入されている商品
¥726¥726
最短で6月12日 水曜日のお届け予定です
残り7点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より
若き詩人への手紙・若き女性への手紙 | リルケ詩集 | マルテの手記 | |
---|---|---|---|
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.5
142
|
5つ星のうち4.3
79
|
5つ星のうち4.4
47
|
価格 | ¥506¥506 | ¥649¥649 | ¥649¥649 |
【新潮文庫】リルケ 作品 | 精神的苦悩に直面している青年に、苛酷な生活を強いられている若い女性に、孤独の詩人リルケが深い共感をこめながら送った書簡集。 | 現代抒情詩の金字塔といわれる「オルフォイスへのソネット」をはじめ、二十世紀ドイツ最大の詩人リルケの独自の詩境を示す作品集。 | 青年作家マルテをパリの町の厳しい孤独と貧しさのどん底におき、生と死の不安に苦しむその精神体験を綴る詩人リルケの魂の告白。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1953/6/12)
- 発売日 : 1953/6/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 302ページ
- ISBN-10 : 4102175032
- ISBN-13 : 978-4102175033
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 52,694位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
47グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
原文と比較してみても意訳しすぎず、かなり原文に忠実に訳されている印象です。ほかの翻訳と合わせて読むのも楽しいですね。
2010年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まもなく50代に入る私が、ついこの間とも思える10代の後半にこの書を持ち歩き、電車の中、学校などで読んでいたあの時。タイトルは忘れる事はなっかたが、本そのものはとっくにどこかに消えてしまった。なぜ今この本を再び手に取ってみようと思ったのか・・・。特にこの30年間私の心のシ−ンに映り続けている一つの場面がある。
それは、主人公が見知らぬ町での散策のなかで語る病院のシ−ン。その描写はその病院の待合室での人々の様子をただ見たままありのままに語っているもの。それは、自然に自分自身の言葉と化してみえるように読まれる。その時の心の持ちようは、不思議と純粋に、無欲になってくる。そして、一見汚れたものや、汗くさい、埃っぽいものなどが親しみのある感すら思えてくる。自分は自然にそれらを受け入れているんだと気が付く。そして、りっぱに見えるものが、商業主事の一切が、しいては物質至上主義そのもが、いかに人を惑わして、拡大し、暴走している現代社会があるのだと気づかせてくれる。そんなことは多分、筆者のリルケさんは意図していないと思う。なぜなら、その病院の描写が、その方法論だとすれば、あまりにもかけ離れているものだから。
とどのつまり、これは、仏教的な無の提示だとも言ってもいいと私は思いますが、理屈ではなく、そういう気にさせる事で、分からせる、これが、独特なのだと思う。当然そういう気になるかならざるかは、その人の経験資質による事はいうまでもない。損得勘定優先で生きている方々には、ご無理なことでしょうし、読解力と分析力至上主義の方々にもさらにご無理かと。つまり、これをなしうるには、なにも持たない裸の心があれば充分というわけなのかも。余計なものは、すべて捨てる。そこに、本当の美しさが見えてくる。優劣のない命の可愛らしさが見えてくる。
リルケは、100年も前にそれを書き残してくれた。のだと思う。
それは、主人公が見知らぬ町での散策のなかで語る病院のシ−ン。その描写はその病院の待合室での人々の様子をただ見たままありのままに語っているもの。それは、自然に自分自身の言葉と化してみえるように読まれる。その時の心の持ちようは、不思議と純粋に、無欲になってくる。そして、一見汚れたものや、汗くさい、埃っぽいものなどが親しみのある感すら思えてくる。自分は自然にそれらを受け入れているんだと気が付く。そして、りっぱに見えるものが、商業主事の一切が、しいては物質至上主義そのもが、いかに人を惑わして、拡大し、暴走している現代社会があるのだと気づかせてくれる。そんなことは多分、筆者のリルケさんは意図していないと思う。なぜなら、その病院の描写が、その方法論だとすれば、あまりにもかけ離れているものだから。
とどのつまり、これは、仏教的な無の提示だとも言ってもいいと私は思いますが、理屈ではなく、そういう気にさせる事で、分からせる、これが、独特なのだと思う。当然そういう気になるかならざるかは、その人の経験資質による事はいうまでもない。損得勘定優先で生きている方々には、ご無理なことでしょうし、読解力と分析力至上主義の方々にもさらにご無理かと。つまり、これをなしうるには、なにも持たない裸の心があれば充分というわけなのかも。余計なものは、すべて捨てる。そこに、本当の美しさが見えてくる。優劣のない命の可愛らしさが見えてくる。
リルケは、100年も前にそれを書き残してくれた。のだと思う。
2007年5月7日に日本でレビュー済み
風景を気軽な、内面の吐露、回想や雑感などが一見脈絡なくかかれている。
著者が伝えたいのは、人が生きる上で大切なこと。戻らなければならない原点なんだろうか。。。
普段は、あまりそのような原点を考えないことで気楽に生きている私が、ふと下を見るとそこには落とし穴だらけで、たまたま私は、足を踏み抜かなかっただけだということに気付かせられるような。。。
また、その恐怖こそ、私がもっとも身近に常によりそい生きているものの一つの現れで、しかも、私の人生上の問題解決の際、力の源泉となるものではないかと思わせる。
私は、この今も死につつある。しかし、死に向かって進んでいると自覚し、しっかりとその道を見定めることで、実は、もっとも生きている。
実は、それは疲れる生き方であるかもしれない。しかし、時に必要であり、崖ッぷちに瀕したときに、助けてくれる考え方を提供してくれるのではないだろうか。。。
著者が伝えたいのは、人が生きる上で大切なこと。戻らなければならない原点なんだろうか。。。
普段は、あまりそのような原点を考えないことで気楽に生きている私が、ふと下を見るとそこには落とし穴だらけで、たまたま私は、足を踏み抜かなかっただけだということに気付かせられるような。。。
また、その恐怖こそ、私がもっとも身近に常によりそい生きているものの一つの現れで、しかも、私の人生上の問題解決の際、力の源泉となるものではないかと思わせる。
私は、この今も死につつある。しかし、死に向かって進んでいると自覚し、しっかりとその道を見定めることで、実は、もっとも生きている。
実は、それは疲れる生き方であるかもしれない。しかし、時に必要であり、崖ッぷちに瀕したときに、助けてくれる考え方を提供してくれるのではないだろうか。。。
2016年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マルテは、あまりに感受性がゆたか、ガラス細工のように魂が繊細で、霊感だって持ちあわせていたのだろう。
ひょっとして、幼年時代、大きなトラウマを受け、通常の成長を妨げたのか。他人を避け、読書にふけり、内向的感性が増大していった。
彼の追憶・空想は、えてして死がまとわりついており、観察の対象も死を予感させるものが多い。
無意識下に死に接近するものだから、むこうからもマルテのほうへ蝟集してくるのだ。
本書を理解するには、ただ孤独に身をおくことでは無理だろう。これは、神経症を患った者のペンによる病的文学とさえいえる。
だから、この作品を奥底まで玩味するには、読者もある程度ビョーキでなければならぬと思う。
従って解った部分は限られた。印象的だったのは「愛されることは消えること、愛することは長い持続」。
アベローネは、キリストに「愛される」ことをおそれて、信仰につまずいている。
「愛される」とは、恐ろしい地獄なのである。
※ 写真・自己紹介は無視して下さい
ひょっとして、幼年時代、大きなトラウマを受け、通常の成長を妨げたのか。他人を避け、読書にふけり、内向的感性が増大していった。
彼の追憶・空想は、えてして死がまとわりついており、観察の対象も死を予感させるものが多い。
無意識下に死に接近するものだから、むこうからもマルテのほうへ蝟集してくるのだ。
本書を理解するには、ただ孤独に身をおくことでは無理だろう。これは、神経症を患った者のペンによる病的文学とさえいえる。
だから、この作品を奥底まで玩味するには、読者もある程度ビョーキでなければならぬと思う。
従って解った部分は限られた。印象的だったのは「愛されることは消えること、愛することは長い持続」。
アベローネは、キリストに「愛される」ことをおそれて、信仰につまずいている。
「愛される」とは、恐ろしい地獄なのである。
※ 写真・自己紹介は無視して下さい
2021年11月25日に日本でレビュー済み
訳者あとがきで「つくづくこのような小説を書かねばならなかったリルケを不幸な作家だとおもった」と記しているように、手記の断片のひとつひとつは、他の断片を引き立てる役割を担うわけでもなく、それ自体の強度を保つことを強いられたように,作為や偽りもなく書きつけられています。リルケという作家の痛ましい姿がここにあります。
四季の巡りや世の中の約束事から遅れていること、そしてそれが取り返しのつかないこと、取り返しのつかないまま途方もないことを望んでいてそれを諦めきれぬこと。それはおそらく誰の心のなかにもある、世の中というものへのズレの感覚ではないかと思います。
この苛烈な感覚を偽らず書き続けることによって、リルケは自由を得ようと苦闘したのだと思いました。
四季の巡りや世の中の約束事から遅れていること、そしてそれが取り返しのつかないこと、取り返しのつかないまま途方もないことを望んでいてそれを諦めきれぬこと。それはおそらく誰の心のなかにもある、世の中というものへのズレの感覚ではないかと思います。
この苛烈な感覚を偽らず書き続けることによって、リルケは自由を得ようと苦闘したのだと思いました。
2016年5月21日に日本でレビュー済み
思い出や昔の遠い記憶、そういったものが神聖な何かによってゆっくりと呼び戻されるような感じ。初めて読んだ時から、なにか、とても心の奥深くに届くものがありました。懐かしい昔の知り合いに会ったような温かさがあります。本に温度があるとしたら、すこし風のある人肌くらいのあたたかさでしょうか。様々な子供時代の記憶や現在の出来事がいくつにも折り重なり「マルテの手記」としてひとつになる美しさ。大事な大事な本です。
追記 : おそらく、人生の中で自分にとって重要な意味をなす本に出会うことが1、2度あると思う。私にはこの本でした。自分語りになってしまいますが、私とマルテの境遇は恐ろしいほど似ていました : 私が遠い外国の大学院にいた時、父の訃報がありました。急遽一時帰国したときには葬儀は終わっており、自分の心の拠り所であった父の生家は3ヶ月後に取り壊されることになっていました。ひどい絶望から休学して帰国したのち、鬱と診断され、毎週心療内科に行っていました。ある日、その帰り道、徒歩15分くらいのところにある美術館で催されていた展示を観ました。その中の2つがマルテの手記を題材にした作品で、本の内容が簡単に書かれた作品解説とともに、私はとても引き込まれました。美術館のショップにこの本があり、買って帰りました。前にも述べたとおり、私とマルテの境遇は似ていました : 父の死を異国の地で知ったこと、子供時代に強い影響を与えた思い出ある家がなくなったこと、本や物語の中に入り込むこと、強い孤独感。衝撃を受けました。こういった共通点があったからではありません。それらの共通点に対する反応が同じで、マルテが私の唯一の理解者だと思ったからです。それまで私は絶望していました。取り壊された父の生家は大事な場所で、そこで私は何百冊とある本に囲まれ読みふけり、様々な外国の品に触れ、私の精神世界を形作ってきました。それなのに、それがなくなる怒りや悲しみを、医者も含めて、誰も理解してくれないように感じていました。そんな時に出会ったのがマルテです。マルテが私を理解して、そしてその私にはマルテのことが良く理解できました。何度も何度も繰り返し読み、本がボロボロになったのでアマゾンで2冊目を購入しましたが、それもかなりくたびれてきました。その後、大学院に復学し、卒業論文ではマルテの手記(私は原作のドイツ語はできないので、英訳の本をリファレンスとしました)とG・ぺレックの作品("A Man Asleep") について書きました。私の専門は美術でしたが、どうしてもこの2つの文学から絶望・鬱・孤独を論じたかったのです。書き切ったあとは少しすっきりしました。また、論文は意外にも教授陣から評価されました。
今もこの本を読むと、当時の悲しみや絶望感、もはや存在しない場所への郷愁を思い出します。なぜか何度読んでも飽きないのです。本当に美しいのです。光と闇、現実と幻想・物語、過去と現在、そういったものが全てこの中にあるような気がします。訳者あとがきに「作家が一生かかってたった一つしか書けぬという種類の小説があるが、『マルテの手記』はそうした稀有な小説の一つだった。」とあります(P.322)。これが本書を端的に表しているような気がします。いわゆる物語性(起承転結)のある小説ではないので、評価が分かれるかもしれません。私が喪失や深い悲しみの中にいた時にこの本に出会ったのは、運命的なものを感じます。自分の人生に強い影響を与えた作品で、ボロボロになった二冊は親友のような存在です。
他の方のレビューでも、似たような記述があり、自分だけじゃないんだとほっとした気持ちがあり、今回追記としました。長々自分語り失礼しました。
追記 : おそらく、人生の中で自分にとって重要な意味をなす本に出会うことが1、2度あると思う。私にはこの本でした。自分語りになってしまいますが、私とマルテの境遇は恐ろしいほど似ていました : 私が遠い外国の大学院にいた時、父の訃報がありました。急遽一時帰国したときには葬儀は終わっており、自分の心の拠り所であった父の生家は3ヶ月後に取り壊されることになっていました。ひどい絶望から休学して帰国したのち、鬱と診断され、毎週心療内科に行っていました。ある日、その帰り道、徒歩15分くらいのところにある美術館で催されていた展示を観ました。その中の2つがマルテの手記を題材にした作品で、本の内容が簡単に書かれた作品解説とともに、私はとても引き込まれました。美術館のショップにこの本があり、買って帰りました。前にも述べたとおり、私とマルテの境遇は似ていました : 父の死を異国の地で知ったこと、子供時代に強い影響を与えた思い出ある家がなくなったこと、本や物語の中に入り込むこと、強い孤独感。衝撃を受けました。こういった共通点があったからではありません。それらの共通点に対する反応が同じで、マルテが私の唯一の理解者だと思ったからです。それまで私は絶望していました。取り壊された父の生家は大事な場所で、そこで私は何百冊とある本に囲まれ読みふけり、様々な外国の品に触れ、私の精神世界を形作ってきました。それなのに、それがなくなる怒りや悲しみを、医者も含めて、誰も理解してくれないように感じていました。そんな時に出会ったのがマルテです。マルテが私を理解して、そしてその私にはマルテのことが良く理解できました。何度も何度も繰り返し読み、本がボロボロになったのでアマゾンで2冊目を購入しましたが、それもかなりくたびれてきました。その後、大学院に復学し、卒業論文ではマルテの手記(私は原作のドイツ語はできないので、英訳の本をリファレンスとしました)とG・ぺレックの作品("A Man Asleep") について書きました。私の専門は美術でしたが、どうしてもこの2つの文学から絶望・鬱・孤独を論じたかったのです。書き切ったあとは少しすっきりしました。また、論文は意外にも教授陣から評価されました。
今もこの本を読むと、当時の悲しみや絶望感、もはや存在しない場所への郷愁を思い出します。なぜか何度読んでも飽きないのです。本当に美しいのです。光と闇、現実と幻想・物語、過去と現在、そういったものが全てこの中にあるような気がします。訳者あとがきに「作家が一生かかってたった一つしか書けぬという種類の小説があるが、『マルテの手記』はそうした稀有な小説の一つだった。」とあります(P.322)。これが本書を端的に表しているような気がします。いわゆる物語性(起承転結)のある小説ではないので、評価が分かれるかもしれません。私が喪失や深い悲しみの中にいた時にこの本に出会ったのは、運命的なものを感じます。自分の人生に強い影響を与えた作品で、ボロボロになった二冊は親友のような存在です。
他の方のレビューでも、似たような記述があり、自分だけじゃないんだとほっとした気持ちがあり、今回追記としました。長々自分語り失礼しました。
2011年4月4日に日本でレビュー済み
この本を最初に手にとったのは、まだ中学生のころだったと思います。そのときの本をまだ持っています。「断片的感想、備忘ノート、散文詩の一節(・・・)、日記、手紙などを一冊にまとめ上げた手記体の小説」とカバーの宣伝文にあり、明確なストーリーがないようなので、きっとむずかしいのだろうなと思いつつ読み始めたのですが、冒頭の一節ではまりました。
「人は生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、ぼくはむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。」
続けて描かれるパリの街頭の描写は、都会の華やかさはまるでなく、そこに住まう人々は孤独で、互いに語り合うこともなく、己の運命とだけ向き合わされているような貧しい人々ばかりなのです。そんな病的なまでにモノクロームの描写にとらわれたのは、大人になり始めた私の心の中の孤独とあまりにもぴったり響き合うところがあったからです。
この本を読んだことはその後の私の人生を決定したということができます。都会の中の孤独な生の予感。自分自身の死を死ぬために従僕たちや猟犬を引きつれ、大騒ぎして屋敷のなかをあちこち病床を移してまわった、主人公の祖父、侍従ブリッゲのような、壮絶な死は望むべくもなく、無名の死を死ぬのなら、せめて自分が生きた証を作らなければならない。
まずは勉強していい大学に入ろう。その中で自分が自分である生を見出していこう。そう決めて入った東京の大学で見えてきた未来は、マルテのような不安に満ちた生き方ではなかったものの、自分が生きた証を残せるほど確実なものではなく、卒業して、就職して、入った会社を辞め、別の会社に就職して、ただいたずらに時間だけが流れていきました。
でも結婚して子供ができると、最初の願望はあっさりかなってしまったような気がしました。単純な話です。以来この本は私から少し遠ざかりましたが、こんどは青春の感動の正体をもう一度確かめるために原文で読もうと、10年ほど前から辞書を片手に少しずつ読んでいます。
読み直して思うのは、ここに書かれてあることはぜんぜん古びていないな、ということ。核家族がさらに解体されて個人世帯が増え、グローバル化で雇用が不安定になった今日、マルテのように都会で孤独な生活を送っている人はかえって増えているでしょう。
いま孤独な人はこの本を読んでみてください。元気はもらえませんが、自分がいま孤独であることの意味は必ず見つかります。
「人は生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、ぼくはむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。」
続けて描かれるパリの街頭の描写は、都会の華やかさはまるでなく、そこに住まう人々は孤独で、互いに語り合うこともなく、己の運命とだけ向き合わされているような貧しい人々ばかりなのです。そんな病的なまでにモノクロームの描写にとらわれたのは、大人になり始めた私の心の中の孤独とあまりにもぴったり響き合うところがあったからです。
この本を読んだことはその後の私の人生を決定したということができます。都会の中の孤独な生の予感。自分自身の死を死ぬために従僕たちや猟犬を引きつれ、大騒ぎして屋敷のなかをあちこち病床を移してまわった、主人公の祖父、侍従ブリッゲのような、壮絶な死は望むべくもなく、無名の死を死ぬのなら、せめて自分が生きた証を作らなければならない。
まずは勉強していい大学に入ろう。その中で自分が自分である生を見出していこう。そう決めて入った東京の大学で見えてきた未来は、マルテのような不安に満ちた生き方ではなかったものの、自分が生きた証を残せるほど確実なものではなく、卒業して、就職して、入った会社を辞め、別の会社に就職して、ただいたずらに時間だけが流れていきました。
でも結婚して子供ができると、最初の願望はあっさりかなってしまったような気がしました。単純な話です。以来この本は私から少し遠ざかりましたが、こんどは青春の感動の正体をもう一度確かめるために原文で読もうと、10年ほど前から辞書を片手に少しずつ読んでいます。
読み直して思うのは、ここに書かれてあることはぜんぜん古びていないな、ということ。核家族がさらに解体されて個人世帯が増え、グローバル化で雇用が不安定になった今日、マルテのように都会で孤独な生活を送っている人はかえって増えているでしょう。
いま孤独な人はこの本を読んでみてください。元気はもらえませんが、自分がいま孤独であることの意味は必ず見つかります。