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神さまの話 (新潮文庫) 文庫 – 1953/6/12
神さまの手の話、貧しい人々の話、指貫の話、芸術家の話……。2ヶ月にわたるロシア旅行を通じて、敬虔で素朴な民衆の姿に感動した若きリルケ。彼はその後“神さま"という一本の糸で貫かれた13の珠玉から成る短編集を7晩で一気に書きあげた。子供のための話を大人に話して聞かせるスタイルを取り、それぞれの話が淡いパステル画を思わせ、まるでおとぎ話のように静かに語られる。
- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1953/6/12
- ISBN-104102175040
- ISBN-13978-4102175040
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1953/6/12)
- 発売日 : 1953/6/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 206ページ
- ISBN-10 : 4102175040
- ISBN-13 : 978-4102175040
- Amazon 売れ筋ランキング: - 419,207位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年9月10日に日本でレビュー済み
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大変良かった。
2011年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「若き詩人への手紙・若き女性への手紙」を購入する際に一緒に買ってみました。いずれのお話も、神様は人の形をされており、我々の近くで我々をあるときは試し、あるときは助けてくれるお話です。(キリスト教的)神様のあり方を、子供たちに説くことを目的にしているのでしょうが、語り手(リルケ)が大人を相手に語る構成をとることで抵抗なく(どうせ、子供向けでしょ、だなんて思うことなく)、リルケの世界に入れます。一気に読むのではなく、枕元に置き、眠りに落ちる前の短い間、少しずつページを繰るのが似合う本です。
2008年2月18日に日本でレビュー済み
本書は当時オーストリア領だった現チェコの首都プラハに生まれた20世紀の詩人リルケが若き日のロシア旅行から帰国後たった7日間で書き上げた、神さまについての13のお伽噺を集めた短編集です。本書の構成は最後の一編を除いて、作者らしい青年が最初に大人に伝えて後に子どもたちにお話する様に依頼するという体裁を取っています。青年の話は、作中人物が思わずそれでおしまいなの?と聞き返す程に尻切れとんぼに終わるパターンが多く、私も読んでいて最初は作者が何を言いたいのか判然とせず苛立ちもしましたが、次第に終わりに近づくにつれて作者の意図が見えてきました。作中で青年が語る相手の受け取り方によって素晴らしい話にも、まるっきりつまらない話にも聞こえるように、いろんな可能性を秘めたまま読み手に想像する楽しみを残してくれているのだと。死についての不安に満ちた曖昧な結末や、乞食への憐みの心遣いが心に残りましたが、何といっても最後の『闇にきかせた話』が秀逸です。ある男が懐かしい故郷の町へ十二年振りに帰郷します。やがて男は幼年時代の思い出の中にいた女の子を探します。そして、事情により今でいう所のシングル・マザーとなった女性と再会するのですが、話し合う内に不意に昔いっしょに過ごした時の情景が時間を飛び越えて二人の心の中で鮮やかに甦るのです。ふたりが共有する思い出や感情は言葉で表せませんが、まるで夢のような淡い心象風景が伝わって来ます。感動的で暖かくロマンチックな余韻が漂う幸福感に満ちた素晴らしいエンディングの物語です。1900年に出版された100年以上の時を超えて読み継がれる名作を、どうぞお楽しみ下さいね。
2014年12月13日に日本でレビュー済み
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子どもたちは、神さまはどこにいるのか、どんな顔をしているのか、どんな言葉を話すのかと、しきりに尋ねます。
無限に青い天の半球は、神ではありませんが、神を想起させます。この本の芸術家たちは、指貫や民の歌、弦の音の緩急、そして、石の中にさえ、神を見出します。
ここには13の短い物語が収められています。「石に耳を傾けるひとについて」には、ミケランジェロが登場します。この彫刻家は、一塊の岩石の中から、息絶えたイエスを抱くマリアの手のわななきを取り出します。そのミケランジェロに神は問います。では、「おまえのなかに、だれがいるのじゃ」。「神さま、あなたです」(p.109)とかすかな声で答えます。
幼馴染と再会した婦人は感慨深く語ります。彼女は神のことをすっかり忘れていたけれども、ある時期から、「生れてはじめて、物を見たり、聞いたり、感じたり、悟ったり・・・感謝することを学び」「改めてまた、神について考えるようになったのです。すると、いたるところに、神の痕跡が、ございました。どの絵に接しましても、神の微笑のなごりが、認められましたし、鐘の音は、いまだに生き生きと、神の声を、伝えていました。彫刻を見ましても、神の手の型が、ありありと、見てとれました」(p.189)。
生きることは、生きている世界の奥中に、神を見つけ出すことかもしれません。ならば、死は何なのでしょうか。「死人とは、おそらく生について沈思熟考するために、身を退いてしまったひとたちだと、思います」(p.74)。死は、生と断絶されていなかったのです。死人が静かに黙して思い巡らしている生の中庭には、愛する人びと、そして、神が座していることでしょう。
けれども、この13編全編に神がすんなりと見つかるわけでもありません。「話のなかに神さまがおられるかどうかは、その話がすっかり終わってからでないと、はっきりとわからない」「物語の結びのあとにつづく、ひとしきりの沈黙だけが、欠けているような場合でさえも、神さまの出てくる望みは、まだまだあるわけですからな」(p.70)。
いたるところに神の痕跡があると言っても、13編の物語のどこが「神さまの話」なのか、かならずしも明確なわけではありません。語り手は、最後の話は「闇」に聞かせています。13編のどこそこに神がいると正解を出すことよりも、闇に語られたものを闇で聴くことの方が、ずっと大切なのかもしれません。
無限に青い天の半球は、神ではありませんが、神を想起させます。この本の芸術家たちは、指貫や民の歌、弦の音の緩急、そして、石の中にさえ、神を見出します。
ここには13の短い物語が収められています。「石に耳を傾けるひとについて」には、ミケランジェロが登場します。この彫刻家は、一塊の岩石の中から、息絶えたイエスを抱くマリアの手のわななきを取り出します。そのミケランジェロに神は問います。では、「おまえのなかに、だれがいるのじゃ」。「神さま、あなたです」(p.109)とかすかな声で答えます。
幼馴染と再会した婦人は感慨深く語ります。彼女は神のことをすっかり忘れていたけれども、ある時期から、「生れてはじめて、物を見たり、聞いたり、感じたり、悟ったり・・・感謝することを学び」「改めてまた、神について考えるようになったのです。すると、いたるところに、神の痕跡が、ございました。どの絵に接しましても、神の微笑のなごりが、認められましたし、鐘の音は、いまだに生き生きと、神の声を、伝えていました。彫刻を見ましても、神の手の型が、ありありと、見てとれました」(p.189)。
生きることは、生きている世界の奥中に、神を見つけ出すことかもしれません。ならば、死は何なのでしょうか。「死人とは、おそらく生について沈思熟考するために、身を退いてしまったひとたちだと、思います」(p.74)。死は、生と断絶されていなかったのです。死人が静かに黙して思い巡らしている生の中庭には、愛する人びと、そして、神が座していることでしょう。
けれども、この13編全編に神がすんなりと見つかるわけでもありません。「話のなかに神さまがおられるかどうかは、その話がすっかり終わってからでないと、はっきりとわからない」「物語の結びのあとにつづく、ひとしきりの沈黙だけが、欠けているような場合でさえも、神さまの出てくる望みは、まだまだあるわけですからな」(p.70)。
いたるところに神の痕跡があると言っても、13編の物語のどこが「神さまの話」なのか、かならずしも明確なわけではありません。語り手は、最後の話は「闇」に聞かせています。13編のどこそこに神がいると正解を出すことよりも、闇に語られたものを闇で聴くことの方が、ずっと大切なのかもしれません。
2002年5月25日に日本でレビュー済み
『あなたはかみさまをおぼえていますか?』
神様の左手の話。 イタリアのユダヤ老人の話、ロシアの皇帝の話。
芸術家たちの話、ゆびぬきの話、幼なじみに再会する医者の話。
淡い水彩画のような印象を与える短編が、静かに穏やかに語られていきます。一見ばらばらにみえる話は、実は神様が出てくる、ということが
共通点なのだとか。
神様がいない話なんて存在しないじゃないか、と話し手は言うのですが。
神様の左手の話。 イタリアのユダヤ老人の話、ロシアの皇帝の話。
芸術家たちの話、ゆびぬきの話、幼なじみに再会する医者の話。
淡い水彩画のような印象を与える短編が、静かに穏やかに語られていきます。一見ばらばらにみえる話は、実は神様が出てくる、ということが
共通点なのだとか。
神様がいない話なんて存在しないじゃないか、と話し手は言うのですが。
2018年8月20日に日本でレビュー済み
1953年の本。リルケの短編集である。神さま論なのだが、神さまの存在に対する確信というか、宗教的な話ばかりでどうにもおもしろくなかった。