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コズモポリス (新潮文庫 テ 25-1) 文庫 – 2013/1/28
- 本の長さ318ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2013/1/28
- 寸法10.8 x 1.2 x 15.2 cm
- ISBN-104102183213
- ISBN-13978-4102183212
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2013/1/28)
- 発売日 : 2013/1/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 318ページ
- ISBN-10 : 4102183213
- ISBN-13 : 978-4102183212
- 寸法 : 10.8 x 1.2 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 606,471位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年11月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
折角主人公がロスコの絵を全部買いたいと告白するにも拘わらず、一向にそれを掘り下げて、なぜロスコの絵画が欲しいのかが、さっぱり表されていない。映画ではそれは、リムジン車の中に張り巡らせたモニター画面でロスコチャペルの円形建築とその壁に張り巡らせた彼の絵画との関係を暗示している。やはりこうでなくちゃ。
2013年2月11日に日本でレビュー済み
飛躍に飛躍を重ねるストーリーは、早送りで映像を見ているようで、正直不快。
そもそもストーリー自体が散漫だ。主人公の行動に必然性を感じない。
ただただ観念的な言葉遊びと思って、本を閉じる。
そもそもストーリー自体が散漫だ。主人公の行動に必然性を感じない。
ただただ観念的な言葉遊びと思って、本を閉じる。
2013年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「自分を助けてくれなかったから、アンナを殺す」と言われて殺された主人公。正当な経済行為の結末がこのような結果を招きかねないという、警告になる。
2013年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本作のレビューはタイトルがすべてで終わってしまいそうなのだが、主人公のエリックはリムジンの中で膨大な情報と為替の世界に取り巻かれている。その前半の記述は観念的な思索と会話が交錯し、エリックはそれらの世界の中で確かな生の実感を得ることができない様が描かれる。しかし、その実感値の無さもリムジンから抗議デモの人たちの中で、焼身自殺をする人間を見たときから、エリックの中で何かが変わり始めるのだ。ここから前半の記述との対比でエリックの生がある意味でのシンプルさと、いい意味での生々しさを帯びてくる。他者との交流、セックス、自分の命を守り、かつ狙うものとの関わり。すべてが人間としての実感を帯びた色合いに変わっていく様をドン・デリーロは描く。僕は本作を読みながら、後半に入っていくにしたがって、前半の観念的な描写が何を意味しているのかがあぶりだされ、じわじわと理解が深まってきた。〜ドン・デリーロの作家としての興味深さの一つは、作品が再読に値する何かをその作劇術とテーマのコアに必ず秘めているところにあると思う。本作の作劇に関して簡単に触れれば、前半の観念的な記述が読みづらく僕の中では「これは手法としてどうなのかな・・・?」という疑問が残るが、最後まで読み通した結果からいうと、暫く時間をおいてから本作を再度読み直してみたい気持ちになり、このレビューを書いている次第だ。
追記・ドン・デリーロという作家は本当にすごい世界を描きますね。これだけ再読したくなる作家は非常に稀有な存在だと思います。本書の巻末には、2010年に書かれた「ポイント・オメガ」と初期からの短編を集めたものが現在翻訳中と訳者の上岡氏が記載していますが、出版が楽しみです。蛇足・それにしてもドン・デリーロの作品はほとんど絶版で高値がついているのが残念。個人的には早々にノーベル文学賞を受賞してすべて復刊になり、デビュー時からの未訳のものも出版されることを期待します。
追記・ドン・デリーロという作家は本当にすごい世界を描きますね。これだけ再読したくなる作家は非常に稀有な存在だと思います。本書の巻末には、2010年に書かれた「ポイント・オメガ」と初期からの短編を集めたものが現在翻訳中と訳者の上岡氏が記載していますが、出版が楽しみです。蛇足・それにしてもドン・デリーロの作品はほとんど絶版で高値がついているのが残念。個人的には早々にノーベル文学賞を受賞してすべて復刊になり、デビュー時からの未訳のものも出版されることを期待します。
2013年2月26日に日本でレビュー済み
文学はイメージを操作するものだ。
印象操作だ。
アメリカ文学の巨匠が この程度のイメージで満足なわけ?
ぜんっぜんオモンナかってんけど。
何よりも、セックスのシーンで こちらの息子がボッッキ出来なかったのが 何とも残念だ。
アメリカ・アマゾンでも評価は低い。
当然だろう。
映画化されたらしいが、ヒットしたとしたら、奇跡か、よっぽど脚色が上手いってことだが、
それをwikiで調べる気にもならない。
ポールオースターも狭い領域に迷いこんでることだし、
これから期待できるアメリカ人作家は ハ・ジンさんだけだなあ。
って、主人公の口ぶりが少し伝染してしまったようだ。
すまんな。
ちなみに、翻訳だが、どうなんだろうか。
明かな力量不足なようにも思えるし、原文が難解ならば
これくらいが限界かも知れない。
まあ、文庫本への投資がムダになった形だが、デリーロを初体験できたことだし、まあよしとしよう。
わしが思うに、デリーロくんはコーマック・マッカーシーの「ノー・カントリー」に衝撃を受けすぎたんじゃなかろうか。
印象操作だ。
アメリカ文学の巨匠が この程度のイメージで満足なわけ?
ぜんっぜんオモンナかってんけど。
何よりも、セックスのシーンで こちらの息子がボッッキ出来なかったのが 何とも残念だ。
アメリカ・アマゾンでも評価は低い。
当然だろう。
映画化されたらしいが、ヒットしたとしたら、奇跡か、よっぽど脚色が上手いってことだが、
それをwikiで調べる気にもならない。
ポールオースターも狭い領域に迷いこんでることだし、
これから期待できるアメリカ人作家は ハ・ジンさんだけだなあ。
って、主人公の口ぶりが少し伝染してしまったようだ。
すまんな。
ちなみに、翻訳だが、どうなんだろうか。
明かな力量不足なようにも思えるし、原文が難解ならば
これくらいが限界かも知れない。
まあ、文庫本への投資がムダになった形だが、デリーロを初体験できたことだし、まあよしとしよう。
わしが思うに、デリーロくんはコーマック・マッカーシーの「ノー・カントリー」に衝撃を受けすぎたんじゃなかろうか。
2013年5月1日に日本でレビュー済み
物語の主軸は、投資会社パッカー・キャピタルの天才青年社長が、ある朝床屋に行くため、マンハッタン47丁目1番街の48室もある自宅マンションからストレッチ・リムジンに乗り、10番街まで行くというだけの流れ。渋滞の中、多くの社員が車に同乗したり、彼自身も下車したりする。そこで交わされる思索的な会話がこの小説の内容であり、テーマなのである。だが冒頭の「彼が死んでも彼は終わらないだろう。世界が終わるのだ」は何を指すだろう。
物語の前半が資本主義の行き止まりを描いている、と言うのは判る。ニューヨークという世界に屹立した国際都市(cosmopolis)で活躍するビジネスマン。彼等の視点からは、反政府デモは言うに及ばず、第3世界の圧政までも市場文化のシステムに組込み済みである。「創造的破壊」(シュンペーターの言葉)、は資本主義思想の特質であるのだ。 この世界に必要なのは記号化された数字。すべてグラフ化可能なシステム。システムが表現できない世界は実在しないのと同じ(ボードリャールの言)。「時が金を作る」ではなく、「金が時を作る」。その「現在」という時はシステムの上で数十億分の1秒単位まで細分化され、無に等しい。
システムはもはや実体経済とは無関係に動く。相場は財務大臣が演説中に「間」をおいただけで上下する。もはや金は資産、権力、能力の指標ではない。金で買うのは「支払った金額」という数字だけ。「ネズミ」が通貨単位であっても少しもおかしくない。これらはエリックが彼の部下たちと会話した内容だ。
そのエリックに「疑いの要素が入り込」む。完璧均衡であるはずの世界で彼の身体が抱え込んでいる前立腺の非対称。「彼は自身をひ弱を感じ、落ち着きを失う」。これと同様に「予測可能な傾向や力」は実のところ「すべて脈絡のない現象に過ぎず」、「制御しきれないシステムを扱っているに過ぎない」のではないか、と彼は考え出す。
エリックはかつて狩りの途中で一頭の虎を見た。「超越の刺すような痛み」を伴った純粋たる現在性。そこにこそ帰らなければならない。それには彼の立っているシステムの外に出ること。つまり徹底的な自己破産をすること。
唐突だが、すべてを投げ捨ててシステムの外にでること。この極限状態は、自ずと東洋思想=禅で言う、「心身総解脱」「則天去私」につながるのではないか。日本人なら唾棄すべき程通俗化されている思考も、西洋人に対しては近代自我の行き止まりにあって、新鮮さを感じる思想かも知れない。そもそもエリックが「円」の予測不可能性によって「解脱」したと考えるなら、この小説には最初から「東洋思想」が含蓄されていると言える。心身総解脱は自然との一体感を取りすこと、システムで失われた身体性を取り返すこと、とデリーロは考えているように見える。
後半では彼は思索の「繭」、彼のリムジンから出て、短期間に多様な身体的なシステム外経験をする。レイヴパーティを訪れ、ブルーサ・フェズの葬式でブレーク・ダンスやスーフィ・ダンスを観る。すべてが彼の身体感を取り戻す。パイ投げ男を殴る肉体的な感触は、彼を「勇気に満ちあふれる」。その途中でセキュリティ主任トーヴィルを殺す。彼はシステムの上に君臨するメタシステム存在なのだから仕方ない。
夜になって閉店した床屋に到達する。彼が育った町。そこでの会話も勤務中に何処で小便をしたという身体にまつわる話。リムジンの運転手が祖国で受けたらしい拷問の跡を見て、苦痛という身体性を見て取るエリック。ロケ現場に行き当たり、全裸の群衆の中に寝そべる、死んでいるのか生きているのか判らない。冒頭の「彼が死んでも彼は終わらないだろう。世界が終わるのだ」が、ここにいたって理解される。
遂に彼をつけ狙っているベノ・レヴェンに捕らえられる。殺される前に究極の身体性を取り戻してみたい。彼は自分の手を撃つ。激痛と恍惚感・・・。
エリックは他のデリーロ作品の登場人物と同様、状況に対して常に受け身である。この小説でも彼はもっぱら聞き役に徹し、積極的に語ってはいない。状況を登場人物の身体の奥深くに染み入らせる方法で、作家は世界を読者に染み込ませて入ると読める。最高の作家である。
物語の前半が資本主義の行き止まりを描いている、と言うのは判る。ニューヨークという世界に屹立した国際都市(cosmopolis)で活躍するビジネスマン。彼等の視点からは、反政府デモは言うに及ばず、第3世界の圧政までも市場文化のシステムに組込み済みである。「創造的破壊」(シュンペーターの言葉)、は資本主義思想の特質であるのだ。 この世界に必要なのは記号化された数字。すべてグラフ化可能なシステム。システムが表現できない世界は実在しないのと同じ(ボードリャールの言)。「時が金を作る」ではなく、「金が時を作る」。その「現在」という時はシステムの上で数十億分の1秒単位まで細分化され、無に等しい。
システムはもはや実体経済とは無関係に動く。相場は財務大臣が演説中に「間」をおいただけで上下する。もはや金は資産、権力、能力の指標ではない。金で買うのは「支払った金額」という数字だけ。「ネズミ」が通貨単位であっても少しもおかしくない。これらはエリックが彼の部下たちと会話した内容だ。
そのエリックに「疑いの要素が入り込」む。完璧均衡であるはずの世界で彼の身体が抱え込んでいる前立腺の非対称。「彼は自身をひ弱を感じ、落ち着きを失う」。これと同様に「予測可能な傾向や力」は実のところ「すべて脈絡のない現象に過ぎず」、「制御しきれないシステムを扱っているに過ぎない」のではないか、と彼は考え出す。
エリックはかつて狩りの途中で一頭の虎を見た。「超越の刺すような痛み」を伴った純粋たる現在性。そこにこそ帰らなければならない。それには彼の立っているシステムの外に出ること。つまり徹底的な自己破産をすること。
唐突だが、すべてを投げ捨ててシステムの外にでること。この極限状態は、自ずと東洋思想=禅で言う、「心身総解脱」「則天去私」につながるのではないか。日本人なら唾棄すべき程通俗化されている思考も、西洋人に対しては近代自我の行き止まりにあって、新鮮さを感じる思想かも知れない。そもそもエリックが「円」の予測不可能性によって「解脱」したと考えるなら、この小説には最初から「東洋思想」が含蓄されていると言える。心身総解脱は自然との一体感を取りすこと、システムで失われた身体性を取り返すこと、とデリーロは考えているように見える。
後半では彼は思索の「繭」、彼のリムジンから出て、短期間に多様な身体的なシステム外経験をする。レイヴパーティを訪れ、ブルーサ・フェズの葬式でブレーク・ダンスやスーフィ・ダンスを観る。すべてが彼の身体感を取り戻す。パイ投げ男を殴る肉体的な感触は、彼を「勇気に満ちあふれる」。その途中でセキュリティ主任トーヴィルを殺す。彼はシステムの上に君臨するメタシステム存在なのだから仕方ない。
夜になって閉店した床屋に到達する。彼が育った町。そこでの会話も勤務中に何処で小便をしたという身体にまつわる話。リムジンの運転手が祖国で受けたらしい拷問の跡を見て、苦痛という身体性を見て取るエリック。ロケ現場に行き当たり、全裸の群衆の中に寝そべる、死んでいるのか生きているのか判らない。冒頭の「彼が死んでも彼は終わらないだろう。世界が終わるのだ」が、ここにいたって理解される。
遂に彼をつけ狙っているベノ・レヴェンに捕らえられる。殺される前に究極の身体性を取り戻してみたい。彼は自分の手を撃つ。激痛と恍惚感・・・。
エリックは他のデリーロ作品の登場人物と同様、状況に対して常に受け身である。この小説でも彼はもっぱら聞き役に徹し、積極的に語ってはいない。状況を登場人物の身体の奥深くに染み入らせる方法で、作家は世界を読者に染み込ませて入ると読める。最高の作家である。
2013年4月24日に日本でレビュー済み
映画のトレーラーを見て興味がわいた作品でしたが、レビューを見ると難しいとか理解できないとかが多かったのでまず書籍で!!
と思い購入しましたが、内容は若き成功者エリックの精神面がものすごく全面に出ている作品だなと思いました。
映像にするともう少し変わった角度から見れる作品なのかもしれませんが、やはり難しかった!!
一度成功した人って転落する事を恐れて守りにはいるのか、
それとも強気にガンガン攻めるのかどうなんだろう?なんて素朴な疑問も出ました。
初めからわかっていたけど、女性には向いてない作品かな?
と思い購入しましたが、内容は若き成功者エリックの精神面がものすごく全面に出ている作品だなと思いました。
映像にするともう少し変わった角度から見れる作品なのかもしれませんが、やはり難しかった!!
一度成功した人って転落する事を恐れて守りにはいるのか、
それとも強気にガンガン攻めるのかどうなんだろう?なんて素朴な疑問も出ました。
初めからわかっていたけど、女性には向いてない作品かな?
2014年1月9日に日本でレビュー済み
物語のストーリーは多くの人が語り、映画化もされているので記載しません。
原文を読むことができないので、どこまで正確がわかりませんが、翻訳書であることが、ひとつの面白さを醸しているように感じます。様々な情報、単語がダイレクトではなくなにかモニタの中のようなバーチャルな印象を加速します。様々な細胞を細かく覗いているようなイメージ。
情報なのか、言語なのか、物語なのか?
すべてが魚群のようで、近づき、離れる、そのような印象の書籍でした。
原文を読むことができないので、どこまで正確がわかりませんが、翻訳書であることが、ひとつの面白さを醸しているように感じます。様々な情報、単語がダイレクトではなくなにかモニタの中のようなバーチャルな印象を加速します。様々な細胞を細かく覗いているようなイメージ。
情報なのか、言語なのか、物語なのか?
すべてが魚群のようで、近づき、離れる、そのような印象の書籍でした。