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シェルタリング・スカイ (新潮文庫 ホ 8-1) 文庫 – 1991/1/1
- 本の長さ447ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1991/1/1
- ISBN-104102338012
- ISBN-13978-4102338018
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年6月12日に日本でレビュー済み
原作を読んでないだけでなく、男の影響であることが今さらながらしみじみ分かる寂寥。十数年ぶりに精読。
2019年6月11日に日本でレビュー済み
『シェルタリング・スカイ』(ポール・ボウルズ著、大久保康雄訳、新潮文庫)を読み始めた途端、ぐいぐいと引きずり込まれ、一気に読み通してしまいました。これは圧倒的に暴力的、官能的、背徳的な小説です。
ニューヨークの有閑階級に属する若いポート&キット・モレズビー夫妻は、社交界で知り合った男性・タナーと共に、アフリカへ旅立ちます。北アフリカのアルジェからサハラ砂漠の奥へ奥へと旅が続きます。夫妻は倦怠期にあり、キットは一夜、タナーに身を許してしまいます。ポートは医療施設の乏しい奥地でチフスに罹り、苦しんだあげく命を落とします。一人残されたキットは、漠然とした衝動に駆られ、通りかかったアラビア人の隊商の若い頭目に同行させてほしいと頼み込みます。頭目たちから犯され、頭目のハレムに幽閉されたキットは、心身ともに崩壊し、とても正常とは言えない人間になり果ててしまいます。ハレムから逃げ出し、現地のフランス警備隊らによって、アフリカでの出発地・アルジェに連れ戻されてきたところで、物語は終わっています。
アメリカ・ヨーロッパ文明とアフリカ文明の衝突、秩序と混乱、清浄と汚濁、静寂と高まるリズム、対話と暴力、尊重と凌辱、自制と放縦、禁欲と官能陶酔、誠実と欺瞞、正常と異常、憧憬と現実、そして、生と死――が、感傷を排した冷酷な筆致で、これでもかこれでもかと描かれていきます。その迫力たるや、尋常ではありません。読んでいる自分も、精神が崩壊しかねない危険な作品です。
「いまや彼ら(頭目とキット)の愛の所作は日中行われるようになっていた。・・・彼ら(隊商の一同)のあいだでは、彼女は強い関心と、つきぬ議論の種になってはいたが、しかし何よりもまず彼女は彼らの頭目たちに属する財産の一片にほかならなかった。頭目たちが肩に背負って持ち歩いている、やわらかいなめし皮の袋に一杯つまった銀同様、彼らにとっては犯すべからざる高嶺の花であった」。
「(頭目の)ベルカシムは毎日午後のさなかに(閉じ込められているキットの部屋を)訪ねてきて、暮れかかる時分までいた。彼が立ち去ったあと、暗いなかに一人きりで横たわっていると、彼の大胆でたくましい、しつこいやり方が思い出され、それとともに彼女は考えるのであった。ベルカシムの三人の妻たちは、きっとほとんど相手にされないので悩んでいるにちがいない。・・・しかしながら、彼女はいま、毎日ベルカシムの傍らで過される燃えるような数時間のあいだのみ真実生きているといえる状態であったから、彼に向って、妻たちの疑惑を消すために自分に惜しみなく注がれる愛の流れをもうすこし減らすようにと忠告することなど思ってみるだけでも堪えられなかった」。
「彼女は二六時中、窓のない部屋のなかで暮し、そしてたいがいは白い枕がいくつも乱雑に積み上げられたベッドに横たわっていた。ベルカシムがそばにいるという記憶もしくは期待以外の何ものをも彼女の心はとどめなくなっていた。彼がベッドの階段をあがってきてカーテンを開いてなかへ入り、傍らに寝そべって彼女の衣裳を脱がせるゆるやかな儀式をはじめるとき、それまで彼女が無為にすごした時間は、はじめてその全き意味を獲得するのであった。彼が立ち去ると、疲労と満足感の微妙にまじりあった状態が、そのあと長いことつづく。彼女は半ば眼を見ひらいたまま放心した快感の靄で浴みする。そういう状態を彼女は、ほどなく当り前のこととして受け入れるようになり、その後は、あたかも麻薬や何ぞのように欠くべからざるものと考えるようになった」。
ニューヨークの有閑階級に属する若いポート&キット・モレズビー夫妻は、社交界で知り合った男性・タナーと共に、アフリカへ旅立ちます。北アフリカのアルジェからサハラ砂漠の奥へ奥へと旅が続きます。夫妻は倦怠期にあり、キットは一夜、タナーに身を許してしまいます。ポートは医療施設の乏しい奥地でチフスに罹り、苦しんだあげく命を落とします。一人残されたキットは、漠然とした衝動に駆られ、通りかかったアラビア人の隊商の若い頭目に同行させてほしいと頼み込みます。頭目たちから犯され、頭目のハレムに幽閉されたキットは、心身ともに崩壊し、とても正常とは言えない人間になり果ててしまいます。ハレムから逃げ出し、現地のフランス警備隊らによって、アフリカでの出発地・アルジェに連れ戻されてきたところで、物語は終わっています。
アメリカ・ヨーロッパ文明とアフリカ文明の衝突、秩序と混乱、清浄と汚濁、静寂と高まるリズム、対話と暴力、尊重と凌辱、自制と放縦、禁欲と官能陶酔、誠実と欺瞞、正常と異常、憧憬と現実、そして、生と死――が、感傷を排した冷酷な筆致で、これでもかこれでもかと描かれていきます。その迫力たるや、尋常ではありません。読んでいる自分も、精神が崩壊しかねない危険な作品です。
「いまや彼ら(頭目とキット)の愛の所作は日中行われるようになっていた。・・・彼ら(隊商の一同)のあいだでは、彼女は強い関心と、つきぬ議論の種になってはいたが、しかし何よりもまず彼女は彼らの頭目たちに属する財産の一片にほかならなかった。頭目たちが肩に背負って持ち歩いている、やわらかいなめし皮の袋に一杯つまった銀同様、彼らにとっては犯すべからざる高嶺の花であった」。
「(頭目の)ベルカシムは毎日午後のさなかに(閉じ込められているキットの部屋を)訪ねてきて、暮れかかる時分までいた。彼が立ち去ったあと、暗いなかに一人きりで横たわっていると、彼の大胆でたくましい、しつこいやり方が思い出され、それとともに彼女は考えるのであった。ベルカシムの三人の妻たちは、きっとほとんど相手にされないので悩んでいるにちがいない。・・・しかしながら、彼女はいま、毎日ベルカシムの傍らで過される燃えるような数時間のあいだのみ真実生きているといえる状態であったから、彼に向って、妻たちの疑惑を消すために自分に惜しみなく注がれる愛の流れをもうすこし減らすようにと忠告することなど思ってみるだけでも堪えられなかった」。
「彼女は二六時中、窓のない部屋のなかで暮し、そしてたいがいは白い枕がいくつも乱雑に積み上げられたベッドに横たわっていた。ベルカシムがそばにいるという記憶もしくは期待以外の何ものをも彼女の心はとどめなくなっていた。彼がベッドの階段をあがってきてカーテンを開いてなかへ入り、傍らに寝そべって彼女の衣裳を脱がせるゆるやかな儀式をはじめるとき、それまで彼女が無為にすごした時間は、はじめてその全き意味を獲得するのであった。彼が立ち去ると、疲労と満足感の微妙にまじりあった状態が、そのあと長いことつづく。彼女は半ば眼を見ひらいたまま放心した快感の靄で浴みする。そういう状態を彼女は、ほどなく当り前のこととして受け入れるようになり、その後は、あたかも麻薬や何ぞのように欠くべからざるものと考えるようになった」。
2005年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
空が暗黒から地上をシェルターとして守っているとしたら・・・その暗黒を覗いてしまった人間はどうなると思いますか。それがわかる絶好の場所がサハラ砂漠だったら。暗黒を見つけてしまった男女は悲劇の結末を迎えることに、いや、悲劇ではないかもしれません。
ベルトルッチもこの小説を映画化することはやはり無理だったと言わざるを得ません。映画の印象と本書を読んだ印象はまったく違いました。ここまで深い話だったとは。
その暗黒は二人のアメリカ人の男女にとっては北アフリカのアラブ人たちだったとは。その砂漠の生活の描写はあまりに神秘的である意味ですごくリアルで人間の心理の深層を明らかにするものです。
アメリカが今イスラムの中東と格闘している現代にまったく違和感なくあてはまるこの暗喩。さすが、ボウルズ。珠玉の一品でした。
ベルトルッチもこの小説を映画化することはやはり無理だったと言わざるを得ません。映画の印象と本書を読んだ印象はまったく違いました。ここまで深い話だったとは。
その暗黒は二人のアメリカ人の男女にとっては北アフリカのアラブ人たちだったとは。その砂漠の生活の描写はあまりに神秘的である意味ですごくリアルで人間の心理の深層を明らかにするものです。
アメリカが今イスラムの中東と格闘している現代にまったく違和感なくあてはまるこの暗喩。さすが、ボウルズ。珠玉の一品でした。
2006年12月29日に日本でレビュー済み
ベルトリッチの映画で、ボウルズを知った人も多いと思う。
アメリカロストジェネレーションの旗手で、
ウィリアム・バロウズと比較されることも多いが退廃と喪失観が強く
謎も多いためあまり日本では紹介される機会がなかった。
シェルタリングスカイは、そんなボウルズの作品の中でも読みやすい作品の一つ。
得意とする砂漠文学の魅力が盛り込まれている。
映画では、本人が登場しナレーションも行っている。
アメリカロストジェネレーションの旗手で、
ウィリアム・バロウズと比較されることも多いが退廃と喪失観が強く
謎も多いためあまり日本では紹介される機会がなかった。
シェルタリングスカイは、そんなボウルズの作品の中でも読みやすい作品の一つ。
得意とする砂漠文学の魅力が盛り込まれている。
映画では、本人が登場しナレーションも行っている。
2005年7月25日に日本でレビュー済み
安易な異界での浄化願望の書。映画もそうだがこのネタ本も底が浅い。いい気なものである。同じ理由で続く二作目もつまらない。この作者は過大評価されている。この手の話なら、ホワイトなどの方が余程読み応えがある。