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「赤」の誘惑: フィクション論序説 単行本 – 2007/3/1
蓮實 重彦
(著)
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- 本の長さ284ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2007/3/1
- ISBN-104103043512
- ISBN-13978-4103043515
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2007/3/1)
- 発売日 : 2007/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 284ページ
- ISBN-10 : 4103043512
- ISBN-13 : 978-4103043515
- Amazon 売れ筋ランキング: - 561,165位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 758位文学理論
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年5月13日に日本でレビュー済み
蓮実も歳をとったなと、つくづく思わざるを得ない自己反復と切れ味のなさだ。歳をとっても、それなりに良い仕事をする画家や詩人がいるのだから、批評家だって、やってやれないことはないだろうにと思う。しかし蓮実も70をすぎたのだから、御老体である。これから、どう老い花を咲かせるのか、楽しみにしていた矢先に、本書は痛々しいばかりの老いっぷりである。がんばれ蓮実。
2015年2月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「赤」という表現をめぐってあらゆる言説に隠れている無意識を横断的に指摘し、表現一般に潜む習慣性と黙契を暴き、表現というものの原理に迫った名著。
ポストモダンを気取る知的武装の類いとは根本的に異なる超記号論。
ポストモダンを気取る知的武装の類いとは根本的に異なる超記号論。
2007年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
蓮實が自ら執筆した本で「序説」と謳ったものは、本書ともう1冊、『物語批判序説』がある。これらは明らかに来るべきフロベール論の「序説」なワケで、つまり蓮實フロベール論は物語批判であり、フィクション論だということになる。
蓮實は本書で、デリダの文学への触れ方を「ある言語記号が説話論的な論理を超えて煽りたてる主題論的な豊かな拡がりに対する徹底的な禁欲性」と要約し、それが「デリダ自身の思考の精緻さ」は救っても「文学のテクスト性」は救わないと批判している(p258)。ここに言う「説話論的な論理」が「物語」、「文学のテクスト性」が「フィクション」に対応する。そして本書の目的を、「「虚構というものとその多義的なテクスト」のまどろんでいる細部を目覚めさせ、それにふさわしい「生」を回復させることにあった」(p279)と述べる。
本書は要するに、フィクションの「理論」を語る連中が軒並みフィクションを読めていない事実を示し、「フィクションはこう読め!」を実演してみせる内容。フィクション中の「赤」は通常の「赤」と同機能を持つとするサールの記すその「赤」が、すでに主題論的文脈に取り込まれて通常の機能から逸脱している。大体フィクションはミメーシスでは切れないワケで、アウエルバッハも見事に細部に鈍感。
で、代わりに提示される読みというのが、実に嫌味なまでに見事。『灯台へ』分析には溜息が出るし、『かのように』が蜂起への誘惑と煽動のフィクションに変じる件りには戦慄する。『盗まれた手紙』にご大層な理論を外挿したラカンも、「赤」と「黒」の主題論的配置に関する蓮實の分析の前に膝を屈するしかないだろう。まさに「マゾッホ的戦略」による「仮死の祭典」としての批評の本領発揮。
また、『血の収穫』『浅草紅団』における「赤」の氾濫(p211)を、哲学的言説におけるシャーロック・ホームズという記号の増殖(p219)と絡めて論じているのも興味深い。これは20世紀における社会主義運動と大衆社会化という主題に触れるものだろうと思う。ま、こういう慎みを欠いた「事態の簡略化は論者の思考を硬直化させずにはおかない」(p121)のでしょうけど…
蓮實は本書で、デリダの文学への触れ方を「ある言語記号が説話論的な論理を超えて煽りたてる主題論的な豊かな拡がりに対する徹底的な禁欲性」と要約し、それが「デリダ自身の思考の精緻さ」は救っても「文学のテクスト性」は救わないと批判している(p258)。ここに言う「説話論的な論理」が「物語」、「文学のテクスト性」が「フィクション」に対応する。そして本書の目的を、「「虚構というものとその多義的なテクスト」のまどろんでいる細部を目覚めさせ、それにふさわしい「生」を回復させることにあった」(p279)と述べる。
本書は要するに、フィクションの「理論」を語る連中が軒並みフィクションを読めていない事実を示し、「フィクションはこう読め!」を実演してみせる内容。フィクション中の「赤」は通常の「赤」と同機能を持つとするサールの記すその「赤」が、すでに主題論的文脈に取り込まれて通常の機能から逸脱している。大体フィクションはミメーシスでは切れないワケで、アウエルバッハも見事に細部に鈍感。
で、代わりに提示される読みというのが、実に嫌味なまでに見事。『灯台へ』分析には溜息が出るし、『かのように』が蜂起への誘惑と煽動のフィクションに変じる件りには戦慄する。『盗まれた手紙』にご大層な理論を外挿したラカンも、「赤」と「黒」の主題論的配置に関する蓮實の分析の前に膝を屈するしかないだろう。まさに「マゾッホ的戦略」による「仮死の祭典」としての批評の本領発揮。
また、『血の収穫』『浅草紅団』における「赤」の氾濫(p211)を、哲学的言説におけるシャーロック・ホームズという記号の増殖(p219)と絡めて論じているのも興味深い。これは20世紀における社会主義運動と大衆社会化という主題に触れるものだろうと思う。ま、こういう慎みを欠いた「事態の簡略化は論者の思考を硬直化させずにはおかない」(p121)のでしょうけど…
2007年7月12日に日本でレビュー済み
欧米の研究がてんこもりに引用されていて一読しただけではついていけないところが多かった。『語らない言葉』や『ミメーシス』など引用されている本をいくつか読んでみたいと思った。各章の内容を下にまとめてみました。
序章 「フィクション」を「理論」で捉えることの難しさが表明されている
1 さる言語哲学者のフィクションを扱った論文のなかの例や比喩、ひいては考えかたが杜撰だと書かれている
2 現代の分析哲学の虚構論争の混乱ぶりと、フーコーの見事な言葉とが対比されている
3 フィクションを可能世界や構造の分析から論じることもつまらないと書かれている
4 森鴎外の短編『かのように』は虚構についての思想小説でありながら立派に「フィクション」を実践している
5 アウエルバッハの名評論『ミメーシス』とその中でとりあげられているヴァージニア・ウルフ『燈台へ』の読解
6 ニューマン→西村清和→ミカエル・リファテール→ド・マン→夏目漱石 と次々論じられていくが難しい内容
7 物事は正しい名称をもつとするクラテュロス主義をめぐってジュネット『ミモロジック』とプルーストが論じられている
8 正岡子規と彼の登場する小説『坂の上の雲』との錯綜した関係。告白と嘘をめぐるカフカの言葉。
9 ダシール・ハメット『血の収穫』、コナンドイル『緋色の研究』、川端康成『浅草紅団』のなかの「赤」について
10 エドガー・アラン・ポーの作品をきちんと読まないまま精神分析理論に利用したジャック・ラカンへの不信感
終章 「出来事」と「非物質的なもののマテリアリスム」。西欧近代の「芸術」からは模倣や虚構は放棄されたのか否か。
序章 「フィクション」を「理論」で捉えることの難しさが表明されている
1 さる言語哲学者のフィクションを扱った論文のなかの例や比喩、ひいては考えかたが杜撰だと書かれている
2 現代の分析哲学の虚構論争の混乱ぶりと、フーコーの見事な言葉とが対比されている
3 フィクションを可能世界や構造の分析から論じることもつまらないと書かれている
4 森鴎外の短編『かのように』は虚構についての思想小説でありながら立派に「フィクション」を実践している
5 アウエルバッハの名評論『ミメーシス』とその中でとりあげられているヴァージニア・ウルフ『燈台へ』の読解
6 ニューマン→西村清和→ミカエル・リファテール→ド・マン→夏目漱石 と次々論じられていくが難しい内容
7 物事は正しい名称をもつとするクラテュロス主義をめぐってジュネット『ミモロジック』とプルーストが論じられている
8 正岡子規と彼の登場する小説『坂の上の雲』との錯綜した関係。告白と嘘をめぐるカフカの言葉。
9 ダシール・ハメット『血の収穫』、コナンドイル『緋色の研究』、川端康成『浅草紅団』のなかの「赤」について
10 エドガー・アラン・ポーの作品をきちんと読まないまま精神分析理論に利用したジャック・ラカンへの不信感
終章 「出来事」と「非物質的なもののマテリアリスム」。西欧近代の「芸術」からは模倣や虚構は放棄されたのか否か。
2007年4月3日に日本でレビュー済み
は、相変わらず、おもしろい。
フィクションとは何か、ではなく、
人はフィションを語る時、
なぜ、どいつもこいつも、つい「赤」と口にするのか?
かつての蓮實先生の大江健三郎論の「数字」を、あるいはデリダの「有限責任会社」を、
おもしろがれる人にお勧め。たぶん。
フィクションとは何か、ではなく、
人はフィションを語る時、
なぜ、どいつもこいつも、つい「赤」と口にするのか?
かつての蓮實先生の大江健三郎論の「数字」を、あるいはデリダの「有限責任会社」を、
おもしろがれる人にお勧め。たぶん。
2007年9月7日に日本でレビュー済み
「フィクション論序説」と堅いサブタイトルがついてはいるが、要するに本書は、フィクションを論じる言語哲学者や文学理論家たちの多くが「赤」に言及しておきながら「赤」そのものを論じることをしないまま上手く理論をまとめたように装い、うかつにも聡明過ぎたジャック・ラカンが「赤」に意味を見出したとたんに彼の理論は破綻してしまい‘大火傷’を負ってしまうという「赤」の恐怖が描かれており、秀逸な‘サイエンス・フィクション’として楽しめる。