P24「勇将一人つぎ込んだぐらいでは、抜本的な解決にならないとしてもよいくらいに深刻であったのが、三世紀末のローマ帝国の安全保障の現実であったのだ。しかし、問題解決の責任者となれば、抜本的な解決に手をつけるよりも当座の不安を解消する方が先決する。」
P35「最も本源的な命題に戻った上で策を立てる必要がある。」
P41「敗将になった罰は、誰もがわかるようなやり方で、徹底してうけたのである。」
P44「ローマ人は敗者を、足蹴にするようなまねは絶対にしない。それは、敗者への配慮というよりも、ローマ人自らの自尊心に反する行為になるからである。」
P45「勝利に有頂天になる性質ではないディオクレティアヌス」
P57「競争関係にあることから生れる、各皇帝の縄張り意識にあった。」
P63「市民中の第一人者から市民とはかけ離れたところにあって支配する者」
「冠が豪華になれば、服装もそれに準ずる必要が出てくる。」
P64「出向けば会ってくれていたのだが、皇宮内の複雑な官僚組織を通り抜けでもしなければ会えなくなった。つまり、皇帝と会い話を交わすこと自体が特権になったのである。」
P65「われわれ市民の代表というよりも、あれがわれらの皇帝か、とでもいう感じの好奇心のほうが強かったはずである。」
P75「人間とは、一つの組織に帰属するのに慣れ責任を持たせることによって、他の分野からの干渉を嫌うようになるものなのである。そして、干渉を嫌う態度とは、自分も他者に干渉しないやり方につながる。自分も干渉しない以上は他者からの干渉も排除する、というわけだ。」
P91「富裕層には公共心に訴えるだけでなく、彼らの虚栄心にも訴えるのを忘れなかったことである。公共建築の修理を行った事実は石碑にして立ててよかったし、貧しい娘の婚資の援助が目的の財団の設立者は、その財団に自分の名を冠するころが許されていた。人間は形に遺るとなれば、より一層やる気を起こすものである。」
P94「何ごともシステム化することが好きであり、またその能力もあった人でもある。だがそれだけに、細目で決めすぎるという欠点があった。その結果、不測の事態に見舞われたりすると動きが取れなくなる。」
P96「悪貨とは、額面価値と素材価値が一致していない通貨を言う。」
P103「ディオクレアヌスという人物は、誰に対しても胸中の想いを明かす男ではなかった。またそれが、行動に表れるタイプでもなかったのである。だが、強靭な性格の持ち主であったから自己制御には長じており、一時的な怒りの爆発で重大な政策を断行してしまうとか、下位の者の忠言に簡単に乗ってしまうようなことからは、最も縁遠い人物だった。」
P123「心労と激務の連続」
P123「コモドゥスが皇帝に適任か不適任かは別にして、後継者人事からはずされた実子は、当の本人が望むと望まないにかかわらず、現皇帝に反対の勢力が担ぎ出すには最適な存在になってしまうのである。つまり、内乱や内線の火元になりやすいのだ。」
P126「帝国の防衛能力を測る計器」
P128「家を見ると、その人の性格がわかる。」
P135「戦役を遂行中の司令官にとって、有能な武将ほどありがたい存在はない。」
P144「与えられた部下を自分の部下に変えていくには、一年はあまりに短い。それも、武将が与えられた部下を自分の部下にしていくには、戦場で彼らを指揮することで武将としての能力を認めさせていくからこそ可能なのだ。」
P145「与えられた兵士でも自分の兵士に変えていく時間にも恵まれていた。」
P146「ガレリウスはそれまでに、イタリアにもローマにも足を踏み入れたことがなかったのではないかと思う。正帝になっていても凱旋式は挙行していないので、もはや凱旋式をを挙げる場所でしかなくなった首都ローマを訪れる必要もなかったのだが。だが、この種の無知は、ガレリウスにとって大変高くつくことになる。」
P151「あふれる活力を自分でコントロールすることが、最も不得手な人であったのだ。」
P152「彼のような立場の男にとっての結婚は政略なのである。」
P153「長年のこの同士の惨めな最期は、ディオクレアヌスにはじめて、退位することの真の意味を悟らせたのではないだろうか。前正帝といってもそれは称号だけで、意のままに動かせる軍勢をもたない身になっては、誰に対しても影響力を与える力はないことを。地位を失えば権力を失うのである。」
P154「合議制の産物ではなく、専制の産物であったのだ。」
P156「決定的な一歩を踏み出すのに、リスクが伴わずには済まない。そして、リスクが高ければ、成功した場合の見返りは大きい。」
P162「少数の兵ならば、逃げるのに任せたのである。敗走する兵士たちが、トリノやミラノの住民にこの第一線の結果を告げるほうが、彼には好都合であったからだった。」
P164「軍勢を先頭にトリノに入城してきたコンスタンティヌスは、出迎えた住民の代表に向かって、心配の必要はまったくないと言い渡した。略奪も焼き討ちも人殺しも、いっさい行われなかった。」
「住民たちは、コンスタンティヌスの前に城門を明け渡せば無事は保証されることを知ったのである。」
P166「そしてコンスタンティヌスは、戦況の好転にほっと安堵して、手中にしたあbかりのヴェローナでゆっくりと、激戦の疲れを癒やすような男ではなかったのである。」
P169「キラ星の如くという表現を使いたくなるような名将が、一人も登場しないことである。」
P171「コンスタンティヌスの軍事力に圧倒されて恭順の意を表したのであって、彼の軍事力が威力を欠くようなことになれば、恭順の意などたちまち引っ込めてしまうに違いない。」
「成功した例は、ローマ史上にも存在した。失敗した例のほうが圧倒的に多い。」
P172「生涯の決戦をこの種の感情に動かされるようでは、動かされるようでは、徹底して冷徹な頭脳からしか生まれない戦略は立てようがない。実父が殺されたら恨みでさえも、きれいさっぱりと忘れる必要がある。この面でもマクセンティウスは、三十四歳未成熟だった。」
P173「コンスタンティヌスという男が、酔ったりその甘い成果をゆっくりとではなかったことを示唆してはいないか。言い換えれば、鉄は熱いうちに打つ必要知っていたということになる。しかし、一方では、果実が熟すのを待つ慎重さも持ち合わせていた。」
P199「一時は六人もいた皇帝は、一人、退場していき、今では二人になっていたのだった。だが、この「つづくとは、誰一人思わなかった。いや当の「二頭」が、誰よりも思っていなかった。」
P209「コンスタンティヌスは、勢いに任せて階段を一気に最上階までではなく、踊り場に出会う踊り場に出会うたびにそこで立ち止まってこれまでの成果を確かなものにし、そのうえで次の階段に挑戦する性質であったのだ。」
「誰よりも拙速にだけは縁のない人ではなかったと思われる。」
「拙速を嫌うとは、急ぐのが時期でも着実に歩はということである。」
P214「兵士は、昨日まで戦場に者が最も強い。」
P216「戦闘を前にして立てる戦略とは戦術は、いくつかの基本的なその他のことは戦場で戦役の進み具合臨機応変に対処していくものである。事前に綿密に細部まで決めておくとそれに縛られてしまい、戦場ではしばしば起る予想外の展開に対応できなくなる。」
「動きを規制されては、戦士のカンで動くこともできなくなる。」
P243「光り輝いているとしか見えなかったコンスタンティヌスだったが、なぜか、家庭内での流血には縁が深かった。」
P244「専制君主制とは、ナンバーワンとその他大勢の社会なのだ。」
P245「中年の女の恋は、若い女の場合のように夢からではなく、絶望から生まれくるものなのである。露見しようものなら、死しか待っていないことは知っていながら。」
P253「エイヤッのたぐいにすぎなことをまず断っておく。」
P282「実に巧みな二刀流の使い手であったのだろう。」
P283「コンスタンティヌスも政治家である以上、支持者の少ないこと確かな政策を断行する行為は、政治家にとって命取りであることは、充分に知っていたはずだからであった。」
P284「需要には、すでに存在する需要もあるが、換気してこそ生まれてくる需要もあるからである。」
P284「少数を多数にしようとしているのだから、その動機はなんであったのかは、避けて通れる、問題ではないからである。あえて言えば、それほどまでして肩入れすることで得られる、メリットは何であったのか、であるのだから。」
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ローマ人の物語 (13) 最後の努力 (ローマ人の物語 13) 単行本 – 2004/12/22
塩野 七生
(著)
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- 本の長さ301ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/12/22
- ISBN-104103096225
- ISBN-13978-4103096221
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/12/22)
- 発売日 : 2004/12/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 301ページ
- ISBN-10 : 4103096225
- ISBN-13 : 978-4103096221
- Amazon 売れ筋ランキング: - 331,472位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 145位古代ローマ史
- - 898位ヨーロッパ史一般の本
- カスタマーレビュー:
著者について
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1937年7月7日、東京生れ。
学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。
1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006年に完結)。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008-2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年5月2日に日本でレビュー済み
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2018年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
塩野七生氏の見識がここにもいかんなく発揮されていて、塩野ファンならずともうならせる文章力。堪能しました。その後の地中海世界も引き続き読破するつもりです。
2019年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分で考える、のではなく
他人のレビューに関心を持て、と言うから
しぶしぶ思ったことを書こうでは無いか
多神教は他者を認める相対性の考えで
一神教は自らが持つ良い答えを他人にも授けようと思う考えだ
両者の間に何の干渉も無いだろう
ローマ黎明期を切り開いた人々は自ら考えたと言うことがこのシリーズで学べる
それを知る私もまた、彼等と同じ人間だと知っている
それが相対性で社会性で、公共性だ
自分の認知にしか関心がないならば、自己中心的と人は言う
何か他の生産性を目的とするように見せて、自己への愛しか目的としない欺瞞だ
私には、とてもその様には生きられない
しかし、同じ様に考える人間も何時の時代か何処かの国に居るだろう
他人のレビューに関心を持て、と言うから
しぶしぶ思ったことを書こうでは無いか
多神教は他者を認める相対性の考えで
一神教は自らが持つ良い答えを他人にも授けようと思う考えだ
両者の間に何の干渉も無いだろう
ローマ黎明期を切り開いた人々は自ら考えたと言うことがこのシリーズで学べる
それを知る私もまた、彼等と同じ人間だと知っている
それが相対性で社会性で、公共性だ
自分の認知にしか関心がないならば、自己中心的と人は言う
何か他の生産性を目的とするように見せて、自己への愛しか目的としない欺瞞だ
私には、とてもその様には生きられない
しかし、同じ様に考える人間も何時の時代か何処かの国に居るだろう
2004年12月26日に日本でレビュー済み
さすがの塩野 七生さんも少し息切れしたのでしょうか。
敬愛する新潮社の利益の源泉でもある本書をあまりきつく言いたくないのですが、本13巻については将来さらに改訂増補版を出されることを期待します。
理由は、この時代の資料の原典がギリシャ語となるためか、時間不足のためか、歴史の要約の内容が多すぎます。また同じことの繰り返しが目立ちます。(これは編集者の責任です)資料不足の為か、ご苦労されたとは推察されますが、もっと読者をローマ帝国の同時代に生きる喜びに浸らせてほしかったです。逆に言えば今までの巻はこの喜びが多ければこそ読者をつかんだのでは。
一神教のキリスト教を政権の正当性維持のために活用した巧みさはよく描かれていますが、もう少し歴史のひだひだを描いてほしかったです。
「コンスタンチノープルの陥落」の作者が、コンスタンチノープルの建設をどのように描くのかを楽しみにしていましたが、コンスタンティヌスのために建てられた新しい都であることはわかったのですが、建設の槌音を聞き取れませんでした。
さらに歴史を描くのに権威に頼らず、自ら資料を検証して筆を進めてきた塩野さんなのに、本巻では最後に現代の権威の書の引用をもって要約に代えています。
毎年一巻でなくてもよいので、本作の中盤で見せた粘りをさらに期待します。
作者のほぼ全著作を保有し読了している愛読者より、敬愛の念をこめて。
敬愛する新潮社の利益の源泉でもある本書をあまりきつく言いたくないのですが、本13巻については将来さらに改訂増補版を出されることを期待します。
理由は、この時代の資料の原典がギリシャ語となるためか、時間不足のためか、歴史の要約の内容が多すぎます。また同じことの繰り返しが目立ちます。(これは編集者の責任です)資料不足の為か、ご苦労されたとは推察されますが、もっと読者をローマ帝国の同時代に生きる喜びに浸らせてほしかったです。逆に言えば今までの巻はこの喜びが多ければこそ読者をつかんだのでは。
一神教のキリスト教を政権の正当性維持のために活用した巧みさはよく描かれていますが、もう少し歴史のひだひだを描いてほしかったです。
「コンスタンチノープルの陥落」の作者が、コンスタンチノープルの建設をどのように描くのかを楽しみにしていましたが、コンスタンティヌスのために建てられた新しい都であることはわかったのですが、建設の槌音を聞き取れませんでした。
さらに歴史を描くのに権威に頼らず、自ら資料を検証して筆を進めてきた塩野さんなのに、本巻では最後に現代の権威の書の引用をもって要約に代えています。
毎年一巻でなくてもよいので、本作の中盤で見せた粘りをさらに期待します。
作者のほぼ全著作を保有し読了している愛読者より、敬愛の念をこめて。
2022年9月8日に日本でレビュー済み
15巻末尾で、ローマ人が分かった、と彼女は書いている。
筆者はその本質を、この13巻で明るみになったと(勝手に)思って読んでいる。
この巻は、塩野七生が宗教と政治についての結論を記し、彼女の政治哲学の本質を露わにした傑作であると私は勝手に思っている。誤読と読み違えかも知れないが…。
ディオクレティアヌス(284-305)とコンスタンティヌス(306-337)の両皇帝によって、ローマ皇帝は「市民の第一人者」から、「神の似姿」へと変貌し、その過重性に耐えきれず、ローマ帝国は自由を失っていく過程を淡々と描く。
その背後に、塩野七生は意図したか否かはともかく、ローマ人が持っていた政治哲学の驚くべき特質、中国にも日本にもイスラムにも後代の子孫である欧州にもない、ある性格を指摘しているように思われる。
ローマ人が政治に求めるのは機能のみ。道具主義者、機能主義者であることがローマ人の本質であると。
ローマ人は政治を統治の道具ととらえ、政体を二の次に考えていた。
道具として取り換え可能であるという柔軟性こそ、ローマ人の魂ではなかったか、と。
都市王国として始まり、それが拡大するや(21世紀の用語を借りれば)指導者層による集団指導体制である元老院となり、元老院が利益の相反する各勢力の内部抗争で統治能力が低下するや、軍をカリスマで率いる歴代の武将たちの最後の勝利者カエサルが元老院を人材のシンクタンクに格下げし、「第一人者」が政権を掌握する皇帝政に移行、ところが3世紀の危機でカエサル型皇帝政が破綻すると、ディオクレティアヌス型の、権威を神に置く絶対的政治体制と強烈な軍事政権によって、宗教によって権威付けられた専制政治へと移行。…
ローマ人は、数世紀単位で、政治体制を衣服のように取り換え、体制内部で革命でも起こすような規模で自国を改変する。
融通無碍の柔軟性を持っていた民族だったのではないか?
…と彼女は数千ページを積み重ねたこの史書の最後の転換点となった13巻で無言で示しているかに思われる。
ローマが滅亡したのは、帝国だけではない。魂でもしかり。
神権的絶対政治でも世界帝国の平和を維持できなくなり、ゲルマン民族が西ヨーロッパとアフリカになだれこみ、方便として採用したにすぎぬキリスト教化したローマ帝国の残存部分はビザンチンとなり、ゲルマンに制圧された部分に教会が侵透していま我々はそれを欧州と呼ぶ、と。
時代的には子孫にあたるイスラム世界もキリスト世界も、神政政治から王制、共和政、皇帝政まで、政治体制を弊履のごとく使い捨て、政体を使いこなすローマ人の本質たる政治上の機能主義、あるいは哲学的な虚無、あるいは政治に対して正当性や正義を一切求めない実用主義者としての怜悧さを継承することはなかった。
政治を道具扱いし、政治に神聖も正義も認めないが活用する、真空のような柔軟性と相対性を駆使する、善悪の彼岸を行く政治哲学を継承することもなかった。
ローマ人が政治を使いこなした技術は空前絶後の例となって、人類から失われてしまった…、と。
ローマ以後の世界は、4世紀のローマが統治の必要から導入したにすぎない絶対神のマイナス面に覆われ、宗教が世界の前提となる世界、正義と真実と神聖が思考の前提になる洗脳に覆われた世界が残された、と。
宗教を政治の道具、として結論した最終段階で、彼女は政治を使いこなすローマン・スピリットの所有者として、カエサルのように明朗にだけではなく、コンスタンティヌスもまた暗鬱かつ抑圧的に機能させる能力者として描き出した。
ただし彼女は精神の自由の信奉者なので、苦々しく記している。
これこそが多神教社会と無神論社会の混合である20世紀日本人による、キリスト教導入の政治上の理由の「部外者」による解明であり、筆者はこの13巻を「ローマ人の物語」全15巻の中でも、カエサルを扱った4.5巻を超え、アウグストゥスを分析した6巻を超え、コンスタンティヌスの政治的天才(ただし彼女が嫌悪するタイプの天才)を遺憾なく分析した新視点によって、おそらくベスト3に入る傑作であり、彼女の全著作でもベスト5に入ると確信している。
あるいはこれは贔屓の引き倒し、あるいは誤読かもしれない。
彼女の真意と解釈は全く別の奈辺にあるのかも。
だが、筆者はそのように読んだ。
この後14.15巻で、ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスの最後の国家改造のあと、平和の維持に失敗したローマ人の最後の日々が描かれる。
しかしそれは衰滅と惰性で終わり、この13巻ほとの高みには達さなかった。
彼女は司馬遷が春秋戦国の諸国と漢帝国について書いたように、ローマについて
「始まりを訪ね、登り詰めたるを明らかにし、衰えたるも書き留め、その終わりを究めた」。
塩野七生は滅亡後1500年のローマに対し、まるで司馬遷のようだった。
それは、一つの世界の再現だった。
普遍の深み、高み、奥行きに達した、20世紀日本人によるローマ人解析であり、これは後代のどこかの地域の人類によって、さらにこの時代の日本人の精神構造に遡って彼女の結論をも解釈されるだろう古典となると確信している。
…読んで楽しかった!それを言いたかっただけです。それを分解すると↑になります。長文乱筆失礼。
筆者はその本質を、この13巻で明るみになったと(勝手に)思って読んでいる。
この巻は、塩野七生が宗教と政治についての結論を記し、彼女の政治哲学の本質を露わにした傑作であると私は勝手に思っている。誤読と読み違えかも知れないが…。
ディオクレティアヌス(284-305)とコンスタンティヌス(306-337)の両皇帝によって、ローマ皇帝は「市民の第一人者」から、「神の似姿」へと変貌し、その過重性に耐えきれず、ローマ帝国は自由を失っていく過程を淡々と描く。
その背後に、塩野七生は意図したか否かはともかく、ローマ人が持っていた政治哲学の驚くべき特質、中国にも日本にもイスラムにも後代の子孫である欧州にもない、ある性格を指摘しているように思われる。
ローマ人が政治に求めるのは機能のみ。道具主義者、機能主義者であることがローマ人の本質であると。
ローマ人は政治を統治の道具ととらえ、政体を二の次に考えていた。
道具として取り換え可能であるという柔軟性こそ、ローマ人の魂ではなかったか、と。
都市王国として始まり、それが拡大するや(21世紀の用語を借りれば)指導者層による集団指導体制である元老院となり、元老院が利益の相反する各勢力の内部抗争で統治能力が低下するや、軍をカリスマで率いる歴代の武将たちの最後の勝利者カエサルが元老院を人材のシンクタンクに格下げし、「第一人者」が政権を掌握する皇帝政に移行、ところが3世紀の危機でカエサル型皇帝政が破綻すると、ディオクレティアヌス型の、権威を神に置く絶対的政治体制と強烈な軍事政権によって、宗教によって権威付けられた専制政治へと移行。…
ローマ人は、数世紀単位で、政治体制を衣服のように取り換え、体制内部で革命でも起こすような規模で自国を改変する。
融通無碍の柔軟性を持っていた民族だったのではないか?
…と彼女は数千ページを積み重ねたこの史書の最後の転換点となった13巻で無言で示しているかに思われる。
ローマが滅亡したのは、帝国だけではない。魂でもしかり。
神権的絶対政治でも世界帝国の平和を維持できなくなり、ゲルマン民族が西ヨーロッパとアフリカになだれこみ、方便として採用したにすぎぬキリスト教化したローマ帝国の残存部分はビザンチンとなり、ゲルマンに制圧された部分に教会が侵透していま我々はそれを欧州と呼ぶ、と。
時代的には子孫にあたるイスラム世界もキリスト世界も、神政政治から王制、共和政、皇帝政まで、政治体制を弊履のごとく使い捨て、政体を使いこなすローマ人の本質たる政治上の機能主義、あるいは哲学的な虚無、あるいは政治に対して正当性や正義を一切求めない実用主義者としての怜悧さを継承することはなかった。
政治を道具扱いし、政治に神聖も正義も認めないが活用する、真空のような柔軟性と相対性を駆使する、善悪の彼岸を行く政治哲学を継承することもなかった。
ローマ人が政治を使いこなした技術は空前絶後の例となって、人類から失われてしまった…、と。
ローマ以後の世界は、4世紀のローマが統治の必要から導入したにすぎない絶対神のマイナス面に覆われ、宗教が世界の前提となる世界、正義と真実と神聖が思考の前提になる洗脳に覆われた世界が残された、と。
宗教を政治の道具、として結論した最終段階で、彼女は政治を使いこなすローマン・スピリットの所有者として、カエサルのように明朗にだけではなく、コンスタンティヌスもまた暗鬱かつ抑圧的に機能させる能力者として描き出した。
ただし彼女は精神の自由の信奉者なので、苦々しく記している。
これこそが多神教社会と無神論社会の混合である20世紀日本人による、キリスト教導入の政治上の理由の「部外者」による解明であり、筆者はこの13巻を「ローマ人の物語」全15巻の中でも、カエサルを扱った4.5巻を超え、アウグストゥスを分析した6巻を超え、コンスタンティヌスの政治的天才(ただし彼女が嫌悪するタイプの天才)を遺憾なく分析した新視点によって、おそらくベスト3に入る傑作であり、彼女の全著作でもベスト5に入ると確信している。
あるいはこれは贔屓の引き倒し、あるいは誤読かもしれない。
彼女の真意と解釈は全く別の奈辺にあるのかも。
だが、筆者はそのように読んだ。
この後14.15巻で、ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスの最後の国家改造のあと、平和の維持に失敗したローマ人の最後の日々が描かれる。
しかしそれは衰滅と惰性で終わり、この13巻ほとの高みには達さなかった。
彼女は司馬遷が春秋戦国の諸国と漢帝国について書いたように、ローマについて
「始まりを訪ね、登り詰めたるを明らかにし、衰えたるも書き留め、その終わりを究めた」。
塩野七生は滅亡後1500年のローマに対し、まるで司馬遷のようだった。
それは、一つの世界の再現だった。
普遍の深み、高み、奥行きに達した、20世紀日本人によるローマ人解析であり、これは後代のどこかの地域の人類によって、さらにこの時代の日本人の精神構造に遡って彼女の結論をも解釈されるだろう古典となると確信している。
…読んで楽しかった!それを言いたかっただけです。それを分解すると↑になります。長文乱筆失礼。
2016年9月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大変面白く読みました。
クリスチャンでない方の視点であり、参考になる点がありました。
神学校での教会史のレポートのまとめに大いに役立ちました。
クリスチャンでない方の視点であり、参考になる点がありました。
神学校での教会史のレポートのまとめに大いに役立ちました。